ジュリーと再会
宿屋ユルル。華やぎ屋と違って質素な門。木そのままという屋根や柱で暖簾もない。光苔の灯籠に「宿屋ユルル」の文字が浮かんでいる。
あとは石垣の塀にエドゥ連々々滝に咲いていた百合があちこちに咲いている。他は木々で建物は何も見えない。兵官の見張りがいる。
あっ、ジュリーの家族。服は平家の旅装束と似ている。でも質が少し良さそうなのと新しいので平家だったらそこそこお金持ちという雰囲気。連々々観光で見かけた人達と似ている格好。
付き人が増えている。元からいた男性に加えて女性2人。
ジュリーと男の子は赤鹿みたいな白と赤のお面をつけている。お出迎え広場で見かけたお面だ。
ヴィトニルやレージングのお面と同じで口元は見える。ジュリーの唇は少し大きく桃色でぷっくり艶々。
女性の私がゴクリと喉を鳴らしてしまったので……と見たらロイの鼻が少し伸びて見えた。軽く体当たり。でもあれは仕方ない。
「あら、そちらの方々は赤鹿小屋でお会いしたご夫婦でございますね」
またジュリーに話しかけられた!
ジュリーが近寄ってくる!
ロイは会釈をして私と手を離して、距離を空けた。それからロイは木刀を抜いて土の上に立てその上に両手を乗せた。
「はい」
「あら、華族の方ではなく卿家や上兵の方ですか。日々ご苦労様でございます。同じ赤鹿車でしたが別のお宿へご宿泊です?」
ジュリーは軽くロイに会釈をして私を見下ろした。ロイと私の中間くらいの背の高さだ。
「はい。華やぎ屋という庶民も相手にしてくださるお宿に泊まります」
緊張。祝言の日みたい。ロイに迷惑をかけてはいけないので機嫌を損ねないようにしないと。
でもこのジュリーは「不躾者!」みたいな事を言いそうな雰囲気は感じない。
私が卿家の嫁になってあれこれ珍しかったように、彼女もあれこれ珍しいという様子。
「そうですか。それでしたらなぜ赤鹿車に乗ることが出来たのでしょうか」
「こちらの宿屋ユルルさんの関係者の方とたまたま旅の途中で会って、大変親切なことに空いていたら相乗りどうぞと。旦那様が被災活動の方へ親切にしたのを見てくれていたそうです。空いていても出発するからと」
私はロイの評判を上げられなくても下げないぞ。出来れば評価を上げる。
緊張しているけど燃えてきた。褒めちぎるのはよくない気がするけど事実は伝える。
「卿家や上兵の方でしたら大出世したらお得意様になるかもしれないですし、そうでなくても上司の方々へこのお宿の評判が広まりますからね」
「私達もそう思ってご好意に甘えました。おかげさまで早く到着して観光出来ています」
「ではこちらへは御三家を一目見ておこうということでしょうか?」
「はい。華やぎ屋さんとの共同手形で頼める有料大浴場を楽しみにきました。お礼にもなるし自分達も楽しめます。少し見学出来る場所もあると聞いてそちらも観ます」
ふーん、と言うようにジュリーは私を上から下まで眺めた。こんなに緊張しながら喋るのは大変だからと張り切り過ぎて喋り過ぎた?
私の頑張りは空回りかもしれない。手汗がすごい。
「お父様、この方々が全ての庭園と大浴場を利用出来るように手配をお願い致します」
「分かった。今回は家族最後の旅行だから、余程のことでなければ好きにしなさい」
そうなの?
もしやジュリーは妃がねになってこれから皇族から初指南で上手くいけば嫁ぐから?
