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特別番外「結良花」

 炎に身を焼かれて死ぬというのに、灯虫は飛び込んでいく。私には何となくその理由が分かる。

 暗くなった部屋を照らす光苔(ひかりこけ)の灯りにまとわりつく、小さな虫を見てそんな事を思った——……。


 ☆

 

 大陸中央煌国(こうこく)

 それが私が生まれた国で、私は更に煌国の中枢である王都に生を受けた。

 大陸中央部の国々は煌国の腰巾着になったり、隷属化させられるような状況が続いており、煌国は年々栄えているという。

 その煌国王都となるとかなり豊かで、元々肥沃な大地に築かれた大都市は非常に平和で豊かだ。

 煌国王都に生まれたということは基本的にそれだけで幸運。


 しかし、私はそうでもなかった。


 私の二十年少々という人生の大半を、煌国王都では一般的には不幸と呼ぶに違いない。

 前職の女将にこの世の全てを呪うような目をしている、地獄を知っている目だと言われるくらいには苦痛な人生を歩んできた。

 それは数年前までのことで、今の私は恐らく幸運な煌国王都庶民の平凡な生活というものを手に入れている。


 平家(ひらいえ)ユラは現在、老舗お菓子屋の住み込み奉公人。

 週四日はお菓子職人見習いとして働き、土日の二日は売り子。住み込み奉公人なので家事手伝いも私の業務範囲だ。

 今日は日曜なので売り子の日。愛想なんて壁にぶつけて、跳ね返って床に落ちたものを踏み潰したいけど、仕事なので我慢して笑顔を振りまいている。


 雇われて最初の三ヶ月は人柄や勤務態度評価の為に、手に職をつけたいという私の希望は横に置かれて、週六日売り子だった。

 他のお店でも同じだが、美人売り子の噂はあっという間に地域住民男性に共有される。

 土日だけ売り子になってもそれは同じで、彼女に会うには土日しかないという噂が広まるのも一瞬。


 今日も今日とて、見た目に騙されるバカ男達と思いながら笑顔を振りまいて商品を勧めて売りまくる。

 売り上げに貢献すればする程、経営者達に良くしてもらえるし、住み込み奉公出来るようにしてくれたウィオラへの恩返しになる。


 前職も接客業で、それなりの技術を得て稼いでいたので、このくらいお手のものだけど、私はとにかく人間嫌いで、その中でも男が大嫌いなので心が疲弊していく。

 なので今日も心の中で「老舗お菓子屋まで来て、バラ売りの一番安いちび饅頭(まんじゅう)ばかりを買うな」と毒づいている。


 早く、職人見習い仕事の日になって欲しい。黙々と洗い物をしたい。


「次のか……」


 次の方という言葉が途中で行方不明になった。

 朝から男性客は下街男性ばかりだったけど、目の前に立ったのは、どこからどう見ても本来の客層である中流層男性。おまけに彼と私は顔見知り。


 眼前に現れたのは先月、ウィオラの祝言日に私に花文を渡してきたお坊ちゃん疑惑の男性だ。

 初対面だったので、見た目で判断するバカお坊ちゃんと腹を立てて、私は彼の目の前で手紙を破り捨てた。

 彼に「新郎の友人」と言われたけれど、それなら新郎から私の性悪さを聞かされるだろうし、失礼な態度を取っておけば二度と会わないだろう。

 だから、愛想良くしないで手紙を破り捨てて悪態をついた。


 その彼が、目の前にいる。

 私がここで働いていると、ウィオラか彼女の知り合いが教えたに違いない。


「お久しぶりです。そちらの練り切りを全種類、三つずつ箱に詰め合わせて下さい。飾り紐や熨斗(のし)もお願い出来ますか? 熨斗は御祝いで、名は不要です」

「……はい。かしこまりました」


 業務中なので必殺、猫かぶり。

 同僚の中年女性マオに作業をすると声を掛けたら、私がするので接客をお願いと頼まれた。

 彼はどう見てもそれなりのお金を落とす客なので、待ち時間に店隅の椅子へ案内してお茶を用意して、新規客ならなぜこのお店を選んだのかとか、またこのお店を利用してくれそうなのか確認しないとならない。


