道
中央6区に入ってすぐ市街地ではなくて行交道を歩く。
私達のような旅人、農村区からの荷運びに使われる階段が無い大通り。
坂はある。登ったり下ったり。ひたすら歩く広い道。塀に囲まれている。
転々と市街地へ入る関所がある。そこは通行手形が無いと通れない。農村区への関所は出入り自由。見張りはいる。
私はロイ、上級公務員の嫁なので【リル・ルーベル、父:煌護省南地区本庁ガイ・ルーベル、夫:南地区中央裁判所ロイ・ルーベル】という、数字や判子が沢山添えられている身分証明書だけで中央6区へ入れる。
年末年始は人が多いと混乱するから、これとは別に事前申請する手形が必要だった。
人は左右に分かれて同じ方向を歩き、その外側を見回りの兵や荷車が通る。そう聞いた。荷車はきっと人だけではなく馬も引いているだろう。立ち乗り馬車のように。何を運んでいるのかな?
兵は怖いけど悪いことをしなければ味方。地区の下っ端兵は単に兵官。中央区の兵は龍国兵。行交道の兵は警兵、そして皇居守護兵は龍煌兵。その他もいるらしい。それぞれ服が違う。義父にほんの少し教わった。
旅人達はどんな格好だろう?
そんな風に今日までワクワクしていた。
ロイは「行交道には店も何もないですけど、リルさんは楽しいかもしれないです。それで自分も楽しくなりそうです」と言っていた。
既に楽しい!
「旦那様、あの生き物は何ですか?」
荷車発見。荷物は布で覆われているので分からない。
荷車を引く生き物は四つ足の藍色みたいな体で髭が生えていて、頭にも硬そうな丸が2つついている。
「あれは牛です。牛車ですね」
「牛は白黒です」
「それは異国の牛です。多分。ぬいぐるみ屋で見た牛のことですよね?」
「はい」
「この国のあの牛は川を渡ります。勢いが強い川を船を引いて歩くんですよ。角は高く売れます。危ないのもあって折られています」
「それなら川歩き牛ですね。白黒牛に川歩き牛。ありがとうございます」
何が愉快なのかロイはクスクス笑った。ロイが楽しそうだと私も楽しい。つまりますます楽しい。
激しい川も歩くとはそれは逞しい。角を折られちゃったんだ。痛くないのかな?
痛くないから人間と共に暮らしてるのか。いやこき使われているのか。でも仲は悪くない。暴れて逃げない。餌の質とか何かある。
「あの生き物は何ですか? 警兵は歩きも馬もいて、あの生き物にも乗るんですね」
警兵は龍国兵より格下っぽい。服が龍国兵より地味。ロイの勤務服と似ている。帽子なんて一緒。そこに胸当てや脛当てや小手などをつけている。
その警兵の1人が馬より小さい4本足の動物に乗っていた。足はそこそこ太くて長い。赤茶色と白い体で点々模様がかわゆい。
顔も何だかかわゆい。茶色いクリッとした釣り目で白いところは見えない。うさぎよりは短くて広い耳がピンっとなっている。
黒っぽい丸いところは折られた角かな?
馬と同じで鞍をつけられている。それで警兵みたいに胸や足に防具を付けられている。
この警兵だけ背中に不思議な大きな物と棒が沢山入った細い筒を背負っている。
「あれは赤鹿です。気性が荒くて中々人に懐きません。瞬発力は馬より勝り、馬より遅くても馬より長く走るそうです。特にすごいのは岩山を駆け上がれるとか」
「それならあの警兵さんは特別な方なんですね」
「ええ。弓も背負っていますし」
「あれは弓と言うのですか」
ロイは手で弓の形を「こうなっているここを」と説明してくれて「弦を引いて矢を放ちます」と弓の使い方を教えてくれた。
「矢を放ってどうするんです?」
「警兵なら罪人を討ちます。あとは動物を狩ったりですね。力の出る獣食は兵や農民優先なのは知っています?」
「はい。だからお肉は高いです。鶏はたまご係で沢山いるからまだ安いんですよね?」
「そうらしいですね。自分は食材の値段は分かってないのでいつもありがとうございます。弓は飛んでる鳥、襲われる前に狩りたい熊や猪などに遠くから攻撃出来ます」
