息子と嫁が旅行から帰ってきた2
帰宅までの話でさらに目が点である。
嫁が老舗旅館の厨房に入って盛り付けをした。帰りは無賃で赤鹿屋。
宿代を出したのに大部屋で雑魚寝して「また旅行したいです」と一旦返却。人見知りの息子が自ら声を掛けて交渉して行商の牛車に相乗り。
そして最後の最後にかめ屋。
「中央区を観光しているかと思ったらかめ屋にいたんですか。夕食は要りませんって、もしかしたらリルさんの実家の方々と食事かと思っていたら既にかめ屋で済んでいたなんて」
「明日、リルさんと家事以外はゴロゴロしようと思って頼まれた荷物や手紙を渡しに行って捕まりました。根掘り葉掘りの代わりにお風呂と部屋と食事です。明日も呼ばれています」
「はい。明日もです」
親戚でもないのにこき使われてきてまだ使われる気なのか。恩返しは終わりな気もするが……。明日までならまあお世話になった分か?
難しいな。こんなに贅沢三昧の旅とは誰が想像するだろう。
「華やぎ屋さんではうんともてなされたようですし、あなた達で判断したならええです。しかし旅行帰りで疲れて……風呂に部屋に夕食を与えるとはちゃっかりしてる。あの夫婦には呆れる。家の息子と嫁を何だと思っているんですかね」
「お義母さん助けて下さい」
共に暮らしはじめて嫁の悲壮な顔を見るのは初。
実家が恋しくなったのか、夕食時に少ししょんぼりしているのは見たことがあるけど全然違う。
この嫁の立場で妻に助けて下さい。嫁入りの経緯で分かりそうなのに、妻の怒りを理解、推測出来ていないのか?
まあ理解していないから妻に懐いたのだろう。
懐かれた妻も「悪くない」という態度。料理の時など「娘が生きていたらこうかな」みたいな優しげな雰囲気。
天邪鬼さをかわゆいと思っているのは誰にも言ったことはない。
「何ですか急に」
誰が嫌いな嫁を助けるか、という顔をしているけど妻は多分助ける気がする。
「料理長さんや料理人さん1人や2人と料理について話すのはええです。でも大勢の前で説明は下手くそで苦手で嫌です。あとお水は用意して欲しいです。喉がカラカラになります」
妻が目を丸くした。
「あなた、こんなにはっきり嫌とか拒否をするんですね。喉がカラカラって、水くらい頼んだらええではないですか」
「私は会話が下手だから言いそびれます。お義母さんと味盗みはええですけど、ミーティアとの縁結びは難しいです」
「私と味盗みって何ですか。それに縁結びも。そもそもですね、気がついたら厨房にいたとはなんですか」
嫁が渋い顔になる。叱責出来るぞ、ではなくて心配な気がする。
自分は何かが引っかかると思ったが聞き流した。しかし妻は話を戻したくなる程気になったのか。
「ではどうぞ、と言われてついて行ったら厨房です。それでお義母さんがかめ屋で相談役をしているからお嫁さんもお願いしますと」
「私は相談役なんてしていません。お願いしますって何を頼まれたんですか」
相談役ではなくて幼馴染セイラとの関係性のことだろう。
妻が作った茶懐石や我が家での食事を店へ流用されたり、妻はなんだかんだかめ屋に使われている。
妻本人も自覚しているので「息子の半元服祝いの食事を贔屓して」など持ちつ持たれつの関係。
「そうなんですか? 今日も聞きました。頼まれごとはお膳を1つだけ、あるもので好きなように盛り付けて理由を説明して欲しいと言われました。なのでそうしました」
「それで?」
「沢山説明して疲れました。料理長さんへはまだ大丈夫でしたけど、北極星とかロメルとジュリーの話を配膳の従業員さん達に根掘り葉掘り聞かれました」
「ん? 配膳の? リルさん、どういうことですか?」
息子も把握していない何かがあるのか。何か引っかかる。気になる。だけどまあ良いかと流したまま終わるつもりだった。
しかし妻は違った。妻は推測上手だし勘も鋭い。
「リルさん。その説明よりどんな料理をどのように盛り付けてきたのかとその理由を話してちょうだい」
妻のこの発言の意図は何だろう。
「はい。しららみぞれ和えは牡丹みたいにしました。華やぎ屋は牡丹のお店です」
「他にもありますか?」
「はい。ひじきの煮物に型抜きしてあった紅葉と枝豆2つで紅葉草子とロメルとジュリーです」
「北極星、2つは我が家での流行りですからね。それで?」
最近の料理は何かと2つ、2粒だなあと思っていたらそういう意味があったのか。
「しららみぞれ和えが牡丹なので千年大根の柚子酢ずけも花っぽくしました。お義母さんと雪兎を色々練習中で、お味噌汁用みたいな余り大根が集まっていたので、冬ですし雪兎を真ん中に置きました」
気がついたら厨房にいたのに、そんなにあれこれ思いつくものなのか。
食べながらか食べ終わった後か知らないけれど、家でこうしようとか考えていたのだろう。
かめ屋が厨房に欲しいと言うのはこういうところなのか?
