未来編「ロイ、親友と飲む」
義兄の挙式日に、親友がとある女性に一目惚れして、酔いの勢いで花文を渡した結果、その場で袖振りされた。
とにかく忘れられないので、正式に申し込みたい。
だから俺の義兄の新妻、つまり俺の新しい姉に、友人を紹介して欲しいと頼まれた。
挙式日は親族として挨拶回りなどがあり、ジミーが気にかけた女性が誰なのか把握しておらず。
相手が誰なのか判明した時点で俺はわりと困った。
仲介を依頼されて、彼が一目惚れして即袖振りされたのは、義姉ウィオラの友人、雅屋奉公人のユラという女性だったからだ。
雅屋奉公人、平家ユラ。
家族は誰一人居ない身寄り無しで、現在彼女にはネビーと数名の福祉班がついている。
前職は芸妓ということになっているが、彼女の前職は一区花街の大店、天下の菊屋の格子遊女である。
俺はネビーを尊敬して信頼しているし、それをジミーはよくよく知っている。
その彼が、激務の中わざわざ自ら時間を割いた相手というだけで、俺は「元遊女の謎人物平家ユラ」を信用するし、手伝えることがあれば協力したい。
ネビーは俺を尊敬して信頼しているので、俺が善意で動いたことに対して、本気で怒ることはない。
そして俺は、ジミーという大親友もとても信用しているので、彼に自分が持っている情報を教えた。
職業に貴賎はないとは考えない主義で、出自や育ちは大切なもので、家という後ろ盾も同じく大事な物という価値観。
見た目が好みだからと近寄って、そのまま中身にも惹かれて、ただただその人が良いなんていう年ではない。
ジミーは俺にそう告げた。
「でもほら、家族中心で動いてきたことにそこそこ疲れてきたし、祝言前に縁切りされてもそこまで落ち込まなかったことに、わりと虚しさを感じています」
「婚約破棄されて結構、荒れていたと思いますけど、あまり落ち込んでいなかったんですか?」
「打算と打算で縁結びして、夫婦になってから仲を深めていく。ごく普通の、当たり前の縁談ですけど、ほら、自分の周りには恋愛色が強い縁談が多いもので。荒れていたのは自分の薄情さとか、あまり気持ちがないのに祝言しようとしていたんだなとか、そういう自分への憤慨です」
人生で一度くらい我儘を通したり、狂えたらなんて憧れることがある。
自分はあれこれバカだけど、わりと理性的なんですよと彼はにこやかに笑った。
「元遊女さん……。それで福祉班がついているかぁ。嫌々遊女になり、借金を返したから外街に出たけど、普通の生活が分からないみたいなことですよね」
「本人は元芸妓と言うていますし、お伝えしたように自分は彼女とは全然交流がありません。リルさんの妹さん達の方が多少は。あとはウィオラさんです」
「ちょっと手紙を渡すという橋渡しは断ります。言いふらさないと信用して大事な情報を与えたから、調べて考えなさいってことですね。それでご家族ご親戚に探りを入れても良いと。信頼をありがとうございます」
この飲み会の後、しばらくジミーから連絡はなく、次は今月頭に「雅屋へ顔を出して、手紙を渡してみます。君やご家族ご親戚を板挟みにはしません」という手紙が届いた。
この間に彼が何を調べて、どう感じて、その結論に至ったのかは不明。
板挟みにはしませんという通り、俺の家族親戚、雅屋関係者に接触は無かった。
ジミーは「ルーベル家もレオ家もユラの味方。そうであるべき」と判断してくれたようだ。
俺が彼に協力したい気持ちを察して、家族親戚の付き合いがあるからと悩む前に、バッサリ線を引いてくれたということである。
俺は、自分に様々な大切な友人を与えてくれたジミーの為なら、家族親戚の中で孤軍になっても彼につくつもりだったのに。
しばらくしてまた手紙が来て、文通お申し込みしたら誰からも受け取りませんと門前払いされたと書いてあった。
他には特に何も。
そして今日になり、土曜の午後に珍しく早めに帰宅出来たら、遣いの者が来た。
