帰り道
別館大浴場の内風呂は白濁湯だった。思いがけないところで白濁湯と遭遇。とろとろ、すべすべなお湯に感じる。青くなくても大満足。
牡丹は浮かんでいない。吊るし飾りもない。代わりに天井に石造りの亀がいる。
もしや男湯と合わせて鶴亀?
露天風呂も白濁湯。岩風呂。また亀がいる。しかも3匹。3は神聖な数。亀は長寿を願う縁起のええ生き物。
水車がある。石は白くない。長椅子と傘はある。桜はない。牡丹の花壇は1つ。本館大浴場より格下だけど共同大浴場より格上で、白濁湯や亀で特別感。
塀の1箇所に小窓があって街が見えるっぽい。これも共同大浴場との違い。人気で順番待ちなので無視。
本館大浴場で贅沢観覧する!
大浴場から地下へ続く手すり付きの階段があった。頭上足元注意、自己責任の立て札。自己責任は当たり前だけど書くんだ。
階段の幅は広めで高さも1段1段低い。張り切ってずんずん進む。
光苔があちこちにくっついている。そんなに進まないで地下の岩の中のお風呂。
暗い洞窟は見上げると星空みたいな光苔。しかも虹色光苔もほんの少しあった。岩の上に牡丹や椿も飾られている。このお風呂も白濁湯。
人気なのか人がいっぱい。確かにここは素敵風呂。
本館大浴場に造らないのは土地の問題なのか、ルシー母娘の言う通り「別館へのお誘い」か。
偉い人がおっ、部下や奉公人に教えようかな? を期待している可能性あり。華やぎ屋は貪欲だ。
もしも来年子どもが産まれて、母に似て次々3、4人産まれてたら、子育てが終わるのは16年……ロイはようやく1人前らしいから22年? 最速出世で22年後だと……45歳とか50歳。
この街まで歩けるかな。運よく病気にならなくて、足腰を鍛えていれば歩けそう。ロイはいつも鍛えている。励むのは私だ。
そのくらいしたら華やぎ屋もこの街も色々変化しているだろう。同じところ探し、新しいところ探し、それから沢山ある見ていないところ探し。
節約だ。勉強もご近所付き合いも励んでかめ屋で少し働いて、兄や父のお尻を母にペシペシ叩かせる。
燃えてきた。貧乏長屋腹減り娘の人生も今日の接待に繋がっていた。
以前、襖の向こうから義父と義母の会話が聞こえてきたことがある。
細かさとか感性は父親の職人気質かしら? と。ロイも私の根っこを商売人だと評した。
家事全般はぶん投げ教育母と姉のおかげ。長屋中のお手伝いをしてお小遣い稼ぎもしていたので、怒られるのが怖くて、私はそのうち慎重になった。姉と違って上手く言い返せないから。
私に家事全般を教えてくれた姉は母から学んだ。縫い物系は祖母が教えてくれた。つまり蛙の子は蛙。
別館大浴場を出て別館受付部屋をぷらぷら楽しみ、お土産屋を覗く。
今回の旅行でロイ、ルーベル家から私の実家へお土産を買うことはないだろう。でも私が買うことは禁止されていない。
お小遣いがあるからあなたが実家孝行をしなさい、という意味のはず。基本両家の交流なしは私や家族の態度で減っていくかも。
(お酒はロイさん重いし……。私が背中に風呂敷を結ぶ。それはありだ。ルル達はお酒飲めないな……)
地獄蒸し料理用なのか、この街から遠くないところに立派な竹林があるのか、竹細工作品がちょこちょこある。
父の作品で見たことのない紐と組み合わせているものを買っていこう。これだ、かわゆいお弁当箱になりそうな箱。
母には使うお土産で、父と義兄には見本というお土産になる。
北区温泉街の流行り、ハイカラと売り出せば売れるかも。構造はさっぱり分からないけど父や義兄なら解明するだろう。
浮絵発見。高くない。色々ある。庶民、いや凡民、貧乏人だって行けると見せるのはよいかも。
飾ったら仕事のやる気が出る。
絵を見せて思い出話を色々したら、お喋り大家族があちこちに広げる。奉公人から店主、店主から顧客。
旅した浮絵、破られないよね。同じものを2枚買って人に見せる用と飾る用にしよう。
