5話
お出掛けは近くの公園へ行った。理由は不明。ロイは腕を組んでのんびり歩いた。歩く速さが同じくらいで気楽。
どんくさい、のんびりし過ぎなどと言われて、いつも皆に急かされてきた。
「リルさん」
「はい」
「すっかり紅葉ですね」
「はい。紅葉が真っ赤です」
ふと見たら、奥の方にキノコがたくさん生えていた。食べられるキノコがある。
旅館で出している食事で紅葉の葉の天ぷらを見た。
台所に粉も油もあった。天ぷらなんて長屋総出でするお正月のご馳走だけど、材料費が減れば作っても良いかもしれない。義母に聞いてみよう。
「リルさん」
「はい」
「気持ちの良い風ですね」
「トンボも楽しそうです」
ふと、ロイは足を止めた。
「楽しそう?」
しまった、と私は俯いた。
(私、また変なことを言ったのか)
時折そう言われる。だから私は年々どんどん喋らなくなった。自分では何が変なのか分からない。
でも今日は普段より沢山喋っている気がする。いつも1人でいるか、人が何人かいるかで、誰かと2人きりは珍しい。
義父と2人、義母と2人、ロイと2人みたいに2人だと会話になる。いや、3人とも私の返事を待ってくれるからだ。
食事中は基本的に会話しないようで無言だった。早く食べろと急かされなくて、食べることに集中しているのに話しかけられたりしないから気が楽だった。
「確かに。風と遊んでるのか愉快そうです」
ふふっと笑い声がした気がして、ロイを見上げる。少し笑っている。嘲笑うとか、小馬鹿にするとか、そういう笑い方ではない。
気が合う? 良かった、と胸を撫で下ろしていたらロイの右手が私の顎を少し持ち上げた。何?
あっと思ったらキスされた。1回、2回、3回……5回まで続いた。その後抱きしめられて、ぽんぽんと背中を軽く叩かれた。
少ししてロイは私から離れて、また腕を組んで歩き出した。公園までの道のりと違って、微笑んでいる。
(お嫁になると沢山キスされるのか。知らなかった。何で?)
恥ずかしいし、ドキドキ、ドキドキ、胸の真ん中がうるさくてならない。昨夜ほどではないけど体も熱い。
隣を歩くロイは涼しい顔をしている。まるで髪を揺らす秋風みたいに。
キスは恋人同士がするもの。好き同士がするもの。と思っていたら夫婦でもするもの。
(何で?)
ロイを見上げる。
(聞いたら教えてくれるかな?)
キスという単語を口にするのが恥ずかしいのでやめた。
☆
散歩から帰宅。義父の帰りは19時頃なので、夕飯の支度にはまだ早い。飾りに使おうと拾ってきた紅葉を洗って干す。
洗濯物と干した布団はロイが片付けた。お風呂の準備もロイがしてくれて終わっている。
嫁の仕事が見当たらない。居間で立ち尽くしてしまった。
長屋での1日より早い。洗濯物は少ないし、洗濯場は家の中だし、水汲みも川まで行かないし、子守もないし、食材集めもないし、父の仕事の手伝いもない。繕うものも今のところなさそう。
いつもバタバタ、バタバタして急かされていた気がする。自分の好きに動いて良いって凄く気楽。
ロイはどこかに出掛けた。私と散歩して帰ってきてまたお出掛け。
今度は1人が良いとは、私は楽しかったけど、彼はつまらなかったのかもしれない。
「あらあら、ぼんやり立って。座ってゆっくりしたらどうです?」
「仕事が残っていないか考えていました」
「なさそうですよ」
「いえ、勉強がありました」
「そう? 分からないことは聞いて下さい」
「はい。ありがとうございます」
そうだそうだと思い出して2階に上がる。寝室には私も使って良い机がある。衣装部屋にある本棚から、義母の女学校時代の教科書と辞書を出してくる。
さあ、旅館でしていた勉強の続き。国語の教科書を読み、覚えていない漢字を書き出して文字を書く練習。
勉強なんて興味無かったのに、してみたら楽しい。文字が読めるのは楽しい。なにせ知らない物語が知れる。今は狐がミノの手袋を買いに行く話で学んでいる。
しばらくして襖が開く音がした。振り返る。
「リルさん」
「はい」
丁寧に襖を閉めると、ロイは私の隣にあぐらをかいた。手に小さな白い紙袋を持っている。その袋が机の上に置かれた。
「今日からもう勉強とは熱心ですね。どうぞ」
掌で袋をどうぞと示されたので手に取る。中身を確認すると色とりどりのトゲトゲした丸いものが入っている瓶だった。なんだろう?
「なんでしょう?」
「こんぺいとうです」
「こんぺいとう?」
瓶をしげしげと眺める。何だろう? 髪飾り? でも連なってないし留め具も無い。髪飾りの材料? 沢山の物を贈られたのにまた贈られた。
「漢字です? ひらがなです?」
よく考えたら辞書がある。辞書で「こんぺいとう」を探す。辞書は漢字にひらがなが振ってあるすぐれもの。
私の筆記帳にロイが「金平糖」と書いてくれた。金なのにこんと読むのか。文字を崩さないでくれた。優しい。実に美しい字。私のヨタヨタした字とは全く違う。
「ありました。周囲にとげとげがある小粒の砂糖菓子。糖花とも呼ぶ。とうか。砂糖のお花。どうりできれいです」
お菓子。お菓子! お菓子!! お菓子なんてめったに食べられないのに沢山入ってる!
