日常編「リル、叔母になる」
義母は息子、ロイの友人の親とたまに手紙のやり取りをしている。
その中でもウィルの母親とはわりと懇意。
手紙の話の流れで私の料理が褒められて、西風料理を教えて欲しいと頼まれたという。
ウィルと婚約したリアは華族のお嬢様で、両親が共に亡くなってもまだ親戚はいるし、彼女の父親の交友関係のいくつかは消えずに娘に残っている。
使えるツテコネを増やして太くすることは嫁の仕事の一つ。
なのでリアと親しくなるのは私の責務。
微妙な遠さで誘われそうだから、誘われたら泊まって、沢山料理を教えてきなさいと義母に命じられた。
「はい」
私からすると親しくなりたいリアと遊べるので万々歳。
義母も、私の息抜きになると言ってくれた。
それから——……。
「調子に乗っているお父さんへの牽制でもあります」
「お義父さんですか?」
「リルさんに家のことを任せて一年半。おかげさまでうんと楽。これが当たり前だと思い込まないことは大切です」
「……」
そのようにありがとうございますと返事をしようとしたら、カラコロカラ、カラコロカラと玄関の呼び鐘が鳴った。
お客様はイオで制服姿。布を被せたカゴを持っている。婚約者のミユから私の話を聞いたそうだ。
私というか、私が彼女に教えた西風料理の話。
「材料が高いから失敗は嫌って言うてすぐ作らない、リルさんにコツなどを確認するって言うから、リルちゃんに今度遊びに来てミユに教えてくれって頼みに来た」
「ええですよ」
「俺はお財布係と荷物運びをするから頼んだ。これ、俺の勤務表。休みか夜勤明けの日でよろしく。ミユと日付を決めておいて。家で作れるようになって欲しいから場所はミユの家で!」
「じゃあ、これは手付金」とカゴを差し出された。助けた人の実家がりんご農家で、うんと沢山贈られたという。
「こんなに沢山——……「じゃあ俺、これでも仕事中だからまた! ロイさんによろしく!」
イオは兄みたいに話を聞かずに去ってしまった。家の中に入り、義母にりんごを見せて、来客はイオで用事はこうだったと説明。
家族親戚に一人は火消しというくらい、彼らは頼りになるので、イオの妻になるミユと親しくなるのは私の業務。
と、いう訳でミユの家に行って、なんなら実家へ泊まって、沢山料理を教えてきなさいと義母に命じられた。
「それにしても沢山ねぇ。お裾分けするのもええけど、西風料理を教える……かめ屋へ行って、りんごを使った異国料理はないか聞いてきなさい」
「はい」
「いえ、その前にミーティアに行ってみなさい。かめ屋だとまたこき使われるから」
「そうします」
私が洗濯物を取り込んだら、片付けはしておくし、その時に縫い物も。
義母はそう言って家事を引き受けてくれたのでお出掛け。
夕食の買い物へ出掛けたかったので丁度良い。
歩いていたら、下校中のアミに会い、手紙で教えてもらったアクアパッツァを作りたいけど心配だから、教えて欲しいと頼まれた。
「ええですよ」
立ち話をしていつにしようと決めていたら、買い物帰りの仲良し嫁エイラの姿が見えて、彼女は品良く手を振りながら近寄ってきた。
挨拶後に、今度友人達とお茶会をするから、良かったら来て下さいというお誘い。
「予定を確認して、なるべく行きます。楽しそうです」
「私も友人達と行きたいです」
話が終わったのでミーティアへ向かって出発。
お店の直前で、かめ屋の女将セイラに遭遇。
彼女は仕入れ先への挨拶帰りだそうだ。ミーティアで何かを買うのねと笑いかけられたので、そうですと返答。
嘘は好きではないけど、作り方を買いにきたので嘘ではない。
「そうそう、リルさん。そろそろ春の献立を考えるから都合が良い日をいくつか教えてちょうだい。テルルがのらくら無視するのよ。お礼はきちんとはずむって言うてるのに」
かめ屋関係のことは全て義母を通さないと怒られると伝えたら、怒られるってもう既婚者で子供でもないのにと、呆れられてしまった。
