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赤鹿小屋

 赤鹿車は毎日1日1回朝9時に北1区から農村区へ出たところの指定位置と、宿屋ユルルの小屋から2方向から出発する。6人乗りが2台。合計4台。

 ユルルは龍神王一族が暮らすというユルルングル山脈のユルル。

 宿屋ユルルの若旦那若女将を従兄弟に持つアデルは東1区の宿屋春風亭の料理人。宿屋春風亭は宿屋ユルルの大旦那の弟が開いた小料理屋が成長したお店。


 私とロイは海苔巻きを確保。アデルはもう朝食の握り飯を買っていたので、手土産もちもち白饅頭を箱で買ってアデルに渡した。私の分も1つ買ってお弁当の中。

 農村区に入ったばかりのところは南3区に少し雰囲気が似ていた。

 道は広い。建物は木造。ただ屋根がかなりとんがっていて平家で広い建物ばかりに見える。

 牛も馬も荷馬車も人も沢山。長屋育ちみたいな格好の人が行き交う。家の中でしか本来着ないはずのどてらを着ている。

 足元はセレナのブーツみたいになっている。草鞋に草鞋みたいに脛当てを編んで手拭いを巻いたり、そもそも草鞋ブーツみたいになっていたり面白い。南区より少し寒いからだろう。

 行交(ぎょうこう)道みたいに馬に乗った警兵がいた。ここも兵官ではなく警兵の管轄みたい。


「ロイさん、リルさん、この辺りは全部倉庫です。こちらです」

「はい」


 ロイは押し問答の末アデルが手で持つ鞄を運んでいる。

 それでこういう背負い鞄はええですね、と言われて「南3区6番地にあるそこそこ大きい竹細工店で買いました」としれっと答えた。宣伝だ。

 やがて小屋に着き、私とロイは小屋前の長椅子に腰掛けた。時間が早いからか、お客さんがいないのか誰もいない。


「旦那様、後でアデルさんに片栗料理の本を見せましょう」

「それがええです。昨日諦めた農村地区を見られますね。これはきっと次の旅行は宿屋ユルルか春風亭へと言うことです」

「宣伝でもええです。旦那様も知らない赤鹿車なんてうんと珍しいです」

「ええ。ヨハネさんに話したらお姉さんの嫁がれた華族、そこからまた別の家へと伝わるのでそれですね。華族の方はもう知っているかもしれませんけど」


 ヨハネが華族に近いってそういうこと。男3人兄弟ではなくて姉もいたのか。しばらくするとアデルが戻ってきた。


「今日の行きの馬車は自分達と5名様一行でした。なので自分と相乗り出来ます」

「重ね重ねありがとうございます」

「お話したようにスカスカでもどうせ向かうんですからええんですよ」


 元々空いていたら、と聞いていた。空いてて幸運。これはきっと宣伝しろということだ。

 それか自分達がいつか泊まる。凄そうな宿だけど泊まれる?


「華やぎ屋さんのお客様なら何にも問題ないですけど一応身分証明書を確認させていただきます、だそうで。ここらはもう見られたと思いますし周りはそんなに変わりません。スリやら喧嘩やら強盗もいるので中へどうぞ」


 それでここで少し見学させてくれたのか。私がキョロキョロしたり、ロイに「屋根がとんがっています」とか言っていたからだろう。


「お気遣いありがとうございます。初めての場所で自分も妻も見るもの全てが珍しくて」

「ええ、ええ。私も初めて東地区へ行った時はそうでした。今でも新しい発見をして胸が躍ります」


 どうぞ、と小屋の中へ案内された。壁側に椅子が6つ。その前に6つ。あと大きな棚がある。大きな火鉢があるから温かい。むしろ熱いくらい。

 換気のためにとんがり屋根についている窓が少し外に開いている。あんな高いところどうやって開けるの? あとああいう形の窓は初めて見た。

 窓が大きいからよく日が入って明るい。


 受付の若いロイくらいの男性——アデルがケビン君と呼んだ——に身分証明書を見せた。私も持ってるけど毎回ロイが見せると終わる。結婚指輪で妻だと分かるから。

 私は密かに花街の女性とか、不倫相手をこっそり連れ歩いたり出来るのではないかと睨んでいる。知識が増えるとこういう余計な推測をしてしまう。

 ケビンが荷物を預かって棚に置いてくれた。笠も預ける。


「ロイさん、リルさん、ケビン君がよければ赤鹿小屋の見学はどうですか? と」


 そんなの「はい、お願いします」しかない。

 汚れないようにどうぞと私に割烹着を貸してくれた。

 受付のあるこの待つ部屋にはいくつか扉があって、その1つの向こう側が赤鹿の暮らす場所だった。

 狭い区切りの中に全部で8頭。1頭は少し小さくて1頭はさらに小さい。かわゆい。皆、角が折られている。少し可哀想。

 働いてもらうのにこんなに狭い部屋。でも仕方ない。世の中は基本弱肉強食。赤鹿は人に捕まってしまった。食べられないで……赤鹿は食べられるの?


