未来編「ルルの祝言決定」
その前にも人生の転機はあったけれど、二度目はきっとこれだ。
息子が「この女性と結婚する」みたいに暴れて、仕方ないと諦めたこと。
いや、嫁を「悪くない」と受け入れて、夫が望む親戚付き合いをすると覚悟を決めたあの時こそが、人生の分かれ道だった。
分岐路に立ち、明確に選んだ自覚はあるけれど、結果である現在のことは予想できていなかった。
誰だって、未来のことを正確に把握することなんてできない。
我が家に何年も居候していた、娘や孫みたいな女——ルルがついに結婚することになった。
見た目もパッと見の性格も嫁とは違うのに「中身はわりとリルさん」だから、私は自他共に、彼女を気に入っている。育たなかった、亡き娘に重ねることもあった。
彼女が婚約した時から、この地に留まることはないだろうと考えていたけれど、その通りのようだ。
まず最初にその情報を持ってきたのは、他ならぬルルだった。
婚約者のティエンに予定通りの辞令が出るという情報を掴んだらしい。
転属先への何度かの出張で期待され、歓迎されているからこうなる予感は強かった。
仕事ができる夫から、「風向きが悪い」と聞いていたけど、新制度や改革に向けて煌護省はかなり本気。
火消しのティエンの婚約者——平家ルルには奉巫女ウィオラがくっついていて、彼女の家族たちは娘の引っ越しに反対している。
しかし、そのルルは「転属するなら婚約破棄」という条件を捨てるくらい、彼にぞっこんのようだ。
そこら辺の情報をしっかり把握した煌護省は、農林水省と組んで「良い条件」を提示してきた。
その条件とは、ティエンの転属に平家ルルが妻として帯同するなら、新居を用意するというもの。
その新居は、湯治できる温泉を共同で使用できる家で、ウィオラ・ムーシクスの実家へ帰省する経路にある。
行政改革を進めるにあたり、転属者が増えているので、上地区本部周辺の家は埋まりつつある。
通勤が大変になる家しか用意できない代わりに、最近、荷車通勤なるものをできるようにしたそうだ。ティテンの新居もその通勤が出来る範囲の家になる。
「ということで、実家に帰って来やすいんですよ」
ルルは机の上に地図を広げて、私たちルーベル家に場所を示し、こういうことを説明した。
「上地区本部があるから、他の地域より医療が進んでるんです。テルルさんは定期的に我が家に旅行するべきです」
ルルのこの台詞で、彼女はもう婚約破棄ではなく引っ越しを選んだと伝わってくる。
これに伴い、ウィオラの奉巫女特権に、家族親戚の療養目的による遠出には、牛車などの移動手段を用意するというものが追加されるそうだ。
「旅行? おばあ様は旅行するんですね」
「私も行きたいです」
「レイス、ユリア、みんなで遊びにきて下さい。ルル叔母さんが沢山遊んであげますよ」
この発言に、息子とリルは「頭が痛い」というような仕草をした。
夫はどこからか情報を得ていたようで、私に向かって「上は色々手配してでも、ティエン君を欲しいらしい」と苦笑い。
「寂しいけど、ルルがいいなら。配慮してもらえてすごいね」
「そうですね。そうですか……」
息子も嫁も、どう見ても落胆している。
「寂しいなら、リルお姉さんやロイさんも会いに来るんだよ? 具合が悪いから温泉って言うたら来れるんだから」
「それは恐らく、手続きとか審議が必要な、わりと厄介な特権だと思います」
息子の発言に、ルルはニヤリと笑った。
「抜かりのないルルちゃんは、ウィオラさんと一緒にそのくらいのことは確認しました。この件に関しては『明日、行きます』だけで適応です」
ルルが続ける。ウィオラは負け戦の可能性も考慮して、他の件では頼み事をしないようにしてきた。そうしてくれていた。
そして今回、風向きが悪そうなので、ティエンの転属反対ではなく「気軽に遊びに行きたいです」という願いを口にした。利害が一致していれば、良い条件を引き出せるかもと。
「じゃじゃーん。家の間取り図も貰いました。テルルさんはお母さんと一緒に、引越し前の改装提案日や、引っ越しに着いてきてくださいね」
「えっ?」
この娘はやはり引っ越すのか。予想的中だと考えながら寂しさを感じでいたら、思わぬ発言が出てきた。
「ボロめだから改装してくれるんです。使い勝手のええ家にしたいから、お母さんとランさんだけではなく、テルルさんの知恵が必要です」
「まぁ、体の調子が良ければ」
「動かないと辛くなるんですから、可愛いルルちゃんのためならと奮起して頑張って来なさい。出不精だと、石になるまでの時間が早まってしまいます」
