俺と義弟と姉妹たちの話3
レオ家へ行こうと考えていた休日に、ネビーの婚約者ウィオラが彼女の祖父ラルスと共に我が家へ来たいという手紙がきた。
向こうから来てくれるのならと二つ返事で了承。出禁と言われたばかりなのに、それを無視して実家へ顔を出すというルルに手紙を託した。
日曜の午前中に、ウィオラとラルスはロカと共に菓子折りを持って来訪。実家に泊まったルルも一緒に帰ってきた。
ウィオラはレイスとユリアに「また演奏すると約束しましたから約束を守りにきました。遊びに来ましたよ」と笑いかけ、せがむ二人に演奏と歌を披露してくれた。
ロカも一緒になって子守りをしてくれている。
ラルスは父と書斎に消えたので、結婚関係の打ち合わせか何かだろう。
ウィオラは子供たちの寝かしつけまでしてくれて、それが終わるとリルと俺に相談があると話しかけた。
俺たち夫婦はウィオラの様子を探りたかったので、これは好機だと、彼女を二階の書斎へ招いた。
母とリルがルルに、良い機会だから妹に料理を教えなさいと命令。
花嫁修行をしているはずなのに我が家であまり料理をしないルルは、渋々という様子でロカと母と台所へ去った。
ルルは料理嫌いではないけど、母とリルの細かさは嫌っている。掃除の時も、「もっと大雑把でも生きていけますー!」と、ちょこちょこ喧嘩している。
ウィオラから俺とリルへの相談は、女学校で書類隠しがあったことだった。
自分はしょうもないと流せるけど、若くて社会に出たばかりの新人さんたちは、きっととても落ち込むだろうと告げた。
「ですので、自分なりに環境改善による抑止をできないか考えてみました。ロイさん、ご一読いただき、不足があれば増やし、ご友人経由で役所へ提出していただきたいです」
卿家はどこの役所にツテコネがあるもの、これは小さな点数稼ぎになりますという言葉が添えられた。
その通りなので書類に目を通し、載っている実例が今回彼女がされたことではなく、過去のことや他校のことで、彼女が新人いびりについてそこそこ調べたんだと分かった。
書類は恒例行事かもしれないという考察と、その理由の推測と、防止策の案——私立女学校で取り入れられている具体例などで締めくくられている。
リルも読みたそうなので彼女に見せた。
「よかな改善案だと思います。ただ、この前に相談していただければ、友人がこれをしましたよ」
「託すご友人が作成したことにしていただけませんか? あの新人が密告したという評判は少しばかり困ります」
「それも含めて、ここまで自分でしなくても大丈夫です。ネビーさんの婚約者はもう家族同然です。頼って下さい」
「時間があると考え事をしてしまうので、気晴らしです。お気遣いありがとうございます。またこうして頼りますね」
心の底からというような笑顔を向けられたけど、こちらへ踏み込んで来るなという壁も感じた。
俺と彼女はまだ知り合って一ヶ月も経っていないし、交流もまだほとんどない。
俺は主にルル経由で彼女の話を聞いているけど、ウィオラが俺の話を聞くことはなさそう。
というか、ネビーや親戚たちは俺の話のうち、どんなことを彼女に話したことがあるのだろうか。
「女学校の先生たちって怖いんですね」
書類を読み終えたリルが困り笑いを浮かべた。
「いえ、優しい方が多いですし、書類隠しくらいしか出来ないなんて愛くるしいです」
ニコッと笑ったウィオラに対して、リルはあからさまに狼狽した。
それを見たウィオラが不思議そうに首を傾げている。
「ああ、心配していただかなくても私は大丈夫です。蚊が頬に止まったくらいのことですから」
「……蚊が頬に止まったらパチンって叩きますよ! あっ、これですね。でもこれにはウィオラさんのことは書いてありません」
リルはウィオラは大丈夫なのか心配な様子だけど、当の彼女は平気そうにニコニコ笑っている。
「自分のことは自分で解決しましたので、ご心配ありがとうございます」
「あの、ウィオラさんは書類を隠されてどうしたんですか?」
リルがおずおずと尋ねた。俺も知りたかったので助かる。
「教務室内で窃盗だなんて全体責任問題です。明日、端から順番に探しましょうと提案しました」
普通、新人は言えない台詞だ。新人でなくても肝が小さいと言えない。そもそも、この発想が出てこないだろう。
「見つからなかったら窃盗として通報や報告しないといけません。退勤だと勘違いして、親切な方が片付けてくれたら良いのですが、という感じです」
同僚を疑うなんてあさましきこと。きっと親切でしょうと泣き真似をして帰宅。
これで翌日には書類が出てくると思ったら案の定。
不審な態度を示した人たちが犯人で、その中でもさらに怪しい人間が中心人物だから呼び出して、軽い縁切り宣言をして「何かあれば役所へ報告する」と釘を刺した。
ウィオラは微笑みながら、なんてことのない話という表情を浮かべているけど実に豪胆で策士だ。
