特別番外「ルーベル家と異文化交流13の番外」
リルたちが料理をしてワイワイしている頃、ガイは奮戦の末に、異国人なのに将棋がとても強い、将棋が本職のようなドルガ——偽名イルガと相対する席についた。
イルガに、「兄貴とあれだけ勝負できていたので」と誘われたけど、正規の方法が良いと断り、ついに自力でこの試合を手にしたところ。
「一戦目はそのままで。俺が勝つから、二戦目は駒落ちで、同格の争いをしようではないか」
イルガは「自分は旅人、レグルスの弟分」という設定を忘れていないが、口調はほとんど素に戻っている。たまに、彼なりに気を遣っているけれど。
「負けませんと言いたいけど、見学した感じだと駒落ちにしないと勝負にならなそうです。貴重な時間を奪ってしまいますが、挑戦します」
「弱者の手も勉強になるので、無駄な時間にはならない。よし、始めよう」
ガイとイルガは将棋の勝負を開始。
これまでのイルガと火消したちの会話で、彼が元々は煌国の兵官だったということは耳にしている。
王都外でこの国を守る部隊に属し、旅医者たちから医学知識を貰い、それを祖国にもたらすことも「国の守護」であると考え、傭兵になり、現在に至る。
煌国人のそれなりの元兵官が傭兵にいるから、レージングたち一行は入国できる。
今では、信用されている医者たちだから、彼らだけでも許可を得られているけれど。
そういう話を、抜け目のないガイは聞き逃していない。
ガイは、家ではダラダラして甘えたい男だ。しかし、実際はそんな風に観察眼や調査能力があり、イルガの腰に下げられている小刀の柄の装飾をずっと気にしている。
白銀に輝く龍神王像の柄は、この国の紋を模したようなもので、普通の兵官はあのような誉れを賜ることはできない。
それを聞くか聞かないか、ずっと迷っていたのだが、開戦してほどなくして、イルガが話題に出した。
「そなたはしばしば、この刀を気にしているな。誠に目が高い。触れるだけで加護があるからどうぞ」
「えっ?」
高級そうな小刀を差し出されたガイは、思わず手を出した。彼の生育では当然の所作、両手で恭しく受け取る。
「この世に二つとない縁起物である。よく見ると良い。火消しに混じるそれなりの者よ、そなたはこの組の補佐官か?」
「いえ、自分は煌護省勤めではあるものの、兵官関係の事務職です」
「ほほう。俺の……かつての仲間が世話になっているのか。名は?」
「ガイです」
「そなたは苗字待ちだろう。それは?」
「ルーベルです」
「ガイ・ルーベルか。覚えておこう。中々の腕だからな。ふむ、五人相手だから、このままでも難敵そうだ。それを眺めながら、しばし待たれよ」
イルガは他の対局相手との対局を進め、ガイとの盤は沈思というように見つめ、しばらく黙り込んだ。
ガイは手にしている小刀をしげしげと眺め、首を捻った。
公職で龍神王の意匠を使用できる者は一部の皇族と、彼らから褒美として与えた者だけ。
『龍神王』は、一般区民も好き勝手に使える意匠だ。皇族龍神王の意匠を目にできる者は少なく、知っていれば決して真似をしない——禁忌なので、通常、市中で見かける『龍神王の意匠』は公的な意匠と大きく異なる。
「あの、こちらはどちらで?」
「ん? ……ああ。煌護省勤めなら、ドルガ閣下をご存知か?」
「ええ、勿論です」
年々激化する他国からの侵略行為を抑えるどころか、敵を薙ぎ払い、煌国を守護してくれている軍の要、猛虎将軍を知らない役人はいない。
「旅医者の傭兵になった後に、華国でお会いして、殊勝な生活をしていると賜った。これがあれば、領土内で医者たちの身分証明書になると」
「そうなんですか。前に、セレヌさんに異国の王族と会った話を聞いたんですが、あらゆる人々を助ける医者一行だと、時にうんと偉い方と会えるんですね」
ガイは、イルガの佇まいも所作の美しさも、彼の生まれた家の格式の高さを証明していると感じている。
堂々と年上に偉ぶった話し方をしているが、納得してしまうくらいの風格がある。