 このそこそこ整った爽やかめの(ねずみ)顔の彼の名前はなんだっけ、と思いつつ席へ案内。


「もう何度か花見をしたいと考えていたんですけれど忙しくて中々。葉桜も好みですけど寂しいものですね。しかし、世にも珍しい初夏の桜が見られて嬉しいです」


 穏やかで柔らかな笑顔と雰囲気なので、やはり下街男性ではないと感じる。


 意訳)桜が散って葉桜の季節になりましたが、君という美しい桜が見られて嬉しいです。


 うざったいけど、日々私をなんとか口説こうとする下街男性達とは雲泥の差。


「私がその桜ということですか? お上手ですね。ありがとうございます」


 仕方ないので愛想良くこう告げたら、満足げな満面の笑みが帰ってきたので、苛々(いらいら)


「知人に勤め先と会えそうな時間を教わりました。またお会いしたかったので。出来れば文通か、軽くお茶でもしていたたけると浮き足立ちます。なので改めて文通お申し込み書です」


 彼の懐から手紙が出てきて差し出された。

 宛名は「福寿花(ふくじゅか)の君へ御申込」で、ふわっと甘い香りが鼻先をくすぐる。

 照れまくりながら「お名前は?」とか「お仕事頑張って下さい」みたいに何とか一言告げる下街男性や、自信があってペラペラ喋る下街男性や、一生懸命手紙を渡してくる下街男性とは明らかに異なる。


 なにせ彼らと目の前の男性では、明らかに年齢が異なる。

 目の保養が欲しいジジイ以外で、私に群がってくるのは若い男性ばかりだけど、彼は私を単なる売り子としか見ない既婚者世代だ。

 前回もそう感じたけど、今回もやはりそう見える。


「すみません。一つ受け取ると全て受け取らないといけなくなりますので全てお断りしています」

「それでしたらあの日の新婦さんにお渡ししますので、ご検討よろしくお願いします」


 困り笑いを投げられた。


「分かりました」


 検討するまでもなく拒否だけど、ウィオラ経由で渡されるのなら、彼女が私に渡そうとしたら、その時に断れば良い。

 目の前の男が店に来た理由は私で、この雅屋にお金を落とし続けることは無いだろうから、お茶を出してすぐに撤収。


「ちょっと、ちょっと。良さそうな男性からお申し込みされたのに、手紙を受け取らないんですか?」

「マオさん。一人受け取ったら全員から受け取らないといけなくなります。今は職人になれるように励むことが優先なので」

「ユラさんはあっという間にうちの看板娘で、看板娘には面倒がつくものですからねぇ。でもええ男性は取り合いですから、手札として持っておいて損はないですよ。手紙くらいは貰っておくべきです」


 マオに続きをお願いしますと言われて商品の用意を交代。

 優しいけど、色々詮索してきたり、こういう風に世話焼きが余計なお世話になることが多々あるので、彼女とは距離を保つようにしている。


「ユラさん、ユラさん。美人はやっぱり得ですね。華族の息子さんのような方から手紙を貰えるなんて羨ましいです」

「コトリさん。三十才前後のあの身なりの男性が、中流層相手のお店とはいえ、店頭にいる明らかに平家の売り子に手を出すなんて遊び相手探しです。不倫相手として目をつけたってことですよ」


 今年十六才になる下街お嬢ちゃまコトリは、売り子として色々な男性を見ているはずなのに、こんな風に世間知らずで呆れる。


「ちび皇子様と不倫なんて憧れますぅ。皇子様ってお顔ではないけど、不細工でもありませんから素敵」


 コトリが純情世間知らずバカではなくてある意味ホッとした。


「遊ばれてボロ雑巾よりも酷いものにされるような目に遭いたいんですか?」

「そんなの嫌だから手紙やデート、キとスくらいですよ。私の初めてはちび皇子様ってええです。すこぶるええ。私はそんなにかわゆくないから、火消しさんに頼むか迷っています。だって、聞いたんですよ」


 せっかく意中の男性と恋仲になれたけど、初めてのキスでふがふが鼻息が荒くて袖振りされた女性がいたらしいので練習した方が良い。

 コトリは友人達と話している時に、そんなことを聞いたそうだ。


 前職は遊女の私からするとお子様過ぎる。やっぱりコトリはあまりにも世間知らず。

 そして、私からすると彼女の発想は異次元。私の方が平均的ではなくてズレているのだけど。


「女性は甘い言葉やキスに弱いから、繰り返しているとスルスル色々許して遊ばれて捨てられるから気をつけなさい」

「そうらしいですね。お姉さんに怒られました。ただでさえ無い価値か下がるから、結婚するまで男性に体を触らせないようにって。練習なんてもってのほかって。気をつけます!」


