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ちび編「小さなイノハの白兎」

 ぼくが作ったものを家族が「美味しい」とニコニコ笑いながら食べる夢を見たから、今日は何か作りたい。

 何か作りたいと母上に頼んだら、今日は珍しく「忙しいからすみません」と断られて、悲しくて庭の隅で泣いていたら、おばあ様が「母上はお仕事なんですよ」と教えてくれた。

 それは聞いたけど、ぼくはもうお手伝いできるのに。


「レイス、レオさん家に遊びに行きましょうか」


 おばあ様は足が痛いから、おじい様が連れてってくれるという。

 

「行きます! ジオとあそぶます!」


「それじゃあ支度をしましょう」


「はい!」


 お出掛け用の着物に着替えて、手土産を持って、「ごめんね」と言って抱きしめてくれた母上の頭をなでなでしておじい様と出発。

 ユリアは仕事が終わった父上と剣術道場へ行ったのでおじい様を独占だ。

 レオ家は遠いけどぼくは強い父上の子だから沢山歩ける。えっへん。

 おじい様はおばあ様と違って足が元気なので、一緒にたくさん散歩ができて楽しい。

 お外に行くのが大変なおばあ様の元気が出るように黄色い葉っぱを集めようとしたら、まずはレオ家に行こうと言われた。

 言われてみれば、レオ家の近くでも葉っぱを拾える。


「ころころ、どんぐり、どんぐりこ〜」


「ん? レイス、どんぶりこ〜だ」


「ちがいますよ。どんぐりこです。ころころ、どんぐり、どんぐりこ〜穴にハマって大変だ〜」


「穴? 川を泳ぐんじゃなくてか?」


「おじい様、おうたのじゃまはいけません」


「おお、すまない。そうだな」


 どんぐりが穴に落ちて、雨よふれふれと蛙に祈り、蛇が伸びてどんぐり釣り。

 ぼくは最近、この歌がとっても好きだ。歌が上手いと褒められるからさらに好き。

 早くお琴で弾けるようになりたい。ウィオラさんは次はいつ、ぼくに会いにきてくれるかな。

 沢山歩いたら疲れてきて、おじい様と茶屋でお茶を飲んでいたら、目の前で人が転んで、その人の背中の上を猫が駆けていった。

 水色の羽織りに猫の足あとがついて綺麗。


「お役人さん、大丈夫ですか?」


「あっ、ジミーさん!」


 転んだのは父上の友達のジミーさんで、猫の足あとが綺麗だと教えたら、「教えてくれてありがとう」と頭を撫でられた。

 おじい様とジミーさんが色々話をして、綺麗な猫の足あと羽織りは、子供が風邪をひくと危ないからということでぼくの上着になった。

 ジミーさんも父上と同じく、今日は半分だけ仕事のはずなのにまだ仕事をしていたらしい。

 こんな時間まで残業とは未熟者、恥ずかしいとジミーさんが言うと、おじい様が「ロイの話だと君の仕事量は多過ぎる」と言った。

 ぼくはまだ大人の仕事のことがよく分からない。

 母上も半分休みの日なのにまだ働いてると言ったら、母上の休みの日は今日ではないという。

 難しい、難しいと首をひねっていたけど、分からなくてつまらないから楽しく歌うことにした。


 レオ家にお菓子を買うから、雅屋というお店へ行った。

 ぼくはこのお店に何回か来たことがある。お行儀よくすると美味しいお菓子を食べられるところだ。

 緊張するからおじい様の手をギュッと掴み、出入り口が広くないからぼくと手を離したジミーさんを追いかける。

「いらっしゃいませ」と笑ってくれたのはコトリちゃん。

 空を飛ぶ小さなかわゆい鳥と同じ名前のかわゆい女の人。

 くだけてええと言われないからコトリさんと呼ばないといけない。


「コトリさん、いらっしゃいました……。レイスです」


 挨拶をできて偉いでしょう、えっへんと胸を張りたいけど恥ずかしいからおじい様の後ろに隠れた。

 コトリちゃんはぼくの前にきてしゃがみ、「レイス君、こんにちは。今日はおじい様とご一緒なんですね」と笑いかけてくれた。

 

「はい。ジミーさんもいっしょです」


 コトリちゃんはニコニコ笑いながら立ち上がり、ジミーさんに向かって「シシド様もいらっしゃいませ。ユラさんをお呼びしますね」と両手を合わせた。

 