ロイが私の手からそっと金平糖の瓶を取った。蓋を開ける。白い色を1粒摘む。驚いたことに唇に当てられた。思わず口にする。だってお菓子だし。
甘い。とっても甘い。美味しい。絶品。アメの仲間だ。
「リルさん」
瓶が返ってきた。
「はい」
「気に入りました?」
瓶を掴む両手を両手で包まれる。
「はい。ありがとうございます」
瓶からロイに顔を上げた時、いつの間にか顔が目の前にあって、鼻と鼻がこすれた。そのままキスされる。
1回、2回、3回……終わった。昨日の夜はお酒と歯磨き葉の匂い。今朝はびっくりして覚えてない。散歩中はまた歯磨き葉。それで今回は金平糖の甘い味。
「勉強をすると頭が疲れるので、たまに食べると良いです。長持ちするお菓子です」
ロイは立ち上がってそそくさと部屋から出て行った。襖を開けたり見送る時間も無かった。
しばらく金平糖の瓶を眺めた。やはり綺麗。星みたい。長持ちっていつまで?
辞書には書いてない。どこで売っているんだろう?
お店を探して聞かないと。それか、ロイに聞いてみよう。金平糖を買ってきてくれて、文字を教えてくれた。優しいからきっと教えてくれる。
手拭いを出して金平糖の数を確認。41個入っていた。
(買ってきてくれた? 出掛けるって金平糖? 何で?)
勉強をしているうちに、窓の外の空が徐々に茜色に染まっていった。
カンカンカン、カンカンカンと18時を知らせる鐘の音が聞こえた。
(そろそろ夕飯の支度)
台所へ行って火を起こす。ご飯を炊くのと大根を煮る。他はほとんど終わっている。後は盛り付けと配膳。その前に使った水の補充。
(お水、おみ……)
「重いですから、運びますよ」
私が両手で運んでいた桶を、ロイはひょいっと片手で持ち上げた。兄同様に力持ち。
「ありがとうございます」
微笑むロイの額に汗が滲んでいる。お風呂を沸かす火をおこして熱いのだろう。
割烹着のポケットから手拭いを出してそっとロイの額の汗を拭った。
「あの」
「はい」
「金平糖はいつまで食べられますか?」
「1年は大丈夫です」
「ありがとうございます」
(1年は確か365日。 41個だと……)
かめ屋で月や日、曜日などを覚えた。
「分からない……」
「どうしました?」
台所の水瓶に桶から水を移すロイが隣にいる私を見下ろした。
「いえ。すみま……あの」
また教えてくれそうなので、聞くことにする。
「はい」
「金平糖が41個ありました」
「数えたのですね」
「はい。1年は365日です」
「そうですね」
「何日に1回食べられますか?」
ロイは何回か瞬きをして、それから無表情をやめて穏やかな笑顔をしてくれた。
「8日か9日に1回ですね」
そうなのか。質問したのは自分だけど、どうやって分かったのか不思議に思う。
「ありがとうございます」
「好きなだけ食べて下さい。無くなったらまた買ってきますよ」
それは衝撃的な話。
「いや、他のものを買ってきましょうか」
「他のものですか?」
さらに衝撃的な話。
「ええ。好きなものを何でも。山程は買えませんけど。金平糖を1年かけて食べるよりは多く買えますよ」
「お菓子を全然食べたことがありません」
頼んだら、結納の日に食べたお菓子も買ってくれるのだろうか? いくらロイが優しくても図々しい気がする。でもお菓子を食べたい。
むしろあれは買ってきて家で食べられるもの?
あのお菓子の名前が分からない。
「全然? 食べたことのあるものは何です?」
「家で作ったおはぎとおせんべいとアメです。あと結納の日に食べたお菓子と金平糖です」
「結納日の……白玉クリームあんみつですね」
「白玉クリームあんみつ、ですか」
白玉は知ってる。かめ屋であんこと一緒に出していた。多分おもちの仲間。クリームとあんみつは辞書で調べよう。
それにしてもロイとはポンポン会話出来る。会話のテンポがゆっくりだからだろう。いつも皆が先に喋り続ける。私がぼんやり、のんびりしているせいで。
「いけない。大根が」
一緒に台所へ行ったら煮汁が沸騰していた。
「お水、ありがとうございました」
「もう1回分足しておきます」
「ありがとうございます」
優しいのさらに上って何て言うんだろう?
火加減を変えて煮物を確認。大丈夫そう。お米も……問題なさそう。
(ご飯、ほうれん草のお味噌汁、大根の煮物、なすの漬物、卵焼き、煮豆。よし)
ほうれん草の残りは明日の朝食用に胡麻和え。それからお弁当におひたし。
飾り切りして煮た大根の煮物に洗って乾かした紅葉を添えた。
(やっぱりよし)
問題無さそうなので居間のテーブルに料理を運ぶ。
義父が帰ってきて、出迎えた私と義母に「風で冷えた。先にお風呂に入る」と告げたので失敗。
着替えやタオルの準備をして、急いでお味噌汁を回収し、消えかけの炭に少しだけ炭を足して火を起こす。
台所に義母がひょっこり顔を出した。
「まあまあ。そんなに気を遣わなくても、冷めたっていいですからね」
「炭の使い過ぎですか?」
義母は返事をせずに炭入れを確認。
「今までより減っていませんね。長屋育ちなんてと思っていましたが、倹約家で助かります」
また褒められた!
そうか。長屋育ちなんてと思ったのに、結婚のお申し込みになったの?
(結婚したい時期が合った。跡取り息子を産めそう。養子をもらえそう。家事全般出来る。卿家同士だと何が足りないの?)
分からないので、そのうち聞いてみよう。この家では、私の質問に答えが返ってくる。