特別番外「尽未来際物語6」
もっと計画を立てて告白するはずが、月も星も海もレイの笑顔も眩しくてつい「結婚出来るか考えて下さい」と口にしていた。
人生で最も緊張したと言っても過言ではないのに、レイはケルウスに持ち上げられている状態で爆睡している。
彼女のことだから、絶対に明日、何も覚えていないと言うだろう。
俺はそれに全財産賭けるが、対戦相手が居ないので無意味な賭けである。
レイは起きる気配がないので、ケルウスにそのまま運ばせて、赤鹿小屋からは俺がレイを抱えて移動。
この長屋は街外れにあり、道の先は松林や崖である。手前の道にはシンの屋敷があり、幽霊屋敷と呼ばれていてあまり人が近寄らない。
その道とは別の方角へ進むと長屋小街となり、犯罪者避けの罠があちこちに仕掛けられているし、住人達に素行不良者はほとんどいない。
なので、レイは長屋に鍵をかけないで暮らしていて、本当に困った者が彼女の部屋にすぐ飛び込めるようになっている。
そんなのどう考えても安全面に不安があるのだが、長屋の修繕が行われる際に、出資者の一人であるネビーが「土間を広めにする端部屋がレイの部屋なら、ユミはその隣。増築する。二人部屋は扉で繋げるから、レイの悲鳴がしたら即座に助けてくれ」と指示。
素晴らしいことに治安が良いから、その扉が使われたことは全然ない。
殺風景で、金目のものは特になく、道具や食料品関係を仕舞ってある棚などには全て鍵がかかっているのがレイの部屋。
夜は長屋の周りに鳴子を仕掛けているし、その音を聴いたら赤鹿二頭がこの長屋の住人達を守りに来るし、俺も暴れつつ皆を逃がす盾になる。
抱っこしているレイを彼女の部屋に運びながら、確かに俺がいるから彼女はわりと自由な長屋暮らしだなと考察。
大恩人の妹で大親友なので、頼まれなくてもこんな風に暮らすけど、まさかレオに俺が居ないと娘が死ぬと思われていたとは。
レイという女は嘘つきで、彼女の両親など一部の者は知っているが、赤鹿を赤ちゃんを助けたのは俺になり、火災の中から女の子を助けたのも俺になり、溺死しそうだった異国人アリアを助けたのも俺になっている。
自分は役に立たなくて、結局完全救助したのは俺だからと言うけど、俺は能力に見合わない人助けはせずに常に最良の方法を考えろとあちこちから言われて育っているので、レイが死地に飛び込まなければ同じ場所には行かなかったというのに。
寝ると熟睡して蹴り飛ばさないと起きないので、床に転がして一旦放置。
鍵が無いので襖を開けられないと気がついて、鍵の場所が分からないので少し悩んで、連絡扉を始めて使って俺の部屋から布団を移動。
自分の布団をレイの部屋に敷いて、そこにレイを転がした。
間も無く初夏なので暑いのか、レイは布団を掛けた瞬間に腕で振り払い、足で蹴り飛ばした。
寝る姿にも品がない!!!
着物に袴姿で大の字で眠る彼女はどこからどう見ても少年である。美少年姿の彼女は、たまに男色家に狙われるので、普通に美人として暮らしたらどうなるかは明白。
俺の一世一代の告白を聞いていないし、無防備で品がなくて大の字で爆睡とは腹が立つ。
布団無しで眠れるけど、昔々を思い出して嫌な気分になるから苦手。
この時間に起きている知人で布団があるところ……と考えて、ご近所の引きこもりお坊ちゃんシンのことが脳裏によぎる。
今のところ、毎日マリと共にこの長屋に食事をしにくるし、目の光がどんどん良くなっているけど、まだまだ手放しにするつもりはないので様子見も兼ねて突撃。
シンという青年は、どうやら強引な方が良い性格なのもあり。
夜中に玄関の呼び鐘を鳴らしてもまず出てこないだろう。
以前は幽霊屋敷へ肝試しをしにくる区民が中へ入り、それをおどかしたり、兵官へ突き出していた男なのに、今は婚約者が大切なのか門に閂をしていた。
これだと呼び鐘を鳴らさずに、シンに会うことは困難。迷っていたら、目の前の門がゆっくりと開いた。
「シンさん。このような夜更けにお腹が減ったからとレイさんを起こしにいくなんて迷惑です。ご飯なら私が炊きます」
「やかましい。うつけ者の君が夜に火を使ったら屋敷が全焼する。今、筆が乗って……」
シンとマリが俺を見つけて停止したので、とりあえず「こんばんは」と挨拶。
「ユミトさん。こんばんは。お仕事お疲れ様でございます」
「……赤鹿が居ないから一度小屋へ行って、わざわざここへ来たってことだろう。こんな夜中に何の用だ?」
マリはにこやかに笑ってくれたのに、シンは敵対心剥き出しの怒り顔。
