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その日の夜。
居間の上座に座るのはガイとテルル。
下座に座るのは息子を抱くロイと娘を抱くリル。
この地域では一家の大黒柱とその妻がその家に産まれてきた新しい子に名前を付ける。
男児は大黒柱。女児は大黒柱妻。と言っても大抵は2人が話し合って決める。
なのでリルが産んだ長男と長女には、ガイとテルルが2人で決めた名前が与えられた。
ガイは孫の名前を書いた色紙を息子夫婦と孫に向かって披露。
【命名 長男レイス・ルーベル】
【命名 長女ユリア・ルーベル】
色紙にはガイが孫の名前を書いただけではなく、テルルが鶴亀と青薔薇の判子を押している。
その2枚の色紙は額に入れられてガイの手で居間の神棚の横へ鎮座。家族全員で祈り礼。
色紙は2人の命ある限り元服まで飾られ続け、元服の日を迎えることが出来ると鎮守社で感謝の儀式後に燃やされる。
「年々悪くなると言われていた母さんの手足の調子が以前より悪くならないので、青薔薇のお姫様と王子様のご利益にあやかることにした。それから父親と母親からも一文字ずつ名をもらった」
「ロイもリルさんも大きく育ってこうして子を持てました。2人の名前を使えば我が家を守っている家神様の加護があるでしょう。それから私にご利益を与えてくれたレティア姫様とユース王子様と風と鷲の神様のご利益ですくすく育ちますようにということで」
かつて病で2人も子を亡くした2人は、験担ぎに意味がなかったり、ご利益がないことも知っている。
それでも人は祈り、すがり、叶えば感謝する。そして時には憎む。
「父上、母上、縁起のええ名前をありがとうございます」
「ありがとうございます」
ロイとリルはほぼ同時に会釈した。
「リルさんは今日から2ヶ月安静です。家事を一切してはいけません。特に階段を使ってはいけません」
「はい」
「私はそこそこ動けますが日によります。ロイは出世して仕事慣れしていません。予定通りかめ屋で修行してもらったルルさんに頼ります」
「はい。そろそろ兄が連れてくると思います」
「セイラからの報告はわりとええです。でもあなたの時より悪いです。ビシバシ指導します。リルさん、こそこそ庇って家事をせんように。大事な体です」
「はい」
リルは(お母さんはロカを産んでわりとすぐ働いてたけどな)と思いつつ義母の発言に首を縦に振った。
産前と同じでルーベル家の親戚から手伝いを呼ぶという話も出たが、里帰りさせないから嫁の気が安らぐように妹にする、ということで両家が話し合って決定。
リルの妹、13歳のルルが産後の手伝い人になった。
なお子育ては地域で行うので、テルルと親しい者達やリルと親しい嫁達も手伝ってくれる。
「ロイ。教えてきた通りリルさんと子どもの世話をしなさい」
「はい。仕事に影響がない範囲で、リルさんの体が元気になるまで、いやその後も自分が出来ることは何でもします」
「その通りです。今日みたいな姿を見せたら3ヶ月間の週末全て滝修行へ行かせますからね」
ロイは無表情で「すみませんでした」と頭を下げた。
それから(亡くなったおじい様も父上も、先輩達も似たような感じらしいのに軟弱男だの滝修行しろなどうるさいし辛い)と心の中でボヤいた。
リルは1階の寝室ですやすや寝る子ども2人と布団を並べて横になった。
ロイはリルと子どもを挟むような位置にあぐら。
しばらくしてリルの妹ルルが到着。
玄関でテルルに「誰にも送ってもらわないで1人で来るなんて危ないことはしてはいけません! あなたは女性なんですよ!」とそこそこ大きな声で雷を落とされた。
続けて「下駄を揃えるならきちんと揃えなさい」と低い静かな声での叱責。
その次は居間への入り方を注意され、さらに次はガイへのお辞儀の仕方を怒られ、ようやく姉と甥姪の所へ到着。
ルルは襖を閉めるとげんなり顔をしながら荷物を端に置いた。その後甥と姪を見て破顔。
「姉ちゃん、兄ちゃん、おめでとうございます。かわゆい子が2人もなんて縁起がええです。しかも男の子も女の子もなんてすこぶるええです。父ちゃん達はこの日のために貯めたお金で酒盛りしてます。姉ちゃん。嫁いだばかりの時ってこんなに叱られたの? そこそこうるさいかめ屋より厳しい」