遣いはウィオラからの魚貝類のお裾分けを持ってきてくれて、彼女の家で浜焼き会をするので皆さんでどうぞというウィオラからの誘いを伝言してくれた。
家族全員で行こうと考えたけど、レイスとユリアがいたずら遊びをしたらしく、両親がお仕置きの為に二人は留守番と決定。
夫婦二人で行ってらっしゃい、たまには水入らずと見送られて、リルと家を出て、ゆっくり街を散策しつつレオ家へ到着。
そうしたらジミーがいて、合間机で甥っ子のジオと龍歌百取りを使って遊んでくれていた。
「こんにちは、ジミーさん。どうしたんですか?」
「こんにちは、ロイさん。出張帰りで、寮からはロイさん家よりもここが近いから、いつものように手土産や手紙を託しに来たら、今夜は浜焼き会だと誘ってもらいました。ロイさんも来るとうかがい、待っていましたよ」
「それはタイミングが良いですね」
「日頃の行いかな。大勢で浜焼きはとても美味しそうです」
ちょいちょい、と手招きされたので二人で河原へ向かって歩いた。
「誰からも手紙を受け取らないなら会話かなぁと、注文に行きました。少し話せて、また振られました。遊び回るようなお坊ちゃんはお断りって。自分はネビーさんやウィオラさんにそう認識されているんですね〜」
怒っている気配はなくて、愉快そうに笑っているので、彼の本心がどこにあるのか分からない。
「そんなことはないはずです」
「怪我をしないようにするのが福祉班ではなくて、死亡や立ち直れない程の大怪我をさせないのが福祉班です。縁がなくても糧になる。彼女には色々な勉強が必要です。だから、好きにして下さいって言われたんですよ。信用ゼロです」
「彼にそんなことを言われたんですか。手紙には書いてありませんでした」
「文字は一方通行であれこれ伝わりません。なので、ロイさんとも直接話したくて。でも忙しくて中々」
出張というよりも、短期出向だったのと、自分の用事で時間が失われていたと苦笑いされた。
「自分もそこそこ忙しくて、気を遣わせてすみません」
「気を遣わせて? 自分の時間が無かっただけですよ」
「多忙な自分に対して、自分の為にこちらへ来てくれと言わなかったのは気遣いですよ。水臭い。相手は選びますが、君の為なら自分の時間を削ります」
「ええ。ロイさんなら、助けてくれー、もう無理って言うたらすぐ来てくれそうです」
でも俺は、そんな風にジミーに呼ばれたことはない。逆はたまにあるのに。
「ロイさん、ヨハネさん家族は浜焼きに来ないんですか?」
「誘いに行ったら、家族でお出掛けなのか皆さん留守でした」
「それは残念です。ヨハネさんは仲間外れにするとすぐ拗ねるけど、誘ったなら仕方がないですね」
川の近くまで来ると、ジミーは足を止めて腕を組み、微笑みながら川の向こう側を眺め始めた。
「あっさり振られたから、縁談を下さいですか?」
「ネビーさんが、こう言うてくれました。ジミーさんがロイさん並みに本気になったら、彼女にとってこの上ない幸運だろうって。彼女、彼がそこまで心配するほど不幸なんですか?」
「存じ上げません。ネビーさんはジミーさんと同じくペラペラお喋りだけど、大事なことは全く喋りません。彼が気軽に話せない程の何かや過去があるんだなぁと推測可能です」
「その通りで、厄介者の気配がぷんぷんします」
だから、次へ行きます。美人だ、好みだと気にかけただけの段階なのでとは言わないようだ。
微笑みながら遠くを眺めて、そういう台詞を口にしないで沈黙しているのでそう感じる。
「嫌悪じゃなくて、悲しそうな顔だから、引くに引けないかな。それに何か、縋るような目も向けてくれるから、かわゆいなって。嫌われているんじゃなくて、怯えられています」
「そうなんですか?」
「親孝行も兄孝行もしてきた気楽な三男で、跡取り孫ももういるし、少し面倒臭い家とこのまま距離を保つのはありかなぁと。ユラさんには家族親戚はついてこないけど、ルーベル家がわりとくっついてくるので花丸満点以上です」