偉そうでも嫌味がないし、あれこれ捨てて高尚な旅医者たちの護衛を選んだ人物のようなので、かなり年下に見える彼の話し方を、「まあ、いいか」と受け入れている。
「人手不足なので、そなたのような聡明な男は大歓迎だ。どうだ、異国で共に働かないか?」
イルガことドルガは、本当のことは後で教えればいいやと、ガイを勧誘した。側近が人材不足だとうるさいことを思い出したので。
旅医者の傭兵は嘘なので、ドルガ将軍としての勧誘だ。
今日、彼は街中を今の格好でぷらぷらして、ガイだけがただ一人、帯刀している「皇族の証」に目ざとく注目した。だから、彼を気に入った。
ドルガはわりと勘や本能で生きている。彼の側近の出自はバラバラで、このように彼の気分で集められた者ばかり。
「もっと若くて独り身だったら、喜んで着いていったと思います。病を患う妻を置いてはいけませんし、連れて行くことも。残念です」
「そなたの妻は病気に蝕まれているのか?」
深く考えた末にというように、ドルガはゆっくりと将棋の駒を進め、顔をしかめた。とても悲しいというように。
「よくある、石の病です。幸い、軽症で進行も遅いようですけれど……旅には連れて行けません」
「それなら我が加護を分けなければ。この戦いが終わったら参ろう。兄……は見当たらないな。いつ居なくなった? まあ、いいか」
自分の加護を与える。ガイにはその発言の意味は分からず、戸惑った。
ただ、会ったばかりで二度と会わないかもしれない相手の妻に対して、とても親切な気持ちを贈ってくれたことは分かるので、柔らかく微笑んだ。
ドルガは次々と対戦相手を倒し、次の対戦相手を断り続け、最後はガイと一騎打ち。
一対一になると、ガイはあっさり負けた。
指導打ちのようになって悔しい気持ちと、こんなに強い相手と戦えたという喜びが入り混じる。
健闘を讃える火消したちにお酒を振る舞われそうなガイは、ドルガに「参ろう」と言われ、帰路についた。
二人で歩き出す。
(旅人と二人で歩くことになるなんて、妙なこともあるものだ)
ガイはそう、心の中で呟いた。
隣を歩く長い黒髪を三つ編みにした、とても端正な顔立ちの青年は、息子よりもいくつか年上に見える。
歩き方は凛々としているが、国防軍の兵士だったにしては品があり、華族だろうなとまたしても感じた。
そこへ、「ガイさん」とネビーが合流。
「帰るって聞いたんで、送りにきました。ロイさんやレージングさんは、俺の友人たちと飲んで踊って楽しそうなんで、イオたちに任せました」
「そうかそうか。色々ありがとう。楽しかった」
ガイはドルガに「彼は嫁の兄です」と言い、三人で歩き出した。
「我が子は一人しか大人になれなくて。その息子に兄弟がいると安心なので、息子と付き合いの長い彼を、息子に迎えたんですよ」
「ほう。名は?」
「ネビーです」
「こんばんは、ネビーです。ガイさんは、なんでイルガさんと一緒なんですか? 気が合って家で飲み直しですか? 組はわちゃわちゃ、うるさいですもんね」
「イルガさんが、妻が病なら、縁起のええ小刀を触ると良いと言うてくれてな」
「縁起のええ小刀? あの高そうな刀は縁起物なんですか?」
「息子にも触らせても良いが、その前にその腰の代物について説明願おう。さすがに養父が煌護省勤めなら、無許可ではないだろう」
頭の上にハテナを浮かべたネビーに、ガイが「イルガさんは以前は国防軍の兵官だったそうだ」と教えた。
「だから規定など、色々ご存知のようだ。イルガさん、ネビーはこの地域の地区兵官で、常時帯刀許可が出ているんです」
「へぇ。国防軍。雰囲気バリバリだから普通の平戦場兵官じゃなさそうっすね。そんな高級刀が買えるなら、やっぱり戦場もありだったのかな。いや、そうすると目標が……。うーん……」
腕を組んで唸り始めたネビーを見て、ドルガはガイにボソッと耳打ちした。
「最近養子にしたのか? 息子殿の嫁の兄だから養子にしたというなら、そんなに前ではないだろう。そなたの様な聡明な父と正反対の観察眼のなさだぞ」
大丈夫か?
