華やぎ屋本館大浴場
本館大浴場の内風呂は家のお風呂をうんと広くしたところで牡丹が浮かんでいた。
家のお風呂の木よりも高級そう。
お風呂屋から人を減らした状態というか、今は私達しかいない。贅沢を独占だ。まだ皆観光中?
本館内にも全然人が居なかった。共同手形で御三家を楽しんでいるのかも。
お湯から温泉と木と牡丹の香りが混ざって鼻をくすぐる。
ひやああああ、幸せ。皇女様気分何度目。ジュリーは母親の背中を楽しそうに流している。
女性の付き人2人も私と一緒に入浴中。仕事で無料で温泉とは役得。
「あの、あのような奥様やお嬢様方の付き人にはどのようになるのですか?」
人見知りは我慢。聞くぞ。筋肉が凄いのが気になっている。服を脱ぐ時に短剣も見えた。
「私達はこの街の兵官です」
「煌護省にお勤めのお父上をお持ちだそうで、大変お世話になっております」
「どのようなツテや手続きで兵官を私兵として派遣するのかはお父上がお詳しいかと思います。私達は命じられただけで分かりません」
それで2人は私を労ってくれた。せっかくの旅行なのに接待とは大変ですねと。
自己紹介されないのはわざとな気がするからとりあえず名乗るまで放置。私の名前は知られている。
「いえ、楽しいです。これも思い出です。それに宿屋ユルルさんの本来入れないところまで入れることになりましたし」
「それは私達も同じです。運が良いとこのように普段は入れない宿やお風呂に仕事中に入れます」
「同じく運が良いとどうぞ、なんてお菓子やら。今回は大当たりです」
「最低限の話題入手の為に訪れる入内前の方々は同じところを回りますし、このようにお暇でしょうからどうぞなんて方はさらに少ないです」
つまりジュリーは少し変わっていて、とても優しい気遣い屋ということ。
話題はそれて、狐顔の凛々美人のキティはまもなくお見合いで相手選びのコツは? という質問をされた。
もう1人の少しふっくらしたムーランは「下区民上がりの兵官はお見合い相手が見つからない」と嘆いた。
下区民は長屋育ちみたいなことかな。また新しい単語だ。
「まあまあ、私の憧れの恋愛話。混ぜていただきたきたいです」
ジュリーが入浴してきた。ジュリー母は「私は先に露天を楽しみます」と去ってしまった。
「聞いていますので続きをどうぞ」
そう言われると話辛い。これは接待、と気合いを入れる。
「私の結婚は父と母が決めたと言いますか、貧乏な下区民の私に格上の旦那様がその、まあ、兄と顔見知りで見初めていただきまして、そのような身分差の縁談は2度とないとお見合い申し込みの日に結婚が決まりました」
「私もそれを心配しています。父が上官の息子ばかりとのお見合いを集めてきまして。お会いしたらもう決定になるのではと。選ぶどころか即決められそうで。それでも睦まじく旅をする夫婦になれるなら少し安堵しました」
ほうほう、と頷くキティにふむふむと首を縦に振るジュリー。それから嬉しそうなムーラン。なぜ嬉しそうなのか謎だ。
「旦那様のご友人はご近所の娘さんと文通や付き添いありのお出掛けをしています。お見合い前です。簡易見合いと言うそうです」
「どちらから観光ですか? そのような慣わしがあるのですか。父に伝えてみます」
「南3区です」
「南3区では簡易お見合いがあるそうです。そう説得出来るでしょうか」
コホン、とジュリーが軽く咳払いした。