「まあ、ええわ。テルルったら、あんなに嫌がっていたのにすっかりリルさんがお気に入りね。じゃあ、また。テルルにもよろしくね」
私は義母のお気に入りという単語に胸がほっこり。
思えば、嫁いだ頃の義母はニコニコしていても、どこかよそよそしかった。
今は喜怒哀楽、色々な表情を見せてくれる。
ミーティアへ入ると、いつもの店員さんは居なくて、奥さんが出迎えてくれた。
いつも繁盛しているけど、この時間や夕食前かつ昼食よりもかなり後なのでそうでもない。
ランチは三時で注文終了で、次の注文は十八時からなので、この時間だと食べ終わって帰っている人ばかりだからお客はまばら。
「ルーベル様、いらっしゃいませ。この時間にお一人ですから、食事ではなくてご購入ですか? いつもありがとうございます」
「はい、購入に来ました」
りんごが沢山手に入ったので、りんごを使った家でも作れる西風料理を知りたい。
その作り方を購入するか、りんごを渡すので何か作ってもらいたい。
そういうことは可能なのかと質問。
「りんごパイをお作りいたしましょうか?」
「パイとはなんですか?」
「知らない方に説明するのは難しいのですが、サクサクした薄いパンみたいなものです」
その中に甘いりんごが入っているという。
「りんごをバターと砂糖で軽く炒めてレモンなどで酸味を加えると美味しいですよ。パイ生地は家では難しいでしょうけど、中身くらいでしたら」
あと、祖国にはりんご飴というものがあったそうだ。
煌国のりんごはわりと甘いけど、彼女の祖国ではあまり甘くなく、飴をからめて美味しくしているという。りんごパイもその仲間。
貧乏だと砂糖をほとんど使えないけど、今の生活だと贅沢な事にそうでもない。
おまけに私には「特技を活かしてツテコネを増やしなさい」と、交際費というものがお小遣いとは別に与えられるようになっているので材料費がある。
友人の家へ行く時にりんごパイを依頼すると伝えて、家でも作れそうなものを教えてもらったお礼にその代金を払おうとしたら、代わりにレモンとバターの購入となった。
直接買いに行った方が少しばかり安くなるけど、あっちのお店はもう閉店だろうからこれで良し。
良かったらと丸いパンをもらったので嬉しい。
うきうきしながら他の買い物をして、帰宅中に制服姿の兄と遭遇。
兄の見回り範囲が、義父の計らいで、私の生活圏内や我が家周辺にまで広がったので、こうしてちょこちょこ会うというか、多分兄の視力が良くて発見される。
「そのカゴ、買い物帰りか。今日はこっち方面に買い物なんだな」
「うん。あのね。ミー……「おいこらそこのバカやろう! 兵官の前で女の尻を触り逃げするんじゃねぇ! 兵官の前じゃなくても許されねぇけどな!」
兄が走り出して飛び蹴り。かなり遠くにいた男の人にだったので、相変わらず速いと驚く。
驚いていたら兄は男を担いで、証言してくれる人を募集して、私に向かって「じゃあなリル! 悪いけど送れないから気をつけて帰れ!」と軽く手を振った。
重たそうな丸々太った男性を片方の腕で肩に担げるなんて力持ちだけど、兄は昔から力持ち。
「うん。お仕事頑張って」
「なんか言ったか! 声が小せえよ! 迷子になるなよ! 無事に帰れたか後で確認するからな!!!」
たまにここらで会って、後で確認されたことなんてないのになぜ。
大丈夫と告げて手を振ったけど、多分聞こえていなそう。
精一杯大きな声を出したけど、兄の足は速くて、みるみる遠ざかっていく。
家に帰ろうと歩き出したら、あのっと同い年くらいの女性に話しかけられた。
「た、助け、助けていただいた者です! あの、あの兵官さんの奥様ですか?」
「妹です」
困ったような顔をしていた女性は、一気に明るい笑顔になった。
「妹さんですか」
「はい」
「あの。それなら、それならお礼をしたいので、どちらの小屯所にお勤めか教えていただけますか?」