ガイはそう心配されて、苦笑いを浮かべた。
「ご心配、ありがとうございます。育てるので大丈夫です」
歩きながら、ガイはなぜ一緒なのか説明した。
「そういうことだったんですか。めちゃくちゃ親切ですね。はえぇぇ、あのドルガ様から貰った小刀なんて俺、怖くて触れないです」
「怖い? お前はお……ドルガ……様が怖いのか?」
ドルガは自分のことを俺とか呼び捨てしそうになり、なんとか軌道修正した。
「そりゃあ畏れ多いですよ。この間も、援軍が間に合わないと思っていたら、閣下の颯爽とした到着だけで形勢逆転で街が守られたって格好ええ。俺は息子が生まれたらあやかる名前をつけます」
兵官の多くがそうであるように、ネビーはドルガ贔屓だった。
嘘を見破り、お世辞を嫌うドルガは、本心からの褒めにはそこそこ弱いのでご満悦。
そうかそうか、もっと聞かせてくれとネビーがもっと話すように促す。
(頭の悪そうな小僧だが、ガイが育ててマシになったら、彼のおまけとしてなら、自駒の一つにしても良いかもな。才には恵まれていそうだ)
普通の人間は、第一印象で、撫で肩で細身のネビーを「弱そうな兵官」とか「事務系の兵官だろうな」と評価する。
しかし、ドルガの目は筋肉の質などを見抜いているので彼のそこそこの才能を見抜いた。
(連れてって俺自ら鍛えればそれなりになるか? ふむ、義母と親しくないなら連れてっても良いかもな)
ドルガはネビーのことも軽く誘ってみた。しかし、即、断られた。
「うんと気になるけど、両親に恩返しをして、下の妹たちを任せられる男たちを見てからでないと、どこへも行けません」
ネビーは自分は、家族の犠牲の上で今の仕事を得たと簡単に語った。
「きっと恩返しなんて要らない、犠牲じゃないって言う両親です。だから旅に出て寂しがらせるのは。俺はこの国で、この街で、小さな世界で、少しでも誰かの役に立って、下も育てます」
「そうか。そういう事情の者を無理矢理引っ張って行くわけにはいかないな」
「気が済んだら気が変わるかもしれないので、またセレヌさんたちと休息に来て、誘って下さい。明日、行ってしまうんですよね?」
「休息か。感謝する。予定では明日、出立する予定だ」
「妹を大切にしてくれるルーベル家の名に泥を塗らず、名誉を高めたいのもあります。だからまだ、どこへも行けません」
「まだ、ならまた誘う。機会があればな」
ドルガは記憶力は化け物ではないので、ガイのことも、ネビーのことも、ルーベルの名前もしばらくして忘れる。
だから、彼がネビーを部下に誘うのはこれきり。うんと未来で再会するが、お互い忘れてしまい、再会したと気づかない。
これは、リルとロイが作った、ネビーの人生の分岐点の一つだった。
★
三人はルーベル家に到着した。
知らせを入れないで客を連れてくると妻は怒るが、特別な人物——セレヌの旅仲間なら許されるだろうか。
ガイはそんな風に考えながら、緊張しながら呼び鐘を鳴らし、自分の名前を告げて「ただいま帰りました」と声を出した。
出迎えてくれたのはルーベル家の嫁リルで、義父ガイの隣に立つ、威圧感たっぷりの大男、イルガの姿を見て固まる。
「リルさん、こちらはセレヌさんたちの旅仲間、ヴィトニルさんと同じ傭兵のイルガさんだ」
「こんばんは、リルです。ようこそいらっしゃいました」
「初めましてリル殿。夜分遅くにすまない。ガイ殿の妻が病だと聞き、医学知識が足りない分、せめて加護をお裾分けしようと参った」
これが、ドルガと後の『俺の画伯』の初対面。お互い、そうなることなんて知らない。知るわけがない。
「皇族から賜った貴重な品を、母さんに触れさせてくれると言うてくれてな。母さんは起きているかい?」
「はい。三人で刺繍をしていました」
イルガはリルにどうぞと家の中へ促されて、ルーベル家の中へ。
「なんだ、セレーネ。そなたはこの家で世話になっていたのか」
「……イルガさん。あの、どうしてこちらへ? レージングやレグルスさんは?」
「共にと誘うはずだったが、見当たらなくて。俺と同じくあれこれ珍しくて楽しいのだろう。まだ区民と戯れておられる」
