日常編「兄と義理姉(予定)」
私、サラには二人の兄がいる。
長男のアルバは要領が良く、わりと顔も良く、背も伸びたからか調子に乗っている。
現在はなんとかギリギリ跡取り認定を取得した地方公務員だ。
地方公務員といっても上級職ではある。
卿家の長男に求められる最低限を達成して、その最低限は五割なんて言うし、本人の目標が低かったから親も兄も万々歳という雰囲気。
次男のウィルは、そんな兄と比較されながら、兄は凄いと素直に尊敬し、自分は兄とは違って地味で鈍臭いので、なんでも真面目に頑張る、努力が報われやすい勉強くらいは励むと努力した結果、元服時には跡取り認定を取得して、中央勤務になった。
それも、花形の財務省だ。おまけにしっかり上級職。
つまり、ウィルは地位や役職という意味ではアルバをあっさり抜いた両親自慢の息子だ。
ただ、本人にその自覚があまりなく、兄アルバを尊敬してやまず、それが全く嫌味ではなく、アルバも天然気味といえば天然で、素直に弟の成長を喜べる性格なので我が家は家庭円満。
何かが間違ってしまったら、長男次男戦争が始まって、我が家の空気はギスギスしていただろう。
現に兄の友人、私が少し憧れるジミー・シシドは大優秀で気遣い屋の三男で、家の中で肩身が狭いらしい。
ジミーも含む、ウィルの高等校時代の親しい友人達は、全員中央所属の上級職になったので、兄は落ちこぼれにならずに済んで安堵という様子。
優秀だから成し遂げた! という自慢ではなくて、最低限の壁を何とか乗り越えた、良かったという風に語る。
アルバの立場がなくなるのに、なんともなしにそう告げて、夕食の場を凍りつかせたように、ウィルはたまにうっかり屋だ。
すぐに気がついて平謝りしたウィルと、弟が優秀で鼻が高いと笑うアルバだから兄弟仲が良い。
そういう訳で、アルバの栄光はとっくに過去のもので、何年か前から時代はウィルのもの。
この町内会の若者で中央勤務は三人しかいないし、財務省はどこの親だって欲しがるから肩書きでモテモテ。
更にウィルは昔から誰に対しても優しいからモテモテだ。
なので幼馴染の姉の数名は、兄が縁談を始めることを待っている。
アルバの縁談の後だろうから、さっさとアルバは結婚しろと、お見合い話を自分達の親に頼んでいくつも持ってくるくらい、ウィルの縁談を待ち焦がれている。
そんな兄ウィルが、友人が急に結婚して、別人みたいで愉快だとか、ちょっと縁談というものが気になると言い出した。
高等校生活は友人付き合いに夢中で、就職してからは推薦者の顔に泥を塗りたくなくて必死だったけど、女性という存在が気になってきたという。
「もちろん、前から気になっていましたが、こんな見た目ですので文通お申し込みなんてないし、半人前がお申し込みは気が引けて」
ウィルがこう言った時に、私は飲みかけの味噌汁を吹き出しそうになった。
町内会行事、この間の夏祭りの打ち上げで、ウィルにお酌をするのは自分だという取り合いが勃発していたんですよ。
幼馴染の姉三人に、男漁り——というと言葉選びが悪いと怒られる——に来ていた幼馴染の姉の友人二人による大戦争だ。
誰が玉の輿狙いで誰が違うのか不明なので、私は誰のことも応援していない。
母が、
「ご近所さん関係から嫁取りは気を使うから嫌」と言うので、無視している。
「せっかく中央勤務なんですから、良く働けば上司の目にとまって、良い女性を紹介してくれますよ」
「雑務仕事のお嬢さん達もいるしな」
「雑務仕事の華達は、自分みたいな地味な窓辺を気にかけません」
窓辺とはうだつのあがらない職員みたいな意味。
「ウィルお兄さんはさ、ええ顔に生まれなかったから、顔だけしか見ない女性にまとわりつかれなくて運がええよ」
「あはは。サラさん、なんですか。褒めているのか貶しているのか分かりませんよ」
「褒めましたー」
ウィルはそのようにして、友人に感化されて縁談を始めることにした。
兄より先に結婚する気はないし、まだ半人前だけど、再来年には出世試験に受かるはずなので、今から探しても早くはないはずだと語って。
夕食後、ウィルは気になる相手は特にいないので、両親によろしくお願いしますと頭を下げ、いつものようにお膳を台所へ下げに去った。
「父上、母上、弟に負けていられないので頑張ります」
