日常編「リルの読書1」
ミユに貸してもらった本は「サンドゥリオと青薔薇の冠」という題名。一巻と書いてあるので続きもの。
あの優しかった前髪のお姫様の本みたいなので、義母に報告。
この本は「写して良い」という印がないからまだ写本禁止らしい。
あのお姫様の話なら義母も読みたいから、ミユに聞いて欲しいと頼まれた。
イオはええ火消しだから、彼の妻になるミユと仲良くするのよ。その言葉と共に。
夜寝る前に、ドキドキしながら本を開いた。
「リルさん、これから勉強ですか?」
ロイが珍しく、書斎に行かないで寝室に来た。さっきまで義父と何か話をしていたのに。
背後に座ったロイに軽く抱きしめられて嬉しいけど読書の邪魔だ。
「いえ。ミユさんが貸してくれた本を読みます」
「なんて本ですか?」
かわゆい前髪を流行らせた、あの優しい青薔薇の冠の姫様を題材にした話。
ロイは「へぇ」と言いながら本を手にしようとしたから「私が先に読みます」とその手を止める。
「その通りで、リルさんが先にどうぞ。少し拝見と思っただけです」
「これは中央区の貴重な本です。ミユさんに、旦那様にも貸してええか聞いておきます」
「中央区の? そうなんですか?」
「イオさんが休みの日に、らぶゆなミユさんのために買いに行ったそうです」
パンを沢山買ってきたように、ちょっとそこまでという様子で中央区へビューンっと行ったらしい。
スズとチエが、ミユは照れ屋でツンツンするけど、手紙だと素直だと言っていて、手紙に書いてあった。
「中央区で売ってるんですね。土曜の仕事帰りに探してきましょうか?」
「ミユさんから借りて、返して、私も何か貸して仲良くなるからええです」
くっつきロイも夫婦の会話も嬉しいけど、早く読みたいから両手で彼の胸を押す。
「気になる本は早く読みたいですよね。自分も何か読もうかな」
ロイは珍しく布団でゴロゴロ読書。私は机に向かって本を読み始めた。
頁をめくると、最初は絵だった。
ワンピースにエプロン姿で、頭には頭巾、素足で床を拭く女性の絵。暗い部屋に窓から光が差している。
思わず本を閉じて題名を確認した。青薔薇の冠と書いてあって、ミユが「レティア姫様の話」と言っていた。
「旦那様、サンドゥリオはなんですか?」
「分かりません。ミユさんに聞いたリルさんが教えてくれるのかと思っていました」
「まだ教わってないので、読み終わったら教えてくれるんだと思います」
見たことのない絵をしばらく見つめ、次の頁に進む。物語はまだ始まらなかった。
この話は、アルタイル国内の噂を元にした創作話。その小説を手に入れた著者が翻訳して出版したもの。
挿絵は原本になるべく忠実に描いてもらった。
サンドゥリオは古い言葉で、灰を被る者、小間使いという意味。
あのお姫様が使用人に優しくする話のようだ。
この話の主人公はシャーロットというお嬢様。
貧乏な貴族——煌国でいう華族の娘だから、お嬢様と呼ばれるけど、稼いでいる商人の娘よりも貧しい。
使用人も雇えない家なので、家のことはシャーロットが担っている。
(いっぱい働いてる……)
ミユが、寺子屋しか行ってない幼馴染にも読めるように、難しい言葉に振り仮名を振ったり意味を書き加えてあるから、とても読みやすい。
ミユが、幼馴染に読むより教えてと言われて、貸してないと言っていたな。
シャーロットは夜明け前には起きて、夜遅くまで働いている。
妹は可愛くて優しいけど、両親はどちらも腹の立つ人間だ。
(レティア姫様がシャーロットお嬢様のことを知って、親を叱って助けてくれるんだろうな)
お姫様はどんな風に現れるんだろう。そう、ワクワクしながら可哀想で健気なシャーロットお嬢様を応援する。
いつもと変わらないある日のこと。
世界の色が変わっていく夕暮れ時に、その人はシャーロット令嬢の前に現れた。
彼女は家から少し離れた、村外れの井戸へ水汲みに行くところだった。
夕焼けを背にしたその青年は、夕陽に負けない輝きを放っていた。
紺色のロングジャケットに、シミひとつない純白のシャツ。漆黒のズボンに銀色のバックル。艶やかな黒髪を穏やかな風が揺らし、同じ色の瞳は宝石みたいに煌めいている。
その美しい青年をシャーロット令嬢が見た時に、彼はふらりと揺れてしゃがんだ。
付き人が青年に声を掛け、シャーロット令嬢も慌てて駆け寄る。
(……ユース殿下?)
文を読み進めて頁をめくると、とても綺麗な挿絵があった。
星空の下で、シャーロット令嬢とユース王子が見つめ合っている。
その先の文には衝撃を受けた。
シャーロット令嬢——後のレティア姫はこうして、自分の運命を変える王子様と出会ったと書いてある。
これは、田舎村で灰にまみれていた令嬢があの『恵の聖女レティア・アルタイル王女』になるまでを、少ない公的事実に多くの想像を加えて作った物語らしい。
(あのお姫様は灰被りだったの?)
