7話
ルーベル家に嫁いで2日目は義母とご近所の奥さん達に挨拶回り。紅白饅頭を配った。
かめ屋で花嫁修行中に作ったツルとかめのハンコを朱色の墨で熨斗に押した。
それから土曜日まではあまり特に変化のない日々。5時に起きて家事全般。時間が余るのでお勉強。それから夜寝る前のお勤め。
火曜日と木曜日の夜は、ロイは仕事後に剣術道場へ行くので帰宅が遅くなる。同じ日に義父も仕事後に将棋館へ行く。
義母は水曜日の午後、かめ屋で行われる茶道教室へ行く。
忘れないように暦表に印をつけてある。
栗は素晴らしく美味しかった。栗ご飯と栗の甘露煮。甘露煮は料理なのにお菓子みたい。
甘露煮はお裾分けのお礼でトイング家へいったので減ってしまった。でもロイが「初めて食べるならどうぞ」と分けてくれた。やはりとっても優しい人。
トイング家へのお礼は甘露煮だけではなく、作って良いと言われた天ぷらと、金平糖を父の作った竹細工の大きめの弁当箱に詰めたものも渡した。
金曜日、来週からは家回りの掃除をして良いと義母に言われた。
かめ屋で「恥ずかしくない嫁と思われたら家の外のことも頼まれる」と教わったけど、早くてびっくり。義母は嫁に甘々みたい。
土曜日は義父もロイも半日出勤。曜日感覚というものにまだ慣れなくて、お弁当を作ってしまった。
怒られず「それなら」と義父は仕事後に義母とお出掛けすることになった。
義母がお昼にお弁当を持って職場へ行って、2人で公園や街を散策。天気が良いから公園でお弁当は気持ち良さそうと言っていた。怒られるどころか気を遣われたみたい。
昨日と同じように義父、ロイの順にお見送り。義父の方が早く出る。
一昨日から義母は「ロイは任せます」とロイのお見送りには来なくなった。
ロイに帽子と羽織を渡して、3つ指ついてご挨拶。
「リルさん」
「はい」
「昼飯は要りません」
「はい」
「自分達も出掛けましょう。外で待ち合わせはリルさんが迷うといけないので、1度帰宅します」
「はい」
お出掛け。お昼を食べずにどこへ?
義母に話したら「外食でしょう」と言われた。義父母は必要なかったお弁当を持って散策。息子夫婦は贅沢な外食? いいの?
今朝義父が持っていかなかったお弁当を、義母が昼に持って出掛けるので、慌てて中身を少し増やしたり配置を変えた。
「リルさん。午後出掛けるなら、家のことはどうします? 午前中に何をするの?」
「お義父さんやお義母さんがいつ帰宅しても良いように、夕飯の支度とお風呂の準備を先にしておきます。昼食が無くなって余ったご飯を夕食にします。今夜の夕食のご飯はお茶漬けにします」
「それで良いです。夕飯前に帰宅でしょうけど、その方が気楽でしょう」
「洗濯物は乾かなかったら、2階に部屋干しします」
「そう。お願いします」
お昼の支度がないから、通常の家事は何も問題ないだろう。
「明日は長屋で宴会なので、掃除は昨日までに細かいところまでしました。残りと午後の分を午前中に済ませます」
これが大変。いつもみたいに遅いと間に合わないかもしれない。お出掛けなんて予想外だ。
「いいえ。毎日少しずつ前倒しにしていましたからね。今日と明日くらい何もしなくてもこの家は綺麗です。リルさん、少し来なさい」
「はい」
義母に2階に連れて行かれた。足が大変そうなのでお手伝い。義母は衣装部屋の桐箪笥の1番下の引き出しを開けた。
「若い頃の着物をね、いくつか取ってあるの」
出てきたのは白地に紅葉柄の小紋、薄い黄色い生地にぶどう柄にリスがいる小紋、それから薄紫色の生地に桔梗柄。
「思い入れのないものは人にあげてしまったから秋物はこのくらい。どう?」
「お義母さんに似合う、素敵な着物ばかりですね。染み抜きや繕い直し方はかめ屋で教わりましたけど、最初は見張って欲しいです。今日着るのはどれで、出掛けるまでにどこを直せば良いですか?」
