特別番外「ルーベルさん家で花嫁修行」
恋は落ちるものというように、私は多分恋を知った。
『おっと。大丈夫ですか?』
転びかけた私をサッと支えてくれて、切れた鼻緒をすぐ直してくれた、あの爽やかで優しい笑顔の男性はどうやらご近所のルーベルさん家の養子らしい。
あの日、母が「ガイさん自慢の新しい息子さん、ロイ君の幼馴染はお嫁さんそっくりですね」と言ったので、町内会の人間ではないのに幼馴染なら、学友だった方ですか? と緊張しながら質問出来た。
『剣術道場で十年以上一緒だそうですよ。地区兵官さんなんですって』
ルーベルさん家の若旦那ロイは昨年の夏にひっそりと結婚。
姉が寝耳に水だと衝撃を受けて、まだ時々泣いている。
ロイのお嫁さんは外嫁で、どうやら町内会外の幼馴染だそうだ。
全然姿を見なくて、私もこの間見かけたのが数ヶ月振りで、お兄さんが居たことも、そのお兄さんが養子になったこともその日まで知らず。
今日は土曜日で女学校は趣味会だけ。
私は手芸会に所属していて、その手芸会で親友が二人も出来た。
ウミとスミと私アミは全員名前がミで揃っている。
全員内気気味で大人しいけど、その話題で誰ともなしに会話して、仲良くなれた。
私は初恋疑惑をその二人に相談して、同じ町内会関係なら「ルーベルさん家のお嫁さんのお兄さん」を調べられるのでは? と縫い物をしながら作戦会議。
まだ名前も分からない彼のことを、ルーベル家の家紋である青鬼灯にちなんで、鬼灯の君と呼ぶことにした。
ウミが鬼灯は魔除けでもあるけど、最近話題の花言葉の本に「誘惑して下さい」と書いてあったと教えてくれて、私は恥ずかしかったけどウミとスミが大盛り上がりしたから。
ルーベルさん家の若旦那ロイと姉は幼馴染の範疇。
メルさんに奪われると思っていたけど、そこになんとか食いつきたかったのに、まさか横からまるで知らない女性に奪われたと姉は引きこもり。
姉は縁談が多く舞い込むらしい、父の職場で働けるという雑務仕事を断り、ほんとんど自室にこもって本ばっかり読んでいる。
女学校の講師になるなら縁談が遅くなっても、今みたいな生活でも許すと親に言われて、勉強もしている。
ちなみに親は姉が失恋したことは知っているけれど、それがルーベル家の若旦那ロイということは知らない。
姉がいつまで経っても引きこもりなのは悲しいし、鬼灯の君の名前も知りたいので、私はウミとスミの三人で、姉の幼馴染のエイラに会いに行った。
「あら、アミさん。お久しぶりです。二人は確か……アミさんと仲良くしてくれているご友人でしたね。こんにちは」
「エイラさん、突然すみません。お姉さんのことや学校のことで相談があります。今日は突然で無理でしょうけど、今度お時間を作れませんか?」
手土産のお煎餅を渡して頼んだら、エイラは「少しお待ち下さいね」と微笑んで、玄関前から家の中へ去った。
それで少しして戻ってきて、どうぞと中へ促してくれた。
この家には大奥さんと奥さんがいるはずなので、しっかりご挨拶。
エイラは丁度従姉妹の娘さんに茶道を教えていたので、と私達にお客さん役を依頼。
それでそのお稽古が終わった後に相談に乗ってくれた。
まずは姉の話をしようとしたら、エイラに「ヒイラギさんなら大丈夫ですよ」と告げられた。
「今度一緒にお出掛けするんです。辛いことがあったようで少し閉じこもっていたようだけど、春に雪が溶けるように、外へ出てみようと思えたみたい。アミさんがこんなに心配していると教えたらきっと喜ぶと思います」
「いえ、あの、ありがとうございます」
私は今年元服する。エイラや姉とは片手の指の数も離れていないのに、自分がすごく子どもに感じた。
エイラはとても大人びて見えるし、落ち着きや包容力も感じる。
「学校のことはお友達関係では無さそうですね。三人で仲良く来ましたから」
「はい。あの、あの……」
「お触り魔が出たんです!」
スミは急にどうした。最近は出ていない。
「私達、前にアミさんの暮らす地域には煌護省勤めの方がいるって聞きました」
「逮捕して欲しいです」
「そうなんです。逮捕するように兵官さんに頼んで欲しいです」
エイラは私を見て、他の二人を見て、それなら少し首を傾げて困り笑い。
「それならアミさんのご両親に言えばすぐでしょう? 本当は何がありました?」
機転だと思ったスミの話が嘘だとすぐバレてしまった。
「本当はこっそり噂の剣術大会へ行きたいです」
今度はウミが別の嘘を口にした。
「私達、もう元服して大人で、女学校ももうすぐ卒業です」
「……そうなんです。少しくらい羽目を外したいなぁと」
「お役所勤めの方と一緒なら許されないかなぁと」
エイラは叱らないでふふっと優しげに笑ってくれた。
「あらあら。昔の私を見ているみたいです。気になる方の手習が剣術ですか?」
言い当てられた瞬間、顔が一気に熱くなって、これでは私が誰かを気にかけていることがバレてしまうと慌てる。
深呼吸だと自分に言い聞かせて、違いますと言おうとしたけど声が出ず。
「アミさん。ご両親は知っていますか?」
バレてる……。
「い、いえ……」
「一方通行ですか?」
「は、はい……」
「胸を張って親に言えない相手は感心しません。縁がなくなってしまうこともありますよ。練習と思って話してみなさい」
こんな感じだと、親も何か察していて、私が話すのを待っているかもしれない。
「その……。少し、少し気になっているだけです。お姉さんのことがあるので……あまりですが……」
「ヒイラギさん?」
「ほら、お姉さんはルーベルさん家の若旦那とお見合いしたかったじゃないですか……」
「……えっ? ロイ君? えっ?」
エイラは知らなかったみたいなのに、教えてしまった!
