口は禍の元疑惑
宿屋エドゥロンの若い男性従業員に聞いたら共同手形の外客用の大浴場はこの宿だけの珍しい青みがかった白濁温泉。
さらにその中から移動出来る貸切個室露天風呂もあるという。
料金は一緒だけど貸切個室露天風呂は空いていないと使用不可。両方予約制で明日のもう7時しか空いてないと言われた。
幸運なことに——主にロイにとって——貸切個室風呂もまだ1つ空いているそうだ。ただ朝食時間と被る。
「リルさん、本来は無理でも今の自分達なら旦那さんか女将さんに我儘を言えば朝食時間をずらしてもらえるでしょう。人力車は7時からなので早起きしてここまで歩きですけどどうです?」
「いくらでも歩きます。来ましょう」
空いている理由はこれだろう。7時が不人気なのは朝食時間や人力車の開始時間の関係だろう。しかも完全予約制。支払っていかないといけない。
予約制なんて知らなかった。観光案内本に詳しく書かないのは商売仇だからかも。あとは逆に書くなと頼まれているか。
「華やぎ屋さんから徒歩ですと1時間かからないくらいかと。お客様、上り坂ですし有料で当宿の赤鹿か専属人力車でお出迎えも致しますがいかがでしょうか」
「赤鹿は赤鹿車でしょうか?」
「いえ。そのような車は存在致しません。従業員がお1人様ずつお乗せ致します」
それは乗ってみたい。高いかな。お出迎え広場の赤鹿屋は高かった。観光案内本で相場を確認。
宿屋エドゥロンの赤鹿送迎は行きだけならそれより安かった。
帰りは人力車の開始を待てば良い。
「宿屋ユルルのお風呂には今夜入れることになってお代も浮いたし、外食2ヶ月禁止にしましょうか。赤鹿車に乗って普通に赤鹿にも乗ったら思い出がわんさかです」
「御三家で宿屋無限塔だけ中が不明ですけど家やご近所さん達の集まりみたいな雰囲気ですしね。あの塔は気になるけどお風呂ではないと思います。きっと外客は見学出来ません」
コソコソ作戦会議終了。
「お客様、赤鹿車に乗られたとはどちらででしょうか?」
小さい声で2人で話したつもりだったけど、赤鹿車って聞こえていた?
宿屋ユルルの赤鹿車がどうしたんだろう。
「宿屋ユルルさんです。赤鹿車を運用されていますよね?」
ん? と従業員が首を傾げた。
「少々お待ちいただけますでしょうか。よろしければそちらの長椅子でお待ち下さい」
「はい」
何だろう? とロイと顔を見合わせて白い石造りの椅子に腰掛ける。
「反対側から見てもすごいですね」
「木々に白い塀や橋に彫刻。ここからだと池もよく見えます。少し下り坂でしたね。いやあ、すごいですねえ」
「はい。ここでボーッとしながらずっとお話をしていられます」
ロイと2人で夕食は何かなとか、華やぎ屋の男湯はどんなかな、と話していたら別の従業員が来た。
義父くらいの年齢で質のよさそうな朱色の着物に黒い帯に白い羽織。
まさか旦那?
そうでなくても偉い人?
「お客様、本日は華やぎ屋さんからわざわざ当宿まで足を運んで見学に来て下さってありがとうございます。それに明日、当宿の大浴場をご利用していただけるそうで。ありがとうございます」
「はい。このような建築物も庭は見たことがなくて見惚れていました。共同手形という制度、ありがとうございます」
「嬉しいです。ありがとうございます」
ロイの無表情が発動。緊張と人見知り。私もかもしれない。
「お時間は少々ございますか? 宿屋ユルルさんの赤鹿車についてうかがいたいです。代わりに応接室でおもてなし致します」
また何か始まった。この旅はおかしい。何の力?
ロイが滝でびしょびしょ濡れながら一緒懸命接待したから?