「何を言うているんですか。ウィルの縁談を始めますなんて言うたらすぐに見つかってすぐに祝言です。ウィルの学友のお母上達にまだですか? と急かされています」
「そうだ。俺も友人のお嫁さん達にまだか、まだかってせっつかれている」
「……」
「アルバお兄さんはその無駄に高い鼻を折ったほうがええと思いまーす!」
私はアルバもウィルも好きだけど、並べてパッと見で選べと言われるとアルバだけど、ちょっとお出掛けしてもアルバだけど、最後に選ぶのはウィルだと思う。
うんと偉くなったのに低姿勢で優しいし、いつもニコニコ笑って、ぽかぽかお日様みたいだから。
頼りないようで、ビシッと決めるところでは決められるので、普段との落差も良い。
「なんだよサラさん」
「私ならアルバお兄さんとデート練習後に、ウィルお兄さんみたいな誠実そうな人を選びます。モテないって言う人は浮気しなそうです」
正確には、ウィルは鈍感だから浮気しなそう。
彼はモテないのではなくて、女性からの好意に鈍い。
「なんでサラさんは自分に厳しいんですか」
「ウィルお兄さんにも厳しいですよ」
私もお膳を台所へ運び、洗い物をする兄と並んでお手伝い。
自分が食べた物は自分で片付けるようになったのはなんでだっけ。
「ウィルお兄さんはどんな女性がええですか?」
「なんですか急に」
「急ではありません。さっきそういう話が出ました。縁談を始めるなら、友人達に話します。お姉さんを紹介して下さいって」
「おお、ありがとうございます。どんな人……」
ウィルはお茶碗を拭いていた手を止めて少しばかりぼんやりした。
「……どちらの部署の方か分からないのですが」
なぜ職場の人の話? と思ったけど「その女性は」と口にしたので、おそらく雑務仕事をしているお嬢さんのこと。
本庁勤務の親がいる女性は、お嬢さんというか私からするとお嬢様か。
「仕草が美しくて見惚れて、ついつい確認したら、うんと偉い人のお嬢さんでした。お嬢さんというかお嬢様ですお嬢様」
美人で声も可愛らしく、届けられた書類の文字も綺麗だったという。
父親と帰るところを見かけたことがあり、その時に別の雑用お嬢様の顔色が悪かったのだが、彼女はすぐに寄り添ってお世話していたという。
気になって盗み聞きした会話では、お嬢様同士に接点はなく初対面のようだったと。
職場にはそのような高嶺の花ばかりで、父親の目も気になるし取り合いで無理そうだから……と語られて、こんなの青天の霹靂だ。
「ダメ元だからこそと文通お申し込みするジミーさんは肝が据わっています」
「……。お兄さんも少しくらい見習うとええです」
直接文を渡すなんて不可能なので、ジミーのお申し込みは父親のところで握り潰されるか、手紙くらいはと渡されるか不明。
兄はそんな風に笑い、自分も手紙を渡すくらいとは言わずに台所から去った。
そんな話しをしたのは年末で、年が明けてもまだウィルの縁談話は始まらず。
理由は両親がアルバへの縁談が根こそぎなくなってしまうと恐れたから。
アルバもウィルも何も知らないけど、私は「友人にウィルお兄さんの話をしても良いですか?」と母に聞いたから、その時に教えられた。
両親に「始めた」と言われたウィルは、何もないとはやっぱりモテないなぁと言いつつ、焦っていないのでわりと呑気。
雪が降った桃の節句の日に、そんな日に散歩に行かなくても良いのに、ハチはどんな時でも散歩に行きたがるからと出掛けた結果、ウィルは赤い顔で帰宅。
手が離せないという母に代わり出迎えたらそんな。
「お兄さん、熱がありそうですよ! 大丈夫ですか?」
「い、いや。いや、これは違います。その、思いがけない相手と会いまして……」
ちょっと会話しただけなのに動悸が……と兄は部屋に一目散。
いつの間にか、兄は誰かを慕っていたらしい。
散歩中に遭遇するとは、幼馴染の誰かだろう。
それからしばらく経って、夕食中にウィルは家族全員にこういう話をした。
お見合いしたい女性が出来た。彼女もお見合いしてくれるという。
「どこのどなたですか⁈ お兄さんには恋人がいたんですね」
ウィルはとても照れくさそうな顔をしている。いつの間に恋人を作っていたとワクワク。
両親、特に母は「親を通さずに恋人を作っていたなんて」と苦々しい表情。