行動範囲が広がり、兄とちょくちょく会い、その兄が仕事で誰かを助けることを目撃するので、こういう機会も増えた。
そうして私は最近、少し気がついた。
アミもそうだったが、こういう風に、助けた女性から、兄はわりと惚れられる。
「兄は仕事をしただけです。失礼します」
かわゆい妹が欲しいので、兄に良縁があれば嬉しいけれど、何度か仲介したお礼の手紙は目の前で読まれてすぐに破られた。
感謝は受け取ったので、このお礼を励みにもっと働く。
兄は毎回、そうとしか言わなかった。
かわゆいお嬢さんだったと教えたても「へぇ」など無関心そうな返事だけ。
単純明快で分かりやすいと思っていた兄が、私は最近よく分からない。
もうすぐ自宅というところまで来たら、オーロラと会って、こういう話をされた。
夫の仕事関係で家に沢山りんごが届いたからお裾分けしたい。
それで持ってきたところだと。
「いつもあれこれ、ありがとうございます」
「ええの、ええの。食べきれないから助かっていますし、野菜の時はあれこれ美味しい食べ方を教えてもらって助かっています」
「他からもりんごのお裾分けをもらったので確認したら、彩り商店街のミーティアに頼むと、りんごパイを作ってもらえます」
りんごパイが何か分からないし、パイもだけど、ミーティアならきっと美味しいだろうと値段も教える。
「あそこのお店なら間違いなさそうです。材料を持ち込んで作ってもらうって考えはなかったからありがとうございます」
オーロラは我が家に渡す予定だったりんごを減らして、りんごパイにして届けると言ってくれた。
きっと美味しいから、何度も食べたくなるだろうと。
こうして、我が家にりんごが増えた。
帰宅して義母にお礼を言って、一緒に台所へ行きながら、道中の話をして料理を開始。
義母は途中で、私はりんご炒めを作ってみますと告げた。
「ネビーさんがそのうち来るんでしょう? りんごのお裾分けにつけたら、ご家族が喜んでくれそうです」
「ありがとうございます」
「そうそうリルさん。次から屯所勤務のルーベルですと伝えなさいね」
兄の良い仕事ぶりでルーベルという名前の評判が良くなるときっといつか良いことがある。
我が家へ来た兄のお礼の何かしらは、もちろん私の実家へも流される。
「両家繁栄です」
「なんですか急に」
「今の話はそうだと思いました」
「親戚というものは、そうやってお互いを盛り立ていくものです。親しければ、ですけれど」
今度、義母の姪、義母の姉の娘が何日か花嫁修行に来るからよろしくと頼まれた。
今日、そういうお願いの手紙があったという。
とりとめのない話、主に義母の姪の昔話——かわゆい——を聞いたり、ルル達もこうだったという話をしていたら、カラコロカラ、カラコロカラと玄関の呼び鐘が鳴ったので応対。
お客様はジンで、ぐしゃぐしゃな顔をしており、どうしたのかと尋ねようとしたら、子供が産まれるそうだ。
「ルカさんが、ルカさんが死ぬー! 母さんが、邪魔で役に立たないからリルちゃんを呼んできてって……」
いつも飄々としている穏やかなジンがこんなにメソメソ泣くとは。
ここへ兄が来て「玄関でロイさんが泣いているとびっくりしたけどジンか」と口にして、怪訝そうな顔をした。
「ルカのお産が始まったって」
「産まれるのか! おいジン! 父親になるのに、こんなところで何をしてる!」
「役立たずだから、母さんがリルちゃんって」
義母が顔を出して、泣きべそのジンを見てギョッとして、どうしたのかと尋ねる前に兄が説明。
「多分、母が取り上げるから、その間の子守りをってことだと思うんです」
「リルさん。早く行ってさしあげなさい」
「はい」
りんご、りんごと義母が言ってくれたので、りんごとりんご炒めと割烹着を持って出発。
兄はジンを走らせて、私を小脇に抱えて走った。
この年で何もないのにおんぶなんて恥ずかしいと言ったらこんな持ち方。
でもちょっと愉快。
