ちび編「リルの散歩(迷子)」
おかあさんが「またネビーはわすれて」といったので、リルはえらいからとどけにいく。
なぜリルがえらいかというと、きのう、ごきんじょのおばさんが「リルちゃんはえらいね」とあたまをなでたから。えっへん。
以下、漢字変換。
兄ちゃんは「兵官」というよく分からない人になるらしい。
兵官は棒をえいやっと振り回して悪い人を捕まえる偉い人のこと。
大出世兵官というものになると、家族みんなで大きな家に住めるそうだ。
棒を振り回すには力が必要で、そのためには沢山食べないといけないからお弁当が必要。
それなのに忘れるなんて兄ちゃんはいつも忘れっぽい。
土手の上へ行くために階段を登っていたら、ご近所のおばさんに「リルちゃん」と呼ばれた」
「うん、リルだよ」
「どこへ行くんだい? 昼にエルちゃんが戻ってくるまで合間机でランさんと裁縫だろう?」
「ばぁちゃんが嫌だって」
「まーたランさんは孫の世話を放棄して。あの凝り性は」
おばさんがばぁちゃんを説教すると言ったので、そうするとお母さんとばぁちゃんが大喧嘩してリルは悲しい。
悲しいと涙がポロポロ出てほっぺたが赤くなって痛くなる。
だからやめてと言いたかったけど、おばちゃんはリルがもたもたして喋らないうちに行ってしまった。
機嫌のいい時のばぁちゃんは優しくて、「リルは息子似で器用だ」と言うてニコニコしながら裁縫を教えてくれる。
腹を立てている時は、「あの悪女そっくり」と言うてリルとお母さんのことを怒る。
ばぁちゃんはきっと、今からイライラおばばになるから逃げないと。
階段を登りきって歩き続けたら楽しい街へ出たのでうんと楽しい気分。
人が沢山いてわいわいしているし、お店に楽しそうなものが売っている。
「ちびちゃん、見るのはええけど触るなよ」
お店の前に並ぶキラキラしている紐を眺めていたら大人にそう言われた。
それならリルは触らない。そもそも、お父さんとお母さんから教わっているけど、他人のものを勝手に触ったらいけない。
お店も他人、お店はお金というものを払わないといけない場所だと教わっているから触らない。
リルはお父さんやお母さんからの教えを覚えている偉い子だ。えっへん。
しゃがんで紐が風で揺れてキラキラ、綺麗だなと眺めていたら、大人に「君は迷子か?」と聞かれた。
「少ししたら親が来るかと思ったら来ない。迷子なんだろう」
「……」
知らない人と喋ってはいけない。人攫いかもしれないからついていくのもダメ。
リルは偉い子だから知らない人とは喋らない。
「年はいくつだ? 三つか四つだろう」
「……」
「あなた、どうしたの?」と大人の女がお店の中から出てきた。
リルは迷子じゃないのに迷子と決めつけられて、お店の大人が声をかけた火消しに預けられた。
火消しは他人じゃなくてお父さんや兄ちゃんの家族らしいから喋ってええ。
火消しに「どこの誰だい?」と聞かれたので「レオのリルだよ」と言って、「お弁当を届けるの。えっへん」と胸を張った。
「……あっ。間違えた。ひくらしのレオのリルだ」
「ひくらしさんのところで働くレオの娘ってことだな?」
「うん」
「お父さんに弁当を届ける途中で迷子になったってことか」
「リルは迷子になってないよ」
「そうかそうか」
「お弁当は兄ちゃんの」
「兄ちゃんはお父さんのところか?」
「兵官のところだよ」
「兵官?」
「兄ちゃんはえいやって棒を振って悪い人を逮捕するの」
火消しは「うーん」と難しい顔をしてから、「とりあえずひくらしさんに行くか」と言った。
抱っこしてくれると言ったけど、家族以外に抱っこされるのはダメ。
お父さんとお母さんにそう教わっていると話したら、火消しさんは「そうなのか」と言い、手を繋いで歩いてくれた。
「あめちゃんふれふれカエルさん〜」
……あっ。
「長屋の外には鬼がいるから出ちゃいけないんだった!」
「そうかそうか。おちびっ子リルちゃんは長屋に住んでいるのか。長屋の周りには何がある?」
「川があるよ」
「おちびちゃんがここらまで歩いてこられる川付近の長屋だと……」
火消しさんに、ちび火消したちが馳け近寄ってきて、その中にはいーちゃもいた。
いーちゃは「その子は親友の妹なんですけどどうしました?」と言った。
「おー、ラオさんとこのイオ坊じゃないか。迷子だ迷子。ひくらしさんとこの奉公人の娘だっていうからひくらしさんへ行くところだった」
いーちゃがリルを長屋へ送ることになった。今度はいーちゃと手を繋いで歩く。
「リルは兄ちゃんにお弁当なの」
「ん? 弁当? その包みは弁当なのか。ネビーに弁当を届けようと思って長屋から離れたんだな。偉いけど迷子になるからダメだぞ」
繋いでいない手でよしよしと頭を撫でられた。やっぱりリルは偉い子だ。えっへん。
「弁当は俺が届けてやるからな」
「うん。ありがとう」
「どうした?」
沢山歩いたから眠くなってきた。ついついしゃがんでしまう。
リルはお母さんと料理の勉強をするためにうんと早起きだから、ばぁちゃんと裁縫の後にお母さんが一回帰ってきたら昼寝をできる。
つっかえながら、ゆっくりそう言ったら、いーちゃがおんぶしてくれた。
いーちゃは兄ちゃんの兄だからおんぶしてええらしい。リルの兄ちゃんは兄ちゃんだけなのに、どういうことだろう。
「ねんねん、ころころ、どんぶりこ〜」
これは子守唄じゃなくてどんぐり歌だ。リルは赤ちゃんじゃないから子守唄はもう必要ない。
「リルは赤ちゃんじゃないよ」
「ん? まだ寝たくないのか?」
「子守唄は赤ちゃんの歌でしょう?」
「ああ、そういうこと」
「どんぶりじゃなくてどんぐりだよ」
「そうだっけ? じゃあ、ころころ、どんぐり、どんぐりこ〜穴にハマって大変だ〜」
「大変だ〜」
「おー、リルちゃんは歌が上手いな」
「えっへん」
リルはいーちゃのおかげで兄ちゃんにお弁当を届けられたし、たくさん歌って踊ったから眠い。
お母さんが帰ってきて寝てええよと言われたから、「この歌がええ」と伝えた。
「ねんねん、ころころ、どぐりこ〜」
「ねんねん、ころころ、どんぶりこ〜」
「どんぐり」
「どんぐり?」
「どんぐりこ〜穴にハマって大変だ〜むにゃむにゃ」
歌いたいのに目を閉じたら眠い——……。
☆
はっと気がついたら居間の机に突っ伏して眠っていた。
机によだれが!