「何をぼんやりしたことを言ってるんです。リルさんが今日着るのはどれだと聞いているんですよ」
私⁈
「このような若者の柄はもう似合いません。あなた、どうせお出掛け着なんて持っていないでしょう」
「はい。すみません」
お出掛けにはお出掛け着なのか。家着が良い着物なのでそんなこと考えなかった。
お出掛け着なんて買おうにもお金を持っていないので買えない。
「謝るのはロイですよ。自分が嫁の何もかもを用立てますと言うたのに、嫁入り道具にないと思っていたんですよ。うちの嫁を家着で連れ歩こうなど恥ずかしい。これだから男はダメだわ」
「すみません。何も考えず、恥ずかしいまま出掛けようとしていました」
「そうでしょうね。長屋娘にはその家着も一張羅でしょう。さあさあ、今日はどれにします? 自分で選んで決めなさい」
義母は立ち上がり、帯は……と別の引き出しを開け始めた。
(紅葉柄。きれいでかわゆい。ぶどう柄……リスがいる。すごくかわゆい。それから桔梗柄。きれいでかわゆい……。選べるのか。すごい)
「お借りするなら……」
「貸すなんて言うてませんよ。冬になったら、冬の着物や帯を譲るか考えます。袴もまだです」
はい、と帯を2つ渡された。どちらも裏と表の色が違って柄も異なる。青系と赤系。お洒落な半幅帯。
結婚前まで使っていた、母のお下がりの帯と全然違う。柄は身分格差、お金の差として、古さは同じくらいだろうけど新品みたいにきれい。
これはきっと大事な物。物はなんでも大切にするべきだけど、より大切にしないといけない。
「この1番下の引き出しをリルさんのお出掛け着と帯入れにしますから、今日使わないものはここに全部しまいなさい。それで次からは自分で着替えなさい」
貸さない。譲る。小紋3着に半幅帯2つ。衝撃的な話。
ん? 冬になったら、冬の着物を譲るか考えます?
思い入れのある着物をさらに譲ってくれるの?
袴もまだって、袴もくれるの? 袴なんて小紋以上に贅沢品だ。
「はい。ご親切にありがとうございます」
「帯揚げや帯紐なんかの小物はロイに買ってもらいなさい。譲れるような小物はまだありませんからね」
「いえ、こんなに素晴らしい……」
「ルーベル家は貧乏で嫁は小物も買えない。親ばかり着飾って、などと噂されたら恥ずかしいから、買ってもらうんですよ」
そうなのか。
「はい」
「化粧や髪もしっかり着物に負けないようになさい」
「はい」
そう告げると、義母は衣装部屋から出て行った。
(恥ずかしいのか。買ってもらう……。ロイさんになんて言えばいいの? 頼むなんて難しい)
これが噂の嫁姑問題? 姑と夫の板挟みというやつ?
でも優しい義母だ。着物も帯もくれて、家着で出掛けて恥をかく前に教えてくれた。
しかし難題だ。旦那様、小物を買って下さいとは大変言い辛い。
そして問題がもう1つある。髪だ。かめ屋で卿家の日常生活の髪型はいくつか教わったけど、お出掛け着に相応しい髪型って何⁈
着物選び、髪、化粧。家事を急がないと時間が足りなそう。
(大変、大変)
洗濯、布団干し、朝食の食器の洗い物、家の前を掃除、お風呂の掃除と準備、夕飯の支度、水汲み、掃除も少し……カンと12時の鐘の音!
「リルさん、私は出掛けますよ。そろそろ支度しないと間に合わないんじゃない?」
「はい。ありがとうございます。行ってらっしゃいませ」
玄関までお見送り。しゃがもうとしたら首を横に振られた。
「私にまで3つ指つかなくてよろしい。お父さんもロイも機嫌が良さそうだから放置していますけど、うちは卿家。華族ではありませんよ」
ピシャリ、と玄関扉が閉められた。
(間違っていたのか……。怒られ……てない?)