「……あんまりメソメソしていた時に、メルさんだと思っていたって独り言を聞いて、そこから少し聞きました」
「……まぁ、大変。幼馴染達でするロイ君の祝言祝いに誘ってしまいました。いえ、誘わないのは不自然なんですけど」
エイラは苦笑いを浮かべた。
「ヒイラギさんは元気を出してきたようで前向き発言をしたので大丈夫でしょう」
「姉とどこかへお出掛けしますか?」
「ええ」
「ありがとうございます」
「えっ。アミさんもロイ君なんですか?」
「き、既婚者に横恋慕はしません!」
横恋慕、恋。意識したらまた顔が熱くなってしまった。
「ルーベルさん家にはロイ君しかいませんので……ああ。町内会の中では親しいテツさんの弟、マヒトさんですか。アミさんとマヒトさんは幼馴染ですものね」
「ちっ、違います! あんな意地悪な方は嫌いです!」
小等校の時に、そんなリボンは似合わない男女と言われて髪を引っ張られたりしたから嫌い。大嫌い。
女学生になっても登下校が被っているけど、話しかけられなくなったから済々している。
「ルーベルさん家には養子が来たんですよね……」
上品に助けてくれた、あの素敵な笑顔の鬼灯の君とマヒトを一緒にされたくないので、ついこう口にしていた。
「ああ、ネビーさん。アミさんは彼と会ったことがあるんですね」
「ロイさんのお嫁さんと歩いていて……助けて下さいました」
「助けてもらったんですね。アミさんは何で困っていたのですか?」
「鼻緒が切れて……転ぶところでした」
エイラはニコッと笑って、素性が分かっている男性なので、親に話しなさいと言われてしまった。
「再来週、確認に行きますね」
「……はい」
気遣い屋で根回し上手のエイラを選んだ結果、親に言うしかなくなってしまった。
恥ずかしいから言いたくないけど、言わないと姉みたいになるかもしれない。姉には悪いけど。
帰宅したら、ウミとスミのお迎えが来ていたのでお礼を告げてお見送り。
今日、姉は手伝わないようなので、夕食作りを手伝いながら、母に「文通お申し込みしたいです」と恐る恐る申し出た。
「文通というか、お礼の手紙を……お礼です……。お礼の手紙を贈りたいです」
「あらぁ、どこのどなたかは分かりますか?」
「ご近所の……青鬼灯の……新しい息子さんです。ほらっ! 鼻緒のお礼をしていません」
へぇ、と母は私を眺めてにっこり笑ってこう告げた。
「早く言いなさいよ。鼻緒のお礼なら、わらび餅を送りましたよ。お嫁さんの好みは不明ですけど、テルルさんは好んでいますから」
それはつまり、お礼はもう必要ないから手紙もダメってこと。
「……」
「まだ全然知らないですけど、しっかり者で真面目なロイ君の幼馴染で妹さんを頼んだ仲のようですし、ガイさんが自慢しているみたいですから練習させてもらいますか? お礼の手紙はもう遅いですもの」
お母さん最高! という気持ちを込めて抱きついて顔を見上げたら、困り笑いを浮かべていた。
「あまり勧めたくないですか?」
「だってアミさん。ルーベルさん家の新しい次男さんですよ。あなた、あのテルルさんが姑になって上手くやっていけますか?」
「……」
怖い、怖い、怖い!
こう言われたら百年の恋も冷めるかも。百年の恋よりも全然手前で、ちょっと気になるので話してみたい程度だし。
「やっぱりええです」
「ルーベルさん家のお嫁さん、リルさんってハイカラらしいですよ。アミさんと一才違いなのにうんとしっかりしているみたい。お勉強させてもらったらどう?」
鼻緒を直してもらったくらいでときめくのは男性に慣れていないから。
妹のリルから兄話を聞いて、家の中のテルルはどのようで、小姑リルはどんな人なのか自分の目や耳で確かめてみたら? と母は笑った。
「最初、テルルさんはお嫁さんを煙たがっているのかと思ったけど、ちょこちょこ褒め話をするし、ハイカラなお嫁さんが気になっているから偵察してきてちょうだい」
「偵察……ですか?」
「アミさんは不器用なのに、あまり気にせずのほほんとしているので、テルルさんに怒られてきなさい」
「えーっ!」
「卒業したら練習しますと言うて、手習や読書ばかりだからですよ。お仕置きです。お嫁にいけませんし、お婿さんも来てくれませんよ」
こうして、私はルーベルさん家には花嫁修行へ行くことになった。