それはつまり、戦場では人を討つのではないだろうか。ロイはそういう話はしない。しないでくれる。だから私も聞かない。
ロイが再び弓を放つ真似をしたら、なんと警兵が空へ矢を放ってくれた。矢は真上に飛んだ。衝撃的なことに警兵はヒューッと落下してきた矢をパシッと掴んだ。
格好良い。すこぶる格好良い。皆で大拍手。その警兵は子どもに手を振った。ルル達みたいに騒いでいる。私達ではなくて子どもに見せたのか。
こういうのを自意識過剰と呼ぶ。この間覚えた。
「あの警兵さんがこう討って悪い人を捕まえたら、裁判所で罰を決められてロイさんもお仕事ですね」
「そうですね。そうやって何でも繋がっています」
「はい。えーっと、救破一心でしたっけ?」
壊すことは救いにも繋がる。それはすなわち一心一体である。と、よく分からない言葉。でも多分似てる。
人を討つ。つまり壊すけどそれは平和という救いに繋がっている。それでロイも働いて、私を養い、私は買い物をして、そうやって国中の生活や人と結ばれている。教科書でそんな感じの説明がされていた。
「そうです。難しい言葉も覚えたんですね。希望絶望は一体也。救援破壊は一心也。求すれば壊し欲すれば喪失す。真の見返りは命へ還る。龍王神様の教えです」
「もう1回ええですか?」
「帰ったら筆記帳に書きましょう。希望と絶望は表裏一体で貨幣の裏表のようにくっついて切り離せない。人を助けることは何かを壊すこととであり、人が強い絆で結ばれるように切り離せない。求めるからこそ壊してしまい、欲しいと望んで得るからこそ失う」
うーん。難しい。特に前半。
「あっ! ロメルとジュリーです。2人で生きたいと強く思ったからあのような結末になってしまいました。それから私の簪です。宝物を持った代わりに失くします。持っていなければ失いません」
違うような合っているような。
「自分も中々理解出来ませんけど、きっとそういうことでしょう」
「真の見返りは命に還るは情けは人の為ならずですよね?」
「自分は逆も含まれていると思います。悪因は悪果に通ず。悪いことをしたらバチが当たる。こういう話も面白いですね」
こういう話は教養の話のこと。それは良かった。勉強した甲斐がある。
今日はそこそこ早歩きしている。長屋から海釣りへ行っていた時の速さ。でもロイは大股でゆっくり歩いても私に追いついてる。
ふと気がつく。ロイはいつもはこのように歩いているのではないか? と。
私と同じでゆっくり歩くのが好き。着物を汚さないようにとか、転んでかえって遅くならないようではなくて、そうではなくて私に合わせてくれていたのでは?
「旦那様」
「今度は何を見つけました?」
「旦那様の新しい良いところです。あの……。らとぶとゆです」
月はまだ出てないからやめた。
私は少し俯きながら周りを確認した。誰も気にしていない。らぶゆって便利な言葉。
「何ですかね。勉強した甲斐があったということでしょうか。その、うん。自分もらとぶとゆです」
何かあったら抜刀すると言っていたけど、ロイは私の手を掴んだ。2人で手を繋ぎながら歩き続ける。
大きな俵を知り、大きな酒樽も見たし、悲しいことに貧しそうで痩せた体で荷車を引く人、豪華な駕籠に犬と一緒の警兵も見た。旅装束は老若男女人それぞれ。見ていて飽きない。
「次の憩い処で遅めの朝食にしますか。リルさん普段よりかなり早歩きですけど疲れてないです? 予定より早いです」
「元気いっぱいです。でもお腹は減ってきました」
「自分もです。リルさんがもう少しと言っても、もう朝食がええと……」
突然、私達の前にドサッと何かが落ちてきた。何かじゃない。多分人。黒いてるてる坊主みたいな格好。少し高い木から飛び降りた、みたいに着地。
横ではなく真上から落下してきた。どこから? 空? どういうこと?
雲か。山から雲に点々と移って……落ちたら死なない? 着地したけど。塀か。塀だな。痛そうというか怪我しない?