「何頭で馬車を引くんです?」

「3頭です。依頼があってこちらの都合がつけば2人乗りで送ることもあります。爪の前だけ金属保護しています。小さいのに力があって岩山に足の裏が引っかかるような微妙な凹凸。餌は魚と野菜です」


 赤鹿は岩山や山で暮らしていて、魚を熊みたいに足でヒュッと獲るらしい。

 お世話係、赤鹿乗りが来てくれたのでお互い自己紹介。ラックスはよしよし、よしよしと赤鹿を撫でたり、抱きついた。


「自分が近くにいればほぼ暴れません。絶対とは言えません。触られます?」


 私が顔を縦に振るとロイは首を横に振った。それから私に向かって首を横に振った。万が一があるなら触るな、という意味だろう。


「そうで……ああ。子赤鹿が寝ました。あれなら安全です」


 思わずサササッとラックスの隣に並んだ。寝てる。足を曲げて首を前に伸ばしてだらーんとしてスヤスヤ寝てる。すこぶるかわゆい。


「黒いところ、角には触らずここを少し上から下にならまず起きません」

「はい」


 ラックスの見本を真似して初赤鹿撫で。……固い。犬猫みたいな毛を想像していた。かわゆい見た目なのに全くかわゆくない毛。

 隣にロイがしゃがんで、私の次に手を伸ばす。ロイはまだ無表情。人見知りか聞き流しか何か。人見知りだろうな。ロイは子赤鹿の頭から鼻筋を撫でると目を丸くした。


「旦那様、固いですよね」

「ええ。犬を想像していました」

「皆さんそう言われます。毛皮にするよりも働かせたい。肉も固くて食べられるところが少ないので働かせたい。そもそも殺気を持って近づいたらもう懐かないです。10年は人の匂いや顔を覚え続けるとか。捕まえるのは一苦労です」


 赤鹿は山で寝泊まりして、何十日、何ヶ月もかけて仲良くなって連れてきて、そこからさらに懐かせて働けるようにすると話してくれた。

 だから高値で売られる。雄雌を捕まえて子を産んでもらって捕まえる手間を省く。

 一部の岩山では昔から赤鹿捕獲師や調教師が活躍しているそうだ。


「日に最低3度散歩。もしくは働かせないと暴れます。お客様をお見送りしたら、このケビンや餌釣りや野菜の買い出しに行っている従業員が子赤鹿2頭をそれぞれ散歩です。2人とも引きずられたり、乗る練習で振り落とされたり、ふざけて蹴られたり子赤鹿のおもちゃです」


 ラックスがケビンの背をパシパシ叩く。彼は苦笑いを浮かべた。

 それでお礼を告げて用意してくれた手拭きで手を拭いて割烹着を返却して待つ部屋へ戻った。

 アデルが窓辺の1番端の席で本を読んでいる。ロイと顔を見合わせて鞄から片栗料理本を出して彼に見せた。私はアデルの隣、その隣にロイが並んで座って片栗料理で盛り上がる。

 アデルは片栗料理をもう知っていて、あれこれ私に教えてくれた。

 フライパンは安い金物屋で特注した方が安く済むと、大きさなどを料理本の最後の空き(ページ)へ書いてくれるという親切さ。


「ご家庭で作っていただくと、本格料理はどうだとかお客様が増えるのでぜひご近所さんに腕を披露したり教えて下さい」

「はい。ありがとうございます」


 そうしていたら5人が入ってきた。

 束帯に似てるけど前は着物みたいな合わせで細めの袴の男性。白い小さめの綿帽子で顔が見えにくい淡い緑に梅柄訪問着の女性。男性と似た服のロカくらいの男の子。

 それから私と同じ垂れ衣笠を被っている女性。笠は黒塗りで平たくて草花模様。肩まである垂れ衣は薄い桃色で飾り布は銀刺繍。

 着物はジュリーだ。桃色の打ち掛け。あの柄は宝尽くしだ。鞠模様が刺繍された赤い袴。白い着物に市松模様の半襟。ジュリーと違って足元は踵部分が高い靴。


 1人は明らかに身分が違う。ロイの旅装束を安くしたような格好で両手に荷物を持っている男性。大きな背負いカゴも見える。つまり華族4名に付き人。

 初上流華族。ロメルとジュリーのお芝居は中央5区で身分証明書と観劇券に申請した手形で入った。

 華族の男性は義父やロイと似た格好で質がさらに良さそうなもの。女性は訪問着や袴が多かった。袴の形も腰、胸下と色々というのを知ったけどこの人達はその人達とは違う、さらに上流の華族だ。


 ジュリーのような妃がね候補や皇居で働く候補の女性は8歳から結婚するまで男性に顔を見せない。結婚してもなるべく隠す。

 3日3晩男性と過ごしてお餅を食べたらそれで結婚となり祝言をあげる。同じ国だけど異文化の世界。

 でも私達と同じように椅子に座った。


「ご機嫌ようございます。そちらの方、愛くるしいものをお手に身につけていらっしゃいますが、そちらはもしや編み物でしょうか?」


 振り返ったジュリーに声をかけられた!