首を捻る。玄関扉を閉める勢いは強かった。でも怒っている感じではなかった。それに義父とロイは機嫌が良さそうということは、続けた方が良い……はず?
(考えるより着替え、きが……その前に髪と化粧!)
衣装部屋に置いてある嫁入り道具箱から髪結の道具や化粧箱を出す。それからクシに手鏡。どこかに立てかけ……。
(鏡台は使って良いの?)
義母の鏡台は1回の寝室にある。衣装箪笥の隣。この部屋にも鏡台がある。カバーがかけられている。3日前に掃除した。
(聞くのを忘れた。今度聞こう)
壁に嫁入り道具箱を寄せて、その上に使う物を並べる。丸い形の手鏡は、バランスを取るのが大変。
(お出掛けに相応しい髪……は後日勉強。結納の日に近い……無理そうだからあれだ。教わったけど邪魔そうだからしていない玉結び)
記憶を呼び覚まして髪を結う。化粧もする。かめ屋で教わった通りだけど、勿体無いから白粉も紅も薄くした。
(顔も地味だから地味……。顔はどうにもならないとして、この髪型、家着用だもんね。着物に負けてる)
! っと思い出して、嫁入り道具箱から大切な箱を取り出した。上に乗せていた物は隣に並べる。
(宝物の簪! 落として失くしたくないけどこれしかない!)
青鬼灯の簪に触るのは結納の日以来。
カン、カンと13時の鐘の音。
(ロイさんが帰って来る!)
着物を選んで……端から順番に使おう。今日は桔梗柄に青系の七宝柄の半幅帯。使わない着物と帯を丁寧に畳んでタンスにしまう。
襦袢姿になったとき、ガラガラという玄関扉が開く音が微かに聞こえた。
「ただいま帰りました」
(お出迎え! この格好はハレンチ! お出迎え! その前に着替え! でもお出迎え!)
打ち掛けみたいに着物を羽織ってお出迎えだ!
階段を降りて玄関に向かったらロイはもういなかった。
「リルさん」
「はい」
声の方向は庭の方の廊下。向かったけどいない。
「リルさん」
「はい」
今度は居間……いない。
「リルさん」
「はい」
トントン、と階段を登りかけた足音がして、戻ってきた。階段に向かったら、廊下で会えた。
「旦那様、おかえりなさいませ」
帽子も羽織もない。玄関の衣服掛けに掛けたのだろう。お出迎え失敗。でもまだだ。鞄は預かれる。
「リルさん、その着物は?」
「お出掛け着をどうぞとお義母さんが譲って下さいました」
「母上が? それを?」
「はい。もたもた支度してすみません」
「いえ。母上が、そうですか」
ロイはしげしげと私を上から下まで眺めた。
「今日はリルさんの着物を買いに呉服屋へ行こうと思っていました」
「私の着物ですか?」
本日の衝撃的な話、2回目。と、なるとお出掛けはなくなるのか。
「母上は何て言うてました?」
ロイは、男は気が利かないとは言えない。
「出掛ける前に支度は? と聞かれて、このままではいけませんか? と答えたら、せっかくならと親切に着物を譲って下さいました」
「そうですか。母上がその着物を」
ロイが嬉しそうに微笑んだ。義母は息子が喜ぶと見越して私にお出掛け着を譲ってくれた?
「それなら小物屋に行きましょう。呉服屋の後に小物屋と思っていました。着替え終わるのを部屋で待ちます」
お出掛けするのか! それも私の買い物。衝撃的な話、3回目。
「急ぎます」
鞄を受け取ろうとしたら、抱き寄せられた。それでキス。突然のキスでビックリ。
「リルさん、ただいま」
「おかえりなさいませ」
5回キスすると、ロイは私から離れて先に階段を上がっていった。結局、鞄を受け取れず。