ルルの声はひそひそ小さいものだったが、襖がスパンッと開いた。そこには目を細めて微笑むテルルの正座姿。
テルルは「義兄の名前が先です。それから兄上、姉上もしくはお兄さん、お姉さんです。父ちゃんではなく父。半年間何を学んできたんです?」とジト目で告げて襖を閉めた。
ルルは再度げんなり顔。それから背筋を伸ばした。
「お兄さん、お姉さんおめでとうございます。父は大喜びで酒盛りしています。厳しいということは期待の現れです。長屋の貧乏育ちなのにええ教育をしていただけるので励みます。楽しくておもしろいし」
「ルルさん、よろしくお願いします」
「ルル、ありがとう。ルルみたいに大きく育つように抱っこしてくれる?」
「うん、姉……。はい、お姉さん」
こうしてルルは甥、姪の順番に抱っこ。ニコニコ笑った。
「お父さん。出産立ち会いで疲れたから約束通り1番風呂をいただきます」
「当たり前だ。風呂の手伝いはいるか?」
「調子はええですけど、今夜はお願いします」
襖は閉まっているが、ロイは襖の向こうへ視線を向けて肩を揺らした。
(わざわざ大きめの声で。ルルさんは……気がつかないと。素直にしばらく楽にしなさいって言ってあげればええのに)
「ルルさん、母は風呂のようです。楽にどうぞ」
「はい。ありがとうございます」
ルルは「あああもう疲れた……。お兄さんありがとう。姉ちゃ……お姉さん苦労したんだね」と言いながら足を崩した。
「私は嫁いだ日から楽しく暮らしていましたよ」
「信じられんけど信じる。かめ屋の女将さんがお姉さんを褒めに褒めて私は普通だって。ガッカリされても困る。私はお姉さんと違う人間だもん。あっという間にテルルさんに嫌われた。元々たまにしか会わないのにネチネチ言われてきたし。でも嫌いな娘に危ないから夜歩くなって優しいね。このくらいの夜道なんて全然平気なのに心配性」
再度ルルはペラペラ喋ってうんざり顔。その後「お姉さんとかわゆい赤ちゃんの為に我慢するし励む」とニッと歯を見せて笑った。
ロイは息子レイスの頬をぷにぷに押しながら笑顔で肩を揺らした。
(なんだかんだルルさんってリルの妹だな。次はレイさんでロカさんもかな? 母上は全員そこそこの家に嫁いでもらわないとリルの格が落ちるなんのとうるさいからなあ)
ロイは今度は娘ユリアの頬をぷにぷに押した。
「リルさんが死ぬかもしれないなら子どもはいらん。養子がええと思っていましたけど、こうして元気に産まれてくれてリルさんも無事だと、すこぶるかわゆいとしか思えません。レイスもユリアもずっと守っていきますからね」
「旦那様、私も守ります」
ロイはレイス、ユリア、リルの順に頭を撫でた。その次はルルの頭。
なぜ? とルルは首を傾げた。
「それにしてもリルさんが握り飯を食べ始めた時は目が点になりました」
「なぜだかお腹が減ってしまいまして」
母も姉もそうだったから、きっとルルもそうだとかそういう話の後に3人は赤子2人を「かわゆい」とか「健やかに育ちますように」とか「よく寝てええ子達です」などと愛でた。
次にそれぞれどっち似だろう、という話で盛り上がる。
「失礼します」
するとスッと襖が開いた。
「栗の甘露煮です。それからご近所を歩くのに恥ずかしい格好は困るのでルルさんの家着と帯です。ついでなので浴衣と割烹着もどうぞ」
テルルは家着1着、浴衣1着、割烹着をルルへ差し出して、その隣に栗の甘露煮を盛った器に竹串3本を乗せたものも並べた。
襖がスッと閉まる。
「えっ? 着物も帯も浴衣に下駄まで高価そうなものをお兄さんから1つずついただきました。あとお姉さんが割烹着を貸してくれるって」
「1着では足りませんけど買うなと言われていました。かめ屋の女将さんからルルさんのことを何か聞いたのかもしれません」
ルルの目はまん丸。義兄を見て、姉を見て、義兄を見て、栗の甘露煮を見つめる。
「ルルさん。それは栗の甘露煮です。栗を甘く煮たものです。きっとルルさんは好むでしょう。どうぞ」
