9話
お腹がはち切れそうな状態でお店を出た。
「旦那様」
「はい、どうしました?」
「ごちそうさまでした」
「リルさん、毎日家のことご苦労様です。ありがとう」
衝撃的な話、5回目。
さらに驚いたのは手を繋がれたこと。ロイの左手が私の右手をそっと掴んだのだ。ロイがゆっくり歩き出す。
手を繋いで歩くのは親子や恋人同士や夫婦。夫婦か。そうだ、私達は夫婦だ。
「リルさん」
「はい」
「リルさんの弁当、職場で褒められます」
「そうなんですか?」
「弁当箱の蓋を開けるのが楽しみです」
「それはありがとうございます」
かめ屋の仕出し弁当のようには無理だけど、あるもので工夫している。家族のお弁当もそうしていた。
最初の2回は義母に確認して「明日からは任せます」と言われたけど不安だった。
しばらく無言で歩いた。ドキン、ドキンと胸の真ん中から大きな音がする。
これは恋の音。憧れの音。ニックが隣でペラペラ楽しく喋っていた時と似ているからそうだ。キスや夜のお勤めの時の途中の緊張感や照れと似ている気もする。
そうか。いつの間にか恋に落ちたのか。それはさらに果報者だ。
結婚してから、今日が最もロイとお喋りしている。
お喋りニックを楽しいと思っていたけど、ロイとの方が楽しい。義母と話すのもそうだけど、お互いお喋りするのって楽しい。
ロイはのんびりした私が話すのを待ってくれる。物知らずに呆れず、何でも教えてくれる。とっても優しくて、しかもこれから小物を買ってくれるらしい。
優しい以上に優しくて、立派なお仕事をしていて、それで外食も出来て……何で私が嫁?
(健康。子どもを沢山産めそう。産めなくても養子が手に入りそうな家。家事全般をする。うーん。それを満たす嫁は難しい?)
誰でも良かったと思うけど、それだと悲しいので聞かないでおこう。
少しは何か、気が合いそうとか、ここが好ましいとか、少しくらいはあるだろう。調べたのだから何かある。
お弁当を褒められたから、それかもしれない。
「リルさん。この店です。友人に聞きました。良いものが安くて、流行り物も多いそうです」
「はい」
「着物を買わなくて良くなったので、そうですね……小型金貨1枚分、好きなだけ選んで下さい」
「金貨ですか?」
声が震えた。金貨なんて見たことない。
「使うのはこの店だと多分銀貨中心です。銀貨だと30くらいですね。何でも言うたけど、それは見栄を張り過ぎました」
銀貨30⁈
ロイは困り笑いを浮かべた。「少なくてすみません」という意味?
とんでもない認識違い。私は首を横に振った。ロイが店に入ったので続く。いらっしゃいませ、と声を掛けられた。ロイの手が離れる。手が涼しくなって、なんだか寂しい気する。
店内には種類ごとに色々な小物がところせましと飾られていた。
帯揚げ、帯締め、帯留め、簪、りぼん、クシ、手鏡、小物入れ、巾着、鞄、下駄……かわゆい物やきれいなものばかり。宝の山。めまいがしてきた。
「旦那様」
「はい、リルさん」
「卿家の嫁として恥ずかしくない、最低限必要な小物は何ですか?」
「そんなものはあり……母上に何か言われました?」
「いえ。まさか。旦那様に恥をかかせたくないです」
「うーん……」
ロイは1番近くの棚に飾られている簪を手に取った。
「聞いた通り安そうなので、なるべく沢山の種類を2つ3つずつ選んで行きましょうか」
それは衝撃的な話、6回目。
「簪はどれにします?」
「この宝物がありますので、簪は要りません」
ロイのわりと細い目がどんぐりみたいに大きくなった。
「宝物? そんなに気に入ってくれました?」
「はい。旦那様からの初めての贈り物です。他のものも全部宝物ですけれど、これはその中でも特別です」
「ああ。意匠ではなく」
ロイは……この顔は何だろう? 目を逸らした困り笑いのような、違うような表情で、少し頬が赤らんでいる。またしても初めてみる顔。
「いえ。宝石がなった水芭蕉のようですし、それも気に入っています。青鬼灯は魔除けと幸福を呼ぶ。その言葉もとても素敵です。葉の部分が月明かりや太陽できらきら、きらきら反射すると、鬼灯に火が灯ったように見えます。本当は失くしたり落としたら嫌なのでしまっておき……そうでした。簪は必要です。使わないでしまっておきたいです」
今、人生で1番長い言葉を発したような気がする。
「リルさん」
「はい」
「それなら沢山使って下さい」
沢山使ったらいつか紛失しそうで嫌だけど、そう言われたら嫌とは言えない。
それなら、の意味は何だろう。聞きたいけど顔を背けられてしまった。
「はい。分かりました」
沢山使って下さいか。お出掛けの時は毎回この簪を使おう。
「お客様、少し聞こえましたが、とても素敵な簪ですね」
店員に話しかけられた。頭の左右にお団子があって、縄の変形みたいな細い髪が輪っかになっている。
右のお団子には赤い玉のついた簪と金色に輝く小さな花が連なる紐状のものが3本ある簪。
左のお団子には黒いクシ。ススキに紅葉の柄。
桃色の扇柄小紋。帯揚げは黄色に紅葉が見え隠れ。
帯締めは赤系で色が場所によってじわじわ変化している。帯留めは牡丹。それに白い襟に牡丹の刺繍が入っている。下駄は黒で鼻緒は赤い。
これだ。これがお洒落のはず。かわゆい。顔立ちがそもそも私と違ってかわゆい人だけど、全身がとってもかわいらしい。
恥ずかしくない嫁の見本はきっとこのような女性だ。
「はい。ありがとうございます」
「本日は簪をおもとめですか?」
「いえ。色々です」
優先順位は……帯締めと帯留め。いや先に帯留めだ。次は帯揚げと帯締め。最後にあの髪を結ぶ布と髪飾り。それで髪型についてどこで学ぶのか聞く。下駄は最後。襟の刺繍は義母に教わる。こうかな?