「男がメソメソ、メソメソ泣くんじゃねぇ。ったく。おいこらそこの! 兵官の前で歩き煙管をするな! 兵官の前じゃなくても許されないけどな!」
私を抱えたまま、兄は歩き煙管をしていた人に軽く注意。
うるせぇなと反抗された兄は、こういう理由でダメだとお説教を開始。
人が集まって、ヒソヒソ話が飛び交い、それが私は何の罪で捕まったのだろうという内容だったので、違いますと言おうとした。
私の言葉に、注意された人の罵倒の台詞が被さり、男が殴りかかってきたので「ひぇっ!」と怯えたら、兄はすっと避けて相手を転ばして、蹴っ飛ばし、背中を踏みつけた。
「逆上して暴力なんて最低な男だな。俺の妹が怪我をしたらどうする! 急いでいるのに仕事を増やすな! 俺の妹はこれから姉のお産の手伝いをするんだぞ! 注意で済まそうと思ったけど連行だ連行!」
地面に降ろされて、代わりに兄の腕の中にはお説教された人。
彼は暴れようとしたところを兄に縛られて猿ぐつわされてなすすべなし。
「こんな性根だと犯罪をしてそうだから連行して調べてもらおう。リル、こいつを運ぶから、しばらく歩いてくれ」
「うん」
「兵官の兄ちゃんよぉ。俺はそこの店番なんだけど、そいつはたまにここらを歩き煙管でウロウロして、子供に怒鳴ったりしているからよく調べてくれ。前から目障りだ」
「若い娘っ子がなんの罪で連行かと思ったら妹さんか。よく見たら顔がそっくりだ。姉さんのお産が上手くいくとええな」
「ありがとうございます」
歩いている途中で、兄は火消しに声を掛けて、事情を説明して連行を変わってもらった。
それでまた私は小脇に抱えられて、ジンと兄は走って家へ。
その途中、兄は迷子を発見して、泣きじゃくるその子を持ち上げて、親は居ますか? と叫んだり、転びかけた老人を助けた。
兄が歩くと何かあるんだなぁと思いながら実家へ到着。
正確には実家のある長屋へ続く階段のところへ着いた。
兄が私を地面に降ろして、階段を駆け降りていく。
「あっ! 親父がまだかも! リルちゃんの次は親父に報告って頼まれたんだった!」
ジンがそう叫んだ瞬間、兄は「俺が行く!」と言ったのに、なぜか川へ向かっていって転んだ。
駆け寄ったら、川の浅いところなのに溺れたみたいにジタバタ。
「何してるの」
「わ、草鞋がなんかに引っかかった! ぶべべべべべ。げほっ。ごぼぼっ。危ないから助けるなよ!」
浅瀬で溺れかけるって怪異。怖い。
私じゃ兄の重たい体をどうこう出来なそうなので、人を呼ぼうとしたけど、少しシダバタした兄が自ら立ち上がったので安堵。
父が働く作業場は向こう、まず土手の上と告げたら、走って喉が渇いたからちょっと水を飲もうとしただけらしい。
「風邪ひくよ」
「そうだな。ありがとう。着替えてから出掛ける」
兄と共に帰宅というか、ルカとジンの部屋へ。
母が横になっているルカの背中をさすりながら、ルカさん、ルカさんと叫んで泣くジンをどやすところだった。
「で、でも。こんなに辛そうだから!」
「産まれるのはまだまだ先なんだからどんっと構えてなさい! 落ち着いて優しく寄り添えないなら邪魔だから出ていけ! ルル達と夕食を作りな!」
「お母さん……まぁ、まぁ……」
「ルカさぁん……俺、こんなんでごめん……」
「ええよ、ええよ」
母が私達に気がつき、まず兄に向かって「なんでびしょ濡れなの。着替えなさい。風邪を引くわよ」と告げた。
「川で水を飲もうとしたら溺れかけた」
「ったく、あんたはバカなんだから横着しないの。それにお嬢さん嫁が欲しいって言うなら、行儀が悪いことはやめなさい」
「そうだな。着替えたら親父を呼びに行ってくる」
「呼びに? ジンが行ったわよ。リル、良く来てくれたわね」
「ジンはまだリルを呼びに行っただけ。俺が代わりに……「そうなの? ジン!! 父親になるんだから、おつかいくらいちゃんとしなさい!」
兄の台詞が母の叫びで消えた。