セレヌことセレーネは、心の中で深い、かなり深いため息を吐いた。
あまり会話したことのない親戚と、このような形で二人になるとは。
今の喋り方や言葉選びは、『旅人』という設定を忘れてそつだと。
ドルガはセレーネを誘い、廊下に出て、自分の今の設定を彼女に教えた。
「そんなに心配するでない。ガイは観察眼が良さそうだから、この家に長居もしない。すぐ帰る」
「大変、申し訳ありません。私や夫の我儘に付き合わせてしまって」
「兄上や可愛い甥の願いは叶えるものだ。もちろん、新しい姪も。兄上は時に頓珍漢で口滑りだから、この家のことは教えないでおこう」
セレーネは、ドルガが爽やかで優しげな笑顔で、自分の腕をトントントンと叩いたことに、感謝の気持ちを抱いた。それに、話が分かる人で良かったとも。
ここにドルガの最側近セトがいたら、「騙されていますよ」と言うだろう。
ドルガの感情の起伏は激しく、思考も独特なので、時々手がつけられなくなるが、それはまた別の話で。
セレーネとイルガは廊下から居間へ戻った。
軽く挨拶会をして、ガイが『イルガはなぜ来てくれたのか』を説明する。
「ご親切にありがとうございます」
「善良なら我が民は、すべからく愛でるもの。……と、ドルガ閣下は仰せでした。どうぞ」
テルルはドルガに優しく手を取られ、小刀を共に握り、慈しみのこもった龍歌を贈られた。
この光景を見て、義母に良いことがあった、体が良くなるかもと、リルは少し泣いた。
「この家は、義理の母を心から案じる良い嫁を招いたのだな。どれ、リル。そなたも触れるが良い」
「私はすこぶる元気で風邪一つ引かないので大丈夫です。ありがとうございます」
「遠慮するな。減るものではない」
それならと、リルは指先で美しい小刀に触れた。
「では、これで。兄に相談があるので」
ドルガは、兄や火消したちのところへ戻るとにこやかに告げた。
「私も行きます。お世話になっている方々に挨拶をしないと。皆さん、また明日、お祭りで」
セレーネのこの発言に、ドルガは顔をしかめた。
「待て。いくら自信があっても女人が夜中に出歩くなぞ許さん。挨拶なら明日にしなさい」
「あっ、はい」
「そうですよ、セレヌさん。女性は夜、歩き回らないこと。安全のために。イオの家に泊まるんだと思うんで、案内で一緒に行きます」
こうして、ネビーがイルガを連れて行った。
「親切な旅人さんたちの仲間は、親切ですね」
「別行動が多いから、ここまでとは知らなかったです。よくよくお礼をしておきます」
すれ違うように、ロイを背負ったレージングが帰宅した。レージングはかなり酔っていて、ロイなんて眠っている。
「すみません。そこまで強くないのに、楽しくて飲み過ぎました。ロイさんも付き合わせてしまって……」
そのまま、レージングは玄関で眠ってしまった。
「レージングが飲み過ぎて寝るなんて初めて見た」
セレヌがヒョイっと二人を肩にかつぎ、リルを驚かせる。
「私、力持ちでしょう?」
「羨ましいです」
「リルさんは変わっているわね。ドン引きされることの方が多いのに、羨ましいなんて。私としては嬉しい。だからつい、こうやって自分を偽らずに見せちゃう」
「私は変わり者らしいです。力持ちは色々できてええです」
セレヌに運ばれ、リルの敷いた布団の中で眠るロイとレージングは、何かを「むにゃむにゃ」と言った。
そんな夫たちを少し眺めると、リルとセレヌは笑いながら部屋を後にした。
★
翌朝、レージングは妻から昨夜のドルガ来訪の話を聞き、何事も無かったことに胸を撫で下ろした。
「父上も、何もしでかしていないといいんだけど」
「フィズ様なら大丈夫よ、きっと」
「その名前を出さないように気をつけて」
「あっ、うん。気をつける」
「必ず近々会いに行くから帰って欲しいと頼んだけど、帰ったかなぁ。イルガさんも連れて帰ってくれてあますように」
レージングの願いは叶わず。
彼は闘技場で父親と叔父に再会し、当初の目的を忘れているフィズは「火消しの試合を間近で観られる」と目をキラキラさせ、その隣で、ドルガは「俺が優勝だ」と大笑いした。