「仲睦まじい方が跡取りを作りやすいと申せば良いと思います。お相手が気乗りしないと花街通いや密通をされますと」
ジュリーは子作りも花街も密通も知っているんだ。それも教養なんだ。
「はい。ありがとうございます」
「私は皇居の局へ入内し、評判を上げて官吏の方々、特に父の役に立ちそうな方と恋をする予定です。正室に迎えて下さると言う方が現れ、その方をお慕い出来ることを祈るばかりです」
ほうほう、つまりジュリーは妃がねジュリーではなくルシーだ。そうだルシーだった。
「ルシーお嬢様は噂の3日3晩後にお餅を食べたら祝言になるお方でしょうか」
「そうでございます。3晩目に契りを交わして結納の証にお餅を食べます。なかなか噛み切れず縁が続くようにと申しますが、いっそ全く噛み切れないものにして欲しいです。皇居では女性渡りは雅なことらしいです」
私の頬は自然と引きつった。浮気し放題ってこと。
「お嬢様、噂では女性もそのように少々の密通は許されるというのは本当でしょうか? 華族の妻は密通すると死罪もあると言いますのに皇居では違うとは信じられません」
ムーランの問いにルシーは小さく頷いた。
「ある程度自由というか恋愛を楽しむ者は風流だそうです。紅葉草子やロメルとジュリーのような真の心はどこにもなさそうです。それか同じように身を焦がして父上に迷惑をかけて破滅。恐ろしいような憧れるような、ただただ不安です。成り上がり金待ちではなく権威も欲しいとはお父様というか殿方の欲は深いと思います」
こういう話を聞くとルシーも私と同じ人間だと感じた。憧れの恋愛話ということは、このような話をする相手、友人がいないのだろう。
きっと環境だ。この気さくなルシーに友人が出来ないとは思えない。
「女学校へ入学したかったです。来る日も来る日も家庭教師。ですから入内したら友人なるものが出来るかもしれないと期待しています。局預かりの方々からは鼻つまみ者かもしれませんが、きっと1人くらい私のような者は珍しいと気にかけてくれると信じています。話題もこうして仕入れています」
「います。絶対にいます。私にもいました。嫁友達が出来ました。そうです。手袋を持っていくとええです。ハイカラだから話しかけられるかもしれません」
義父には謝ろう。親と離れた格上世界で暮らす不安は少し分かる。私には最初から優しいロイがいた。それで渋々優しくしてくれる義父母に家を飛び出せばすぐに会える家族もいた。
ルシーはこれまでの会話を総合すると1人で皇居で暮らす。誰も知り合いはいないだろう。
「あの手袋をですか? 編み物を練習なのも赤鹿車も話題作りですが、あの手袋をですか?」
「年末年始のお祭りでまた探します」
あとは何だろう。何かあるかな?
「それに金平糖を持っていくとええです。祝言3日以内に一緒に金平糖を食べると永遠に結ばれる験担ぎなのでお餅と一緒に食べるとええです。3日を越えても2人で食べるのは夫婦円満の験担ぎです」
「金平糖にそのような逸話があるとは知りませんでした。鬼祓いや招福といいますけど地域によっては他にもあるのですね。恋愛が風流ならお相手と食べられるので、入内のご挨拶にそちらの説明と龍歌を添えて配ってみるか検討します。金平糖は茶箱を使った茶会や茶箱付き花月で使いますし」
ルシーに続きキティ、ムーランも頷く。エイラ達も知らなかったけどヨハネは知っている風だった。ロイはヨハネに聞いたのかな?
茶箱? お茶の箱?