職場ではきっと「生意気な新人」とヒソヒソされているに違いない。
さすが家出して何年も一人で生活していたことがある女性だ。肝が据わっている。
「それでは普通の新人さんたちのために、ご検討よろしくお願いします」
扇子を使った深々とした礼をされたので「謹んで」とお辞儀を返した。
ネビーは婚約したウィオラのこのような一面を知っているのだろうか。
見た目はほんわか癒し系なのにかなり気が強そう。
お隣さん同士だから、文通も付き添いつきのお出掛けをしなくても毎日お見合いみたいなもの。
それなら婚約——仮結納をして交流しましょうというのがネビーとウィオラのお見合い結果だ。
二人もまだ知り合って一ヶ月くらいしか経っていない。
そもそも俺はまだ彼から彼女の何がどう良いのか教わっていない。彼に暇がなくて。
「ロイさん、リルさん、あとは演奏会の打ち合わせをしたいです」
「ええ、よろしくお願いします」
リル——リルの嫁仲間経由で、ルーベル家の次男が婚約した、元芸妓で素晴らしい演奏家だという噂になっているし、リルの嫁仲間がウィオラの演奏会を望んでいて、彼女は快く引き受けてくれた。
リルがウィオラに手配した内容を説明するような形で打ち合わせが進み、無事に終わった。
いつの間にか、ラルスも参加してくれることになったようだ。
「腕を磨いておきます。そうでした、リルさん。リルさんはネビーさんの好みの梅干しをご存知ですか?」
「梅干しですか?」
「梅干しで元気が出るそうなので、ご用意したいのですが、ご家族の方々がそれならリルさんに聞くと良いと」
リルは首を傾げ、次はああというように首を縦に揺らした。
「それはきっと、我が家の梅干しを強奪して来いってことです」
「強奪ですか?」
「五年前の梅干しが人気なんです。もう少ないからこちらの両親用にしていまして」
義理の姉候補が激務の兄のためと言ったら、自分は梅干しを差し出すに違いない、義理の姉候補の手前、ケチくさく「兄へ一粒渡して下さい」なんて言えるわけもなく。
「上手い手です。泣く泣く分け与えます」
「まぁ、それでしたらお店を教えてくだされば、その五年ものの梅干しを皆さんの分も買ってきます」
「私が作ったので売っていません」
ウィオラは驚き顔になり、「梅干しを作れるのですか?」と呟き、瞬きを繰り返した。
「ええ。好みの味が中々売ってないので毎年漬けています。梅農家にツテがあって材料を買いやすくて」
「見学したいです。可能なら作業をしてみたいです。梅干しを作れるなんて……リルさんも料理人さんなのですか? レイさんのように」
「いえ、元々は買うと高いから、母と山へ梅をとりに行って漬けていましたから、母に教わりました」
「まぁ。エルさんはそのような楽しい、素晴らしい技をお持ちなのですか。元梅干し職人さんだなんて、まだ教わっていませんでした」
リルが「母は元梅干し職人ではありません」と言いたげだけど、ウィオラが「お母様やお姉様も見学したいかしら。忙しくない時なら観光がてら」と喋り続けているから、彼女は何も言えず。
「リルさん、梅干し工場はどちらですか? ルーベル家は工場をお待ちなのですね」
リルは目を見開いて「まさか」と小さな声を出した。
「普通に台所で漬けます」
「まぁ、梅干しは工場でなくても作れるのですか」
心の底から驚いたというようなウィオラの様子に驚く。
リルが「軽く説明しましょうか」と提案して、ウィオラが「ぜひ、お願いします」と頭を下げ、台所へ移動することになった。会話が気になるので俺もついて行くことに。
ルルが言っていた、「ウィオラさんはなんだかんだ箱入り娘」というのはコレのことだろう。
台所へ行ったら、ルルが母にけちょんけちょんに怒られていて、「ロカさんを見習いなさい。妹といくつ離れていると思っているんですか、恥ずかしい」とまで言われた。
「姉がいつもご迷惑をおかけしています」
「ぐっ、テルルさん! ロカをだしにしないで下さい。それに私はロカと違って女学校に通っていません」
「レオさん達はあなたを女学校に入れることも考えていましたが止めたのは私です。私が責任を持って国立女学校卒と同等の教養を与えると言ったから、最後までその責任を果たします。やり直しなさい」
「鬼! 知っているんですからね! 国立女学校はこんなに細かくないです!」
嫁は夫の好みの味を保つことも仕事で、うちの大黒柱は味にうるさいから合わせなさい、良妻とはそういうものですと、母はルルにお説教を続けていく。
嫌なら大雑把でも許される実家へ帰りなさい、ご両親に追い返されるでしょうねと言われたルルは、膨れっ面で「匙とかすり切りとかこの世から消えろ」と手を動かした。
この二人は何回、同じようなやり取りをするのだろうか。ルルもいい加減、我が家の台所の規則を守れば良いのに。