ジンは部屋を飛び出し、兄は着替えに行き、私は母に手招きされたのでルカの近くへ。
「お産で死ぬこともあるから、何か話があればしておきなさい。まぁ、私が関与して死んだ女も赤子もいないけどね」
母は私とルカの頭を撫でると、ちょっとルル達の様子を見てくるから、私に少し任せると言い残して部屋から出ていった。
とりあえず、母がしていたようにルカの背中から腰を撫でる。
「ありがとう。お母さん以外だと静かなのはリルだけだ。まだ陣痛なのにさ、うるさくて困ってた」
「痛い?」
「痛い。でも平気。男の子かな、女の子かな。楽しみ」
「うん。体力をつけるのにりんご食べる?」
「わざわざ買ってきてくれたの? ありがとう。食べられそうなうちに食べる」
「ううん。お裾分けでもらった」
今の陣痛がおさまったら食べるというので準備しておき、笑っているけど、眉間にシワで辛そうなのでさすって欲しいところを聞いて撫で撫で。
私もそのうち、このように子供を産むのかとドキドキ。
「死ぬかもかぁ。全然、実感がないや。この長屋で出産で死んだ人って、赤ちゃんも含めていないじゃん? 私達の知る限りだけどさ。流れちゃったはあったけど」
「そうだね」
「リルに言っておくこと……別にないかなぁ。別に喧嘩してないし、秘密もないし、謝るべきこととか、感謝することも、言い残しは特に無い」
「うん。私も特に」
母が戻ってきて交代。
ルルとレイはきちんと、かつての私みたいに、周りの大人の手を借りながら夕食の準備を進められているという。
話は終わったかと聞かれて、特に話がないから、今の陣痛がおさまったらりんごを一緒に食べると伝える。
「あらリル。わざわざ買ってきてくれたの?」
「ううん。お裾分け」
「りんご炒めっていうのをね。テルルさんが作ってくれたんだって」
ルカが少し楽になってきた、ということで三人でりんご炒めをお箸を用意してつまんでみた。
「うわぁ。美味しい。りんごって炒めるとこうなるんだ。でも不思議な味」
「美味しい」
「これバタでしょう。前にリルが作ってくれたふわふわなんたらと似た味だもの。バタとりんごと砂糖とすだちってところね。高級品と高級品の豪華な共演だわ」
母、凄い。
私やルカは苦労したのに、ルル達は贅沢して育つのは良くないから、二人で食べてしまいなさいと、母は私達二人に笑いかけた。
そこへ兄が来て、ルカと少し話があるというので、母と二人で部屋の外へ。
「なんとなくだけど、孫が産まれるのは明日の昼な気がするのよ」
「そんなに長いの?」
「ただの勘だから、あっという間かも」
「そっか」
「家のこともあるだろうし、もう帰る? それともルカを見守る? ルカには私達がいるから大丈夫。だからリルの好きな方にしなさい」
「お母さんの勘は当たるから帰る。疲れた頃に来る」
「疲れた頃? なんで疲れてから来るのよ。休みなさい。ルーベルさん家の家事はそんなに大変なの?」
わーって喋りそうな気配がしたので手を上げて静止。何? と止まったので喋る。
「違う。お母さんが疲れた頃」
「あっ、そういうこと」
「うん」
「気遣ってくれてありがとう」
日が暮れて危ないからジンか兄に送らせるので、少しルル達とお喋りしててと言われて、私もそうしたいのでそうして、赤ちゃんは男の子か女の子かと盛り上がる三人のお喋りに耳を傾ける。
しばらくして父とジンが顔を出して、父が娘三人のお世話を開始。
兄はまだルカと話しているらしくて、ジンが私を送ってくれるというので、皆にお別れの挨拶をして出発。
母は他の家の母達と産屋の準備をしていたので、母達にもご挨拶。
「あら。リルちゃんは帰るの? これからルカちゃんのお産なのに?」
「あの子が産むのは昼よ昼。そんな気がするのよ。あの子、私と比べてちょっと体が小さいし、初産だから。なんとなくそんな気がするから、私がへばる頃にまた来てくれるって」