「いえいえ、仕事の邪魔をしにきたわけではありません。これからレオさんの家へお邪魔するのでそうですね、季節のおすすめをお願いします」


 ジミーさんはにこやかに笑いながら商品棚に近寄り、数はいくつと言い、おじい様とどちらが財布を出すかで喧嘩。

 喧嘩は悪いことだから「いけません」と注意したら、お財布は半々で仲直り。

 でも、どうやって丈夫なお財布を半分に千切るんだろう。

 確認しようと思っていたけど、コトリちゃんが席に案内してくれて、小さなお饅頭とお茶を出してくれたから見られなかった。


「今日はユリアちゃんは一緒ではないんですね」


「はい。ユリアはけんじつどうじょうに行きました。父上とです」


「では、こちらは剣術を頑張ったあとのユリアちゃんへ」


 そう言って、コトリちゃんはサッサの葉にくるまれた何かをぼくにくれた。

 目の前で小さな布に包んでくれて、「どうぞ」と差し出されたので両手で受け取って頭を下げる。

 

「ありがとです」


「どういたしまして。お手洗いは大丈夫ですか? 行きたくないですか?」


「……」


 家族ではない女の人にそれを言うのは恥ずかしいことだけど、言われたら急に行きたい。

 頷いたらコトリさんがおじい様に声をかけて、「(かわや)へご案内します」と言った。


「まだ一人だとあれでしょうか。シシド様、付き添いをお願いできますか? レイス君はシシド様が良いそうです」


 ぼくはそんなことは言ってないし、一人で行けるもんとお腹がふつふつしたけど、失敗して着物を汚したらおじい様に怒られてジオと遊べないかもしれない。

 おじい様はぼくやユリアのことをほとんど怒らないけど、父上のことは「できないなんて」とよく怒るから、ぼくもきっとできないと怒られる。

 ジミーさんに近寄って、手を取って「おねがいです」と頼んだら、手を繋いで頷いて笑いかけてくれた。


「ルーベル様、よければこちらへどうぞ」


 おじい様はコトリちゃんではない、顔は知ってあるけど名前を知らない女の人に声をかけられて、ぼくが座っていたところへ案内された。

 コトリちゃんとジミーさんとお店の奥へ行き、(かわや)へ案内され、見守ってもらいながら無事にすませる。

 届かないから抱っこで手を洗ったけど、自分で拭けるのに手拭いで手を拭かれそうになったから、「できるます」と断った。


 お店へ戻り、おじい様のところへ行こうとしたら、ユラさんがいておじい様と話していた。

 ユラさんはウィオラさんの友達で、ジオが最近「家族になった」と言っていた。

 ユラさんはレイ叔母上と一緒に週に何回も遊びに来て、みんなでご飯を食べるようになったから家族。

 家族は血がつながった人だとジオに教えたけど、ジオは「夫婦は血がつながってないけど家族ですよ」と教えてくれた。

 それに血はつながってないけど、ジオはおじい様の孫だ。それはぼくも知っているのに頭から抜けていた。

 ジオはぼくより年上だからぼくよりも頭がええ。

 

「ガイさん、お待たせしました」


 ジミーさんがおじい様に声をかけたのに、ユラさんがビクッと怖がるように体を震わせて、ゆっくりと振り返った。

 怖いなら助けてあげないといけないけど、ジミーさんは怖くないから……誤解? 

 誤解も最近、ジオに教えてもらった言葉。


「ごかいなんですよ。ジミーさんはこわいひとではありませむ」


「こんにちは、レイス君。いらっしゃいませ」


 ユラさんは笑いながらしゃがんで、ぼくに笑いかけてくれた。

 コトリちゃんもかわええけど、ユラさんはルル叔母上くらい綺麗な人だからもっと恥ずかしい。

 