もう1人の店員は……玉結びの短いような髪型。花柄の布を巻いて首の後ろで結んでいる。そこに小さな菊の簪が何本か挿してある。
水色に白い大きなぶどうと葉柄の小紋。帯揚げは緑で柄はないけどくしゅくしゅしていてそれが小さくて均等な模様になっている。
帯締めは平べったくて深い青色に紫色。帯留めは黒い丸。黄色い丸と……兎だ! 月兎! 月には兎がいてもちつきをしていると教科書で読んだ。
襟にはススキの刺繍。下駄はもう1人と同じ。
待った。季節もので揃えると秋しか使えない。いつも使えるもの。簪は青鬼灯だから、季節に関係なくて青鬼灯に合うもの!
「旦那様」
「はい、リルさん」
「最初は帯留めです」
「では帯留めを見てみましょうか」
「はい」
「お客様、帯留めでしたらこちらでございます」
案内されて、帯留めの棚を眺める。本当に宝の山。
「旦那様。青鬼灯みたいに魔除けの柄はどれでしょう。季節は関係ない物です」
「魔除けです? 鱗柄はどうでしょう?」
ロイがそう口にすると、店員がいくつか帯留めを手に取った。
そうか。商品を買う客だから、店員に聞けば教えてもらえるのか。先程の食事の時と同じだ。
「鱗柄でしたらこのあたりです」
鱗柄は三角の集まり。丸、四角、四角の長いもの、丸が3つ並んで色が変化していくもの、鱗柄の三角がまちまちなもの。
「こんなにあるんですね」
「帯に合わせてみましょうか」
なんか、目がチカチカする。細かい柄の帯に鱗柄は違う。これはお洒落ではない気がする。
「リルさん、厄除けではなくて同じ幸せを呼ぶということで扇はどうです?」
ロイが手に取ったのは銀色の扇で白い丸が2つついている帯留めだった。きれい。
「そちらは養殖真珠です」
養殖真珠。また新しい単語が出てきた。
「真珠なのにこの値段なんです?」
「淡水真珠で粒も小さいですし、見えないように装飾していますが傷、もしくはくすみがありまして」
「そういうことですか。傷もくすみも分からんですね」
淡水。また新しい単語。
数字の書いてある紙がついている。4銀貨又は12大銅貨。こんなに小さいのに凄い額。
高いと思って他の帯留めの値段を確認する。1銀貨からある。というか最低が1銀貨⁈
あの贅沢だった昼食よりうんと高い。めまいがしてきた。
「リルさん。似合いますよ」
「簪には見劣りしますが、他の帯留めよりも釣り合いが良いと思います」
釣り合い。そうか。それも必要なのか。そしてロイが選んでくれた。2つ目の特別な宝物になる。
「はい。こちらにします」
「こちらの帯留めを使える帯締めをお願いします」
「平組の帯締めですね。こちらへどうぞ」
帯締めが棒に沢山かけられている場所に案内された。平組は平べったい帯締めのことみたい。
値段は1大銅貨からある。安い。高いけど安い。
帯締めは色が大切そう。意味は特になさそう。
今日見た着物と帯、どれにでも合って、簪とも合いそうな色。ついでに安いもの。
「こちらにします」
薄い薄い黄色。差し色に赤と青の縦線。ずらりと並ぶ帯締めの中で1番安い1大銅貨。
「かしこまりました」
「次は帯揚げをお願いします」
「はい、こちらへどうぞ」
帯揚げも山のように並んでいる。
「旦那様」
「はいリルさん」
「扇のような幸福を表すものは何ですか?」
「お客様、それでしたら先日入荷したのですが宝尽くしはどうでしょう?」
宝尽くし。また新しい言葉。店員が広げてくれたのは、選んだ帯締めより少し濃い、薄い黄色の帯揚げ。色々な形の絵柄が散らばっている。
「リルさん、縁起物ばかりです。如意宝珠、宝やく、打ち出の小槌、金嚢、隠れ蓑、隠れ笠、丁子、宝剣、宝輪、法螺です」
「旦那様、覚えきれないのと、どの絵柄が何かつながりません」
「買って帰って復習しましょうか」
「はい。ありがとうございます」
買って……3銀貨又は9大銅貨⁈
「こちらは金糸や銀糸も使っています」
「真珠にも負けんですね」
釣り合いだ。しかし4銀貨と3銀貨と1大銅貨。足し算で……7銀貨と1大銅貨。まだ大丈夫。
いや、大丈夫って、金銭感覚がおかしくなってる。
「リルさん、次は何を見ます?」
「あちらの方のような髪を結ぶ布をお願いしたいです」
「あれは帯揚げです。最近流行りはじめているのですが、大柄で薄い帯揚げをリボン代わりにされる方が増えていると」
それは節約。1つで2つの使い道。
少し横にズレると大柄で薄い帯揚げが並ぶ場所。値段は……1大銅貨からある。安い。高いけど安い。
花柄ばかり。花は季節もの。それなら春、夏、秋、冬で4枚? それで4大銅貨。帯揚げ4枚でリボンとしても4つ分。買いすぎ?