それで街を高台から眺めたような浮絵と上温泉広場の楽しそうな浮絵の2種類。
牡丹の形のお千菓子発見。お千菓子は茶菓子屋で見たことがある。見本があって助かる。
箱に華やぎ屋と書いてある紙が巻かれている。これも買える。2つ買って実家と姉夫婦。
年末年始は家のことで忙しいから嫁同士で甘味処へお出掛けする時間はなかったのでお小遣い余りまくり。
使わなかった分はロイに回収されて、あれを買う、これを買うと言われたけど、それなら旅行で使いたいと言ったら許された。
節約大事なのに、なぜ使いきらないといけないんだろう。
足くさ兄はいいや。ロイと2人で縁結びのお礼をするから無視。と思ったけどまだ買えるからエドゥ岩の根付けを買った。
龍神王様がおっとっととぶつかった岩だから何かご利益がある。
まだ何か買える。帰ったらセレヌ達にお手紙を書くから食事のお礼に同じ物を贈ろう。旅から旅、傭兵に薬売りや看病とは危険なお仕事。兄と同じく龍神王様のご利益が必要。
あとは帰りに寄れたらお小遣いで片栗粉を買って母や姉に贈ってハイカラ料理をしてもらう。長屋で人気者。あんかけは白菜とキノコだけだって作れる。
白菜は高くないし、しおしお気味のを安く買える。キノコは採ってくればええ。
海釣りに行って少しお裾分けをしたら贅沢海鮮あんかけ。
2人とも料理や節約工夫——ちまちま飾りはしないけど——が好きだから少し教えたら勝手にあれこれ考える。
こんなに沢山買えるなんて皇女様。違うのは知っているけど皇女様。ほくほく気分で部屋に戻った。ロイは不在。
部屋を軽く片付けて荷造りと忘れ物がないか確認。部屋は既に片付いていたのでロイだろう。
旅装束を持って係台で肌着を受け取り急いで本館大浴場。
体も髪ももう洗う必要がないから内風呂を無視して露天風呂。寒いから少しお湯で温まってから街を眺めた。これが最後の温泉。
着替えていたら14時の鐘の音が鳴ってしまった。もたもただ。
慌てて部屋に戻ったら後ろからロイが現れた。
「本館の大浴場というか露天風呂が名残惜しくて長湯してしまいました」
「私もです」
ロイももう旅装束姿。2人とも荷造りは済んでいるのでもう1度忘れ物がないか確認。
こうして私達は華やぎ屋を後にした。門前で旦那、女将にお見送りされて、赤鹿屋の赤鹿に乗って出発。
私を乗せてくれる赤鹿操者はまたしても女性で歳が近そうだった。名前はユーファ。男性から旅装束みたいな格好で弓と剣を持っている。しかも太腿に短剣もつけている。
ゴーグルという目を覆うものを渡された。透明なのはこれも死の森で拾う殻?
諸注意説明で聞けず。騒がないとか鞍から手を離さないとか当たり前だけど大切な説明だからそちらが優先。
「街中ではなく農村区を行きます。申し訳ないですが厠は野です。早めに言っていただければ、顔見知りの家の厠を借りられることもあります」
「はい」
「疲れたら遠慮なくお声掛け下さい。日暮れまでに到着なのでそんなに急ぎませんがそこそこ駆けます」
「はい。よろしくお願いします」
こうして私達はエドゥアール温泉街とさようなら。行き同様に下調べした道を通らず。
ゴーグルはやはり殻らしい。ユーファ達の祖先から伝わる大切なもの。
剣より固いから岩からも目を保護してくれるとか。
彼女達は荷物の運搬、郵便やこういう送迎、その他赤鹿関係で生計を立てているという。
それで私は気がついたら寝ていた。起こされたのは白菜畑の近くの川辺。
2回目の休憩らしい。1度目は私が起きないから赤鹿から降りずに赤鹿に水を飲んでもらったりしたとか。
今回は私も川辺に座り伸びをしたり、川の水を飲んだり、魚を見て楽しんだ。
ロイは乗赤鹿に挑戦してポイって落とされて、脚でうりうり転がされて遊ばれて楽しそう。危険は禁止はどこへ行った。
操者、つまり調教師がしっかり見張っているから安全と判断した?