「いらしました。レイスです」


「ユラさん」


 母上と仲良しの女将さんがきて、ユラさんの名前を呼んだ。


「はい」


「あなた、今日はもう上がりで。中には私から伝えておくから。レイさんにもそう伝えてあるからお疲れ」


「呼ばれてきましたレイさんでーす! レイスー! 遊びに来てくれたんだねー!」


 女将さんの後ろからレイ叔母上が現れた、両手を広げて近寄ってきたから駆け寄った。

 抱っこしてもらえると思ったら、やはり抱っこしてもらえた。


「うわぁ、また重たくなった! 何この汚れた羽織り。ガイさんは持ってない色だけど」


「ねこの足あとできれいだからジミーさんがかしてくれます!」


「へぇ、ジミーさんの。お洒落染じゃなくて汚れに見えるけどそうなんだ」


「ぼくはこれでかぜをひきません」


「そうかそうか。風邪をひかないように貸してくれたんだね」


 レイ叔母上はぼくを床に降ろしてジミーさんにお礼を告げて、「じゃあ、行きましょう!」と片腕を動かした。


「ちょっとユラさん、どこに行く気?」


「仕事の勉強です」


「私といることが勉強だしこれから夕飯を作るんだから来なさい! 姉さんに逆らわない!」


「だからレイのどこが姉さんなのよ。私の方が年上よ」


「修行をつける先輩を姉さん、兄さんって呼ぶのよ。まだ覚えてないの?」


 レイ叔母上とユラさんに「けんかはいけない」と言ったら仲直り。

 みんなで雅屋を出て、ジミーさんとおじい様と手を繋いでレオ家へ向かって歩く。

 ぼくたちの前をレイ叔母上とユラさんが歩いていて、ぼくくらい短くなったレイ叔母上の髪がやっぱり寂しい。

 ほどくと長くて綺麗だったのに、今はもう風にゆらゆらなびかない。


「みんな噂してるよ。ユラさんはいつジミーさんと結婚するの?」


「ゲホゲホッ、ゲホッ! いきなりなんなのよ。後ろの人が私なんかと結婚したら不幸になるわよ。やめなさい」


「ははは」とジミーさんが笑った。


「自分は女性一人で不幸になるような男ではありませんよ」


 振り返ったユラさんが、恐ろしい睨みでジミーさんに「こんのキツネ!」と叫んだ。

 

「ジミーさんはぼくと同じリスですよ。キツネは父上です」


「ふふっ、あはは。そうです、そうです。ユラさん、自分はキツネではなくてリス顔らしいです」


「レイス君、顔がどの動物に似ているって話ではないのよ」


 ユラさんが苦笑いをしたので、「じゃあなんですか?」と聞いた。


「あっ、風車やさん!」


 カラカラ、カラカラ沢山回って綺麗!

 おじい様たちと手を離して走ったら「レイス!」と大きな声で名前を呼ばれた。

 空が急に暗くなった。と思ったら違くて大きなものが近くにあり、ブモォーっという低くて大きな音にびっくりしたら、何かに包まれて倒れた。

 嫌な感じで胸がバクバクして、何が起こったのか分からないでいたら、目の前にジミーさんの顔があって「怪我は⁈」と怒鳴られた。

 いきなり走ったから怒られたと分かり、悪いのは自分だから悲しくて、叱り声が怖くて、「うえええええん」と泣いてしまった。


「どこ、どこが痛みますか⁈」


「いたくないーごめんなさいー」


 ぼくの頭、手、足を順番に確認するとジミーさんは「無事です! ユラさんは⁈」と叫んだ。

 怒られたのではなくて心配されたと分かってきたら涙は止まっていった。

 おじい様とレイ叔母上もいて、ぼくの体を確認し、その後にぼくから離れて、牛に向かってペコペコ謝り始めた。


「うわっ、擦りむいているじゃないですか!」


「……たま。頭! あなたの頭こそ血が出てるわよ!!!」


 ユラさんが叫んだので見たらジミーさんの頭から血が出ていた。

 ネビー叔父上が前に言っていたけど、頭の血は死んでしまう。


「ん? ああ、そういえば痛いですね」


「うええええええ! ジミーさんが死んじゃう! 叔父上! 叔父上ー手当てー! おじいちゃまああああ! りゅうじんさまぁあああ!」


 死んじゃうやだとジミーさんにしがみついて、ちちんぷいぷいと呪いをした。

 おじい様とレイ叔母上だけではなく人がどんどん集まってきて、その中にはお医者様もいて、ジミーさんの頭に布を当てて寝かして、「血が派手でびっくりしただろうけど、軽い怪我だから治ります。大丈夫ですよ」と言ってくれた。ぼくの頭を撫でながら。

 お医者様がいなくなると、ジミーさんは帰ると言った。


「何を言うてるんだ。我が家は遠いからレオさん家に泊まりなさい。何かあったらどうする」


「寮で人がいるので大丈夫です」


「図々しい人間なんだから、遠慮なんてするな。蛙長屋に向かってさっさと歩け。私も仕事で疲れてるんだから早くしなさい」


 ジミーさんはユラさんに腕を掴まれて歩き始めた。

 ぼくはその後ろを歩き、ぼくと手を繋いだレイ叔母上とおじい様に「死ぬことがあるからいきなり走らない、まわりをよく見なさい」と叱られた。

 二人とも怖いからメソメソ泣いてしまったけど、いきなり走って牛車にひかれかけたぼくが悪い。

 ぼくを助けてくれたジミーさんとユラさんが怪我をしてしまったから、もういきなり走ったりしない。

 

