息子と嫁が旅行から帰ってきた
義父の出番少なかったので
我が家、卿家ルーベル家は昨年から4人家族。
料理好きだが手足が少々悪くなって悲しげだった妻は料理好きな嫁の頭脳になったり、大変なところは嫁に任せたりして、再び生き生きと料理をするようになった。
息子は嫁に惚けているから以前より喋るし笑う。面倒くさがりで出る杭になりたくない息子が、結婚がきっかけでやる気を出して同期最速出世。
出世祝いもあるがこの嫁は悪くない、よさそうだと思っているのもあり、子育て前の若い時にしか難しい遠方への旅行を贈った。
机の上にはエドゥアール上温泉街の浮絵。
目の前の半月膳にはかつて妻と訪れた街にある高級旅館の手土産を盛り付けたお皿。朱色の盃。
息子と嫁からのお土産の夫婦箸。箸置きは普段は使っていない鯛の形。
これから飲むお酒は妻と宿泊した思い出の宿にしか卸していないというお酒、純米大吟醸牡丹光。
何より1番の土産は無事に帰ってきたことと、楽しかったと分かる雰囲気に、これから聞ける思い出話だ。
「お義父さん、お義母さん。まずこちらはかずっこ昆布です。かずっこはヒミ魚という川魚のたまごだそうです」
「ロイ、リルさん、2人の分は?」
「父上、自分達はたくあんだけでよかです。へえ、ヒミ魚のたまごですか。リルさん聞いてきたんですね」
「はい。華やぎ屋さんの料理長さんが教えてくれました。昔風に数字を数えるとひふみ、と続くので数のかずっこらしいです。ひふみ魚がヒミ魚に変わったと」
2人はたくあんだけ。細かく切って椿の葉の上にふんわり乗せてある。自分と妻はお盆なのに2人は小皿だけ。
「おお、そういう風に説明されると料亭気分だ。ええと言われても、あの噂の宿屋ユルルの手土産なんだろう?」
「父上、母上。自分達は食べてきました」
「食べてきた? そもそもなぜ御三家宿屋ユルルの手土産を手に入れたんだ? いや、その前にリルさんの説明を聞こう。頼む」
「はい。こちらはホトホド貝の味噌漬けです。4代前の皇帝様が大好きな貝。ほどほどに食べて欲しいのにほとほと疲れる程焼かされたそうです」
「それでホトホド貝。安易な名前ですねえ。食べた記憶ないわ」
妻がしげしげと味噌漬けを観察。海の貝で似た物を作れるか? と考えてくれていそう。
明日は休み。これは気分がええ。しかし気になる。宿屋ユルルの手土産や食べてきたとは何なのか。
「黒い短い棒みたいなものはかりんとうです」
「かりんとうは知っています。リルさん、あなたかりんとうを知らないの?」
妻の台詞に嫁は「はい」とすまし顔で答えた。この飄々とした表情の時は何を考えているのか分からない。
かりんとうを知らなくて残念とか、食べたいというようには見えない。
「かりんとうは食べてきてないので、食べたこともないです」
食べることが好きなのはこの家で1番交流の少ない自分でも知っている。なのに「食べたい」とはならないのか。
「それなら1つ食べなさい。今度安物だけど買ってこよう。味比べするとええ」
「ありがとうございます父上。リルさん、それなら1本くらい食べてきたらよかったのに」
「旦那様。欲張り禁止令です。お義父さん、買ってこなくてええです。私と旦那様はなるべく節約します」
嫁の拒否を初めて聞いた。遠慮か?
