宿到着
はあはあ言いながら階段を登り、小雨が降ってきて少しして高台の平野へ到着。
北区への玄関口で宿や食事処に風呂屋などが集まっている。だから境宿場。
空が暗いからか光苔の提灯がもうたくさん明るさを放っている。青白い光ではなく瓢箪みたいな形の赤提灯なので赤い光。
「明日はこれより登るんですね」
こんなに高いところに初めてきた。残念ながら岩壁や区を区切る壁で皇居は見えない。
どこからなら見えるの?
「いえ、一回下りです。この道を進んで下りだったかと。この小さな山を越えた平野が北区です。その北区の端の方が山のふもとです」
「はい。あっ、旦那様。あそこの雅で豪華な屋敷の集まりは華族のお屋敷です? んー、あそこは5区ですよね。ロメルとジュリーのお芝居を観たところ。4区より内側はこの高さだと見えんです」
「いや、あの、あそこは……」
ロイの視線が泳ぐ。それから無表情になって唇を結んだ。私に教えてくれないロイは初な気がする。
「……もしや花街です?」
「リ、リルさん! 知ってるんですか⁈」
「ルルを買いたいいう人が来て母が殴って追い返しました。思い出して調べたら辞書に載っていました」
私はおそらくロイを睨んだ。垂れ衣の内側だから効果なさそう。
「コホン。そ、そうですか。あそこは5区で華族の紹介がないと入れない、国で1番絢爛な花街です。太夫となると身請け、お嫁さんとかにするには大型金貨100枚をお店に払っても無理なことがあるとか」
1大型銅貨30枚で1銀貨。30銀貨で1小型金貨。それで30小型金貨は1大型金貨。それが100枚。倒れそう。
「太夫は何です?」
「……。格も人気も高い方です。そこらの華族のお嬢様よりも教養があり相手を選ぶことが許されています。普通には会えません。あの天の花街の太夫は皇族、いや皇帝陛下のお相手もすると言います。皇帝陛下でさえ袖に出来るとか。まあさすがに遊びの範囲での袖振りでしょうけど」
なんかロイの声が生き生きしている。
天の花街。天女の天? ふーん。
そこらの華族のお嬢様より教養がある。売られたのにそこまでの学ばせてもらえるの?
男の人は美人が好き。色も好き。だけどそれだけじゃ足りないとさらに望むのか。
ルルがそれだ。母似で綺麗になりそうだから色々教えて高い客の相手をさせたい。
売られたら悲惨だけではなく普通では得られない出世道もあるということ。
太夫になれば相手を選べる。辛いけど希望があるのか。ますます気になる花街世界。今度ルリやクララに聞いてみよう。
最近どんどん思うけどロイは跡継ぎが欲しいじゃなくて、私にか私じゃなくても色狂いな気がしている。
色々してくるから絶対に花街に行ったことがある。他に覚えるところはない。あれは文字や絵で勉強しただけとは思えない。
「いつものところではなくあの花街へ行きたいです? 大金持ちでしたら」
「げほっ! げほげほっ。な、何ですか急に! い、いつもの、いつものって何ですか!」
「そん時は白粉やら何やらつけて帰ってこないことですね。私はうんと不機嫌になります」
「い、いき、行きませんよ! リルさんがいますし両親やリルさんや子どもに使うお金も減ります」
「クララさんが男は好きに花街行く、言うてました」
ロイは動揺し過ぎ。
ぷんぷん怒りながら、私はそら宿を探した。
私の周りをロイは「リルさん夕食は温かいものを探しますか?」とか「大雨前なら風呂屋に行けます。場所を覚えておきます」に「リルさんリルさん。ほら、あの家の造りは面白いです。それにあの彫刻は龍神王様です」とちょろちょろ、ちょろちょろ。
全部無視。私はずっとふくれっ面。垂れ衣の内側でこの顔でも不機嫌は伝わるみたい。
これからロイが花街へ行くかどうかより、前に行ったことにヤキモチ妬き。前は終わってることは仕方ないと思えたのに今はムカムカする。
そうしてそら宿へ到着。半予約。予定時刻に到着しなかったら他のお客に部屋を譲られてしまう制度らしい。宿を見て気に食わなかったら「泊まりません」も言える。
私達も予定通り来られるか分からないからそういう制度。華やぎ屋は違う。泊まれても泊まらなくてもお金を払う。完全予約制度。
ここに到着すればそんなに遠くないからほぼ問題ないので一安心。今回の旅は無理な日程でも道でもない。
そら宿は雑魚寝宿。布団は布団部屋から自分達で運んで敷く。厠や各種水を使えるところなどを教わる。
お金を払えば食事の買い出しを頼んだりお風呂——小さい貸切風呂が2つあるらしい——を借りられるところだった。湯たんぽの追加も有料。布団を増やすのも有料。湯たんぽは早い者勝ち。
我慢して寝る人は安く寝て、快適にしたい人はお金を払う。
最初は従業員がロイに説明していたけど途中から店主になった。ロイの身なりの良さで何かを察したのだろう。
紹介されてきたし、これから雨がどんどん強くなるからロイは他の宿を探すつもりはなさそうだけど店主は揉み手でにっこにこ。
