朝風呂と朝食
人力車で朝市を眺めながら華やぎ屋へ戻ってそのまま別館でお風呂。生きたプクイカは見当たらなかった。残念。
共同大浴場にはけっこう人がいた。お風呂屋みたい。お風呂の木も同じ。
ただ内風呂の天井には玄関とは異なる吊るし飾りと丸い灯りがいくつも並んでいて綺麗。
露天風呂は石作り。本館の露天風呂よりも広い。細い桜の木に桜が咲いている。赤い布の長椅子や傘は同じ。他は殺風景というか味気ない。豪華なのを見過ぎだせいだ。
岩の上にいる赤い前掛けをした猫の像はかわゆい。白に黒のぶち猫で片手を挙げている。
桜は本館の大浴場にはない。ここだけの特別。勘だけど桜は別館大浴場にもない気がする。お風呂に牡丹の花少しと花びらがうんとたくさん浮かんでいる。これもここだけな気がする。
私、華やぎ屋好きだな。大切な本館客よりも特別扱いみたいなところがあるところ。女将に伝えよう。
サッと入って朝食前に別館大浴場に行く予定だけど、この桜を見ながら花びら風呂に浸かり青空を見上げてまったりしたいかも。
「リルさん!」
ひゃあああ、朝風呂なんて贅沢と思っていたら会いたかったラン登場。彼女は入浴すると私の隣に並んでくれた。
「お礼の手紙を宿に預けたんですけど、もう1度会えてよかったです。この宿はもう大感激で。簡易宿所の仕切り屏風がまあ立派で個室気分。しかも間もゆったりしています。3階の屋根露台から街を見下ろしたり見上げたり出来て、別館の受付部屋は楽しいし、お風呂はこの花びら風呂。しかも宿代……ああ、喋り過ぎてすみません。そんなに目を丸くさせてしまって」
「いえ。気に入っていただけてよかったです。ランさん。あの桜は本館の大浴場にはないです。このような花びらざんまいのお風呂もありません」
「そうなんですか? 男湯は花びら風呂ではなくて牡丹少しに柚子風呂だったそうです。それで商売繁盛の副猫神像があったと。ここは家内安全の副猫神像で対です。当たり前ですけど人気宿で紹介がなければ泊まれませんでした。お別れした後に来たときにはもう簡易宿所受付終了の札が立っていたんです」
あのかわゆい猫の像は副猫神像と言うんだ。調べよう。いや、父の職場に飾ってあったような、なかったような……。
あった。だけど「猫の像かわゆい」で思考停止していた気がする。私のことだからそうだろう。
大人気宿だけど宣伝、客引きしてもらいたいのか。嬉しいか。泊まれなかった客を数えて増築とか工夫して部屋を増やすとか出来る。
「副猫神像も本館にはなかったです。別館大浴場はこれから行きますけど、そこにもない気がします」
「それを聞いてますます気に入りました。ひっつみもまあ美味しくて。旦那の宴会癖を叩き直すのと大食い男達をどうにか腹一杯にして節約。ティエンの元服祝い旅行は思い出も兼ねてここの1番安い別館の部屋。それが出来たら最高です。完全予約でないと中々厳しいというのが不安ですけど」
本館の大浴場はどんな感じですか? 部屋は? 庭は? 食事は? と知らない人達が近寄ってきて次々話しかけられた。
上手く喋れないので「のぼせそうですみません」と慌てて逃亡。
私はお喋り上手になったわけではないと痛感。大勢は苦手。
サッと見るはずが桜や大量の花びらに副神猫像でまったりして、ラン達と少しお喋りをして長湯してしまった。
別館大浴場は街を出る前か朝食後に楽しむことにする。
部屋に戻るとロイがいてお酒を飲んでいた。昨夜と同じでロイにしてはお行儀が悪い。もといくつろいだ格好。
暑くて着ないで手で持ってきたどてらを衣服掛けにかけてカゴも近くの畳の上に置く。
「ロイさん、ユアンさんとティエン君がいませんでした? ランさんと少し会いました」
「会いました。柚子風呂や桜や副神猫像。本館には無かったですなんて言うたら人が集まってきて質問攻めの雰囲気で慌てて出てきました」
「私も同じです。逃げてきました」
私は呼ばれる前にロイと机の間へ移動。彼も当たり前というようにその場所に座れるように動いてくれた。
「朝からお風呂に入って、こんなにだらけた姿勢で朝から酒なんて最高です。いやあ、宿屋エドゥロンに軟禁されるよりよかです」
北区言葉だ。
「女湯は家内安全の副神猫像でした。簡易宿所の屏風は立派でよかだそうです」
「よかな宿ですね」
「はい。よかです」
ロイはお酒を飲むのをやめた。升を机の上に置いた時点で予想したけど少し違った。
抱きしめられるのでも、どこかにキスされるわけでもなく身八つ口に両手侵入。
「こういうことも中々朝からは無理ですからよかです」
「あ、明るいですし……」