ユラはきっと厄介者だろうし、下手に手を出すとネビー・ルーベルが激怒することも理解している。
だけど気になります。
だから家関係のことはしっかり考えました、という宣言のようだ。
「先程、ロカさんがウィオラさんに、ユラさんも誘いますよね? と言うていたんですが、振られたばかりだからあまり。少し浜焼きを楽しんだら飲みに行きませんか?」
「浜焼き会中に口説くというか、もっと会話してみる気はないんですね」
「友人達と楽しみたい時に、そんな無粋な真似はしません」
相手のことを想って気遣って、それが「距離を取られた」とか「気にされていない」と誤解されることに繋がることもある。
婚約破棄の後に、そういう話をしたので、またしたらそうですねと笑いかけられた。
それは自分の悪癖でもあるけど、中々直りません。
他人に自分の都合を押し付けるという行為は苦手なので。
相手を想う気遣いではなくて、己可愛さ、自己保身なんですよ。
ジミーはそう語って笑って、話の内容を変えた。
ここからは仕事の話をされて、ロイさんはどうですか? と俺の近況へ。
上流へ向かって歩いたり、林の中を散策しながら長屋へ戻り、浜焼き準備を手伝い、リルが「気になる。話したい」という顔だったので誘って、今回の出張でジミーが食べた料理を尋ねた。
リルに小物屋へ行きたいと誘われたので、ジミーを置いて出掛けた。
珍しいなと思ったら、リルが行きたかったのはロカの文通相手の家。
彼と会って、親しい友人達と共に美味しいものを食べに来て下さいって、リルはレオを怒らせるつもりなのか?
ネビーもジンも黙っていないだろうし、俺もあまり愉快ではない。
「文通相手と知らないうちに父と仲良くなりましょう。そうでないと父は面倒の極みです。母の作戦です。是非、美味しいものを食べに来て下さい。ただ、今夜はロカには近寄らないで欲しいです。それはまた後日、いつものように茶屋です」
「リルさん、学生さんはお忙しいですから」
「行き、行きます! 行きます! した、支度して、手土産を用意して、友人と一緒にうかがいます!」
「手土産は要りません。自分の飲み物や、焼く物を一大銅貨分くらい買ってきて下さい。友人は増えてええです」
好青年なんて来るな、俺の妹に近寄るなと思ったけど、そんなことを言ったらリルの怒りを買うから傍観。
長屋に戻ったら、俺達が一度来ていたことを知らないロカが「リルお姉さん、ロイお兄さん、ようこそ」と挨拶に来てくれた。
「ロイさん。ジミーさんが来ていますよ。またお土産を持ってきてくれました。それに私に薬師の勉強用の本や、この間の問題の採点結果も」
「それはお礼をしないとなりません」
「はい!」
ロカは「薬師になりたいです」から最近「薬師になります」と言い方が変わり、少し勉強から本気のような勉強態度を見せるようになったので、それならと衛生省勤めのジミーに相談した。
薬師の子ども以外は、弟子入りするしかなくて、弟子入りは大体ツテコネだ。
ロカにはネビーという強力なツテコネがあるので、近々趣味会を辞めて放課後は薬師半見習いになる予定。
薬師はツテコネやお金だけでは半見習いを受け入れない。勉強意欲や勤労さ、奉仕心なども見極められる。
なので、事前にこのくらいは学んできなさいと課題を出される。
ロカはそれ以上の課題を望んだから、俺は自分よりもその方面に詳しいジミーやイオに相談したし、その前にロカ自身に「お願いします」と頭を下げられた。
小さいリルのようで可愛い、ちまちましていたロカがそんなに大人になったとは……とたまに涙腺が緩む。
ロカでこれだから、ユリアの時は号泣するだろう。
浜焼きを楽しんでいると、あるかもしれないと思っていたウィオラの花添えが登場。
もしかしたらと考えていたようにユラも参加。むしろ彼女が主役のようだ。
どちらの選択か不明だけど、有名古典のルロン物語より、ルロンに振られて憎悪という話の名場面の曲と舞とは、ジミーへか?