寝室の勉強机だと寝てしまうから居間で勉強していたのに結局眠ってしまったようだ。
懐かしい夢を見た気がするけど、どんな夢だったっけ?
「ちょっとリルさん」
義母に呼ばれたので顔を上げたら、彼女は怒ったような表情で私の顔を覗き込んだ。
勉強をしないで寝ていたし、よだれも垂れていたからだろう。
「あなた、顔色が悪いわよ。こんなところで寝るなんて疲れているんですね」
怒られると思ったけど心配された。
「いえ、元気です」
ふえええええと泣く声がして、この声はレイスだと探したら隣の部屋でユリアと並んでいた。
私が寝る前に義母は町内会のことで少し出掛けて、ルルがレイスとユリアを見てくれると言ったのだが、そのルルも昼寝している。
慣れない家で家事と育児の手伝いをしてくれているから疲れているのだろう。
「ルルさんも疲れたのか眠っていてね。ふふっ、何年もしたらレイスとユリアもこのくらい大きくなるんですよね」
移動した義母はルルの頭を軽く撫でてからレイスを抱き上げて、「よしよし」とあやしながら戻ってきた。
「代わります」
「あら嫌だ。姑から孫を奪おうだなんて」
「……いえ、そういうわけでは」
「冗談ですよ。手は今日、痛くないのよ。足も。動かさないと石になってしまいます」
「それなら沢山抱っこして下さい」
義母には元気で長生きしてもらわないと困ると言ったら、微笑みだけが返ってきた。
自分はいつ突然悪化して亡くなってもおかしくないという、諦めに近い達観顔はやめて欲しいけど泣いて迷惑をかけそうなので言えない。
怖くなって泣きたくなるのは義母なのに、私が泣いたらダメだ。
「月灯りふわふわふわりと落ちてきます〜」
「その歌は知らないです」
「そうなの? ルルさんが歌っていましたけど」
「そうなんですか」
義母に私が歌う子守唄も知らないものばかりと笑いかけられた。
「どんぐり子守唄は? あれもリルさんは知らない歌なんですか?」
「あれは兄とルカがよく私に歌ってくれていた歌だけど、そのうちどんぐり攻撃をされるようになったからあまり好きではないです」
「あら、そうなの」
寝相の悪いどんぐりが転がって、穴にはまって大変。
よいよいよいしょっと引っ張ってダメだからえいえい押したら落っこちた。
そんな歌詞だから、私は兄やルカに転がされて、土間から落ちたり、どんぐりを投げられたりした。
しかし、後日ルカに、私が毎日、毎日、どんぐり子守唄と踊りをせびるから飽きてああいう遊びに発展したと教わった。
「リルが作った歌と踊りを毎朝、毎晩させられてたんだよ? 都合の悪いところは忘れるんだから」
「そんな小さい頃のことなんて覚えてないよ」
それから何年も経ったある日のこと、レイスとユリアの幼馴染であるテオが、生まれたての末っ子ララにどんぐり子守唄を歌ってくれて、踊りも見せてくれた。
彼はいつ、どこでこれを知ったのだろうか。
兄だろうと思って隣に座るミユに尋ねたら、「イオさんが先祖代々続く子守唄と言っていましたけど」と首を傾げられた。
「と言っても、これは伝統の歌と踊りではなくて変化版です。イオさんが作ったと言っていました」
「ああ、イオさんから兄、そこから私だったのに私が作ったことになったってことです。兄は忘れっぽいので」
「ネビーさんは本当に忘れっぽいですよね。すごく前の些細なことを覚えていることもあるので、差が激しいと驚きます」
私とミユは子供たちを眺めながら肩を揺らして笑い合った。
「その歌はイオ君がリルのために作ってくれたの。リルが迷子になって、イオ君が送り届けてくれて、子守りと荷物届けまでしてくれたのよ」
母にそう言われて驚いた。幼い頃の記憶というものは当てにならない。
母が帰宅した時にご近所さんに教わったそうだが、その日、私は眠いけど眠れなくてぐずったり大変で、イオは嫌な顔をしないであやして、歌って踊っていったという。
で、事情を知らない大人たちに半見習いをサボったと怒られた。
彼は言い訳一つしなくて、偶然叱られた話を聞いた母が誤解を解いたという。
ミユが嬉しそうな顔をしたのは、夫が昔から子供好きの世話焼きだと改めて知ったからだろう。
私も今度、ロイの昔話を知りたいと思った。