ここがルルとリルの大きく異なるところ。年々そうではなくなっているがリルは自尊心が低い。一方、ルルは『自分は愛されている』という自覚が強い。
リルたち六人兄妹は、しっかり者で相手に譲りがちな上三人と、ちゃっかり者で自分に合わせてもらう下三人に分かれている。
「はい、はい。面倒な娘を居候させてしまったことですこと」
「えへへ。楽しみだなぁ。彩商店街よりも都会だから、歌劇とか美術館とか、色々行きましょうね」
ルルは両隣にいる甥と姪に、二人は「どこへ行きたいですか?」と言いながらニコニコ笑っている。
その光景を、リルとロイは「嬉しくない」「不本意」というような渋い顔で眺めている。
「……旦那様が、ティエン君に龍神王説法を教えたりしたからです」
珍しく、リルがみんなの前で唇を尖らせた。ティエンをこの地へ招き、転属という道へ導いた最初のきっかけであるロイは、バツが悪そう。
「うわぁっ。リルお姉さん、ごめんね。寂しいね」
立ち上がったルルがリルを後ろから抱きしめた。
「でもさ、リルお姉さんはさ、結婚してから私に会いに来た回数は毎日や毎週じゃなかった! おりゃあ!」
リルは髪をぐしゃぐしゃにされ、頭をくっつけられてグリグリされた。
「それはそうだけど」
「私はここでの暮らしが楽しくて、実家のことを忘れがちだったから、ルルもそうなっちゃうよ」
「そうかもしれないから、私に手紙をいっぱい送るんだよ。私ね、リルお姉さんからの手紙は全部とってあるの。字、下手だったね」
「なんで最後にルカみたいな嫌味を言うの」
「あはは、照れ隠し。ほら、ロイさんに謝りなよ。ロイさんはリルお姉さんと結婚しなかったら、可愛いルルちゃんと妹になることもなく、悲しむことは無かったんだから」
「旦那様、八つ当たりしてすみません」
「いえ。八つ当たりくらい、いくらでもしてください」
いまだに、息子がリルに甘いとイラッとするけど、年々、どんどん小さくなっている。
私こそ、ルルに八つ当たりをしたい。怖い雷オババだと、私を遠巻きにしてくれていれば、今、こんなに切ない気持ちにはならなかった。
「テルルさんの世話は私もする」と言わなければ、期待もしなかった。しかし、『湯治をできる新居を用意した』だから、「世話をする」は嘘でもない。
「ロイさんかガイさん。かめ屋に報告に行くんで着いてきて欲しいです。役に立つからルーベル家への旅費を出せって交渉をしないと。レイへの手紙も預けます」
腹をくくったら、本当、ちゃっかりした娘だ。
ある程度素養があったところに、エルと相談した私がそう育てたし、計算高いところのあるウィオラがさらに彼女を成長させた。
(このちゃっかり娘は、ティエンさんみたいに思慮深くて大胆な人でないと無理だわ)
そう思っていたので、彼女は彼と結婚した引っ越すと予想していたけど、斜め上の状況になった。
夫と息子がルルと一緒に出掛けた。多分、今夜の夕飯も手に入れてくるので、私は孫と嫁とのんびりしよう。
「両親が心配なので……」
リルの声を遮るように、カラコロカラ、カラコロカラと玄関の鐘の音がした。
「こんにちはー。ジンです!」
「ジオが遊びにきた!」
「レイス、遊びに来ましたでしょう?」
すかさずリルが息子を叱る。
「ジオさんと遊びます」
ルルの話をどこまで理解しているのか分からない、悲しみ少ないレイスとユリアが、勢い良く立ち上がって走り出した。
軽く叱責したリルがついていき、しばらくして来客と共に戻ってきた。ジンとジオ、それにエルだった。
よく躾けられた外孫のジオが、祖母と父親の真似をしながら私とリルに挨拶をして、レイスとユリアと遊ぶと居間を去る。
「ここへ行くと言ったら、ジオもついてきて」
エルは孫たちを見送りながら、柔らかく微笑んだ。「急に来てすみません」が無くなったのはいつからなのか思い出せない。
いつから「いつでも自由に来て」と思うようになったかも、向こうがそう考えるようになったかも同じく。
「お二人はルルさんの件ですか?」
「そうです。あの子、ティエン君の転属が正式決定って聞いたらしくて『結婚と引っ越しが正式に決まった』って言って、勝手に挨拶周りを始めて」
エルは呆れ顔で「躾けたし、こちらでも躾けてもらったのに……」とため息を吐いた。
「俺と母で、ルルちゃんの後を追って、挨拶周りって感じです」
「猪突猛進ルルさんは、うちの夫と息子を連れて、かめ屋へ行きました」
「今度はかめ屋ですか……。行商の仲介をできるからお給金希望とか、そんなでしょうね」
エルはお腹を抱えて笑い始めた。笑いながら、娘のことを「幸せ者」と言い、目尻に涙を滲ませる。
