声をかける
まずは華やぎ屋近くの人力車タカ屋と契約。四角い札を失くしたらまた買わないといけないので注意。
鍛えているのだろう。坂道をずんずん登って街の説明もしてくれる。
「地獄蒸し体験小屋は珍しいし楽しいですけど割高ですので、嫌でなければ迷っている平家っぽい方達に声を掛けてみてください。あそこは人数ではなく蒸所1つごとに支払うので大勢の方が安く済みます。さらに安くするには食材を持ち込むという手もあります。食材を買える道を通りますので眺めて下さい」
「そうですか。ご親切にありがとうございます」
「まあ、うちの実家がある通りなんですけどね! 食材込みが売れなくなると地獄蒸し体験小屋の方達に叱られます! 平家の方々にもこの街を楽しんでもらいたいです。いつ大出世するか分かりませんからね! あっはっは!」
私は久々にニックを思い出した。お喋りニックと同じ豪快な笑い方。でもニックとは違う。
客商売だからこちらの反応も少し待ってくれるから会話になる。
そう言う考察を言わないでおくか、少しヤキモチを妬いてもらうかわずかに悩む。自分がされたら嫌だからやめた。
花街で初夜の練習をしたとかそういう話をされたら、お弁当抜きかお弁当をおまんじゅうにして許さない。
唐辛子で逆襲されたら大喧嘩になる。黙ってよう。
「私は平家出身です。帰ったらお喋りな母にお土産話をします」
「そうですか! それは是非! この街は観光で潤っていますからよいお客様は皆副神様です!」
「華やぎ屋は平家も相手にしてくれて、この街は無料の足湯もあるし、浮いたお金で人力車に乗るとええと言います」
「あっはっはっ! 副神様みたいな奥様。旦那様には龍神王様の加護があるでしょう!」
お世辞と分かっていても嬉しくなる。この街は龍神王様がうっかりよろめいてエドゥ山の半分だけ削ってしまって、ごめんごめんと温泉が沸くようにしたらしい。
古い古い、うんと古い時代のどこかの世界にエド、という名前の都があったとかなかったとか。
アールは分かりません。雑な逸話ですねと3人で笑い合った。
こうして上温泉広場に到着。すごい人。活気に満ち溢れている。
川はお出迎え広場より少し狭い。橋もかかっているけど、飛び乗っていける石が並ぶところもある。楽しそう。川の流れは激しくないし、石の間隔からして歩けそう。
「リルさん足湯は後でと思っても、こう沢山あると目移りしますね」
「はい」
「小さいリスは川に落ちるので橋の上だけですよ。この川は浅くなさそうです」
「あそこを渡ってみたいって顔に描いてありました?」
「ええ。危険なことは禁止です。1人息子なので父上母上を残して死ぬわけにはいきません。リルさんが落ちたら助けに行って溺れるかもしれません」
「そうでした。私はもう長屋の独身娘ではないです」
「ええ」
川沿いに足湯出来るがあちこちある。屋根しかないところ、椅子があるところ。何にもないところ。どこも入り放題。受付とか何もない。
老若男女、身なりが良い人も悪い人も楽しそうに、幸せそうに足湯している。道に寝そべっている人もいる。
食べ歩きというか座り、寝っころ食べしている人達に目移り。
恥ずかしいことに褌姿のよく日焼けした若い男性が「足湯は風呂にしてはいけない! 規則を守りなさい!」と兵官に怒られている。
父、兄、ロイ以外のほぼ裸は初めて。兄は特に筋骨隆々なんだなと改めて感じた。
「リルさん何見惚れてるんですか」
不機嫌そうなロイの視線は、はだける寸前まで首や胸元を拭く若い女性。そうな気がするだけ。気のせいかも。単なるヤキモチ。
「ロイさんもどこ見てるんですか。私は怒られているなと思って見ていただけです」
ここでは名前呼びでよいだろう。誰も気にしない。
そこそこ鍛えているロイよりすごい、兄みたいな腹筋で格好良いな、とほんの少し考えたのは秘密。
「自分も単にリスの胴より小さいなと思っただけです」
やはり見ていたのか。ムカッ。
「これだけ人がいるからはぐれないようにしましょう」
手を握られたので機嫌を直した。
楽しい観光は楽しまないと。ヤキモチを妬いてる場合じゃない。
「ロイさん、まずは地獄蒸し体験小屋を確認してどうするかですよね? 確か橋を渡って登る」
「そうです。それで右手側の、あそこでしょう。湯気がうんと立ち昇っています」
おおー、と2人で感嘆の声を出して歩き出した。
「父ちゃん残念だったね。地獄蒸し体験高くて」
「体験料はまあよかだけど、盛り合わせがなあ。もう少し安かったらよかだったんだけど。安い宿を見つけたら行けるか?」
「そうねあんた。観光しながら宿巡り。必ず上温泉広場へ行った方がよかーと聞いていたけど、お出迎え広場より相場が高いわあ。足湯は断然ここだけど。並べば膝までの蒸し温泉が無料なんて面白かったねえ」
ん?