「次は?」
「ちはやぶるにならないかと思って、お鍋の人参を川にして肉団子を減らして紅葉草子と北極星です。減らした肉団子は雑炊の時に入れたらええと思いました。雑炊なしだったのはたまごが高いからかと」
「勝手に減らして怒られませんでした?」
「はい。そのまま出さないと思いました」
「そうですか」
「お膳1つだけ盛り付けが違っても出せません」
「そうですね。たまごの代わりに余りの肉団子を刻んだものを目の前で少し混ぜたら特別感が出る気がしますね」
「はい」
食材の値段も気にしたのか。
普段からそういう考え方をしているから、妻の手がよく動いた時のように見た目や中身は濃くなったのに、我が家の食費が減ったのだろう。
妻も妻で「特別感が出る気がしますね」とは商売人目線。本当はかめ屋で相談役をしていたりするのか?
「盛り付けならご飯と汁物は何もしていないですか? 甘味は?」
「ご飯とお味噌汁は盛り付けがないので何もしていません。桃ゼリーの赤い実が3つだったので減らして北極星にしました。枝豆の代わりに節約です。どっちが安いのか分かりませんけれど」
「それでどうなったのですか? 従業員に北極星やロメルとジュリーの話をしたのだから何かあったでしょう。細かく言いなさい」
ようやく「あっ」と気がつく。チラッと見たら息子も分かったようで、大きく目を見開いていた。
「はい。料理長さんが指示を出しました。ひじきの煮物に紅葉の葉と枝豆を追加。枝豆は半分に切って節約です」
「それで終わりですか?」
「いえ。ご夫婦2名様はちはやぶる鍋にして、理由が出来て余らせられるから肉団子を特上客の夕食に提供です。お客様にお子さんが3名いるから雪兎を私に作るようにと」
「雪兎をあなたが作ったんですか」
「はい。全員忙しいからお願いしますと言われて作りました。赤い実で目と言われて乗せておいたら、料理長さんが削って埋めました。子どもは手に持って動かすからと。料理長さんはすごいです」
嫁の言葉に軽いめまいがした。客なのにしれっと働かされている。もてなし分は上流華族の紹介や接待で十分なのに。しかも片栗粉を半分譲っている。
それなのに「料理長さんはすごいです」とはぼんやりだ。
老舗旅館の盛り付けを変えた自分こそすごい、という自覚なし。
「それで従業員に説明ですか。大勢の前で説明が辛かったと。喉がカラカラで水も頼めなかった」
「はい。料理長さんが旦那さんに許可を取って、それで気がついたら説明です。部屋に戻れた時にしぼり汁を堪能しました。贅沢三昧川鮮あんかけ丼も食べました」
気がついたらって、自分の案が採用された結果だ。嫁の頭の中はどうなっているんだ?
嫁の顔に「美味しかったです」と描いてある。
「ロイ、あなた知らなかったんですね」
「ええ。盛り付け係りをしたんですか? ではいだったので参考意見を提示したのと、手先の器用さを買われて人手に借り出されたのかと。げっそりしていたので、飲ませたり食べさせたりして温泉に見送りました」
まあ、そう思うよな。嫁がまさか老舗旅館の盛り付けを変更……どころか特上客の品数を増やしている。
そんなにげっそりしていたのか。
「リルさん。老舗旅館のお昼の盛り付けを変えたとは余程のことですよ。しかもあなた、夕食の特上客の品数を増やしました」
「余程だから贅沢三昧川鮮あんかけ丼にしぼり汁ですね。赤鹿屋に夜食と朝食の握り飯ももらいました。本館宿泊代よりうんと安い働きです」
「いやリルさん。赤鹿屋はついでに乗せてもらいました。川鮮あんかけ丼はリルさんが自分で試作だろうって言っていたじゃないですか。まさか今日のかめ屋でも厨房で盛り付けをしました?」
息子の問いかけに嫁は不思議そうな顔をして首を横に振った。
「旅行で食べたものや片栗料理本の書き付けを話しました。たまに試作の味見やお義母さんと味盗みと縁結びを頼まれました」
「対価を支払うどころか働かせようですか。安い!」
妻が畳をパシッと叩いた。嫁がビクッとして背筋を伸ばす。しかも足を崩していたけど正座した。
「この街自慢の川に、今はない紅葉を浮かべる代わりです。夫婦円満を祈るちはやぶる鍋でございます。それから流行りのお芝居ロメルとジュリーより、西の国の2つ並びの北極星を料理のあちこちに散りばめて、同じく夫婦円満の祈りを込めました」
「お義母さん。料理長さんが似たようなことを言っていました」
嫁の眼差しが「義母はすごい」になっている。
「まだ分からないのですか」
