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その頃のルーベル家

 我が家、卿家ルーベル家の嫁リルは馬の骨だった。自慢だったはずの跡取り息子が恋に狂って夫と私を脅迫して嫁にした。

 恋狂いとはその通りで、息子としてはかわゆくてならない嫁を餌にすると「確実に着々と出世します」と言って、心の中では(早く出世なんて面倒くさそう)と思っていた息子が励みに励んだ。

 仕事こそが卿家。父親似の面倒くさがり、出たくない杭の跡取り息子を同期最速出世させたとなると、リルは馬の骨嫁から新米嫁と認めざるを得ない。


 同期最速出世なら今後もそのまま出世街道まっしぐらを期待する。嫁が役に立つなら使うまで。

 二等事務官から一等事務官、そこから主任ではなくて花形の裁判官……。


「今頃温泉のはずだな。何もないよな? 怪我をしていないだろうか」

「孫の見本になりませんので貧乏ゆすりはやめて下さい」


 本日は木曜日。夕食中だが夫の食事は進んでいない。せっかく余計なことを考えないように別のことを考えていたのに。

 かつて私達が行ったことのある観光地。道は警備の多い行交(ぎょうこう)道、堺宿場。そこからは街中。

 卿家の肩書きはあれこれ役に立つことが多いし、危険や無理だと思ったら馬屋や牛車などお金を使ってでも帰宅しなさい、温泉街以外の夜は動くな、などとよくよく言い聞かせて送り出した。