「父上、母上、自分達はお小遣いを少し減らして次回の旅行代を積み立てようかと」
「そうかそうか。まあ好きにしなさい。まあかりんとうは1つ残すから食べてみなさい」
「はい、ありがとうございます」
欲張り禁止令。楽しかったからまた旅行をしたいということ。ええ旅行だったということだ。
「隣はチョコレートです。煌国ではまだなかなか食べられません。私はすこぶる好きで何個か食べてきました」
「ロイが連れていってくれたレストランで食べたケーキのチョコレートね。あれは私も好きでした」
「お義母さん、かめ屋から横領して食べましょう」
「横領?」
ロイが軽く吹き出した。自分と妻は嫁の発言が全く分からない。
「はい。料理長さんがお義母さんと私は舌がええからミーティアから味を盗んだり、奥さんと仲良くなって縁結びして欲しいそうです。最後はお饅頭です。このお饅頭も食べてきていないので、何が特別か分かりません」
「色々気になるがまずは飲むか」
「はい」
まずは薬缶で温めてくれた純米大吟醸牡丹光を朱色の盃にお酌してもらい……盃が4つ。
嫁も一緒に飲んだことってあったか? 初な気がする。
「何から話せばよいのやら。色々ありました。あり過ぎました」
「最初からがええです。ちょこちょこ繋がっています」
「そうですね」
懐かしい美味な酒にこれまた美味しい肴。甘いものは後で。とっておく。
息子が主に話して嫁が合いの手。温泉街までの話を聞いて、ところどころ説教したくなることもあったが2人であれこれ考えて旅をしたことや、人助けに一役買ったとは誇らしい。
「寄付をした結果が赤鹿車かあ。それでこの宿屋ユルルの手土産に繋がるんだろう? そんなこともあるのか」
「父上。違います。元々はリルさんがヴィトニルさんに大丈夫ですか? と声を掛けたからです。余ったお金を次へというのが印象深かったので落ちてきた小型金貨を寄付しました」
「ヴィトニルさんへの声掛けは旦那様もしました」
「リルさんが稲荷寿司食べますか? と聞きました」
「旦那様が熱心にヴィトニルさんの相談を聞きました」
「まあそんな感じです。旅医者にその護衛疑惑か。噂の特殊兵のことといい父上は知識豊かですね」
相手の情報をろくに引き出さず、勝手に住所を教えるなは言うとして、警兵がいるとしても顔も見えない不審人物と話すなと言うべきか迷う。
アデルという宿屋ユルルの方もそう。挨拶をして雑談をしなければ「あの若い男性はええことをしたな」と思われただけで終了だった。
「リルさん、次からは勝手に住所を教えてはいけません。ロイに確認しなさい」
「母上、そのことは既にリルさんに言いました。隣にいたのだからチラッと相談して下さいと。まあ自分もあの方々なら聞かれたら教えていました。2人とも気配り上手で所作が美しいし……父上、噂の特殊兵って腕力もありますか?」
「脚力だけではなくて怪力らしいという噂だ。何人なのかとか、どこの部署なのかなど、他の情報は何にも知らん。中央直轄とか隠密だろう」
息子は腕を組んで「うーん」と唸った。何だ?
「リルさん。アデルさん達を助けたのも火事もヴィトニルさん達だったりしないですかね。さっきリルさんがたまたま火傷に詳しいお医者様がいて看板娘さんが助かったと言ったのを聞いてふと思って」
「手紙で聞けば分かりますね。もしそうならすこぶる立派だと褒め称える文を添えます。助かった人達の代わりにお礼を言わないといけません」
代わりにお礼を言わないといけない。そうなのか。この嫁はそういう考え方をするのか。なぜ見知らぬ他人のお礼を代わりに言うんだ?