赤鹿小屋で触るのも危ないみたいな感じだったのに。
ユーファに「旦那様のように乗ろうと挑戦する方は多くて皆さんあのようになめられて遊ばれるんですけど、奥様のように寝るお客様は久々です」と笑われた。
そんな風に休み休み農村区を進み、さらには堺宿場の上まで送ってもらった。
彼女達はここから西地区へ行って華やぎ屋から依頼の海から買い付けらしい。つまり私達の送迎はそのついで。なので高くないのだろう。ちゃっかりしてる。
「途中から慣れましたけど、そこそこ怖いかったしお尻と足が痛いです」
「リルさんは乗馬訓練してる訳ではないですからね。怖いのに寝たってリルさんは謎です」
「ロイさんも危険だから触るなって言っていた赤鹿に乗ろうとしたり謎です」
「大変優秀で賢い赤鹿でお客様とはじゃれるだけですと言われてつい。山桜姫がすぐ乗れたなら自分もと思ったけど無理でした。シュエンさんに聞いたら、その話が本当なら一族でも滅多にいない大天才だそうです。天上人は天上人ってことですね」
にやけ顔に見える。ふーん。触るどころか卿家の男性は上流華族のお嬢様と話をするのも基本禁止なのに。
まあいいや。私もフィズ様の何かしらを見たら興奮する。あのユース様という皇子様でもそうだ。義母は左手を見てたまに照れ照れしている。
会うことはないけど、2人とも蟻を見て泣く男性ではありませんように。
そら宿では節約のために大部屋。昼に入ったからお風呂もなし。店主にガッカリされた。
雷で壊れた店はもうかなり更地になっていたので驚き。色々な人がうんと助け合ったのだろう。
この日の夜はまた雨が降った。しとしと雨。
ここまで来て風邪を引くと困るので観光は諦めた。はれ屋へ行くと接待されるかもと夕食は近くのうどん屋さん。
ここでも節約しつつ少しだけ贅沢。おあげさんと1番安い玉ねぎ人参だけのかき揚げを半分こ。
祖母、両親、兄、姉、私、妹3人の家族9人でうどん屋へ行った時に具を3種類買って3等分して皆で全種類食べたことがある話をした。
数えるほどしかないけど楽しかった外食の日の話。
「お義父さんて多分そこそこ稼いでいますよね。母親と妻も働いているとしても最盛期でネビーさんの学費がある中で家族9人です」
「そうなんですか?」
「剣術道場代、特別寺子屋代、そこから専門高等校1年間の学費です。兵官半見習いで挨拶お礼代もあったかと」
「特別寺子屋って何ですか? 兄は高等校へ通ったんですか? 高等校ってそもそもどんなところですか?」
兵官になるまで毎日剣術道場と寺子屋へ行っていると思っていた。両親が「ネビーは勉強しないといけない」と言っていたから。
またしてもぼんやり発覚。家事——それよりルル達——で疲れていたのもある。
「リルさんはまだそこまで覚えなくてええと判断されているのでしょう。両親に何かあっても自分がいますし、父と自分に何かあったら母は親戚、リルさんは実家です」
「はい。覚えることは山程あるから順番にと言われています」
「まあ、今はネビーさんの経歴ならかなり学費がかかったくらいでええかと」
「我が家の貧乏腹減り理由は父ではなく兄ですか」
「父ではなく?」
「お母さんはあんたが稼がんからだ! 家族で稼ぐしかないね! といつも笑っていました」
「そうですか」
その後の話題は旅の思い出。ロイは時折何かを考えているような表情を見せた。私の家族のことかと思って聞いたら「ベイリーさんとヨハネさん以外の学友にお土産を忘れました」だった。
ロイは腹減りしそうと思ったら、ちゃっかり華やぎ屋で握り飯と漬物をお弁当箱につめてもらっていて、そら宿の大部屋内でモグモグ。
残りは新しく濡らした手拭いをかけて朝ご飯の予定。
私達は自分達に欲張り禁止令を発動中。行きはよいよい帰りは怖いらしいし、また接待が降ってきたら大変だ。