通り過ぎた3人家族の会話に私とロイは顔を見合わせた。
私達より年上の、明らかに平家の3人家族。男の子はルルやレイくらいの年齢。
「そちらの方すみません!」
ロイが声を掛けて2人で小走り。私達の格好を見て目を丸くしている。
「はい。ぶつかりましたか? そうでしたらすみません」
父親が妻と子どもを少し後ろへ下げる。ロイは無表情。人見知り発動中。向こうもこちらを警戒中。ロイが頑張るんだから私も励まねば。
「いえ、お願いがあって声を掛けました。これから地獄蒸し体験小屋へ行くんですが5、6名だと割安だと聞きまして。食材も商店通りで買うと安く済むそうです」
私は彼女は嫁仲間! とロイの手をギュッと握りながら、ドキドキしながら声を出した。
「あの、それは自分達と一緒にということですか?」
「そちらの予算が合えばです。2家族なので5銅貨ずつ。盛り合わせは高いけど、体験だけ頼んで持ち込み、通りで安い野菜を少し、1つだけ買っても楽しめると人力車の方に教わりました。宿代を奮発したので節約したくて」
ロイがまた頑張った。私も続くぞ。
「怪しい者ではありません。お祝いで宿代を奮発しましたが普段はキノコを採ってきたり釣りに行ったり節約しています」
家族3人が顔を見合わせる。迷っているというか戸惑っている。
「いえあの、誠にありがたいお話ですがなぜ自分達なんでしょうか?」
「たまたまです。安かったら地獄蒸し体験をしたかったみたいな会話がたまたま聞こえまして」
「はい。たまたまです」
「父ちゃん行こうよ! 行かないの? こんなよかなこと断るの?」
男の子がキラキラした目をして笑ってる。これは気分がええ。自分達も安くなるのに感謝される。
それで私達は歩きながら自己紹介。お互いの安心の為に身分証明書も見せ合った。
彼等は北4区の長屋住まい。夫は火消し。妻は運び屋。ユアン、ラン夫婦に男の子はティエンで9歳。
少し遅くなったけど、ティエンの半元服祝いの旅行と教えてくれた。
「火消しですか。ここへ来る途中に雷で壊れた店があって、その火災から怪力の火消しが次々人助けをしたそうです。だから副神様があなた達に声を掛けるように自分達とすれ違うようにしたのでしょう」
「沢山の人が火消し達に感謝していました」
ロイも私もユアンを褒め称えた。火消しはどこの人達にとっても英雄。
火事以外でも事故や災害などで活躍している。なのに下級公務員。大金持ちにはなれないらしい。詳しくは知らない。
でも絶対に食いっぱぐれない。地元で大切にされるから。兄は兵官か火消しだと鍛えて勉強していた。だから少しだけ知識がある。下級公務員ってだけだけど。
火消しは火消し家系だと思っていたので、試験があるとか公務員だとか、兄に教わるまで知らなかった。
「ティエン君、君のお父上は立派です」
ロイがティエンに微笑みかけた。子どもの方が人見知りしないみたい。
「うん! 父ちゃんは凄いんだぜ!」
「こらっ! 卿家の偉い方には凄いですと言いなさい。すみません」
「きょうか? って何?」
「ここでは皆同じ観光客ですから気にしないで下さい。ティエン君、父ちゃんはどう凄いんだ?」
そこからティエンはロイに懐いた。というか自慢の父ちゃん話炸裂。
ロイはずっと相槌をうったり、ユアンを褒めている。後で接待みたいとボヤくかも。でもユアンと喋るよりニコニコしているからボヤかないかな。楽しそうに見える。
「卿家の方もキノコ採りなんてするんですね」
「節約は大切です。浮いたお金で別の料理を作りたいので採れるものは採ってきます」
「凡民と変わらんのですね」
「私は凡民から嫁になりました。驚くことは沢山ありますけど似てるところも沢山あります。この髪飾りも帯揚げです。お洒落も節約しながらです」
楽しい。郵便代を払わせられないから文通は無理でも、いっときの嫁仲間が増えた。
「まあ帯揚げですか。着物の端切れでもよかですね」
「はい。南3区での流行です。そう言えば北4区できっとハイカラと呼ばれます」
「奥様くらいの歳の方だと、うちの地区はこう、半幅帯を折って使ったり、袴を穿いて大きなリボンで1つ結びが流行っています。最近袴の古着が増えて私もします」
「それはええこと聞きました」
笑い合っていたら地獄蒸し体験小屋へ到着。
ここは温泉の湯気で食べ物をなんでも蒸し料理に出来るところ。係の人が手伝ってくれて蒸して、好きなところで食べられる。
味付けは塩か醤油でそれは体験料に入っている。使い放題ではない。
このためにちゃんとカゴの中にお弁当箱を入れてきた。まずは予約。ロイとティエンがしてきた。ティエンはロイと手を繋いで時折ぴょんぴょん跳ねる。あれはまるでルル達だな。
次は教わった商店通りで買い物へ行く。
勇気を出して、これから行く商店通りで値切るしかない!
地獄蒸しは別府温泉の思い出です