「そうしましょう。まだ寄付が必要かチラッと確認したら皆さん大丈夫そうでした。時間が許す限り治療して去ったなら、その後を気にしているでしょう」
「いつか遊びに来てくれるなら、出来るおもてなしをしてお礼をします」
「そうですね。そうしないといけませんね」
息子もそうなのか。こういう考え方をする息子に育っていたとは知らなかった。
小型金貨の返却合戦もそう。いくら卿家の男児らしくあれと育てたとはいえ、それならと懐に入れない清廉潔白さ。拾った小型金貨も寄付。
先程ヴィトニルという異国人が言ったからと口にしたが、それだけではないだろう。
寄付して「同じように使って下さいと手紙に認めます。あのような方ならもうそれで返ってきません」はわりと衝撃的。
嫁も「当然です」みたいな顔をして頷いていた。話もしないで結婚したのに似た思考とは不思議である。
「旅医者なら何も問題ないでしょう。我が家が出来る範囲でその方達の代わりにお礼をするのは至極当然です。他の方は縁を結んでないのですから。もしもこの国へまた来て時間や余裕があれば我が家へどうぞと手紙に書きなさい」
「はい母上」
「はい」
息子の思考形成は妻か。長く連れ添っているのにまだ知らないことがあったとは。
自分だけ「怪しい3人」とか「住所を知られたり文通なんて大丈夫か?」などと疑っていたのが少し恥ずかしくなる。
逆にこの警戒心の無さは気になるし心配。夫婦どちらかが自分のようだと安心だが2人揃ってか。
その後の話は奇想天外というか、稲荷寿司からそんなことになるのかと目が点になった。
「稲荷寿司が本館宿泊と宿屋ユルルの内客用の大浴場に化けたのか。まあ、接待は大変だったな」
「聞いたら本館はたまたま空いていたから食事以外どうぞだったそうです。この接待と紹介が大成功だったので食事が本館仕様になり、本来存在しない飲み食いし放題追加。でも疲れました」
縁がある客だから贔屓してあらゆる情報を根掘り葉掘りとは商売人。
勝手に客引きしたりしてくれるから、この夫婦は使えると思ったのだろう。息子夫婦は今後大丈夫なのか?
詐欺などに引っかからないと良いのだか。まだまだ子育てをした方が良いということだ。
「父上は山桜姫をご存知ですか? リルさん一緒にお風呂に入ったそうです」
な、な、な、何だと⁈
「さ、さん、山桜姫とはあの? リルさん、どのよ……」
妻の視線が痛くて固まる。
「すこぶる美人で優しくて格好ええ方でした」
格好ええ?
「美しかったですけど意気揚々と赤鹿を乗り回していました。赤鹿屋によれば大天才らしいです。大変勇ましかったです……」
がっくし肩を落とした息子と同じ気持ちだ。勇ましい……赤鹿を乗り回す……。
「山桜姫がどなたか知りませんけれど才色兼備で名高い華族のお嬢様のあだ名か局内での名前ですね。呆れた。男はアホですね。ねえリルさん」
妻が嫁に同意を求めるとは。自然と目が丸くなる。
「旦那様がフィズ様やユース様が蟻を見て泣く男だったくらいの衝撃だと」
「蟻を見て泣くなんてあり得ません」
「お義母さん。私もそう言いました。山桜姫様はすこぶる格好よかったし、景色がよいのでこちらへどうぞとか、足元にお気をつけ下さいとか優しかったです。でも転んで頭突きとか爪が引っ掛かったら彼女の祖父や父が怒るから身分不相応はやはり怖いと思いました」
「母上。彼女の祖父は皇帝陛下の関白の1人で、父親フィズ様の宰相だそうです。それで宿屋エドゥロンの外客用温泉からは逃亡しました。事件や事故に新たな接待がくるかもしれない。贅沢三昧の旅でさらに欲張ると揺り戻しが来ると」
自分はそんな風には考えない。妻が頷いているからこれも妻から息子へ受け継がれた考え方。
うんうん、と嫁も首を縦に振っている。つまり息子は本能で母親と似た思考の女性を見つけたということか?
それにしても息子夫婦は強運かもしれない。
「元気か大丈夫なのかと心配していたら予想外の満喫ぶりに驚きしかない。なあ、母さん」
「ええ。本当に。一生に一度かもしれない大旅行で一生の思い出。うんと贅沢してきましたね」
「お義父さん、お義母さん。父や兄が大大大出世したら馬屋や赤鹿、牛車であまり歩かずにエドゥアール温泉街へ行けます」
妻と顔を見合わせる。
「リルさんは実家の家族に大宴会をして欲しいそうです。家族全員が無理ならそれぞれ。うんと大金持ちになったら自分達夫婦も加わったり、父上や母上が楽に行けるくらいならさらに大宴会。リルさんから実家へのお土産はほぼ商売道具です」
「お千代菓子も御守りも違います」
「御守りはある意味そうです。この辺りにはない竹細工のお弁当箱を買ってきて見本にして売る。浮絵を使って付加価値をつけて宣伝。片栗粉も使うだけではなくて売る。聞いていて面白かったです。リルさんのお父さん、親孝行だと感激しておいおい泣いていました」
「お小遣いはそういうことに使ってええと言われていたから普通にお土産を買ってきただけです。旦那様の前でナヨナヨ泣かないで欲しいと思っていました」
嫁のすっとぼけた表情と、その後の少ししかめっ面はどういう意味だ?