「……もそも、別にいつ死んでも構いませんよ。悔いのある人生はおくっていません」


「はぁ? あなた、そんなに後ろ向き人間だったの?」


「でも死ぬかと思ったその時に、君にフラれたままだなぁと後悔しました。人の欲はつきませんね」


「……何、開き直ってるのよ。最近そんな感じでぶつぶつ、ぶつぶつうるさいわね。さっさとどこかのお嬢様とまとまりなさい」


 ジミーさんとユラさんが何やら喧嘩を始めたので、「いけません」と言おうとしたけど、レイ叔母上が「ユラさんは素直になればええのに」と呟いたのが気になった。


「なにがすなおにですか?」


「ん? レイス、ユラさんはジミーさんのお嫁さんになりたいんですよ。恥ずかしくて怒るから内緒ね」


 レイ叔母上はぼくの耳元でそう囁いた。

 ユラさんはレイ叔母上の妹になったからぼくの家族で、ジミーさんのお嫁さんになったら……大好きなジミーさんも家族になる。

 すごい。それはうんと嬉しくて楽しい。ジミーさんが大好きな父上もぴょんぴょん跳ねて大喜びするだろう。


「おやおや、レイス。ぽっけに銀杏の葉が沢山あるね」


「おばあ様にこうようを見せるです」


「それなら後でこのレイさんと沢山葉っぱを拾おうか。代わりにこれはちょっとちょうだい」


 そう言うと、レイ叔母上はぼくが集めた黄色い葉っぱを紐でまとめて綺麗なお花みたいにした。


「我ながら器用〜。いけ、ちびうさぎ。これは太陽の花だって言うてユラさんに渡してきなさい」


「ぼくはレイスでうさぎじゃないよ、ですよ」


 くだけてええと言われてなかった。


「ええから、ええから。ずっと喧嘩するから渡してきて」


「はい。けんかはわるいことです」


 ぼくは早歩きでジミーさんとユラさんの間までいき、喧嘩はよくないと言いにいき、仲直りの太陽の花をユラさんに渡した。

 

「……太陽の花? ったくレイね。願いが叶う花はレイス君にどうぞ」


「なかなおりの花です。はい、ユラさん。ジミーさんとなかなおりします」


「……別に喧嘩なんでしてないけど……分かりました。ありがとう」


 ユラさんは太陽の花を手拭いに包んで懐にしまおうとして、ジミーさんに「仲直りしろですって」と渡した。


「私じゃなくて、レイス君だから。勘違いしないで」


「そうですか。ありがたくいただきます」


 仲直りには歌がええので、三人で歌っていたらレオ家に到着。遊んだりご飯を作ったり食べたりしていたら寝ていた。


 うるさくて目を覚ましたら、ユリアが寂しかったと泣いていた。

 ぼくがお泊まりをして帰ってこなかったのはズルい、寂しかったと泣いているので頭をなでなで。

 母上もいて、ぼくに「おはようございます」と笑いかけてくれた。


「おはゆうごじいます」


「ふふっ、まだ寝ぼけていますね。めやに」


 濡れた手拭いで顔を拭いてもらい、遅い朝ごはんにしようと言われて部屋の外に出た。

 合間机で、レオおじい様の着物姿のジミーさんが、おじい様と難しい顔で将棋を指している。

 その近くでレイ叔母上とユラさんが野菜を切っていて、ぼくもしたいと頼んだら母上が頼んでくれた。

 

「お寝坊君、おはよう」


「叔母上、おはようです」


 昨日は忘れていたけど、ぼくはこうして今日、念願の料理ができた。

 もう朝ごはんの時間ではないけど、ぼくは寝坊したので少しおむすびを食べさせてもらい、野菜を猫の手でとんとん切って、レイ叔母上に抱っこしてもらってお鍋の中身もおたまで混ぜて、家族みんなで「美味しい」と笑いながらご飯を食べた。