「振られているのに、振られたとはこれいかに」とジミーが俺の隣で笑った。
「気になるのでウィオラさんに聞いてみます」
「お願いします」
美しい演奏に、美麗な舞に、迫真の表情、そして光苔の灯りに照らされる頬のきらめき。それはおそらく涙だ。
朝顔の君はルロンを呪って、あなたは大切な者を失い続けて孤独になるだろうと自害する。
しかし、ユラがそこを演じる前に、三味線を演奏していたウィオラが机へ上がった。
「そなたに地獄は似合わない。乙女よ、白い朝顔だけを辿って歩きなさい」
ウィオラが三味線を弾くのをやめて、ゆっくりとした足取りで机にあがってきてユラの頬にキス。
彼女はまるで男性のように力強くユラの肩を抱き、歌を続けた。
「君が慈しんだ朝顔達が道標だ」
ルロン物語好きなら様々な種類の派生作品を読破しているし、ウィオラは好き嫌いではなくて家業や自らの仕事の為に数多の作品を読み込んでいる。
恐る恐る、戸惑いがちに歩きだしたユラの先にはロカがいて、彼女はユラを軽く抱きしめた。
曲がとても暖かで優しいものに変化して、それはやがて万年桜へ。
「朝顔の精に慰められた朝顔の君は、この後、本物の恋を知る事になりますが、それはまた別の物語」
机の中央で、軽く万年桜の名場面の曲と舞を披露したウィオラに見惚れる。
大金を払って観劇する芸妓がここでは無料とは贅沢過ぎる。ヨハネがいたらまた泣いただろう。
先程までユラが主役だったのに、ずっとウィオラが主役だったように大拍手を浴びていて、俺もついつい拍手している。
「来月一日にフェリキタス神社で寄付公演がございますので、是非朝顔物語をお楽しみ下さいませ。無料観覧席もございますよ。皆さんからの、おひねりを期待しています」
自分は無料では働きませんという訴えのようで、笑ってしまう。
ふと隣を見たら、ジミーが両手で顔を覆ってしゃがんでいた。
「ジミーさん?」
「睨んだり、期待していると煽ってみたり、どっちですか……」
「ああ、今の最後はウィオラさんの煽りですか。言われてみれば」
この後、呼ばれたのでネビー達と合間机で飲み、ネビーが妻達と風呂屋へ行ったので、そのままイオ達と飲みながら主に仕事の話。
ロカの文通相手のクルスはイオの弟分なので、彼の近くにいて、クルスの友人達も同じく。
ここにティエン家族が増えて、彼の母親が「あんた達、ちゃんと食べたの?」とユミトとユウを増やした。
ユミトとユウはネビーが構っている、頼る相手がまだまだあまりいない貧乏平家だけど、いつの間にかティエン家族がくっついたようだ。
「ほら、あんた。どんどん焼いて、このガリガリ二人を太らせなさい」
「おうよ、合点だ!」
「おい、ティエン。お前に遊んでいる暇はないんだから、兄弟弟子と稽古しろ!」
祖父に蹴り飛ばされたティエンがユミトとかかり稽古をさせられ、ラオが「へなちょこ同士じゃ何にもならん! ネビーがいないからロイさんが指導しろ!」と俺に二人を押し付けた。
ジミーはちょこちょこここへ来ているし、人見知りしないので放置しても問題がないので、仕方なく弟弟子達に指導稽古。
あまり時間が経たないうちに、ティエンの母親ランがどこからから戻ってきて「激務のロイさんを働かせるな! このバカ親子!」と、義父と夫を叱責。
解放されたので、ジミーはどこかと探したら、ジオ達子供に囲まれて、文学話をしていた。今夜の見事な花添え関係、朝顔の君の話のようだ。