「栗? 栗⁈ これが噂の栗ですか⁈ ありがとうございます! お先にいただきます!」
ルルは栗の甘露煮に飛び付こうとして、途中でハッとしてからゆっくり手を伸ばした。
それでお行儀良く食べて大感激顔。
(そういえば栗の甘露煮はお裾分けしたことなかった。かわゆい。旦那様、新婚当時の私のことをこういう気持ちで見ていたのかな? 全部食べさせてあげたい)
(母親似でリルとは顔があまり似ていないけどリルと同じ表情。懐かしい。自分の分はルルさんにあげよう)
こうしてロイとリルはどうぞ、どうぞとルルに栗の甘露煮を譲った。
「姉ちゃ……お姉さんは産後なんだから沢山食べないと。こんな皇女様が口にするような食べ物を食べたら出産の疲れが吹き飛ぶよ。それにしても2ヶ月も家事をするなって心配性。まあ、やっぱり卿家の嫁って違うんだね。私は大工とか火消しの嫁がええなあ」
ロイは(大工や火消しか。それとなく母上に言っておこう。1区の大工や火消しのツテは……。まあ今はええか。早い早い)
ふとロイはすやすや眠るユリアを見て(こんなにかわゆい娘を嫁には出さん)と燃える目で決意。
レイスには(リルと気の合う嫁を探そう。リルは嫁イビリせんけど母上が長生きかもしれないし嫁を守れる男に育てねば)と微笑みである。
一方のリルは(2人ともロメルとジュリーみたいにならないように誰かを好いたら隠さず教えるように育てなければ)と考えていた。
「ルル、ありがとう。ユリアの出産前に食べたから旦那様に譲ってくれますか? 旦那様は栗の甘露煮がとても好きです」
「ルルさん食べてええですよ。残しておいて明日でもええです」
「それなら残して明日3人で食べましょう。台所に置いてきます。失礼します」
そうしてルルが退室するとロイはレイス、ユリア、リルの順に頭を撫でた。それで動こうとしてルルの大きな声で止まる。
「テルルさん! 高そうな着物に帯に浴衣に割烹着までありがとうございます! 大事に着て健康のご利益を染みつけて帰る時にユリアに返します!」
「貸すなんて言うてません。夜にそんなに大きな声を出すんじゃありません」
「貸さないなら何です? かめ屋では元気がええと褒められましたけど、そうですね。静かな家には静かな声。直します。でも長年の生活で身に付いているので時間が掛かります。栗の甘露煮はこの世のものとは思えない……金平糖と迷います! すばらしく美味しかったです! ああ、テルルさん。足を揉みます? お姉さんはしばらくお兄さんと2人が良さそうです」
ルルは両親、特に母親に似てお喋りである。テルルは長さと内容にたじろいだ。
「お世話になるあなたへ差し上げました。足揉みはええです。今夜はロイより先にお風呂へどうぞ。私は寝ます。家の嫁を頼みましたよ。困ったらすぐ起こして下さい」
「はい。ありがとうございます。そうですか。ユリア用のものをご利益のために貸してくれるのではなく贈ってくれるなんて親切ですね。お兄さんからもいただきました。だからご利益を染みつけてユリアに贈ります。お姉さんよりは風邪を引きましたけど家族で2番目に丈夫と言われています」
「冷えるから早く風呂に入りなさい」
「はい! そうします! ありがとうございます!」
リルは(私また喋らなくなるかも。でも毎日楽しそう)とクスクス笑い。
ロイも(いつもそこそこ大人しかったけどこれが本来のルルさんか。そしてやっぱり根っこはリルと同じ。母上が押されている)と笑い声を押し殺す。
「失礼します。お兄さん、お姉さん、お風呂に入ってきます」とルルが寝室に入ってきて、浴衣などを持って出ていった。
「テルルさんの見えないところでも気をつけます」ときちんと座って出入り。しかし声は大きい。
2人きりになるとロイは少し移動して体を伸ばし、リルの唇、レイスの額、ユリアの額の順にキスをした。
「リルさん、レイス、ユリア。月が綺麗ですね。うんと綺麗です」
「はい。皆らぶゆです」
ロイとリルは顔を見合わせ、幸せいっぱいというような満面の笑顔を浮かべた。ロイはもう1度リルの唇、レイスの額、ユリアの額の順にキス。
その時雨戸を強風がガタガタ、ガタガタと大きく揺らし新米親2人は「ありがとうございます」と祈った。