 2人——調べたのはどうせ息子のみ——で立てた旅行計画も確認したし、注意事項も伝達済み。


「そういうテルルさんも肘をついてぼんやりじゃないか」


 夫の指摘通りである。私もまだ食事中。というか食べられていない。

 息子夫婦の旅行に合わせてのんびりかめ屋で過ごそう、という案は水曜日の夜にお互い気もそぞろだった時点で中止。

 金曜から2泊は別日にします、準備にかかった費用は払うと伝えに行ったら、かめ屋の旦那とセイラに「こうなると思ったから部屋も食事も用意してなかった」と笑われた。

 今夜の夕食はご飯、豆腐の味噌汁、たくあん、鮭の塩焼き。


「この鮭まる焦げだな」

「スリやら難癖やらに合っていないかと考えていたら焦げました。何も思いつかないので手抜きです」

「この味噌汁は味噌を入れたか?」

「色がついているので多分」

「匙の数を間違えただろう。まあこうなる。当たり前だ。我が子と嫁が旅行中なんだからな」


 たくあんは切れてないし、豆腐は手からまな板の上に落下して崩れた。


「懐かしいですねえ。私の肩が強面の方にぶつかってしまって……」

「叫んで兵官を呼んで身分証明書で一発。だよな? 最近のエドゥアール温泉街で卿家の評判が悪くないかは確認してある……そもそも着いたか?」

「あの岩山をきちんと牛車で登りましたかね?」

「階段で登れそうと挑戦して失敗したなあ。それも思い出と強くは言わなかったが……」


 はあ……と2人でため息。


「何かあって帰宅途中だったりしませんかねえ」

「ガラガラと玄関が開いたり……」


 2人とも口を閉じた。とても静か。大丈夫と言い聞かせて黙々と食事。食事途中で会話をする家ではない。

 口の中に食べ物がなくて、相手も同じなら喋れば良いが、夫は食事に集中する性格。息子も似た。なので我が家は食事中に会話をするという習慣がない。

 今日のように夫が箸を休めて話し出すのはいつ以来だろう。


「片付けは自分がしよう」

「今日も手足の調子がええです。茶碗を割るのでやめて下さい」

「テルルさんも割るつもりでこんな古い茶碗を出したんだろう」

「ええ。風邪を引いてないかしら。ほら、あのお出迎え広場の滝。濡れて冷えたり……。あっちの温泉にも入りたい、こっちもと渡り歩いて体を冷やしたり……」


 嫁は風邪を全然ひかないらしい。息子も元服後からは鼻風邪程度なので安心している。


「そうだ。そうかもしれない。あれだ。神棚にもう1度手を合わせよう」


 2人で手を合わせる。起床時と就寝前以外で神棚に手を合わせるのもいつ以来だろうか。

 息子が「結婚します」と口にした日だ。


 思い出したら腹が立ってきた。先に私に話すと猛反対されると分かっていて懐柔し易い、押しに弱い父親から狙い撃ち。

 下調べした反対される理由をことごとく潰してから話したに違いない。


『あー……あのなあ、母さん。その、ロイが結婚お申し込みをすると言い出した。反対理由があまりないというか……。頑なそうで……』


 義父母存命時の「すまないが頼む」と口にする時と同じ表情や話し方で嫌な予感がした。そもそも息子は跡取り息子としてはまだ結婚には早いし、嫁候補選びは私となっていた。

 そう言って差し出された調査書類。苗字の無い長屋住まいの竹細工職人の次女という時点でめまい。

 その女性が今息子と旅行中。

 なぜ「リルさんは知識がないからロイとはぐれたら帰って来られないのではないか」とか「飄々としているから、リルさんでもお金や身分証明書で帰宅出来るかしら」と心配しなけらばならない。


「風呂に入ってくる」

「準備はご自分でお願いします。思い出したらイライラしてきました」

「イライラ? あー……そうか。分かった」


 夫を無視して寝室の自分の箪笥(たんす)から調査書を出して居間の机で眺めた。

 腹が立ち過ぎてあまり読まなかったけれど、面倒くさがり屋の跡取り息子を同期最速出世させた嫁はもう本当に我が家の嫁である。

 馬の骨嫁から新米嫁。どうせ息子は「妻と旅行と言われて張り切ってしまいました」と友人知人に言いふらす。無事に旅行から帰宅したら思い出話と共に嬉々として語るだろう。

 その嫁を理不尽に追い出すことはもう出来ない。

 嫁が密通したら息子は寝込んで仕事に行かなそう。酒に溺れてゴロゴロだな。

 何に拗ねたり不貞腐れたのか日曜の夜中近くまで帰らず、かなり酒臭く、翌朝起きてこなかったのはその前兆。花街で惚けていたわけでもなかった。


(それとなく聞いたけど、昨日は旦那様とヨハネさんと楽しく過ごしました。旦那様はうんと優しかったですだからなあ。リルさんは一体何をしたんだか)


 嫁の欠点の1つはあのぼんやりだ。今後の近所付き合い、息子の職場関係や友人達の嫁との付き合いは大丈夫なのだろうか。

 幸い歳の近い嫁達の輪には入り始めているようだが、そのうち姑悪口合戦だろうし、嫁同士で拗れたりするのはこれから。腹を立てたり疲れそう。


 それに時折見せる「こうだろう」と思い込んで確認をしないところや自己完結癖やら何やらが気になる。

 1から100まで行動を監視管理なんてしたくないが、庭でずっと座り込んでいるから何かと思えば「紙がもったいない」とか、遊んでいるのかと思ったらキノコ採りに銀杏拾い。

 お小遣いで買ったのかと思えば、竹串やらカゴやらを「作りました」だし、ちょこちょこ行動が変というか価値観が違う。


(親がこっそり娘のために何とか工面したと思った松茸は公園で採った……。渋々嫁にするのを許可するけど彼女の家族を親戚とは認めない。家に邪魔だから基本断絶。知りませんと押し通すと思っていたけど、リルさんをもうポイっと追い出せないし、そうも言っていられないか……)


 憎たらしい嫁に「息子が仕事をするようにして欲しい」と頭を下げなくてはならなくなるかもしれない。最悪だ。最悪な嫁がきた。

 義母もそうだったのかもしれない。私の両親は少し格上の家、それも跡取り息子の嫁に望まれるとは万々歳だったけれど逆は不満だっただろう。

 熱心に通われて……似ているな。よく考えれば夫と息子は似ている。見た目の好みもあるだろうけれど、決め手は料理。親を説得して結婚。


(また腹の立つことを発見してしまった。求婚、祝言なんて昔々でその後の日々の強烈さで忘れていたわ)


 息子は明らかに父親に似ていて、根回しや正論を振りかざして周りから囲うようなところは私を見て育ったと思う。


(それならリルさんのあの感じはどう出来上がったのかしら)


 調査書にざっと目を通していく。


 結果は「ああ」とある程度納得で蛙の子は蛙だった。それでリルの親はリルの親だから根っこはこうだろうという推測も出来てしまった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ランキングで見かけて一気に読んでしまいました。 テルルさんがかわゆくてかわゆくてたまりません…! リルさんを憎みたいのに可愛がっちゃうし心配しちゃうしでもう! 登場人物全員かわゆくて優しくて…
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