「だから、浮気や女遊びをすると呪われるんですよ。この世にはかわゆい女性が沢山いますが気をつけましょう。一人だけを選ぶんです」
「そんなの当たり前だぜ。俺はウィオラちゃん一筋!」
イオの長男は、最近ウィオラ、ウィオラとウィオラに初恋らしくてネビーと喧嘩している。今はここにネビーがいないから平和。
「テオ君、ウィオラさんはネビー兄ちゃんのお嫁さんなんだから、テオが横恋慕しても無駄ですよ」
「ジオ君、お兄さんです。他は花丸満点の言葉遣いです」
戸籍上では、ルカとジンの長男ジオは、俺の弟なので下街っぽさは消していきたい。
厳しいだけだと俺のように右から左へ聞き流すので、注意したら、同じ数だけ褒めるようにしている。
「はい。ロイお兄さん」
「ジオ、横恋慕ってなに?」
「仲良し夫婦や恋人の間に入ろうとする悪党のことです」
「俺は悪党じゃない! 俺は火消しの子だぞ!」
「それじゃあ、ウィオラさんじゃない人をお嫁さん候補にしないと」
「やだ。やだやだやだやだ。俺はウィオラちゃんが良い!」
「ネビーお兄さんとウィオラさんが離縁したらええから……離縁してって頼んだら?」
「ならそうする」
ジオは諦めろではなくて、正々堂々と戦えと助言するのか。
子どもの初恋は可愛いが、ジオがユリアと言ったら断固拒否。案の定、話の流れでテオが「ジオは誰をお嫁さんにするんだ?」と尋ねた。
「家族親戚は皆、ユリアと祝言するとええって言うけど、恋とか結婚とか良く分からない。それよりも馬に乗りたい」
「俺も馬に乗りたい!」
「疾風剣も出来るようになるんだ」
「疾風剣の炸裂だー!」
ジオとテオがチャンバラを始めた。一桁年齢の男の子なんてこんなものだろう。
ネビー達が風呂屋から戻ってきたのが見えたので、ジミーに「飲みに行きますか?」と声を掛けた。
そうして喧騒を離れて、二人でわりといきつけになりつつある店に入り、酒を飲み進めて友人達の話をしていたら、途中でジミーが机に突っ伏した。
「飲み過ぎました?」
「チラッて振り返ったら、こちらを見ていました。かわゆい……」
「そうなんですか?」
「惚れたら地獄。惚れられても地獄。これは、なんの文学でしたっけ……」
「惚れたら地獄……ですか?」
しばらく沈黙のうちに、気にならなかったけど、どんどん「元遊女」が気になってきたという話をされた。
「嫌悪感ではなくて嫉妬心です」
「最初は嫌悪感がありました?」
「私欲の為にみたいな雰囲気の方では無さそうなので、最初は同情心です……。嫌悪はまぁ、嫉妬の小さな感じで……」
「惚れられても地獄ですか?」
「あんな捨て犬みたいな目で見られて、本気になれませんでした、無理ですなんて、悪い男です。線引きするなら今です今」
「線引きしたくないんですね」
「……この世の誰にも過去は変えられませんから無理なので来世で会いましょう。来世なら良いとはかわゆいですね……。元々勘違い前向き野郎だし、仕事で疲れているのかな……」
ジミーはそんなことを彼女に言われたのか。
ユラがしめしめ玉の輿という女性ではなくて、かなり戸惑っていることは、今夜俺も自分の目で確認している。
机に突っ伏していたジミーは横を向いて、手酌で酒をお猪口へ注ぎ始めた。
「自分は温室育ちのぬくぬくお坊ちゃんですから……ちょっと似ているなんて失礼です。でもあの寄る辺なさ……たまに鏡の中に……います……」
