日常編「ロイとヨハネと下街風」
出世なんてしたものだから上司の圧が強くて疲れた……と落ち込みつつ、残業が無かったので恐らくヨハネとベイリーと会えると気分が上がる。
本日は金曜、明日はゆるゆる勤務の土曜半日のみなのでわりと息抜き出来る曜日。
仕事が終わって半刻以内は待つというのが約束になっている。
待ち合わせ場所へ足を運んだら、居たのはヨハネだけだった。
「おお、珍しいことにロイさん。お疲れ様です」
「お疲れ様ですヨハネさん」
「ベイリーさんは先程、勉強しないとと虚な目で帰りました。この時期からあんなに自分を追い込んで年末までもつんですかね」
「昼休憩時に食堂で見かけたけど、凄い剣幕でしたよ」
椅子から立ち上がったヨハネと歩き出して、立ち乗り馬車の停留所へ向かいながら、軽く出掛けないかと提案。
すると、ヨハネもそう思っていたという返事をくれた。
「ヨハネさん、新規店開拓はしました?」
「この辺りは最近全然です。それにロイさんと甘味はあまりで、今の時間帯は食事がええです」
少々思案して、突然客を連れて帰ると主に母に怒られるけど、ヨハネだと問題無さそう。
リルはバタバタするのが嫌なだけなので……。
「ヨハネさん。我が家に来ますか?」
「えっ? ええんですか?」
「ええ。ただ、先に連絡が必要なので、捕まえられれば父を捕まえます」
ヨハネも無断外泊は心象が悪いだろうということで一旦解散。
俺は煌護省方面、ヨハネは父親の勤め先の財務省方面へ。
そそくさと帰るか、だらだら友人と喋ってから帰る。今夜の父はどちらだろうと考えていたら立ち乗り馬車の停留所の待機列に父発見。
「おおー、ロイ。お疲れ様。割り込みは嫌がられるから並びなさい」
「それは当たり前のことです。父上、ヨハネさんと軽く散歩してから一緒に帰ろうと思っているので、リルさんに伝えていただけますか?」
「なんや。急に呼ぶと怒られるぞ」
「一刻半くらい遅れて帰りますし、特別なものはなにも要りませんとお伝え下さい。それで大丈夫です」
「甘いな。怒られるぞ」
「怒られません。よろしくお願いします」
怒ったら怒ったでかわゆいだけなので別に。リルはすっかり俺に惚れてくれているので、このくらいのことでは出て行かない。
父に会えたので、待ち合わせ場所の茶屋の長椅子でのんびり待機。
ヨハネは少し遅れて現れて、父親は残業していたからこれで問題ないと告げた。
「ではリルさんに手土産探しと、クリスタさんに何かですね」
「……い、いきなりなんですか⁈」
「いきなりって、我が家に来るのに挨拶をしないんですか?」
「いやだって、返事を保留にされています」
「ヨハネさんを釣り餌にして本命待ちなんですかね」
半分冗談だったのに、ヨハネがあまりにも落ち込んだ顔になって背中を丸めてフラフラし始めたから、慌てて「他の男性の気配は無いらしいですよ」と彼の背中を軽く叩いた。
「姉上に聞いたんですよ。半結納はしたのに結納はちょっと保留ってなんですかって」
「それで、義理のお姉さんはなんて?」
「さっきロイさんが言ったこと、まんまです」
だろうな、と心の中で頷いてしまう。
「探って下さい。クリスタさんはロイさんの幼馴染なんですから、幼馴染が他にもいるから探って下さい! 姿が見えない敵とは戦えません」
「敵を気にするより、グイグイ押したらどうですか?」
「押してますよ!」
リルに聞いた感じ、そうでも無いけどな。リルによれば、クリスタから見たヨハネは余裕たっぷりであまり本心が見えない男性。
最初は舞い上がっていたけど、欠点が全然見当たらないこの男性は、何が目的なのだろうと不安になってきたらしい。
ヨハネはクリスタの反応が悪い、結納してもらえないとあたふた、ビクビクしているのに変な話だ。
「……ヨハネさんってイオさんに会いましたっけ」
「イオさん? ああ、ロイさんの新しい友人。羨ましいことに火消しさんでしたよね?」
「茶会で挨拶くらいはしていましたよね」
