晩酌
女将から解放された後、ロイと館内を軽く散策。それでお部屋で夜食と軽い飲み会。
お味噌汁はあおさと小さく切った絹豆腐。また海のもの。
ご飯はしそ混ぜご飯の俵おにぎりと薄味のごま塩俵おにぎり。
香物は千年大根という少し赤味がかった大根の漬物。のの菜のわさび漬けを刻んだもの。いぶりたくあん。
わさび漬けは苦手。ロイが気に入ったのであげた。
甘味はロイに栗の甘露煮といちびこ、私には特製あんみつ。あんみつは小さいけど抹茶寒天、白玉、栗の甘露煮、クリーム、いちびこ乗せと贅沢三昧。
いちびこ、という赤くてみずみずしい果物は人生はじめまして。
女将が「クリームは仕入れによってですけど先月から取り入れました。しかしチョコレートですか。はあ、ワインといいやはりツテや資本が違います」と目を燃やしていた。
ちなみにロイがいちびこも高級果物ですと教えてくれた。ロイもほとんど食べたことがないらしい。
華やぎ屋本館もやはり庶民の宿ではない。
「ロイさん、飲みにくく、食べにくくないんですか?」
「ええ。リルさんから普段よりええ匂いがするし温いしこれでええです」
私は机の近くに座っている。その真後ろでロイは片足を立てて座っている。私の父みたいな座り方。お行儀悪く飲食するロイは初。
普段は気をつけているのだろう。居間で義父のようにゴロゴロもしないし。
「石鹸がバラの香りでした。髪を艶々させるためか、はちみつもありました」
「なんか肌も、いつもよりもちもちしている気がするんですよね」
首筋に急にキスされたり、足や手を触られるけど誰もいないのでペチンッとはしない。
「うーん。悩むなあ。抱いたら寝そうだし、お風呂に入ったらリスは寝てそう」
どのリスが寝るかな? こいつか? 起きろ、ロイは浴衣のリスをあちこちツンツンして楽しそう。この柄は正解だった。
楊枝で刺したいちびこを「リルさんどうぞ」とくれたと思ったらヒョイっと食べて、びっくりした私にキスしてきたり、鼻歌混じりだし、顔色も赤いし酔っ払いだ。
ロイの指摘通り、私は眠たくなっている。抱いたらって、言葉にされたの初めてな気がする。予告されるのは恥ずかしい。
「ロイさん。にごり梅酒を飲み過ぎました」
これは好きと水割りを2杯も飲んだ。薄めにしたけど飲み過ぎたみたい。ふわふわするし眠い。
「ちまちまですけど他のお酒も色々飲みましたからね。リルさんはお酒が強くないと」
「そうみたいです。ロイさんは平気そうですね」
「まあ、ある程度どのくらい飲めるか分かっています。未だにたまに失敗しますけど。朝寝坊の件とか。安いからと熱燗をガンガン飲み過ぎました。今夜はもう終わりにします。旅行って時間が足りんですね」
「はい」
「お風呂行ってきます」
「私も夜の街をあの露天風呂から見たかったけど眠いです」
「仮眠して下さい。起こします」
起こされるのか。でも起きないかも。
別館にある2つの大浴場は明日この街を去る前と決めている。場合によっては本館大浴場も。
宿屋ユルルさんの密偵をしてくれた、とほくほく女将が2つ返事で許可してくれた。
明日は外客領域のみだけど宿屋エドゥロンの密偵になれるのは黙っておいた。時間が減るのでお礼の手紙に書く予定。
本当は明日の10時に宿を出ていないといけないけど、部屋もお風呂も街を出るまでどうぞと言ってもらっている。
朝は6時に起こしてもらえる。部屋の外から鳴らせる鐘があってそれを鳴らしてもらえる。
何度かキスした後にロイをお見送り。鍵は2つあるから気が変わったら館内をうろうろしたりお風呂に行ける。
厠へ行き、部屋で歯磨きをして、机の上をある程度片付け、あらかじめ持ってきてあった別の浴衣や洗って乾かしてもらった肌着にお着替え。
半開きの目で屋根露台から庭や夜空を少し眺める。
館内は温泉水路か何かでわりと温かいので、雨戸はそのままで窓だけ閉めた。ロイもまた屋根露台から外を眺めるかな。