 ジオたちと遊んでいたらユラさんがいなくて、気になって探したら洗濯物を眺めていた。

 猫の足あとがなくなったジミーさんの羽織りが風と遊ぶように揺れている。


「……っ、びっくりした」


 寂しそうだったから手を繋いだら、ユラさんは目を大きくしてぼくを見つめた。


「何がかなしいですか?」


「悲しい? どうして?」


「なみだがあります」


「えっ? まさか。ふふっ、泣いていませんよ」


 自分の目元に触れたユラさんは、そう言って笑った。

 

「猫の足あとできれいだったのにないからかなしいです」


「そう? 泥が綺麗になったと思ったけど、そうですか」


「ねこはいそがしいジミーさんをふみふみしていやしたのに、またするめじるしがなくなっちゃった。あっ、なくなり……し……もうすです。ん?」


 ジオと火消し言葉遊びをしたり、怒られないように普通の言葉を練習したから、混ざって分からなくなってしまった。


「どういうこと?」


 教えてあげたらユラさんは愉快そうに、楽しそうに笑った。もう悲しくないみたい。

 ジミーさんは猫に踏まれた、それは不運なことで、ジミーさんはそういうことが多いと教わったので、幸運の蛇を描いてあげた。ぼくはちゃんと忘れずに矢立を持ってて偉いし、絵も上手いので完璧。


「ふうん、そうね。悪くないかもしれないわね」


「うまくないですか?」


「絵は上手ですよ。ただ絵は消えますから。まっ、私には関係のないことだから行きましょう」


 それから何日かして、母上がおばあ様にこんな話をした。

 ユラさんがジミーさんに羽織りを贈った、どうやら二人は婚約するようだと。

 婚約とは結婚の約束のことで、二人はもう夫婦だから変だ。

 お母さんはたまに話を間違えるから変だと教えてあげた。

 お嫁さんになりたい人と、お嫁さんになって欲しい人はもう夫婦だと言ったら、あれこれ聞かれた、覚えている限りを教えたら、母上はぼくが話している途中なのに「やはりお祝いです!」とどこかへ出掛けた。

 

 ★


 それから十数年後、ルーベル家でお菓子作り体験が催された。

 講師は雅屋の職人ユラで、彼女は講座を始める前に、台所で「太陽の花を知っていますか?」と尋ねた。


「いえ」


「イノハの白兎の黄色い花は?」


「それは知っています。ユラさんと同じ名前の縁結びの花です」


「話によってはね、結良花は太陽の花って言って、どんな願いも叶うんですよ。アズサさんは病弱だって聞いたから、どうか息災でありますようにと願いを込めました」


 ユラからレイスに差し出されたのは銀杏の葉を集めて大輪にしたというような鮮やかな黄色い練り切りだった。

 

「うわぁ、さすが本物さんです。猫の足あとは遊び心ですか?」


 ユラはレイスの「本物さんです」の言い方が、あまりにも彼の母親リル似だったので口元を綻ばせた。

 顔は親友の夫——レイスの叔父が若い時とかなり似ているけど、喋り方や雰囲気は似ておらず、この子はリルとロイの息子だと肩を揺らす。

 あんなに小さかったのに自分よりも背が高いとか、大きくなったなと胸をじんわりさせ、幼い彼を思い出して懐かしむ。


「二人分だから頑張ってこっそり二人で食べなさい。頑張れ、青年!」


 バシンッと背中を叩かれたレイスは、自分の初恋がこの人にまで知られていると苦笑い。

 彼は受け取った小さな箱の中にある練り切りを見つめて、まもなく来訪する文通相手の笑顔を思い出して微笑んだ。

 彼は自分が話したことがそこそこねじくれて、母親が誤解をして軽く暴走し、今、己に喝を入れてくれた女性が結婚することになったなんてことは知らない。

 叔母が友人と彼女の想い人のまわりに幼い甥や姪たちをちょろちょろさせて、何かさせたり、それとなく何か言わせたことも覚えていない。

 

 それでもそれらは決して消えない。消えていない。

 たとえ相手すら忘れても、互いの心の奥底でキラキラと残り、絆とか信頼という美しい別のものになって続いていく。

 

 レイスは照れながらユラに背中を向けて、「からかわないで下さい」と言い、その後にお礼を口にして台所から去った。

 その時、レイスの羽織りが揺れて、裾にある蛇を模した龍神王様の刺繍がまるで生き物のように動いた。

 それはかつて、半元服少し前にレイスの風邪が長引き、死ぬのではないかと心配された時に「験担ぎです」と父親の親友がレイスに贈ってくれたもの。

 ユラはかつて夫のものだったその羽織りを眩しいと眺め、自分が縫った刺繍はまだ色褪せていないと微笑んだ。

 

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