「そうなの。すぐ来てくれるところに嫁いでくれて、こうやって顔を出すのを許してくれる家で助かるわねぇ」
「リルはええ家に嫁いだ果報者よ」
「母親の言う通り、ええ家の嫁になれました」
皆に見送られてジンと土手へ上がり、わりとゆっくりと歩き出した。
ジンの歩みが遅いので合わせたら遅め。
「ゆっくり歩いて深呼吸したら落ち着くかな。冷静にならないとルカさんに会わせられないって言われた。せめて泣くなって」
もう泣いていないなと思ったけど、ジンはまた泣き出した。
自分で手拭いを出して涙を拭いたり、鼻をかんだり忙しい。
「怖い?」
「そりゃあ怖いには怖いけど、百戦錬磨らしい母さんがついているなら大丈夫だろう。怖いのもあるけど、あんなに辛そうでルカさんが可哀想。でもさ。産まれるんだ。ルカさんと俺の子が。こんな奇跡ってあるんだ」
いつもはそこまで喋らないのに、ジンは喋り続けた。
子供の名前は男の子ならジオにするという。
ルカがジンの名前を一文字継がせたいと提案したそうだ。
それならと、ジンは養父であり、義父でもある私達の父親レオの名前を貰いたいという希望を出した。
レン、レジ、ジオと書いてみて、男児がオで終わるのはイオの家系の伝統らしく、火消しは丈夫だからあやかろうということでジオ。
女の子ならルカ、エルからもじってルエかカエだそうだ。
それで魔除け漢字はジンの恩人、ひくらしの大旦那に依頼するという。
「恩人? 雇ってくれたから?」
「ん? リルちゃんは知らないんだっけ。俺はひくらしに捨てるように奉公に出されてさ。他の奉公人よりも心配だーって大旦那さんが父親代わりみたいに親切にしてくれたんだ」
職場が今の作業場になると、大旦那はそこの同僚達にジンを頼んだ。
それで大旦那の世話焼き頻度は減り、結婚して父がジンの父親になったので、もう全然、大旦那の世話焼きはないという。
他の奉公人達と同じくらいで、他のお店の奉公人達よりは多分少し気にかけてもらっている。
ここからひくらしの大旦那の良い話を色々知れた。
両親もルカも兄も、ひくらし関係に絶対に迷惑をかけたり、ましてや恩を仇で返すなと言うけどそういうこと。
「明日の昼かぁ。ルカさんは明日まであんなに辛そうなんて……。俺が代わってあげたい。男が産めればええのに。男の方が体力があるんだし、体も大きいのに、なんで女の仕事なんだ?」
「なんでだろうね」
「でも妊婦や子育てがあると働ける時間が減るか。小柄で力も無いと大変だからこうなのかな?」
「変わってあげたいって、ジン兄ちゃんは優しいね。ルカは幸せ者だ」
「あはは。何を言うてるんだ。親も兄も、かわゆい妹達も、全部ルカさんがくれたんだから、俺こそ幸せ者だ。これから子供までもらえる。ルカさんは凄いなぁ」
兄にかわゆいはつかないんだねと言ったら、ジンはアレにかわゆいはつかないだろうと大笑い。
「お母さんの勘が外れることもあるから、急いで帰ろう。ルカは産む時に、ジン兄ちゃんにいて欲しいよ。あっ、イオさん! イオさん!」
周りの人達よりも頭一つ飛び抜けているし、制服姿で目立つし、おまけに「秋の木枯らし、火の用心」と大きめの声を出しているので発見。
事情を軽く話して、ジンを家に帰したいので私を家まで送れないか質問。
「もちろんええよ。ジン、家にりんごが沢山あるからルカちゃんに持って帰れ」
「ありがとう。そのりんごならリルちゃんからお裾分けされた」
「それならリルちゃんのが減った分補充だ補充。ネビーにやるって言うたら、リルが一番りんご好きだからって。それにルルちゃん達をあんまり甘やかさない。ルカもリルもりんごなんて殆ど食べずに育ったとかうんぬんかんぬん。あいつは親か」
ジンはさっさと帰れとイオに言われて去り、イオは兄話を続けた。
家に行ってりんごを手に入れて、ミユの家に寄って、それから我が家で良いかと問われたので了承。
さっさと結婚すれば周りの女も落ち着くのに、ネビーさんとお見合いしていないから嫌だ、彼が結婚したら考えるという話に巻き込まれて大変らしい。