今は秋だから秋のものが多い。でも他の季節のものも少しある。
春は桜……桃だ。義母が刺繍してくれる浴衣とお揃いが良い。夏は紫陽花、秋は……花じゃないけど兎。月兎にススキ。
「リルさん、もしかして春夏秋冬を選んでます?」
「しゅんかしゅうとう? ですか?」
「春、夏、秋。それで今は冬選び」
ロイが私が選んだ帯揚げを一つずつ掌で示した。選んでから4つで8つ分だから買っても良いか聞こうと思っていた。
「はい」
「冬物はこの椿はどうです? リルさんに似合いの花言葉ですし」
また新しい単語。店員に「最近広まりつつある花言葉をご存知とは雅な旦那様ですね、奥様」と囁かれた。
最近広まりつつある花言葉。最近って、辞書に載ってる? 花言葉を知っていると雅なのか。帯揚げ兼髪飾りはこれで終了。次は……。
「皆さん、髪型はどうやって学ぶのですか? 色々試してみたいですが分かりません」
「それでしたらまたご来店下さい。こんなに色々と買っていただいていますから、お教えします」
衝撃的話、7回目。
「リルさん、良かったですね。母上に話しておきますから好きな時に聞きにくると良いです。髪型に興味があるなら本を探して買ってきます。まだまだ買えるので色々選んで下さい」
さらに衝撃的。こんなに色々選んで、まだまだ買える? そして本を買ってくれるの?
「本屋は近いのですぐ戻ります。妻をお願いします」
「かしこまりました」
「旦那様」
「はい」
「他にあれこれ買わなかったら、本を買っても良いですか?」
「あれこれ買っても、買いますよ」
衝撃的話はこれで9回目。
「リルさん、何の本です?」
「かめ屋にあったような料理の本です」
お弁当を褒められたので、役に立ちそうな本が欲しい。かめ屋で1冊読んだ。絵が多いもの。読めない文字は色々な人が親切に教えてくれた。
「それなら本屋はこの後一緒に行きますか。よく考えたら髪型の本も見て選んだ方が良いです」
ロイが隣に戻ってきた。
「リルさん、次は何を見ますか?」
ロイはずっとニコニコしている。人形かもしれないと思った時が懐かしい。結納の日も、祝言も緊張していただけだったのだろう。
この後決めたのは髪飾り1つ、飾りクシ1つ、下駄1足、それから店内を歩いていて知った半襟を1つ。
7銀貨と5大銅貨に1銀貨、2大銅貨、2銀貨で……10銀貨と7大銅貨。つまり……12銀貨と1大銅貨だ。
ロイに聞いたら計算は合っていた。
「旦那様、もうありません。こんなに沢山、皇女様になった気分です」
「そうですか? まあ仕入れで品も変わりますし、流行りも季節も変わりますからまた次回にしましょう」
また衝撃的な話。私は首をふるふると横に振った。
「十分です。山のようにありがとうございます」
「お会計をお願いします」
ロイが店員についていく。私も後ろに続く。
「かしこまりました。よろしければお屋敷にお荷物をお届けしましょうか? 本屋にも行かれるとおっしゃっていましたので」
「宅配してくれるお店なのですか?」
「こんなに1度に購入して下さったお客様には、それはもちろん特別にさせていただきます」
「それは、ありがとうございます」
「髪型の件も、お時間のお約束をしてお屋敷におうかがいします」
「リルさん、それがええ。よろしくお願いします」
「住所をうかがってもよろしいですか? ミミさん。こちらの奥様に椅子とお茶をお願い」
衝撃的な会話。今日は衝撃がいっぱい。