続きが気になるけど、ロイに「リルさん、遅くなると明日が辛いですよ」と声を掛けられた。
「旦那様! お姫様が灰被りです!」
「えっ?」
「ミユさんなら、汚さなければええって笑ってくれるから、読んで下さい!」
「そんなに面白いんですか?」
「読んで下さい。旦那様は早いです」
読み書きをまだまだ勉強中の私と違ってロイはなんでもスラスラ読んで飲み込みも早い。
読んでと急かして、ロイが文字を目で追うところを眺める。
ロイはあっという間に私が読んだところまで読み進めた。最後あたりだけ、少し目を大きくしている。
「お姫様が灰被りってこういうことですか」
「貧乏華族はどうやってお姫様になるんですか?」
「ユース王子と結婚したら妃で、王女様、この国で言う皇女様にはならないはずですけど、文化の違いでしょうか」
でも、とロイが続ける。
レティア・アルタイル王女はアルタイル国王の実子で、異母兄のユース王子と結婚する予定だと聞いている。
アルタイルは煌国と友好を結んでいるので、結婚式典には皇族が何人か出席するし、婚姻祝いの宴もこの王都で行われる。
「外務省ならもっと色々知ってそうですけど、うちは裁判所ですからね。リルさんや母上が知りたそうな話はなかなか」
「この本を読み進めたら分かりそうです」
「リルさん、これは創作話ですよ」
「事実もあるって書いてあります。どれが事実か知りたいです」
「青薔薇と前髪などでレティア様は人気ですから、これも流行りそうです。そうしたら、話を仕入れられると思います」
「頼もしいです。期待しています」
私は読書に集中していて、たまに声を掛けても反応が無かったから寂しかった。
ロイはそう言って、私にベタベタした。最近、仕事の疲れなのか先に爆睡して私を寂しがらせているのはロイなのに。
☆★
翌朝、ロイと義父を見送った後に義母にも本を読んでもらうことに。
この衝撃を分かち合いたくて。
「急いで掃除をして、ミユさんに謝ってきます。旦那様とお義母さんに勝手に貸してしまったって」
「リ……」
義母が何か言った気がするけど掃除だ掃除。洗濯物は溜めてないから明日!
どよどよした空だから布団は干せない。
もたもたしないで急いで掃除。でも、手は抜かない。時間を作ったので、買い物のついでにミユに会いに行く!
ミユの家に行ったら、居間でイオが寝ていた。机に突っ伏していて、褞袍が掛けてある。
夜勤明けで来て、酷く疲れたのか寝てしまったらしい。
「ん? あれっ、俺……寝てた?」
私が来たからか、イオは目を覚ました。
「お疲れ様です。上に布団を敷きますから、ゆっくり休んで下さい」
ミユはとても優しい笑顔でイオの肩に触れた。
「ありがとう。おお、リルちゃん。また遊びに来てくれたの?」
この言い方だと「自分の家に来た」という表現。婚約者は家族の一員ってこと。
「はい。借りた本のことで謝りに来ました」
話したら、ミユは「信頼しているから、ご家族や親しい友人に貸して大丈夫ですよ」と笑ってくれた。やっぱり。
「そこまで読んだんですね。あの冒頭には驚きました」
「衝撃的でした。続きが気になるから、時間を見つけて読みます」
「えー。ミユがリルちゃんと感想会を出来ないと困る。リルちゃんは何で忙しいんだ?」
「家の事があります」
「じゃあ、夜勤まで俺がしてやるから早く続きを読みな。俺はまだミユが大好きな本を読んでなくて、新しい本は無理なんだ」
驚いたことに、「行くぞ」という台詞と共に小脇に抱えられた。
ミユが「ちょっと」と言ったけど、イオは家を出て歩き出した。
「家事はしなくてええので降ろして下さい」
「買い物カゴを持ってるから買い物だよな? 昼飯はご馳走するから夕飯だけにしな。夕飯はそうだな。火消しの特性鍋にしよう。ガイさんはそれなら俺の雑飯でも満足しそう」
声が小さかったのか、イオは私を地面に降ろしてくれない。
兵官が近寄ってきて、「捕物か」とイオに尋ねる。
「俺の妹分です。足が遅いから運んでて。じゃあ」
イオは早歩きから走りになった。また兵官に捕まると時間の無駄になると言って。
ビューンっと運ばれて風になったみたい。恥ずかしいけど楽しいかも。
どんどん進んで町内会が近くなってきた時に、「おい!」と兄の声がして目の前に立った。兄は制服姿だ。
「おお、ネビー。お疲れ」
「リル! 具合が悪いのか⁈ おいこらイオ! 俺の妹を運んでくれるのはええけど、なんつう雑な持ち方をしてるんだ!」
「軽いからつい」
「丁重に扱え、丁重に! 俺の妹だぞ!」
兄こそ妹たちを雑に扱うのに。
体がぐるんっと動いて、片腕に抱かれる子供みたいな持ち方をされた。成人女性をこんな風に持つとは力持ち。
「これでええか?」
「よし、よかだ。熱はないな」
兄におでこと首を触られた。
「元気」
「元気? 元気になったのか? 立ちくらみか? イオ、ありがとうな」
「リルちゃんは病気じゃないぜ。かくかくしかじか」
イオが兄に説明すると、兄は「ルーベル家のための働いてくれるのか。ありがとう」と言って去っていった。見回り中だと言い残して。
そんなことしなくてええって止めないんだ。
降ろしてと言ったけど、遅そうだから嫌だと言われ困惑。
通り過ぎたご近所さんが、ギョッとしていたので頭を抱える。
玄関前で降ろされ、一緒に家の中に入り、イオを義母と会わせた。義母ならきっと、イオを止めてくれるだろう。
イオはペラペラ喋って、義母に「動く訓練がてら、俺に指示して下さい」と歯を見せて笑った。
「リルちゃん! ミユのために沢山読めよ!」
爽やか笑顔で、親指を立てた拳を向けられた。
戸惑っていたら、寝室に連れて行かれて「読め」と言われて一人残された。
(お義母さんが何も言わなかったから、読むしかない?)
訳が分からないけど、読みたいから読む。
読み始めた時は、イオの歌声が聞こえてきて集中できなかったけど、物語が面白くて次第に耳に入らなくなった。