「それなら少し暗いところへ行きますか。雨戸も閉めます」
それなら甘やかされたい。御帳台みたいな寝所の中はとても素敵空間。この旅行は人生で最初で最後の大大大以下略贅沢だろう。多分この気持ちを見抜かれているし、ロイもそう思っている。
ロイは途中で「リル……好きだ」と言ってくれた。しかも6回。2回目があったのが衝撃的で、3回目が来たのでそこからずっと数えてしまった。
龍歌を使うとこうなるならまた使おう。
8時の鐘の音を聞こえてからもひっついてキスしていたけど、どちらともなく「そろそろ朝食ですね」と離れた。
昨夜と同じ席。すっかり昇った太陽できらめく川の水面はとても美しい。今朝は机に花瓶があって牡丹と桜1枝が飾られている。
食事はご飯味噌汁香物佃煮煮物に温泉たまごのお膳、昨日みたいな紙鍋——でも今日は小さい紙鍋——で湯豆腐。それから小さい七輪でアユユの塩焼き。
「これはもう夕食です」
「ええリルさん。うんと贅沢ですねえ。すすめられた温泉たまごかけご飯は特に気に入りました」
「白身まで半熟ってどうなっているんですかね? 温泉でないと作れないのか、温度なのか気になります」
「うーん。料理はさっぱりです。海が遠いのにひじきの煮物。このひじきは大きくて太くて食べたことがないです」
「南地区の海のひじきではないんですかね? お弁当はこちらの方が食べやすそうです」
「それを言おうとしました。それに昨夜の出汁だくだくのたまご焼きも大変好みでした」
「ふわふわたまごみたいだから、お義父さんも好みそうですけどお弁当には向きません」
香物は昨日と違うし、乾燥させたしららと細切り昆布の佃煮も美味しかったし、お味噌汁はエドゥ海老とわかめだった。
ひじきもわかめも乾燥させれば長持ちするから仕入れられて使えるということなのかな?
「川魚はお刺身にすると腹を壊す、ひどいと死ぬなんて聞きますけど、やはりお刺身は海のある地区のものなんですかね」
そうなの?
川魚はお刺身だとまずいからだと思ってたというか母がそう言っていた。食べてこなくてよかった。
「ロイさんはこのアユユを食べたことはありますか? 川で釣れるアユかと思ったら味も食感も違います」
「いや、初めてです。川の幸も地区というか川で違うということですよね」
完食!
ちょいちょいロイに食べてもらって、最初に頼んでご飯も半膳にしてもらっていたけどお腹はち切れそう。
そのロイはご飯2膳食べて「調子に乗って食べ過ぎて苦しいです」だ。
でも食後の甘味はぺろっと食べた。見たことはあるけど食べたことのなかった桃。
その桃を使ったゼリーという甘味に桃が上に飾られていて大変気に入った。
ロイは栗の甘露煮再び。彼は私の桃ゼリーを味見したけど「苦手です」と口にした。
なぜ栗の甘露煮なら平気なのか不思議。いちびこは酸味があるから好みだけど桃は甘ったるいから苦手らしい。栗の甘露煮は酸っぱさはないけどなあ。
ロイも「自分もそう思います」と告げた。
「みずみずしくて柔らかい寒天。うーん。どうやって作るんですかね?」
「客引きも密偵もしたから聞いてみますか? 夕食と朝食の品の作り方を知りたいと。秘密の味付けや作り方以外でよいのでと頼めば少しなら教えてくれる気がします」
「片栗粉をお裾分けするからお願いしますと言うてみます」
食事会場を後にして、受付部屋で旦那か女将に会えるかを聞いたら女将にすぐ会えた。
提案する前に片栗料理本を返却されて「ありがとうございます。最先端を上手く取り入れていきたいです」と言われた。この流れはええ。
「それは助かります。それに料理長が書き付けについてお聞きしたいと言っていて。観光時間をちょこちょこ削ってしまったので迷っていましたけどお互いに益があるならお願いしたいです」
「はい。このような立派な旅館の料理人さんとお話出来るなんて夢のようです」
しかも料理長だって。すごい。アデルの書き付けを気にしたのだろう。
「料理人も料理人。料理長です。実は奥様は感性がええから家ならどう盛り付けるかなどを聞くとよいと手紙に書いてありましたので、隙をうかがっていました」
そうなの?
褒められるのは嬉しい。私の特技はちまちま料理というのは自覚しつつある。
部屋で休んでからではなくてそのまま食事処へ戻ることになった。
ロイは少し悩んでから「話についていけんでしょうから近くの商店通りや別館のお土産屋でお土産を買ったり至福の朝酒をします」と別行動宣言。
従業員が部屋に片栗粉を取りに行き、ロイが渡すということになった。
そうして1時間お付き合いすることになった。