 セレヌと同じように私達と発音が違う。顔を見てみたい。お妃様やお姫様のようにとても美しい気がする。ご利益ありそう。


「はい。そうです」

「編み物を嗜まれているのでしょうか?」

「いえ、買いました。どう編むのか知りません」


 レージングがそのうち毛糸や編み物文化や羊が西から東へ流れてくるだろうとか、セレヌが機会があれば教えると言ってくれた。

 その時は私はうんと彼女達をもてなす。卿家の屋敷を見たことがないし、宿とかお店以外の建物、家の中を知らないからすこぶる興味があるそうだ。


「こう、輪を作って棒で引っ掛けていくのですがとても難しいです。ひたすら平たい反物のようなものを編むのか、と呆れていたらそのような形や模様などが出来るのですね」

「はい。お店に色々な作品や模様がありました」


 いいのかな、と思いながら覆いを外して指が5本に分かれていることと、指先は出ていると見せる。


「お借りしてもよろしいでしょうか?」

「はい」


 ジュリーが私の手袋を触ってる! 見てる!


「お店はどちらです?」

「中央6区です。年末年始の露店で西の国から来たそうです」

「はああああ。お父様、お聞きになりました? ですからお出掛けしたいと申したのです。6日6晩も何かしらの席や会。しかし数時間くらい、せめて1時間だけでも行けたでしょう? このような最先端は届くのが遅いです」


 最先端なんだこの手袋。でもジュリーは編み物が出来る。それも最先端なのでは?

 ジュリーの父から返事はない。


「庶民のお嬢様が羨ましいです。きっとこのような最先端でハイカラに飾られています。こちらのハイカラな奥様のように。これでは局で目立てませんことよ。困るのは(わたくし)ではなくお父様かと」


 局は皇居の中にある屋敷みたいなところ。ロイでさえよく分からないところ。

 絵も屋敷が繋がっていたり、大部屋が煌びやかな布みたいな屏風で区切られていたり、宿のように個室が沢山あったり色々らしい。


「分かった。その模様編みについて調べておく」

「お願い致します。ご親切な奥様、ハイカラな品を見せていただきありがとうございます」


 手袋が返ってきた。私の手と違ってすべすべツルツルの指。それで爪はピカピカで濃い桃色。同じなのは爪が短いだけ。

 セレヌとは違った白さだけど白い。私も人より白いけど何かが違う。触ったらとてつもなく気持ち良さそう。


「そちらのすこぶる美しい爪は紅ですか? 桃色の紅などあるのですね」

「マニキュアです。北国からの献上品のお方がこちらのマニュキアを行う女性で、お母様のツテで塗っていただきました」


 北国は爪に色を塗るんだ。マニュキア。セレヌは知ってるかな。手紙に書こう。

 ……献上品のお方? 献上品って人なの?


 残念ながらジュリーとのお喋りはここで終わり。私達は赤鹿車へ案内された。赤鹿馬車は駕籠(かご)に似た四角い箱に車がついていて、荷物は箱の下の隙間。箱の中は壁とくっついた長椅子。

 赤鹿が進む方向を向いてロイと並んで座り、アデルは向かい側。

 アデルは「すみませんがしばらく寝ます。雷で寝付けなくて」と告げて目を閉じた。私達への気遣いかもしれない。


「旦那様、ジュリーと話してしまいました。あの方はとても偉い方のお嬢様ですよね?」

「そうです。自分は口を聞いてはいけません。話しかけたら父親にどこの誰かと聞かれて出世取り消しもあり得ます」

「そ、そんなことになるんですか。私は逆に無視したら折檻でした?」

「それはないです。よほどお相手の気分を害さない限り。中には理不尽な方もいますけど。自分がリルさんの父上でしたらお咎めはありません。上級公務員は上流華族の一般的なしきたりを学んでいますので叱責されるんです。自分達の上司、それもうんと上の方々達には上流華族もいますし」


 それから私とロイは窓の外を眺めた。立ち乗り馬車のようにガタガタするけどふかふか座布団でなんとかなりそう。

 窓の外は倉庫らしき建物をどんどん追い越し、やがて紙芝居で見たことのある田んぼが現れた。冬だから刈られて何もない。


 藁で出来たような家、逆に石を積み上げたお鍋をひっくり返したような家を見たし、カカシを知った。

 近所の畑とは違う、うんと大きな白菜畑やほうれん草らしき緑の野菜畑。

 農村区も警兵だと知った。何かあったのか馬を全速力で走らせる警兵を見てその速さに感激。赤鹿に乗る警兵を何人も見かけた。

 雪を被った山は見慣れた山のようなのに、目の前に広がる光景のせいか知らない山みたい。

 ロイも「チラリとではなくてこんなに色々見られるとは幸運どころではないです」と目を輝かせた。

 2人でずっとあれこれお喋り。途中軽く舌を噛んだ。痛い。それさえ楽しい。

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