「ジミーさんは寂しい時があると。当然です。兄二人が結婚するから出て行けと追い出されたんですから。自分から出て行きましたが、あれは追い出されたようなものです」
研修生二年目から寮暮らしで、それを俺達に言ってなかったから、皆で怒ったことがある。
特に俺は、我が家の離れがまるまる空いているのにと拗ねたし彼に喧嘩を売った。懐かしいな。
「薄情者だから……簡単に次にいけます……」
集まって飲むと世話係なのに、寝る程飲むとは珍しい。
しばらく一人で酒を楽しみ、支払いをして彼をおぶってリルの実家へ帰宅。
宴会は終わり、すっかり静かになっていて、合間机に誰も居ない。夜中でも、静かになら大丈夫だと人がいることが多いのに無人とは珍しい。
誘ってもジミーは寮に帰るから、リルと二人でジン家族の部屋の予定が、彼は酔い潰れたのでいる。
ジン家族の部屋で既にリルは寝ていたので、大親友とはいえ、妻と同じ部屋で寝かせるのは嫌だ。
ユラが泊まりなら、彼女はウィオラと一緒だろう。
ルルはルカに構いたい様子だったので、両親の部屋。ロカは多分一人か、ウィオラとユラにひっついている可能性。
男一人で寝てそうだなと、ネビーがいるはずの夫婦部屋一の扉を叩くことにした。
妻が心配だからと、大家と交渉して改築して立派になった扉は、以前のように気軽に開くことが出来ない。
緊急呼び出しに慣れているネビーはすんなり起きてきて特に怒らず。
「珍しいですね。ジミーさんが酔い潰れるなんて。珍しいっていうか、初めて見ました。ここに泊まりも初ですよ。多分。俺のことだから、忘れているかもしれませんけど」
「自分が関与していない時は存じ上げませんが、知る限りでは初めてです」
「ロイさんはリルと寝る予定だったけど、ジミーさんがいるとそれは嫌ってことで、俺に押し付けですか」
「違います。二人ともここで寝させて下さいと頼みに来ました」
「ロイさんと寝ると、リルって抱きついてくるから嫌です。俺はリルのところに行こう」
「それはダメです。妹離れして下さい」
「妹になんてまるで興味が無いです。兄に嫉妬するな。この嫉妬魔人」
「それはネビーさんです」
重いからまずジミーを寝かしたいと部屋に押し入り、リルと寝たら自分もウィオラと同じ部屋で寝ると宣言。
「姉に興味ありません」
「はぁ? ロイさんとウィオラさんは血の繋がりはないです」
「近親も存在します」
「そうだけど、俺はおむつを変えたことのあるよだれ女に欲情なんてしません」
「自分もウィオラさんにまるで欲情しません。リルさんではなくて、ロカさんのところへどうぞ」
「途中で起こすと嫌われます。ロカは難しいお年頃、思春期若干反抗期なんですから」
絶対に妻と男を一緒の空間で寝かせるかと、お互い睨みに睨んで、ジミーを間にして寝ることで和解。
★★★
ふっと目が覚めたら、男二人に抱きしめられていた。右はネビーで左はロイ。
二人揃って筋肉質な腕が重いし顔が頬に近い。血が繋がっていないのに、この桃兄弟はそっくりな寝顔をしている。
暑くなってきたからか、二人ともかなりはだけている。
俺はどうやら、昨夜飲み過ぎて潰れて、寮に帰れなかったようだ。
ウィルの話をしたところ辺りから、記憶が曖昧だ。吐いたりして、ロイに迷惑をかけていませんように。
「ん……リルさん」
「ウィオラ……」
朝から、左右の頬に男のキスとか気持ち悪い!