自分が気に入った女性を、自慢の次男の嫁にしたかったのだろう。
「お見合いしていないんですから、婚約だってまだです。恋人な訳ないでしょう」
ウィルのこの常識的な発言に、母が胸を撫で下ろしたような顔になった。
「文通お申し込みをしたら、是非、貴方とお見合いしたいですという返事でした?」
「いやその……彼女は自暴自棄なようで……」
先日、上司の同期が亡くなり、二人は親しかったそうで彼は葬儀に参列。
上司に誘われたし、亡くなった同僚と少しばかり面識があったので自ら進んで参加したという。
「ああ、この間の葬儀の。自暴自棄って、もしかしてその亡くなった方の娘さんですか?」
「ええ。祖母君とお父上を同時に亡くしたというのに、立派に喪主を務めていました」
上司によれば彼女は次女。
なのに喪主なのは、長女はかなり前に家出したかららしい。
長女に皇居女官を目指させた結果、その教育の圧で潰れて逃げ出したという。
三女も似たようなもので、残ったのは大人しい次女だけ。
次女は昔々、顔に火傷を負ったので、父親は皇居女官は無理だと身分相応な人生を彼女に与えた。
娘二人には逃げられてしまったし、次女は亡き妻に一番似ていて、気立てが良く、ついつい手元に置いてしまった。
さすがにそろそろどこかへ嫁入りか婿取りをという矢先に娘を残して死亡。
死因は酔って階段から足を踏み外したことによる頭部外傷。
同日、まるで息子についていくというように、彼の母親は老衰で亡くなった。
そういう訳で彼女は天涯孤独になったようなもの。
姉妹とは父親の遺産のことで喧嘩。
自分が独り占めなんて考えはなかったけれど、祖母も父も見捨てて好き勝手生きていた姉妹が、死後に戻ってきてやいやい言うのは苦痛。
親戚付き合いは悪くない、頼れるかもしれないと考えていたものの、親戚も姉妹と似たようなもの。
なので彼女は土地も家も全て売り払ってしまったという。
「つまり、よ、嫁入りしたら今後の生活は安泰ということで……。それがまたなんで貴方とお見合いなんですか?」
母の顔にそんな訳あり女性は遠慮したいと書いてある。
「一目惚れなんです」
研修生二年目の時に初めて彼女を見かけて、それからずっと眺めてきた。
一目惚れして、無理だと思ってすぐに諦めて、けれども「あっ」と思った女性はまた彼女。
華族高官の娘なので、絶対に縁はないと思い、文通お申し込みはしなかった。
彼女は全く記憶にないようだけど、業務上で一言、二言、会話したことが何度かある。
と言っても、書類をお届けに参りましたと、確かに受け取りましたくらい。
そのうち同僚の誰かと縁結びするのだろうなぁと考えていたら、父親関係の華族と結納したと知り、最初から諦めていたのに結構辛かった。
結納した雑務仕事をする女性は退職するのだが、彼女は二回出戻った。
つまり、二回婚約破棄したということ。
それとなーく噂を確認したら、相手が浮気して、それを知った父親が激怒して婚約破棄したらしい。
華族ともなると、とりあえず無難な誰かと婚約して、他の家を焦らせるものだから、そこそこ聞く話だと上司に解説されて目が点。
雲の上の男達は、あんなに良さそうな女性との婚約を、本命探しの策略に使うとは、羨ましいやら腹立たしいやら。
二回も婚約破棄された、釣り餌にされたお嬢様。
と言っても職場では人気で、父親にはそれなりにお申し込みがあり、全員もれなく却下である。
次女の婿には家督を継いでもらう。相応しい男でない限り、家を譲る気はないと。
娘の婿が盛り立ててくれないと、家は華族から没落だが、娘の婿は逆に、わりと簡単に華族の仲間入りを出来るので焦っていないし吟味すると。
「……次男以降には玉の輿を狙えって言うな。なぁ、母さん」
「ええ。家の権利の大半はその次女さんでも、当主に付与される特権も決して少なくないでしょう」
「なんで文通お申し込みの一つや二つしなかった」
「そうですよ。当たって砕けろと言うのに何をしているのですか」
「いやぁ……。だって、誰々が申し込んだらしいって噂を耳にするので……。出世街道と窓辺ですよ?」
でも、兄はその長年眺めて諦めてきた高嶺の花とお見合いするらしい。
お見合いして欲しいと頼んだら、してくれるという返事をもらえたそうだ。