逆の立場なら確かに私も頑張る。
「うちの部屋はしっかりした造りで節約したい方にも人気です。しかし他の宿より安い値段で快適に過ごせるように工夫しています」と自画自賛。
お金を払えば鍵とかんぬき付きの個室や相部屋の鍵とかんぬき付き個室。それ以外は大きな部屋で最大10人の相部屋。盗みに気をつけないとならない。
大部屋には代わりに最初から火鉢がついている。個室は狭くて火事が心配なので火鉢禁止。その分布団の質が違うという。
火事もあるけどお金を持っている客に湯たんぽを使わせるためかも。
「それからうちの売りは隣の食事処と廊下で繋がっていることです。弟が継いだ店です。遅くまで飲んで帰りたくなくなって泊まる方を見込んで改築したら、冬に寒くない、雨の日もええと評判でして」
「異国の天気予報士に教わりまして、これから夜中くらいまで雷雨らしいのでそれはありがたいです。外に行けなくなりそうですし、後からにすると混みそうなので先に風呂を借りたいです」
ロイは予算を告げて店主に確認して、余るくらいだから2畳鍵かんぬき付き部屋、湯たんぽ2つ、貸切風呂を借りて寒かったら布団や湯たんぽを増やしますと告げ、心付けですと少し多めに支払い。
心付けは覚えてきた。華やぎ屋で旦那と女将、部屋を担当してくれる人へ渡すように言われている。
こういうのをきっと全部乗せという。
店主は「布団はこちらでお運びします」とほくほく顔。
おまけに身分証明書を確認した店主は「はあ、南地区とはいえ煌護省の偉いお役人さんの息子さんですか。しかもあなたもお偉いお役人さん。龍国兵や警兵の方々にはいつもお世話になっています。それなのにうちの宿。弟にうんと伝えておきます。弟にお名前をお伝え下さい」とロイにお礼を言って握手。
改めて卿家すごい。ときに偉い華族よりも卿家が好かれるとはこのこと。
あと多分宣伝してってことかな?
ロイは苦笑いっぽい無表情だった。
「これから雷雨ですか。お客様達に話してまわります。いやあ、副神様みたいなお客様ですね。そうそう。風呂は割り込みにしますからお好きな時にお声掛け下さい。あと弟に明日の出立時にお渡し出来る様に握り飯を作らせます。店で直接か自分にお好みの具材と個数をお知らせ下さい」
店主はルルより少し大きい男の子の従業員を捕まえて「雷雨になるから呼び込みしてこい。うちは風呂がある、食事処もあると言うんだぞ」と告げた。
私もかめ屋で花嫁修行時に1回だけ呼び込みをした。声が小さいと怒られた後に仕事で近くを通った母が少し手伝って去っていった。
後で女将さんに「従業員が間違えてすみません。リルさんに呼び込み修行は要りません。でも客が増えました。声が小さいと思っていたけど大声も出せるんですね」と言われた。
母です、と忙しそうで言えず。そんなこともあったな。
こうして私達は軽装になって手拭いで濡れたところを拭いて部屋でまったり。布団、湯たんぽ2つも運ばれた。それでかんぬき。盗人を気にしなくて済む。
2階から3階への階段には見張りもいた。
湯たんぽは木製ではなくて金属の丸い太い筒だった。
木製と違って火傷に注意。代わりにかなり温かいらしいし漏れない。熱湯は寝る前に頼んだら入れてくれる。
「床は高いし隙間風も無さそうだし、個室は3階だから2階の大部屋の騒ぎも聞こえにくい。湯たんぽは高い金属製。値段のわりにええ宿ですね。男ならあのうんと安い大部屋で寝っ転がればええですし」
私はまだ少し不機嫌中。荷物を置いてあぐら中のロイが私にずりずり近寄ってきた。
「リルさん、そんなにヤキモチ妬かなくても。花街には行きません。……かわゆいなあリルは」
耳元で囁かれて少し機嫌を直してしまった。名前を呼ばれてかわゆいは初。うんと小さな声だったので、ロイはすごく恥ずかしいのだろう。
私は渋々振り返った。
「こんなに唇とがらせて」
「ロイさんが花街に行ったら私も女性用の花街へ行きます。あるか知りませんけど」
「そ、そ、そ、そんなのないです! だ、誰かとみ、密通したり、つ、連れ込み茶屋に行ったりしないで下さいよ!」
ロイの大きい声は珍しい。
あるんだ。女性にも色狂いする場所とか方法。また新たな知識を得た。これはロイとしては「口を滑らせた」だと思う。
ロイは私にわりと無理矢理キスをしながら「ダメですからね」とか「行かせません」などと言い、着物を脱がせ始めた。
「ロ、ロイさん。お風呂……」
お風呂に入れば良いと思っているのか私。拗ねていたのに。いや、拗ねていたから?
「待てません」
「ちょっ……お風呂です!」
「後でええです」
「先です」
その後押し問答の末私の勝ち!
誤字脱字修正していただきましたが、副神はの副は意図して使用です。誤字で福神になっているところもあるかもしれません。雑なのにちょっとこの国独自の設定というか宗教観を作っていてややこしくてすみません。