失敗でも基本的には後宮に入り、皇族のお手がつくのを待ちながら皇居で格上の人達の世話係。
まだ調べ途中だけど、私はお芝居を観てから勉強している。単に知らない世界が気になるから。
この旅はこんなのばっかり。また誰かに親切にしないとバチが当たる。
「代わりに奥様。貴方様の夫にその華やぎ屋へ一筆書くようにお願いしていただいてもよろしいでしょうか? 私はそちらの格好で観光をしたいです。それでそちらのハイカラな手袋もお借りしたいです。お宿へお返しします」
「はい」
少し悩む。手袋は義父からの贈り物。宝物。貸してもよいけどあげるのは嫌。
ジュリーが失くしたら義父に観光で浮かれて失くしてすみませんと謝るしかない。
「それから衣装を返す際にせっかくなので華やぎ屋さんの大浴場を見学か入浴したい旨もお願い致します。共同手形の説明はされましたが興味ありませんでした。しかしそのような貸衣装があるとは気になります」
そっか。御三家の客は格下の宿を気にしたりしないか。でも華やぎ屋はこの貸衣装でその気にさせた。
宿屋ユルルは護身のために旅装束だけを用意しているのかも。
「失礼致します。旦那様、少々ご説明を」
無表情でしかも少しビクビクした様子のロイがジュリーの父親に声を掛けた。身分証明書も提示している。
そりゃあそうだ。下手したらクビが飛ぶ。私もロイの足を引っ張らないぞ。
「お時間を合わせられるなら華やぎ屋でご一緒に入浴をどうですか? 庶民、いえ中流の方々の奥様の生活に興味があります。代わりに皇族皇居や私の家のお話を少しくらいは出来ます」
「はい。ロメルとジュリーというお芝居を観てから興味津々です。辞書片手に紅葉草子と格闘して難しくて、今は義母から基礎知識を学んでいます」
「ロメルとジュリー! 私も観ました」
「こちらのご夫婦が夕食時間を変更して入浴時間も合わせてくださるそうだ。いっそ先に華やぎ屋へ行って一緒に見学や入浴をしていただいたらどうだ。ユルルさんにこちらのご夫婦が共同手形の時間外でも利用出来るように頼んでおく」
私とロイに決定権はない。予定変更。
人力車は乗り放題なのでまあ問題ない。華やぎ屋でジュリーとお風呂に入り、その後御三家観光で夕食には戻り、また残りの御三家観光と宿屋ユルルで入浴。
しかも見学、入浴出来る場所が広がった。何も問題なさそう。
いや、途中で怒らせないかが問題だ。
「すみません。娘は入内前で今後は中々自由に動けませんのでお付き合いしいただきたいです」
入内。皇居後宮へ入り暮らすこと。このジュリーはやはりジュリーだ。
「滅相もございません。大変光栄でございます。さらには宿屋ユルルさんへ働きかけなどこのような幸運なことはありません」
このロイはきっとお仕事本気顔。キリッとしたほぼ無表情。また新しい一面を知った。
「お父上、それでしたら自分はお姉様が入浴中にお出迎え広場へ行きたいです。お姉様には危ない広場と申しておりましたけどお姉様不在ならよいですよね? あの滝よりも下の滝裏でびしょ濡れになったり、近くの庶民のお風呂に入ってみたいです。いっそ泥風呂です。入浴となればお母様やお姉様とは離れ離れです」
「ふむ。いいだろう。こちらのお父上は南地区の煌護省にお勤めだ。この方から頼んでもらえば護衛を増やせる。しばし別行動でもよいだろう」
これはもうロイは仕事だ。ジュリーの父は権力、ロイは職権濫用というやつ。
……それって私とロイも離れ離れ?
「それでは奥様。妻と娘をよろしくお願い致します。1時間半程度で華やぎ屋へ迎えに行きます」
やはりロイと離れ離れ。代わりにロイの仕事によい影響と宿屋ユルルの夜観光や夜入浴。
この結果は良いのか悪いのかまだ分からない。
ロイが私に近寄ってきてジュリーに一礼し、私を少し離れた場所へ連れて行った。
「一筆書きました。銀行関係の財閥の方です。女将さんか旦那さんに渡して下さい。リルさんにも一応教えます。費用が発生したら宿屋ユルルへ。特別室花の間のお客様だそうです」
特別室花の間とはすごそうな響き。
「はい。ロイさんに内助の功をします」
「怒らせてもまだどうにかなりそうな相手です。これが上級公務員の華族の方だともっと大変です。穏やかそうなお嬢様ですし、卿家と揉めに揉めると入内取消などありますからこちらが悪さしなければ何もせんでしょう」
珍しく早口。
「父が存命で良かったです。自分だけだと何かあったら一巻の終わりです」
卿家と揉めに揉めたら、は義父が平均並に出世していて横だか縦の繋がりがあるからだろう。
「リルさん、乗り放題を頼んでおいて良かったですね。夜に宿屋ユルルの庭や温泉です。その為に接待してきます」
「はい。私も接待してきます。ロイさんの職場の方々へもまだなのにめまいがしますが、ジュリーは穏やかで優しそうなので大丈夫な気がします」
よし、と作戦会議終了。
ジュリー母と女付き人、ジュリーと女付き人、私と男だ付き人兵の組み合わせで待機していた人力車オオワシ屋に乗り、華やぎ屋へ出発。
私とロイは人力車オオワシ屋の乗り放題札も入手してしまった。