「ええ。ネビーさんに稽古をつけてもらっていたので挨拶くらいです。それなんですけど、そのネビーさんにまた稽古を頼めませんか? この間は教え上手で助かりました」
酷い有様がマシになったと褒められて、その指導者に次の試験までみっちり稽古してもらいなさいと上官に言われたそうだ。
「毎週我が家に泊まって、稽古をつけてもらったらどうですか? 夜勤の日は無理でしょうけど。彼の学費貧乏になった家なんで、お礼代を喜びますよ」
「包みます、包みます。なぜ息子が落ちたと調べたらなんとか誤魔化していた自分の悲惨な運動神経に父上が気がついてしまったので、次の試験に受からせてくれたら父上が更に包むかと」
「合格御礼代ってことですね」
「そうです」
更に何か良さげな観劇券を手に入れてくるので、と頼まれたので二つ返事で了承。
ヨハネと夜の街をぷらぷらして、お菓子ばっかりもなんだし、飾り物は使いきれないとあまり喜ばれないので、妹達と楽しめそうな手本を購入。
リルは妹への物をとても喜ぶ優しい姉だ。最近は、せっせと冬用のマフラーを編んでいる。
「マフラー……ヨハネさん。毛糸の売っている店って知っていますか?」
「毛糸? いえ」
「ネビーさんへの謝礼代に毛糸も混ぜてくれたら嬉しいです」
「それは、自分に毛糸の売っている店をまず調べて下さいってことですね」
「ええ。リルさんに恩を売ると、クリスタさんから編み物の何かがあるかもですよ」
弱気なヨハネは遠い目で「振られなければです……」と呟いた。
やっぱりあの底抜けに前向きかつ、うっとおしいくらい婚約者を口説くイオの十分の一くらいは真似したら良いと感じたので、会えるように手配しよう。
イオは面倒な男性だったけど、愉快でもあり、背中を押されたウィルはリアと軌道に乗ったっぽいので、ヨハネにも幸あれ。
我が家へヨハネと帰ったら、そのイオが来ていた。この間、リルと母がキノコにやられたので、職場のキノコ本を婚約者に写本してもらって、友人の画家に絵をつけてもらったという。親切だな。
「俺の妹分がまたキノコで苦しんだら困りますって、わざわざ。だからもてなしていたところだ」
「もてなすって、将棋しようぜって誘ったのはガイさんですよ。ネビーに聞いたんですよ。鬼のように強いって。俺、ハ組の中では強いんですよ」
昔、火消しの仲間になりたくて、悪巧みをしたら火消し担当業務から外された父は、すこぶる嬉しそう。
火消しの着物姿でご満悦顔。明日はまだ仕事なのに明日は休みみたいな雰囲気である。
「うわぁ、ガイさんこれ。そちらの火消しさんの着物ですか?」
「ぶかぶかなんだが着てみた。格好ええなぁと褒めたら着てみますかって」
わりと人見知りのヨハネだけど、父がいるから平気そう。
人が来ているなんて知らずに人を増やしてしまったので、リルに謝罪と思って台所へ顔を出した。
玄関でニコニコ笑顔で出迎えてくれたリルは、やはり笑ってくれていてホッとする。
「リルさん。何か手伝いますか?」
瞬間、リルは冷めた目の無表情になり、一言「何もありません」と拒否。
「……えっ? 急にヨハネさんを呼んだこと、怒っていますか?」
「怒っていません」
表情が軟化したので怒ってなさそう。それなら先程の、急な氷のような表情や目は何だ。
「怒っていないならええんですけど……」
「旦那様」
「はい」
「旦那様は先にお知らせしてくれるからええけど、お父さんは突撃です。事前に釘を刺して欲しいです」
頼りにしていますよ、というように笑いかけられたので胸を張って任せて下さいと返事。
俺とリルは結婚二年目を迎えてより夫婦らしくなってきたと嬉しくなる。
「リルさん。何を運びますか?」
「触らないで下さい!」
キッと睨まれて手が止まる。
「えっ……はい」
「旦那様はお仕事優先で私は家守りです。お客様優先です」
また冷めた目をされたので、多分家事をするなという意味な気がして撤退。
リルと母が同時に具合を悪くして反省したので、嫌いな家事ももう少し覚えるかと最近頑張った結果……嫌がられていたってことだ!