その事を父が指摘して、何があったのかと問いかけた。
「それがその、桃の節句の日に、近所の神社でお会いしたんです」
「あーっ! あのぼんやりした赤い顔ってそれですか!」
ウィルは黙って頷いた。
「で、神社で偶然会って、思わず文通お申し込みしたのか?」
「いきなり偶然会ったなら、文通ではなくて直接お申し込みでしょう。そうなの? ウィル」
「いえ、その時はうわぁっ、ハチのおかげで奇跡が起きたって終わりです。次に見かけたのが葬儀で、その次が今日です」
兄が葬式へ行ったのは約一ヶ月前だなと思い出す。桃の節句はその少し前だ。
彼女は今日、退職手続きにきたという。
たまたまその彼女を見かけた兄は、意を決して話しかけた。
お悔やみの枝文を送ったけど返事は当然のように無かったが、それでも話しかけたくて、辛い顔で辛そうな彼女が大丈夫なのか知りたくて、少しでも元気になって欲しいから、どうにかしたいと勇気を出した。
「そうしたら、自暴自棄なのか、自分とお見合いしたいと。なぜかお父上の遺品に自分の釣書があったそうで……」
心配と浮かれでつい、結納して下さいと頭を下げていた。
結果、やけくそなのか、彼女は結納しますという返事をした。
それで彼女は逃亡。
父の同僚、自分の後見人である人物とお見合い話を進めて下さいと言い残して。
「彼女は家がないので同居結納を希望しました」
「……同居結納? 同居結納⁈ おい、ウィル。そんなの彼女にめちゃくちゃ狙われているじゃないか!」
アルバが叫んだ瞬間、ウィルは真っ赤になって俯いた。
「そうだと良いのですが、あの感じ、あれは自暴自棄そのものです」
職場では見せなかったが、彼女の父親は酒癖が悪く、酒の場から同僚や部下は逃げていたという。
ウィルの上司は、飲んで酔って娘に八つ当たりしてしまったという彼の愚痴を聞いたことがあると。
寝たきり同然の祖母の介護と自分の世話ばかりの次女の将来が心配でならない。
文句も愚痴も言わず、甲斐甲斐しいというのに、二度も婚約破棄されて、ますます笑い方を忘れてしまった哀れな娘。
その愚痴を聞いた時に、ウィルの上司は部下をそれとなーく勧めたそうだ。
家のことは諦めて、格下に嫁がせれば、父親関係のツテコネも財産もあるのできっと大切にされる。
ツテコネも財産もなくても、何年もお嬢さんを見つめている生真面目部下はもっと大事にする。
「多分、彼女のお父上はそれで調べてくれたようで、釣書があったのかなぁと。自分の釣書をどこから手に入れたのか不明ですが」
上司に聞いたら彼では無かったそうだ。
「貴方の釣書は何人かにしか渡していません」
「俺は一人も。母さんが渡した誰かが彼女のお父上に写しを渡したってことか」
「おそらく。同じ財務省で可愛がってくれているからヨハネさんのお父上な気がします。今度、聞いてみようかと」
「そのお嬢様のお父上とヨハネさんのお父上は接点がおありなの?」
「部署という意味ではなさそうです」
一目惚れして数年、それから神社で改めて惚れたので、お見合いは絶対にしたい。
傷心で自暴自棄なところに……は卑怯だけど、それを逃したら好機はもう絶対にない。
後ろ盾が弱くなった彼女を色々な意味で狙う家は少なくないはず。
「そういう訳で、逃げたくなったらすぐ逃げられるような契約で我が家に招きたいです。ええですか?」
こうして、我が家にその女性、リア・スティリーが住むことに。
全然笑わない、大人しくて淡々としたお嬢様だけど、ハチや私の前だとそこそこ微笑むし、想像よりもずっと庶民的。
しかしお嬢様らしく上品で、琴がすこぶる上手く、聡明で物知りでお洒落。
私としては「お義姉さんはリアさんに決めました!」なんだけど、自慢の兄ウィルは浮かれと女性に不慣れでポンコツ気味。
しかし、職場では影が薄くて、見た目もイマイチで、リアの目に入っていなかったウィルだけど、一緒に暮らしてみたらパッと見では分からない良いところを披露出来ているので好印象そう。
さすが娘よりも先に父親の心を射止めただけはある。
華族高官が娘の相手に良いかもしれないと釣書を確保してくれたんだから、ウィルにはもっと自信を持ってもらいたい。
リアの好印象がどうか好意になり、兄の長年の恋が叶いますように。