茶会は茶道の会だ。つまり義母に聞けば分かる。
「はい。旦那様が教えてくれました」
「手袋は貸していただくだけで結構です。見せびらかしと言われては困りますし、最先端をいただくなど出来ません」
ルシーに露天風呂へ行きませんか? と言われて全員で移動。ルシーの母親は私達を見ると「内風呂を楽しみます」と去った。
娘が庶民と交流することを望んでいるからなのだろう。いや娘が望んでいるから叶えてあげたいの方だ。
露天風呂は裸で小さな庭を歩き、小さな川に架けられた赤い橋を渡った先にあった。登り道。
細い竹製の塀に囲まれていて牡丹の花壇に囲まれていて、別館の受付部屋にあった長椅子に傘もある。
それでつくばいがあって、カコンと竹が音を立てた。
上を見れば青空で、川の流れる音が聞こえる。
塀の1箇所だけは石造りで塀の手前に階段があって登れる。屋根の下で屋根と塀の隙間は顔の半分くらい。
内風呂でぽかぽかなので露天風呂に入らずに乗ってみた。
「川ですね……」
「うわあああ、すぐ近くに川や街並み。この景色は宿屋ユルルでは見られません」
ルシーの感嘆の声に私達も頷く。
橋に建物に観光客は見えるし左手側にはエドゥ岩山。
右側には川が曲がって建物があってお出迎え広場は見えないけど、入ってきた大きな門は見られる、
「船がいます」
屋根付きの数人乗りの船が浮かんでいる。
「あちらは観光船です。昼頃から夜にかけて数隻運航します。上から下ってきてこの辺りまでです。綱が繋がっていて巻き上げて元の位置に戻すそうです」
「明日お父様達と乗る予定です。隣の旅館の名物らしいですがお父様が頼んでくれました」
ということは宿屋無限塔。御三家すごい。
目の前の川はお出迎え広場へ続く川な気がする。塀の下は石垣でその上に何かで使ったトゲだらけ。この下だけではなくて左右に結構続いていて終わりは川。
この街には川が水路みたいに枝分かれして整備されている。
塀の外側は細い竹製の塀になっていて、先の鋭い小さな屋根?——四方に鍼みたいになっている——もある。
つまり簡単には登れない。無理そうだけど無理矢理登ってもこの隙間では入れない。
最悪中の最悪で裸を見られても襲われるとかは無さそう。
それで観光客からは目元くらいしか見えない。
遠いし楽しんでいて気がつきもしないだろう。
後ろを向いたら石で造られたお風呂で、そのお湯は温泉水路らしきところから水車で汲み上げられて、岩の上から小さな滝みたいに流れている。
お風呂の周りは白い石で埋められている。
内風呂よりさらに皇女様気分だここは。華やぎ屋本館は絶対に庶民の宿ではない。
いざ露天風呂!
ふあああああ、空気が冷たかった分お湯が気持ちええ。なんかもう贅沢過ぎて溶けるかも。
その後私達はキティのお見合い成功に向けて意見を出し合った。
それからルシーは皇女ソアレ様の暮らす春霞の屋敷というところで暮らし、ソアレ様や他の皇居の偉い女性達のお世話係やソアレ様の公務を手伝うことも教わった。女官吏というそうだ。
ソアレ様はルシー曰く「天女のように美しい方」で血の縁が遠めの皇族と婚姻予定だけど誰かまだ決まらないらしい。
ルシーから皇居での、皇族以外の官吏達の恋愛の始まりを学んだ。
殿方に顔を見せない文化なので仕事振りや女性同士の噂で気にしてもらい、龍歌を贈られるのを待ち、龍歌の贈り合いを含む文通後に夜這いされるという。
その日にいたしてしまう人もいるし、3日目の結納餅祝いまで避ける人もいたり色々。
既婚の場合は3日3晩連続して会わないし餅も食べない。不倫も風流。しかし何人も同時は逆で悪評になる。
結婚相手と睦まじいのは風流だけど、政治や家の為に結婚することが多いから不倫相手1名は恋人として許されて風流らしい。
夫がかまってくれないので恋人を作り、彼等が夜鉢合わせたら龍歌で競わせどちらが素敵か決めることもあるとか。
ルシーは「姉上女官吏を奪い合う殿方がいて、龍歌競争になったら私もそのように審判員に加わるのかしら?」と面白そうに笑った。
下っ端女官吏はお屋敷の主の評判上げや姉上女官吏がモテモテになるように根回し噂流しをするのも仕事らしい。
色々と衝撃的な世界。
やがてカランカラーン、カランカラーンと15時の鐘が鳴った。