失敗、失敗というか反省。リルの邪魔をしないように家事を覚えるか任せようと考えていたら来客。こんな時間に誰かと思ったら、ネビーの声。
出迎えた瞬間、制服姿の彼に玄関で土下座された。
「いっ、いきなりなんですか⁈」
「助けて下さいロイさん。課題が……課題が終わりません……」
「か、課題?」
「ガイさんに出された課題と、肩書きだけでも卿家になったなら仲間だって補佐官や補佐官副官が、バカな俺に山程課題を出しているんです!」
足にしがみつかれたので困惑。誰だこの人、と感じてしまう情けない表情と態度。
ここへリルが現れて、旦那様、どちら様ですか? と口にした。
「……あっ。兄ちゃん」
「よぉ、リル。こんばんは」
「何してるの?」
「ロイさんに助けを求めていたところ」
「旦那様は疲れてるの!」
リルにポカポカ殴られ……いや、ポカポカという可愛い感じではなくてバシバシ殴られるネビーが、わりと情けない声を出して「このままじゃ俺には乗り越えられない」と嘆いた。
「お義父さんにして!」
「ガイさんが出した課題なんだから、手伝ってもらえる訳がないだろう!」
「あー……ネビーさん。今日、ヨハネさんが来ています。助けてもらったらどうですか? ヨハネさんはネビーさんにまた稽古をつけて欲しいそうです」
「ヨハネさんってあのへっぴり腰の?」
「ええ。高等校で、三年間学年一位の教え上手でしたよ」
瞬間、ネビーは「全力でお願いしてきます」と家に上がって、リルに手洗いうがい! 草鞋を揃えてと怒られた。
「はい。リルさん。すみません」
リルさんって、表情もそうだけど、完全にビビりネビー。彼は外面と実際の落差が激しいと思う。
「ご飯は食べたの?」
「仕事後そのまま来た」
「何か作るね」
「今日はレイのご飯当番だから家で食う。ルルの時もだけど」
「すぐ帰るの?」
「課題が進めば帰れる」
「兄ちゃんはおバカだから、帰れないよ」
「……その可能性はある」
「連絡してきて。ご飯を作るし泊まれるようにする」
「無断外泊はしょっ中だから平気平気。んでもって、食べなくても平気。急になんか作るなんて疲れるだろう。なぁ、リル、背が伸びたか?」
俺への態度と違うリルは楽しいと眺めていたら、ネビーがリルに軽く抱きついて頭を撫でたので腹が立った。
「足臭い」
「ちょっ! ネビーさん! 何をしているんですか!」
リルはなんでちょっと嬉しそうに笑ってるんだ⁈
しかも汗臭いなら分かるけど、漂ってこないから足の臭いはしないはず。
「ロイさん、なんですか? おい、リル。仕事後だから臭いのは当たり前だ」
「怪獣、離れて」
「なんかネビーの声がすると思ったらネビーじゃねぇか!」
ここへイオがひょっこり顔を出した。
「あれっ。イオ。なんでいるんだ?」
「助けて火消しさん。足臭怪獣が来ました。手洗いうがいをさせて下さい」
えーっ、リルがなんか楽しそうにイオの後ろに逃げていった。
「ん? おお。おいおいおーい! そこの足〜臭〜怪獣! お前が触れると淑女が足臭になるから神妙にお縄につけ! このハ組のイオが清潔にしてやる!」
「いよっしゃあ! よし、イオ。これを洗っておけ。素足より足袋の方が汚す」
ネビーが足袋を脱いでイオの顔に投げた。高速突きだけじゃなくて投げるのも速いんだよな、この人。
「ぶへっ。なんで俺がお前の勤務後の足袋を洗わねぇといけないんだよ!」
イオの顔にネビーの勤務後足袋が直撃。
うるさい……。
なのに「これが噂の下街ってことですね!」とヨハネは嬉しそう。
気持ちは分かるけど、こんなのすぐに飽きると教えてあげたい。
「兄ちゃん、先に足も洗ってあげる。掃除した廊下をあんまり歩かないで」
「はーい。にしても喋るようになったなリル」
「うん」
「洗ってくれるって、リルが洗ってくれるのか?」
「水を用意するだけ」
ネビーは片足でけんけんしながらリルと共に台所へ去った。
この日の夜、母に昼間ネビーは大捕物で活躍して、たまたま近くにいた我が町内会の集団下校者達を送ってくれて、すこぶる褒められたと教えられた。
「格好良くて素敵ですね、みたいに言われましたけど、実際はコレなんて言えません」
「そうですね」
母がコレと言ったのは、天才かつ教え上手なヨハネでも、理解させるのが難しいバカっぷりを発揮して、メソメソ気味で勉強しているネビーのこと。
「ロイさん。平家お嬢さんがうっとりする口説き文句を教えて下さい」
父との将棋を終えたイオはこっちに絡んでくる。そろそろ帰らないのか?
「この間教えたことはどうでした?」
「忘れたので今日は筆記帳を持って来ました! あとこれらを添削して下さい」
「……なんですか、この短歌というか……」
「五七五は短歌ですよね?」
どれもこれもこんな。
ミユちゃん、けうも激推し俺の嫁。
五七五ではあるけど……。
「いや、あのこれは……」
「リスちゃんでも応用出来ますよ。リルちゃんだと本当に嫁ですね」
若干頭が痛くなってくるけど、ヨハネはこのくらいぶっ飛んだ方が良いかもしれないので、彼に押し付けてみることに。
夜、寝る時に、リルへ試しにイオの平家下街短歌を言ってみたら、ちょっと照れて、嫁ですと言ってくれたので、こういうのもありかもしれない。