ふかふかの布団にもぐりながら、どこからも見られなさそうだからと屋根露台でキスしたことを思い出す。
素敵な景色に甘くて優しいキスとは一生の思い出——……。
熱いし重い。ん……と目を覚ましたら重いのはいつものロイの腕だった。
(ロイさんも寝て……)
何かスースーするなと思ったら浴衣が思いっきりはだけていた。帯がない。
(私は起こされたけど起きなかったってことか)
寒くはないし頑丈健康体だけど風邪をひいて帰宅が大変になると困るので浴衣をピシッと合わせて帯探し。
と思ったら頭上の畳の上にきちんと畳まれていた。ロイだろう。律儀。寝ている人に帯を結ぶのは難しい。
よいしょとロイの腕をどかして布団から抜け出そうとしたら「ん……リルさん?」とロイが目を覚ました。
「何時ですかね? まあ、お互い起きたことですし」
この空間で甘やかされたかったので素直に抱きついて身を任せた。
せっかくだしとか、静かになら問題ないとか、浴衣とどてらで風邪をひかないとか言って屋根露台へ連れ出そうとするロイと少し喧嘩になった後から甘々より意地悪になったのでそれは不満。
再びうとうと寝て、ハッと起きたらロイはいつもの大の字だった。
風邪をひいたら困るので彼に布団をかけて、どてらを着て屋根露台へ出る。
空の感じだと夜明け頃な気がする。
(よく考えたら赤鹿に乗りながら朝焼けを見られるのか。贅沢しかない旅だ)
「またリスは逃げたと思ったら、ここに来たかったんですね」
新しい浴衣でもうリスはいないのに。
振り返るとロイが目を擦りながら近寄ってきていた。それであっという間に腕の中。キスも急。
「ちょっ……ここは……」
「絶景の中でなんて2度とないでしょうし」
押し切られると思ったら、カランカランカランと室内に鐘の音。
「6時です。支度をしてお出掛けです」
「間に合う間に合う」
ここでロイを止められないと、いつか朝寝坊事件がまた起こる。
浴衣の帯を解こうとしたロイの手の甲をえいっと抓る。蹴るよりはまだ心苦しくない。
「止めないと帰宅後にしばらく家出します」
「えっ……」
ピタッと止まったばかりかロイは私から離れて3歩後退り。拗ね顔でも不満顔でもなく怯え顔。
勝った。嬉しくない勝利。脅して終わりもよくない気がする。
「こ、ここで単にキ、キ、キ、キ、キ……スはええです」
キスって言うの恥ずかしすぎる。ロイは目を見開き、その後私から顔を背けた。でも近寄ってくる。
「家出は困ります。寝込むか長屋で朝から晩まで土下座で仕事に行けません」
抱きしめられて頬に軽くキスをされた。
「でもしばらくなんですね」
「はい。……要らん言われても、らぶゆのうちはしがみつきます。前より喋れるようになって分かりましたが帰る家はありました……」
とてもとても小さな声が出た。しかも自然と言葉が出てきた。これが今の私の本心。
追い出されたら帰る場所がない。どこかで働けるかな、と思った夜もあったのに。
「うん。要らんは言いませんけどそうですか。今は頷いてくれますかね。リルさん、困り事も、欲しいものも、不安も、何でも遠慮せずに言うて下さい」
「今なら頷いて?」
そうか。朝寝坊事件の時に義母が「ロイはここのところ拗ねていた」みたいな事を口にしたけどこのことだ。
帰る家がないからルーベル家の嫁でいたいです。だから困っても、不安でも、遠慮して我慢して励みます。頼りません。頼れません。言えません。
多分私の言動はロイにそう伝わった。
「ええ。まあもう言われていると思うのでええです。膨れっ面。叩く。抓る。そのうち衣装部屋で正座させられそう。あはは」
「ロイさん、わざとです?」
「まさか。もう嫌なら嫌と言いそうと思ってから元々少なかった遠慮がどんどん減っただけです。キスなら最悪見られてもええ、見られる可能性が低ければ低いほど色々付き合ってくれると分かったのは朗報です」
バレている。多分私は分かりやすすぎる。ジョーカー抜きゲームも弱々だし。その私に割と負ける義母。あれは謎だ。