新婚はまだ許せるけど、ロイはまだまだ新婚気分かと苛立つというか単純に羨ましい。
ぎゃあああああっと叫んで、鳥肌の立っている腕で二人を押して「寝ぼけないで下さい!」と叫んで逃亡。
部屋を飛び出したら、目の前の共同椅子にユラとウィオラがいて、同時に振り返った。
「き、きゃああああああ! け、化粧もしていない顔を見るな! この変態! なんでいるのよ! 飲んだら帰るって聞いていたのに!」
変態? と思って自分の服装を確認したけど昨夜の着物姿のまま。
すっぴんを見たから変態ってことなら、かわゆいな。
「眉毛が多少ないだけで大騒ぎとは、奥ゆかしいんですね」
「この見る目無しの腐り目の草鞋顔! 私が奥ゆかしいなんて、ふざけんじゃないわよ!」
赤い顔でキッと睨まれて萌えたというか燃えた。
お淑やかなお嬢様好きと思っていたのに、真の好みはこっちとは。
多分。
フェリキタス神社で睨まれて手紙を破られた時と同じく新たな扉が開いた感覚がする。
「暴漢か⁈」
スパンッと扉が開いて、上半身裸のネビーが飛び出してきた。右手に手拭いが握られているので汗を拭いていたのだろう。
「き、きゃああああああ!」
ウィオラの大絶叫が響き渡り驚く。
照れ屋なのは知っているけど、夫の上半身裸にも照れるのか。
「見て、見てはいけません! 惚れたらユラが可哀想です!」
今の叫びはそういうこと、とユラの顔を開いた扇子で隠したウィオラを眺める。
「惚れるかバカ。あんたの男に全く興味が無いわよ。しかもなんで自分が勝つ前提なのよ!」
「早く、早く服を着て下さいませ。ユラに見せたくありませんし、私にとっても朝から刺激が強過ぎます」
夫の上半身裸にも照れるらしい。彼女は耳まで真っ赤になっている。これ系が自分の好みだったのに、全然萌えない。
「あっ、はい。暴漢はいなくて安堵しました。着替えようとしていたところで」
袖に腕を通しながら、ネビーは「そんなに照れて、もっと慣れてもらわないといけませんね」と愉快そうに笑った。
「ウィオラ、まさかあんた、まだなの? そんなにお預けしていると、いくら忠犬だって、他の餌をくれる人のところへ行くわよ」
「言うて下さい、言うて下さい、ユラさん。俺は日々拷問されているんです。この照れ照れ照れ屋はまだ触る練習とか言うんですよ。指でつんつんで精一杯」
「なっ、なにをおっしゃるのですか! 違います! ユラも朝からやめて下さい」
「「ふーん。違うんだ。なにがどう違うんですかー?」」
ユラとネビーが同時に同じ台詞をつげて、そっくりな悪戯顔をして、ニヤニヤ笑いながらウィオラを見据える。
この二人は兄妹なのか? というくらい気が合っている。
「おや、おやめ下さい。朝から結託して揶揄うなんて、朝ご飯を少なくしますよ!」
ウィオラは扇子で顔を隠しながら逃亡。ネビーとユラがケラケラ笑っていて実に楽しそう。二人ともウィオラ好きという共通点で気が合うのだろう。
「なんなのあれ。どうせヤリまくりなんでしょう? なのにあれってどういうことよ。まさか本当にまだなの? あの初心で頭でっかちなお嬢様ならあり得るわ」
女性の口から「ヤる」なんて言葉、とゲホゲホ咳き込みそうになり、耐えたら苦しくて涙目になった。
「朝から女がそういう単語を使うな。しかもジミーさんがいるのに」
「夜明けに騒いで他に人も来ないなんて珍しい。三人だから言うけど、私、元芸妓じゃなくて元遊女なんで。遊楽女上がりじゃなくて強欲組。お坊ちゃんの相手にはなれないし、ならないわ。貴方からの手紙には一生返事をしません」
突然の暴露話に驚いていたら、彼女は鼻を鳴らして、ウィオラが消えた部屋の方へ去っていった。
「そこまで賢くないというか、人付き合いがあれこれ分かっていないからあり得ると思っていたけど、ジミーさんは知らないと思っていたのか。ロイさんが大親友に何も言わないなんてあるか。またカナエさんに説教させないと。ジミーさん、振られましたね」
「見る目無しの腐り目の草鞋顔ですから」
草鞋顔ってどんな顔だ。凹む。
「ああいう女は、一生傷つけられるくらいの覚悟がないと付き合いきれませんが、途中で捨ててもええですよ。ジミーさんなら常識的でしょうから、ゆるゆる気分で踏み込んで構いません。俺やウィオラさんがいるし、そのうち増えていくんで」
ぽんっと肩を叩かれて微笑みかけられた。少し力を込められたのは、信頼なのか彼女に悪さをするなという忠告なのか。
翌週、時間を作って雅屋に顔を出したら、彼女が他の手紙は受け取り始めたと知った。どんな心境の変化だ。
俺からの手紙はもちろん、受け取ってもらえなかった。