「18時から夕食でしてすみません。そろそろ宿へ戻らないと間に合いません」
「それでしたら明日の入浴後はいかがでしょうか?」
「妻に確認します」
ロイとヒソヒソ話。
「情報を流すのはお世話になったアデルさんに悪いと思います。入浴自体やめます? もう接待は嫌です」
接待をされる。そうすると接待しないとならなくなることが起きる。びしょ濡れロイの次はびしょ濡れ私かも。私でもロイでも嫌だな。
「無限塔は予約ではなかったので明日の朝、無限塔へ行きましょうか」
「ええ。ただ自分は青いお風呂は捨てがたいです」
「それは私も思います。お城の中も気になります」
「華やぎ屋の最終朝食時間は8時半です。のんびりお風呂に入って、その後に話をとなると間に合いません」
「それを口実にしましょう」
食い下がられたら正直に話して面倒臭そうだったら諦める。そうなったら宿屋無限塔へ行こうと決定。
「華やぎ屋さんでの朝食が8時半からなので明日の入浴後はお話をする時間がないです」
「そうですか。明日の観光のご予定はお決まりでしょうか? 当宿の館内見学はいかがでしょうか? 自慢の虹掛かり橋を是非。お迎えにうかがいます」
食い下がられた。それでなんか新しいの出てきた。
余程赤鹿車を知りたいみたい。無限塔とは違って野心のある宿。なんか好きだな。
虹掛かり橋も気になる。でもダメ。
「実はですね、赤鹿車は事情があって親切で乗せていただきました。道案内や街の説明。妻へ流行り料理などまで教えていただいています。ですので商売仇のこちらのお宿へお話するのは気が引けるというかお話出来ません」
ロイはキッパリ言い切った。怒らせたらぺちゃんこにされる相手ではないので言える。
従業員2人はさすが高級旅館なので笑顔。若い従業員は少し顔を曇らせた。
「ただ無限塔さんかこちらの宿かどちらかで明日の朝か昼に入浴しようと決めていまして、先程うかがった青いお風呂がよいと選びました。この庭をうんと気に入ったのもあります。何も出来ませんのでおかまいなく。それで通常通り予約させていただけませんか?」
「はい。平鍋を安くかつ扱い易く作ってもらう方法も教わりました。青いお風呂に入りたいです。赤鹿にも乗りたいです。このお城のような宿の中も少し見たいです。外客としてしっかりお金を払います」
ロイを援護。内助の功はこういうことのはず。私は無限塔よりこの宿屋エドゥロンに入りたい。
「ちなみに参考までにお伺いしたいのですが、宿屋ユルルさんは赤鹿車だけではなく入浴にもご招待されたのですか? 受付時間外にお支払いなしで入浴と耳にしましたので気になりまして」
こういうのを口は災いの元って言う?
ヒソヒソ作戦会議したつもりだった。赤鹿車はたまたま聞こえたのかと。
「いえ。まさか。そちらは別件です。この衣装なので宿屋ユルルさんの前でお会いした宿泊客の方に華やぎ屋さんを紹介して欲しいと声を掛けられました。その方が受付時間がもしかしたら終わってしまうと気を遣って下さって、宿泊する宿屋ユルルさんに頼んでくれました。蓋を開けたら時間の融通だけではなくて支払いが済んでいました」
ロイは少し嘘をついた。詳しく説明すると長くなるからこれでええと思う。
「そうでしたか。お時間をいただいてすみません。ご予約を承ります。ご利用のお客様には明日の入浴後に明日1日、当宿内の館内を散策出来る札をお渡し致しますので是非ご利用下さいませ。少し早いですが明日の6時半に華やぎ屋さんの前にお迎えにあがります」
何か増えたというか、本来無かったおもてなしが追加された。宿屋ユルルに対抗?
私達を接待しても太客に繋がらないし宿屋ユルルを優先するのは明らかなのに。
「よろしくお願いします」
「お時間をいただきましたのでお支払いなどは明日で結構です。お名前だけいただきます」
「はい、ロイ・ルーベルです」
ロイは身分証明書を見せた。それで2人で立ち上がって会釈をして退散。
「宿屋ユルルが接待する身分と思われたら厄介です。見た目と同じで向上心というか、野心というか、無限塔とは真逆ですね。身分証明書で卿家の若造と伝えたし大丈夫でしょう」
「おもてなしが増えましたね。明日無くなっているかもしれませんけど。無くなった方がええです。私はこの宿の経営方針は好きです。どんどんよくしたいはええことです」
「自分もそう思います。こりゃあ御三家で他の御三家の話は禁止ですね。よい接客のための地獄耳教育があるのかもしれません」
「はい。気をつけます」
こうして私達は待機していた人力車で華やぎ屋へ戻った。