「あいつ、全部俺に任せやがって。その話ならイオに言うて下さい、説明してもらって下さいってなんだ。せめて親だろう。なんで俺が彼はお嬢様狙いの高望みバカやろうだから、平家娘は全員無理ですって言うたり、泣きつかれないといけないんだ」
この間、女の子に泣きつかれて、ミユに目撃されて困ったという。
その女の子が兄話をしたので誤解されずに済んだけど……嫉妬されたかった、みたいな話になり、兄話からミユ話へ。
ずーっと喋っていて、内容がどれもこれも愉快なので耳を傾けていたら、イオは「いけねっ。リルちゃんも喋るよな? 最近どう?」と気にかけてくれた。
「最近……りんご炒めを知りました」
「りんごを炒めるの? なにそれ。美味しいの?」
「西風です。すこぶる美味しかったです」
「おお、またハイカラなやつだ。しかも美味いのか」
イオ家へ行って玄関で少し待っていたら、慌てた様子のサエが、エルは水臭いと飛び出していった。母とルカを手伝ってくれるとはありがたい。
りんごの入ったカゴを持ったイオと共に出発して、次はミユの家へ。
「まぁ。お姉さんが出産ですか。なにかお手伝いすることはありますか?」
「エルさんの予想だと明日の昼だってさ。何度かエルさんが参加する出産に遭遇しているけど、毎回出産時刻が当たってたから、多分今回も当たるんじゃないかなぁ」
明日の朝、一緒に差し入れの握り飯を作ろうとイオはミユに笑いかけた。
「ええ、そうしましょう」
ぷんぷん怒るミユとニコニコしているイオは良く見ているけど、笑い合う二人はあまりで、こうして笑顔同士だとお似合い。
「お父さん! お母さん! ミユちゃんを夜の散歩にお借りします! 帰りに風呂屋に寄ってから帰ります! お裾分けのりんごを置いておきますね!」
えっ? とミユは困惑したけど、奥からミユの父親らしき声がして、いつものようにお願いしますだけで終了。
ミユは戸惑ったようだけど断らず、荷物を持ってきますで終わり。
三人で夜の散歩になり、私とミユが前でイオは後ろ。
「ミユ。りんご炒めっていう美味しい料理があるらしいから教わって」
このイオの発言により、私とミユは自然と料理話で盛り上がった。
料理話というか、献立が悩ましくて、どうしていますか? という相談。
イオは会話に混ざらないで鼻歌混じり。彼は途中、転んだ老婆をさらっと助けて、それをミユがらぶゆの笑顔で眺めていた。
喧嘩ばかりというか、ミユが良く怒っているけど、婚約者なのはそういうこと。
家に近づいてきたら、クララの夫と遭遇。
彼はイオやミユと顔見知りなので、遠くから会釈だけではなくて近寄ってからしっかり挨拶をしてくれた。
「ルーベルさん家にお呼ばれですか?」
「いえ。実家から帰るリルちゃんを送りがてら、かわゆい婚約者と夜の散歩です」
「リルさんはご実家に帰っていたんですか」
「お姉さんが臨月なのでちょこちょこ顔を出しているそうです」
ここへロイが現れて、似たような会話をして、イオとミユにお礼を告げて二人をお見送り。
その時、イオにりんごの入ったカゴを渡された。
「ロイ君、下街だと婚約したらこんな時間に二人きりでええんですね」
「下街だからというより、イオさんの信頼がぶ厚いようです。ミユさんのご両親は何にも心配していないと。悪さはされないし、何かあれば守ってくれると」
「へぇ。そうなんですか。火消しさんの護衛で散歩みたいなものだから、それもそうですね」
「義兄にそう聞きました」
アルトと別れてロイと家へ。
その時にルカの陣痛が始まったことや、母の勘のこと、ジンが私を送る予定だったけど、イオに変わって貰ったこと、りんごが増えた話をした。
家に上がり、帰宅の挨拶をして、ロイの着替えを手伝いつつ、イオとミユは明日の朝、差し入れの握り飯を作ってくれるようだから、私も何かしようと考えていると教える。