妻の低い声で、何? 怒らせた? 嫁が怯える。息子が嫁にすすすっと近寄った。
「リルさん。本館宿泊代よりうんと安い働きな訳がありません。経費も手間もそんなに変えず、もう十分と決まっていた特上客の夕食の品数、それも肉料理を増やしたんですよ。その日のことではなくお品書きが変わるまで続きます」
「役に立てたならよかったです」
怒られたのではないのか? と嫁は少しだけ安堵の表情。ぼんやりだ。自分の新しい娘は非常にぼんやりである。
妻の跡継ぎ、次の大黒柱妻がこれでこの家は大丈夫なのか心配になってきた。
「北極星は流行が他の店に広がるまで使い続けるでしょう。意味をつけて何でも2つにしたら経費削減です。量と調整はするでしょうけどね。牡丹のみぞれ和えも今後使うでしょう。あなた、これも食材を増やしたりしていないでしょう」
「増やしました。たまご焼きの端っこがあったので切って真ん中に置きました」
「そういうのは増やしたとは言いません。あなた、そういうの得意ですからね。飾り切りで削ったものも何かに全部使っていますから」
貧乏だったからこそ、というやつか。
ロイが座ったまま少し前へ出た。
「母上、褒めるなら分かりますけど叱責のように話すのはやめて下さい」
「お黙りなさい。こんなのかめ屋から我が家へ謝礼を持ってくる内容です。それを嫁から話を聞き出せずにノコノコ疲れるところへ連れて行って」
「それは……その通りです。自分の責任です。すみませんリルさん」
「ぼんやりですみません。お義母さん。旦那様」
怯えて可哀想なのでどうしようかな、と思ったがこの口振りだと妻の怒りは「家の嫁を何だと思っている」なので放置で良いか。
腹が立つ、嫌いはどこへやら。
「明日かめ屋にはお父さんと私が行きます」
えー……とばっちり。しかし嫁は何も悪いことはしていない。息子もまだまだ若造ということ。娘はぼんやり。働くしかないな。
「帰宅後の日曜は休みと言ってありましたけど改めて言います。リルさんは明日家事禁止。ゴロゴロ休みなさい。そら宿で雑魚寝して浮いたお金で昼にロイと何か食べてきなさい。かりんとうも買いなさい」
お小遣いを使い切りなさい、の時と同じである。吹き出しそうになったが耐える。笑ったら睨まれる。
息子が「母上はなんだかんだ嫁に優しい」と微笑み、嫁はポカンとしている。
「考えがあるので節約も基本禁止。例えば自分達のお小遣いを減らそうみたいに今の生活を変えるのはやめなさい。ロイ、貴方は明日そこそこ働きなさい。風呂と洗い物です」
「はい」
後で「何で私があの嫁に。何ですか。何なのあのこは」とぶつぶつ言いそう。
「お義母さん。明日家事禁止なら今から死んだプクイカを煮てもええですか? 洗濯もしないと溜まります」
休めと言われて働くのか。煮ても良いかってもうすぐ真夜中。疲れていないのか?
「朝食は私が作ります。冷えても問題ないものにしておきます。ロイもリルさんも好きな時に起きなさい。なので洗濯は私がします。布団は今日干しましたから明日くらい干さなくて構いません。掃除もです。したければ夕食作りはええです。プクイカが気になるので私もします」
「ありがとうございます。洗濯だけなら少し遅く起きても早く干せます。私が洗濯しないとお義母さんの手足が冷たいです」
お義母さんの手足が冷たいです。こういうところだ。妻がこの嫁を無下に出来ないところ。一瞬嬉しそうに微笑んだのがその証拠。
「そうです母上。リルさんとそこそこで起きて2人で家事をします。合間にゴロゴロします」
自分なら旅行後の休みは休みたい。次の日仕事だからなおさら。息子は「家事は苦手」とぶつくさ言っていたのに。
まあ、息子からしたら母親と嫁両方の機嫌を同時に取る好機か。
「分かりました。お願いします。明日はかめ屋の後にリルさんの実家などに顔を出すので遅くなります」
それに自分も付き合う。疲れそう。妻はぶつくさ言いながら立ち上がった。
「まったく。ロイとリルさんはもう寝なさい。お父さんと話をしますから片付けはええです」
これが妻の良いところというか、自分が好きなところ。嫁が嫌いはどこへ行った。
嫁はしおれ顔で息子は嬉しそうな微笑みを浮かべて居間から出て行った。
しおれ顔とは嫁の頭の中は分からん。
「母さんはええ女だな」
「突然なんですか。しっかりしてるかと思えばぼんやり息子で、さらにぼんやりで疲れる嫁。呆れたわ」
「いつもありがとう」
妻は怒り照れ笑い後にふわっと笑ってくれた。こういう嫁だから何より、誰よりも大事にしようと思っている。