ウィオラは二人のピリピリした様子におろおろしたけど、リルはいつものことだというように淡々と梅干しの入った壺を棚から出している。
「リルお姉さん、それ、なぁに?」
母とルルの痴話喧嘩が嫌になったのか、ロカが俺たちの方へ近寄ってきた。
「お母さんに泥棒されそうな梅干し」
「あっ、お兄さんが梅干しが食べたいんだって。絶対にリルお姉さんの傑作のことだよ。少しお裾分けして? ねっ?」
ロカはしゃがんでいるリルの両肩に手を置いてつま先立ちを繰り返した。
「この年の梅干しは貴重だからダメ」
リルは板間にある棚から箱と菜箸を出して、「ラルスさんとウィオラさんの分、お兄さんの分で三個」と言いながら壺から梅干しを移した。
「リルお姉さん、私ももう一回食べたい」
「それならロカさんは私と半分こしましょうか」
「ええんですか? わーい」
先生と生徒で立場が異なるけど、ロカとウィオラは登下校を一緒にしているらしいので実に親しげ。
「そうしたらウィオラさんの分が減るから、これはこっそりロカの分ね」
リルは箱に梅干しを一つ追加した。両親が気に入っていて、残り少ないからと、俺さえもう食べさせてもらえない五年前の梅干し……。
「リルさん、自分も」
「旦那様はつまみ食いしたからダメです」
「……はい」
食料管理はリルの領域なのに、ご近所さんのヨハネが遊びにきたときに酔ってつい、つまみが欲しい、あれが良いと傑作梅干しを盗んだから根に持たれている。
これに関しては俺が悪いから言い返せない。
リルの背中が過去を思い出して怒っている雰囲気なので逃げよう。
母がそろそろ、「リルさん」と言いそうなのもあり。
「リルさん! この娘をどうにかしてちょうだい!」
「はい、お義母さん。ウィオラさん、梅干し作りの説明は後でします。ルル!」
リルのいつもの小声が急に雷のように大きくなった。
「あー……そうだ。そうでした。ウィオラさん、この家はネビーさんの第二の家ですから、町内会を案内します」
「ロイ、そうしてちょうだい。お嫁さん候補に身内の恥を見せるわけにはいきません」
母がロカを誘って孫の様子を見ると言い、リルがルルを叱り始めたので、俺は母たちと共にウィオラを連れて去った。
父と話し中のラルスに声を掛けて、町内会を案内すると告げて、ウィオラと三人で散策へ。
明らかに女性を避けて生きていたネビーが、「まだ結婚は早い」と言って周囲の人間を心配させていてもどこ吹く風だった彼が、突然この人だと選んだどのような女性なのか気になってならない。
父から、彼が絶対にこの人、その為なら自分の譲れないものも譲るし必要に応じて捨てるという話も聞いている。
だから俺はウィオラに興味津々なので彼女について探りつつ、彼女に義兄——または義弟の良いところを伝えようと考えていた。
しかし——……。
「その話ならネビーさんに教えていただいたんですが、ロイさんは掃除をする姿も絵になると」
最近の話よりも昔の話、それも俺しか知らない話をと思って話題を提供したら、その時にネビーが目撃した俺の話をされることに。
あまり交流のなかった頃に、ネビーが俺をそういう目で見ていたとか、何かを目撃されていて、意中の女性に俺の褒め話をしていたなんて。
気がついたら三つくらいそういう昔話をされ、家族親戚が俺のことをこう言っているという知らない褒め話になった。
「だから私、ロイさんとゆっくり話してみたかったのです。雪酔狂猩猩の原典を読破して覚えているなんて、気が合いそうですもの」
嫌味も接待感も全くない話し方で、〇〇から聞いているから尊敬していますというような話題の後に、心の底から嬉しいというような笑顔だから眩しい。
おそらく、ネビーはこれに拐かされたのだろう。
ただ、彼は褒められ慣れていて、自己評価の高い自信家だからこういうものに弱くはないはず。
そうなると、彼は彼女の別のところに惹かれたのかもしれない。
「そういえばネビーさんに『分かりません』って言われて、仕方がないから紙芝居を探したことがあります」
「まぁ、見つかりました?」
「ええ、行きつけの図書館にありました」
「どのような絵でした?」
話題はそこから絵のことと、雪酔狂猩猩について。
帰宅して昼食をとりながらその話を続けたら、ルルも会話に参加して、説教をされてイライラして見える彼女の機嫌が直った。
そしてルルのことで腹を立てているように見えたリルも、「旦那様が連れて行ってくれて演奏会で聞いた連獅子の原作です」と言って笑顔に。
昼食のあとにウィオラは連獅子を軽く舞ってくれて、真似したレイスとユリアに軽い稽古をして、二人の連獅子と彼女の演奏で我が家は大盛り上がり。
ウィオラとラルスが帰宅してから、ネビーのために彼女を気遣うはずが、我が家が接待されて終わったと気がついて愕然とした。
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