父親を泣かせるような親孝行をした自覚はなくて、夫の前で泣いたから少し腹が立ったとかか?
格上の家に嫁いだのに欲がないなぁと思っていたら、まさか貧乏な実家に稼がせて我が家を旅行へ連れて行きたいとは……。普通逆じゃないか?
「なので父上、母上、夢は大きく御三家です。リルさんとプクイカの養殖を検討しますけど難しいでしょう。自分ではエドゥアール温泉街までなるべく歩かない旅や御三家を贈るのは一生かかっても無理。自分には無理な親孝行をするためにネビーさんをつついておきました。父上がそろそろ何か言うかと思って」
この息子は察し上手か?
理由は違うがそういう話を妻としたばかりなのでまたしても衝撃的。妻も驚き顔。
プクイカの養殖って何だ?
「旦那様が買ってくれていたプクイカ、さっき半分死んでいました。昨日は生きていたんですけど」
「箱が小さいのにわりとぎっしり入れましたからね。春に繁殖って言っていました。話は聞けるだけ聞いてきましたけど、水瓶で春まで飼うのは無理ですかね」
「死んだのは明日煮付けかあんかけにします」
何の話か分からないので聞いたら「南地区では見かけない川で育つイカを増やして売ったら稼げると思った」らしい。
嫁は明日からもう家事をする気なのか。帰宅翌日の日曜日は休みと言ってあったような。
「リルさんの実家近くの川で増やして売ったら稼げるかもと、とりあえず買ってきました。死んだら食べればええと思って」
「鶏小屋みたいに妹達とかにお世話させるとか旦那様と色々話していました」
鶏小屋が何かと聞けば、息子の話を要約すると「町内会費をちょろまかして嫁の実家にたまごを与えつつ世話を丸投げ。我が家はたまにたまごを奪いつつ、町内会の子ども達に使用」である。
我が息子はこういう男だったのか。プクイカ養殖は嫁発信という様子。嫁はやはり商売人の娘ってことだ。
「お父さんの面倒くさがりを継いだと思ったら、ロイは強かというか……。そういう事を考えるんですね。リルさんまで。あなた実家を我が家というかロイに……あなたもですけど、こき使う気なんですか」
こき使う筆頭のはずの妻が「おいおい」みたいな表情。まあ、このお人好しなところは妻の長所にして自分の自慢。
「稼いだら幸せな旅行をするからええです。旅行出来なくても甘味処やうらら屋にミーティアやかめ屋の料亭に行けます」
「調査や元手や許可関係などはこちら。顔が広いらしいので人手やツテは向こう。ええ組み合わせです。片方だけでは成り立ちません。まあ本気で考えて買ってきたのではなくて飼えたら飼って、春に増えたらええなあ、死んだら食べるかという感じです」
「はい。死んだらどんどん食べます」
商売をするしない、成功するしないではなく、おそらくかわゆい嫁の実家を親戚扱いしてくれってことだろう。
鶏小屋のことをいつから考えていたのか知らないけれど、息子の惚けが終わるまで妻は気疲れしないで済むかもしれない。これは朗報。
「美味しいのでお義父さんやお義母さんに食べさせたかったです。でも生きているのは育てます」
「生き餌でないと中々食べない海のイカと違って、魚のすり身を食べるらしいです。かつお節ももしかしたらと。死んだら全部食べましょう」
プクイカ。これはなんとも予想外の土産だ。