「我が子は全員、一人でも生きていけるように。そう育てたつもりです。それなのに、一人では生きない女が出来上がりました」
私としては面白い表現だ。リルの変わった言葉選びは、この母からも受け継いでいるとまた感じる。
「確かに、ルルさんは一人では生きない女ですね。引っ越し先の下見に来い、私のために働けって言われて放心していたところです」
「うちの子、すっかりテルルさんに懐いちゃって」
エルと顔を見合わせて笑い合う。ジンやリルを見て、同じようにまた笑う。
「お二人は、次はかめ屋ですか?」
「ガイさんとロイさんが一緒なら任せます。それで、これからのことなんですけど」
引っ越し前に、ルルはきっとレオ家もルーベル家も行き来したいだろうから、それは今まで通り放置する。ただ、これで正式にルーベル家から『手伝い人』がいなくなる。エルはそんな話を始めた。
「リルからルルが居なくなってもいいようにしていると聞いていますけど、実際、どうですか? リルもどう?」
「家のことは一人でも大丈夫だけど単に寂しい。ロカをルルと同じ扱いにしたらダメ?」
私は現在、ロカにそこまで思い入れがないので、それをされるとまた今と同じような寂しい思いをさせられるかも。
レイはかめ屋で働き続けてどこへも行かないと思っていたらエドゥ山。ルルも「私は実家とルーベル家の近くで暮らす」が結婚条件だったのに引っ越す。ロカも何をしでかすか分かったものではない。
「テルルさんはどうですか?」
「そばにいると思っていたら孫みたいな子たちが遠くに行ってばかりなので、ロカさんにも同じ目に合わされるかもって胃が痛いです」
ルルがいないので、正直な気持ちを吐露した。
気持ちと裏腹なことを言っても、良いことよりも悪いことがある。それを、私は素直なレオ家から学び続けているし、彼らにすっかり心を許している。
「ロカは順調に行けば、あの小物屋の息子君なのですぐ近くですよ。ここと我が家の間にある、薬師所で見習いも始めますし」
「ちょっと、母さん。俺もネビーもまだあいつのことを許してないから」
ジンは一気に不機嫌そうな顔になった。
「兄には許可の権限はないって言っているでしょう。あの子の相手を認めるか決めるのは、私とルーベル家とウィオラさんだけだから」
「お母さん。うちもその件で口を出してええのは、お義母さんと私です」
夫はロカに思い入れはないから、余程のことがなければ誰でも賛成するのに、リルは夫のことも外した。息子はまぁ、兄弟たちと共に義妹の縁談に不貞腐れているので仕方ない。
「まぁ、でもロカさんだけ卿家の教えを教育しないのもね。高学年になるから一人で歩く訓練をするものですし、週に二泊くらいさせましょう」
ジオの登校は遠いけど、本人が楽しく続けている。レオかジンと朝、我が家へ寄って、うちの町内会の子たちと登校している。
ジオにほんの少し早く来てもらえば、レオかジンはロカと一緒に帰れる。女学校への登校もそのついでにできる。
「ルルの読みが当たりました。ロカにどうするか聞いたら、早起きになっても、リルとまた暮らしたいって言うのでお願いします」
「お母さん、平日毎日じゃダメ? 週末だけ帰れば? ロカは何か言ってた?」
「毎日がええけど、レイに続いてルルがいなくなってしょぼくれるお父さんについててあげるって」
「リルさんこそ、毎週帰って差し上げなさい。土曜なら家のことはロイにさせるから」
嫁はあからさまに嫌そうな顔をして、「それはたまに」と反抗してきた。
「代わりにウィオラさんが増えたから、彼女にも任せます」
「リル、あなたお父さんと何か揉めたの?」
エルの問いかけに、彼女はゆっくり首を縦に振った。
「結婚した時に、帰ってくるなって言った」
「……そうね」
娘の幸せを願って、簡単に帰ってくるな、頑張れと上手く言えなかった結果、根に持たれていると察したエルが苦笑いを浮かべる。
「だからお母さんもお父さんも、私に会いに来て。私が行くからって、全然、来ないじゃん」
「そんなことないわよねぇ、テルルさん」
「親子喧嘩はよそでやってちょうだい」
リルは今のは冗談だというように、クスクス笑い出した。
「毎週帰って差し上げては撤回しましょう。寂しさを紛らわせなくなったレオさんは、どうせうちに勝手にきます」
「そうです。お義父さんや旦那様と酒盛りです」
「ジンさんやネビーさんもいつでもどうぞ。レイスとユリアは毎日、ジオを待っていますし」
「お言葉に甘えて」
寂しい気持ちに、新たな人付き合いへの楽しみが入り混じっていく。親戚付き合いをすると決めた時には、ここまでレオ家に思い入れるとは考えていなかった。いつも思うけど、縁とはとても不思議だ。