 羨ましくて妬ましい程に清楚可憐な乙女のコトリに注意するとか、笑顔で「そうして下さい」と言うのはムカつくけど、この店で「ルーベルさんに雇って欲しいと頼まれたユラさんは……」と悪い評価をつけられたくないから我慢。


「そうして下さい」

「ありがとうございます」


 うんと真っ直ぐな目で、軽やかで明るい笑顔を浮かべられるとは羨ましい。

 コトリは私のような人間からすると、とても眩しい女の子だ。

 私に群がる男達は本当に見る目がない。

 隣に清楚可憐、老若男女に優しい、育ちの良いコトリがいるのに、圧倒的美女というだけで私に目を眩ませる。


 依頼された商品が完成したので、ちび皇子様と話したそうなコトリに任せて別の仕事。

 彼と談笑して手紙を受け取ったマオが戻ってきたけど、彼女は私に手紙を渡さず。


 そうして夕方、閉店時間になったので店仕舞いと掃除。

 業務終了になった時に、マオはようやく私に手紙を渡した。

 それで「何が書いてあるか少し教えて欲しいです」と詮索。


「ユラさん、文通お申し込み書と言うていましたよ」

「ちび皇子様の文通お申し込み書を見たいです。ええ香り。それに紙もキラキラしています」


 私はこの街で暮らし続ける予定なので、前職の時のように人間関係を拒否するつもりはない。

 だから面倒くさいけどマオやコトリの好奇の目を突っぱねずに、この場で手紙の内容を確認することにした。


「うわぁ、達筆で読めません」

「これだと文通出来ないわね」


 お店の売り子に求められるものに教養はあまり。

 このお店も同じく、売り子に求めているのは常識と奉公人としての教養と愛想と働きぶり。

 なので、マオやコトリがこの手紙を読めなくても何の不思議もない。

 問題というか、無作法なのはこの手紙を書いた者の方だ。


 高級遊楼(ゆうろう)に所属して稼いでこの世の男を踏み潰す為に、借金を抱えても中流層以上を相手する為の最低限の教養を得た。なので私はこの手紙を読める。


 名前はジミーで、家柄は卿家(きょうか)で彼は三男。

 仕事は公衆衛生関係の公務員。年齢は今年三十才。結婚歴の無い独身でもちろん子どもはいない。

 名前負けするような魔除け漢字を使われた結果、地味という漢字が似合いの人生。

 このままでは親以外に名前負けする魔除け漢字を教える機会がなさそう。なにせ昨年、今度こそ上手くいくと思った縁談を破談にされた。

 友人達もその家族も自分は良い男性だと言ってくれるけど、自信は砂になって空の彼方。

 そういうことが美しい文字で、丁寧な言葉で(つづ)られている。


 君に手紙を破り捨てられた時もそうでしたが、ふざけや酔いの結果ではなかったようで、寝ても覚めても君の罵倒が忘れられません。

 昔からの友人の弟嫁と君が元同僚だと教わりました。

 君はとても愉快そうな気配がするので、交流出来ませんか?

 ルーベル家の方々と共に会えたら幸いです、という言葉で締めくくられている。

 

「……」


 雅な雰囲気で口説かれたので、痒くなるような口説き文句が書いてあると思ったら全然。

 罵倒が忘れられませんって何。


 ただ、黄色い花の絵はとても美しい。


「綺麗な花の絵。結ぶに……良いの良?」

「ゆらって読むのよ……。イノハの白兎に出てくる良縁花のユラ……」


 縁が無くとも君に幸あらん事を。花の絵の脇にそういう文も添えられている。

 結良花の別名は福寿草。だから福寿花の君へという宛名なのだろう。


『あんたの名前は……ユラね。幽霊みたいにゆらゆらしているから』


 私は母親にこう言われてユラになり、魔除け漢字という本名を持っていない。

 なのですぐに妖や鬼に食われ、他人よりも不幸な人生を歩くことになったのだろう。


『口は悪いけど優しいので似合いの名前な気がします。良縁結びで幸せを招く花と同じ名前ですから、遊んでもらうと良いかもしれません』


 遠くで私ではない人達にこう告げたウィオラの声が蘇る。

 あの日から私の名前はユラで結良。そう決めてから私の人生は上り坂。


 美しい文字の「結良」という文字を指でなぞる。

 マオとコトリが何か喋っているけれど、私はしばらくぼんやりしていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 結良さんとジミーのお話。この2人はお似合いと思いました。彼女には今後もっと良いことが起こってよいと思います。
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