「っ痛。この高さは流石に痛いな。何も突き飛ばさなくても……」
「大丈夫ですか?」
私が手を差し出そうとすると、ほぼ同時にロイが前に出て左手を差し出した。
「親切にどう……」
ぐううううううっと腹の虫の音。私でもロイでもなく目の前から。
「稲荷寿司を食べますか? これからあそこの憩い処で食べます」
あんまりにも大きな腹減り音だったのでついそう言っていた。お腹が減るのは辛いことだから。
「それはご親切にどうも。へえ、揃いの指輪ならご夫婦ですね。それなら少し話をしてみたいです」
黒いてるてる坊主の人はロイの手を借りずにひょいっと起きた。身軽。怪我してなかった。
それで3人で憩い処へ移動。お弁当を食べられる小屋、外に長椅子、厠があって井戸に水路もあるからひょうたん水筒の中身が無くなったら足せる。
人々や荷車などの観察をしたいし、とてもよく晴れているので長椅子に並んで座った。
私、ロイ、黒いてるてる坊主さんの順。
黒いてるてる坊主の名は「ヴィトニル」で獣に襲われて顔も頭も傷だらけなので隠しているという。
目、見えるのかな? というくらい羽織と繋がる覆いをかぶっているし、顎周りも黒いマフラーみたいな布で見えない。
すごく気になるけど彼の話は全然聞けない。私もロイもお喋りな人には聞き手側になったり、質問に答えるだけになってしまう。
ヴィトニルはロイに「この国ではこういう話題は口にしにくいのは知っています。でも可及的速やかに学びたいのです。奥様との馴れ初めは? 口説き文句は?」とずっと質問し続けている。恥ずかしい。
ヴィトニルはひょいひょい稲荷寿司を食べた。少し食べては話す。噛みながらは喋らない。黙々と食べる私とロイとは違う。手付きや姿勢など品がある。
見た目が綺麗、梅味も、昆布味も、わさび味も、たくあん味も、茄子の漬物味も、普通の味も、全部美味しい美味しい絶品、料理上手、宮廷料理人になれる料理上手、このような料理上手の妻を持つ男は三国一の果報者、などと言ってくれた。
とてつもなく気分が良い。
「いやあ。ご親切にどうも。迎えが来たみたいなので帰ります」
そうなの?
周りを見渡してみたけど彼に手を振る人とかいない。
ヴィトニルは立ち上がり、私達の前へ行き、ゆっくり頭を下げた。右手を広げ、左手を胸の前に添えて。やはりきっと異国の人。やはり上品。
「あの、どちらの国の方ですか?」
「根無草です。こちらはお礼です。今は晴れていますけど東からの強い風で雨雲が押し寄せてきて日没より結構前に激しい雷雨です。おそらく日付が変わる前くらいまでかな。土地の低いところにいないこと。あと川に近寄らないように」
「そうなんですか。それはご親切にありがとうございま……」
す、の前にヴィトニルはトンッと跳ねた。それで小屋の屋根の上。そこからさらに跳んで高い塀の向こう。
ほぼ同時にちゃりん、ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん、ちゃりんとお金が落ちるような音。
「大変です旦那様。あの方お金をこんなに落として……お金?」
しゃがんで拾おうとしたのは金色だし銀貨くらいの大きさの丸いもの。人の顔とか頭が2つの蛇などの絵の凹凸がある。とても綺麗。
「あの脚力。噂の特殊兵と同じ? それに雷雨? お礼って稲荷寿司にこんなに沢山の金貨? この金貨、どこの国のものでしょう? 全部バラバラですね」
「6枚もあります。まさか稲荷寿司1個1枚です?」
「まさか。銅貨と間違えたのでしょう。そこの関所の見張りの警兵に事情を話して書き置きを残していきましょう。このような大金だからきっと気がついて取りにきます」
「はい」
こうして私達は軽く歯磨きして、厠へ行って、ひょうたん水筒に水を足して、お弁当箱を洗って再び歩き出した。
「異国の天気予報士さんですかね? 天気予報なんて当たらんですけどあの方の予報は当たりますかね?」
「もしや当たるからお金持ちなんですかね? あの脚力、特殊兵でそういう方がいて高給らしいです。もしかしたら遠くまで走って空を確認しているのかもしれません」
1日3回、次は晴れとか雨とかおふれが出るけど、おふれ場所はそこそこ遠いし当たらないから、買い物の時にチラッとしか見ない。
たまに当たる。草鞋や下駄を投げるのと同じようなもの。
「どうでしょう。んー、雷雨……。このままずっと歩いて腹が減らない限りは休み処で休んで、早く宿に荷物を置く。それで天気を見ながら宿周りを徐々に物見遊山。帰りも通るから安全に宿へ着くことを優先しましょうか」
「はい。それがええです。ただ今のうちにお弁当箱に何か買ってつめておきませんか? 旦那様はササっと考えられてとても頼りになります。らとぶとゆです」
「食べ物は大切ですね。そうしましょう」
嬉しそうに笑うとロイは私と手を繋いで歩いてくれた。それから耳元で「困った方へ親切に出来る料理上手な妻でらぶゆです」と囁いてくれた。
らぶゆはやっぱり便利。