「この話は両親にもしましょう」
「はい」
義父母は先に食事をしていて、私がいることに驚いた。
玄関で帰りましたと言ったけど、ロイの声しか聞こえなかったみたい。
状況を説明したら、今から色々している者ばかりのようだから、昼頃という母の勘を信じて、交代要員になると良いとのこと。
「男の子が生まれて丈夫に育ったら、籍だけお父さんの養子になってもらう予定ですから、我が家の初孫のようなものです」
だから、と義母はロイに色々良くするのよ、しっかり手配しなさい、下準備はしてありますね? と先週もしたような話を再び。
ロイは真面目な顔でゆっくり頷いたけど、先週「またですよ」と私に愚痴ったので、多分聞き流し中だろう。
「なんや。急に落ち着かんな。昼ごろかぁ。帰るまで分からないって落ち着かん」
「私は明日、リルさんと向こうへ行きますので、夕飯はありませんので、二人とも自分でどうにかして下さい」
「早退きして俺も行こう。出産の役には立たんが財布は出せる。無事に生まれたら皆さんを労わないと」
自分は仕事が……と言いづらそうに口にしたロイは、義父に「妻の大事な姉、それも跡取り予備を産んでくれるかもしれない姉の出産に備えて仕事の調整をしていないなんて」とお説教をされた。
そこから、そもそも一日くらい早退き出来ないような仕事振りとはなんだと、久しぶりのネチネチ説教。
「リルさん。疲れたでしょう。早う食べてお風呂もどうぞ」
「はい。台所の板間で食べます」
「どれ。私も。りんごそのままと、りんご炒めどちらがええ? あなたの夕食後に一緒に食べましょう」
「りんご炒めがええです」
ルカと沢山食べたけどもっと食べる。
どうぞだし、義母と食べるので独占ではないからバチは当たらない。
翌日、義父とロイを見送ったらソワソワしてしまって、義母と二人でそそくさと実家へ。
イオの家に寄って、気遣いを手伝おうとしたけど、サエに「息子は二人きりでデレデレしたいだろうから」とやんわり断られた。
「夫が産まれたら餅つきをするって言うてるから知らせてね。私もそろそろ準備に行くわ。そのうちイオが握り飯を持っていくから、いたら息子におつかいを頼んで」
「ありがとうございます」
これから産まれてくるか、もう産まれているルカとジンの子供はとても幸せだ。
こんなに皆に良くしてもらって、元気に生まれてくるように応援されている。
実家へ到着すると、ちょうど「産まれた」と母がおくるみにくるんだ赤ちゃんを掲げて大歓声。
その隣で父が泣き笑いしながら、皆さんありがとうございますとお礼を伝えていく。
「うえええええええ。ルカさぁあああん! よく頑張った。ありがとう!」
扉が開いているのもあり、産屋からジンの絶叫みたいな泣き声が聞こえてきた。
ルル達の笑い声も筒抜け。
「お母さん! 兄ちゃんが変! 顔が青いし息をしてない!」
そう、ルルが部屋から顔を出した。
「息をしないと死ぬから放っておきなさい。苦しくなったら吸うわよ」
「そっか」
「ルル、ネビーを頼んだわよ」
「うん!」
「毎回、毎回。情けないくらいに青ざめて。もう終わったのになんなのかしら。肝が小さいんだから」
母は腕の中の赤ちゃんに向かって、あなたは叔父と違って、勇敢になりなさいと笑いかけた。
「お母さん」
「あらリル。テルルさんまで。わざわざありがとうございます。このように無事に生まれました」
「おめでとうございます」
「是非、抱いて下さい」
「心配なのでそちらに腰掛けてから失礼します。リルさん。隣で注意してくれるかしら」
「はい」
赤ちゃんは男の子だそうだ。
そうなると名前はジオになる。ジオは義母の腕の中におさまり、ふにゃふにゃ言い、次は私の腕の中。
「ジオ。リル叔母さんですよー」
母がジオの頬をぷにぷに指で押した。
小さくて温かくてかわゆい。
☆★
このようにして新しい家族が増えて、私は叔母になった。
西風料理会の話を近々書きます