嫉妬させたらええ事があるかも、とレイが俺にマリとなるべく楽しそうにしなさいと言うからこうなる。
長屋の男達が雲の上のお嬢様にデレデレしているのもあるけど、婚約者がいる女に惚れたって無意味だし、マリと彼らでは身分格差が激しいのでそういう意味でも無理だから、彼らの心の保護も目的だけど。
「実はレイさんに布団を取られてしまって。泊めてくれません?」
「はぁ? 布団を取られたってなんだ」
「疲れているのかパタって寝てしまって。レイさんって室内のあちこちに鍵をかけているだろう? 襖にも鍵がかかっているので布団を出せなくて、俺の布団を使いました」
「それで布団が無いのですね。シンさん、ユミトさんに部屋を用意しましょう」
「そう言われたくて来ました。そうだな。腹減りなら、赤鹿でこの時間でもやっているお店から出前を買ってきますけど、その交換条件でどうですか?」
即座に断られる可能性が高いと思ったが、シンは「それなら考えてやらないこともない」という返事。
「ろくに使っていない、カビ臭い布団しかないぞ」
「シンさん、アザミさんが使っていたお布団があります。警兵さんは日々お疲れですので、最新布団の私の布団をお貸しして、私がアザミさんの布団を使います」
美少女現役女学生の布団は良い響きだけど、自分の約半分の年齢の女に興味が湧かない。ムカつくから、レイと同じ布団で寝てしまえば良かった。
「君は変態下街お嬢さんなのか。自分の匂いをこの男につけたいって、堂々と主張するとは」
「……違います! そのような意図はございません。そう、そう言われたら、お貸しできません!」
「それなら中年デブ狸布団を貸してやれ」
「アザミさんにそのようなあだ名をつけるなんて酷いです。ちなみに私はなんですか?」
「不幸体質の顔だけ下街お嬢さん」
「……そうでございますか。それならシンさんは……物書き猫でどうですか? 料理猫のレイさんとおそろいですよ」
「ふざけるな! なぜ俺が嫌味猫男とおそろいなんだ!」
「あら、シンさん。ふふっ。もう化物猫とは言わないのですね」
マリは箱入りお嬢様なのに、レイのように、この嫌味で口の悪いシンと、和気藹々と話せるから不思議。
「おいユミト。なに、突っ立ているんだ。さっさと何か買ってこい。でないと布団無しで痛いぞ」
「一番近い花街で買ってくるんで、シンさんなら大体分かりますよね? どこの店の何が良いですか?」
以前のシンは花街遊びがうっぷん晴らしの一つだったので、わざと花街という単語を出してみたけど、結果は彼本人は気にせず、マリが嫌悪の表情で俺を睨んだ。シンではなくて俺ってどういう意味だろう。
「それなら渡風屋の鍋焼きうどんで。海老天入り」
「一晩の布団代としては高くて無理です」
「買いに行く駄賃が布団代だろう? ほらよっ、貧乏人。赤鹿の尻穴好みなのかと思っていたが、普通に花街通いで金無しか。この腹減りに一刻は耐えてやるから、ついでに遊んで来い」
ケラケラ笑いながら、シンにお金を投げられたので苛々。一枚ということは、おそらく銀貨一枚。
渡風屋の海老天入りの鍋焼きうどんでお釣りが来るのかは不明だけど、足りないことはないだろう。
「シンさん。そのような態度はおやめ下さい」
「ふんっ。仕事の続きをするから君はさっさと寝ろ」
「私を起こして、立ち姿勢を色々見せてくれと申したのはシンさんです。起きろの次は寝ろなんてそんなに簡単には眠れません。夜中は怖いから楽しい歌や面白い話をして下さい」
「はあ? 本当に君は子どもだな。ユミト。夜に鐘はうるさいし思考の邪魔だから、帰ってきたら庭から回ってこい」
「分かりました」
マリはシンの俺への態度を咎めてはくれたけど、おつかいに行く俺に興味はないようで、玄関の方へ歩いていくシンについていきながら、シンに話しかけては邪険にされている。
あれだとなんだか、シンがマリに惚れているのではなくて、マリがシンに惚れているように感じる。
マリに「行ってらっしゃいませ」と見送られ、お使いをして戻ってきて、言われたように庭へ回ったら、縁側で灯りを使って、書き物をしているシンを発見。
彼はすぐに俺とケルウスに気がつき、おかえりとも、ありがとうとも言わずに「鍋焼きうどん」である。
「買ってきました。銀貨一枚だと思ったら、まさか小型金貨一枚とは。こちらはお釣りです」
鍋焼きうどんの入った持ち手のある箱を縁側へ置いて、お釣りを彼へ渡そうとしたけど「要らん」と言われた。
「えっ?」
「一生恩を着せられたくないから、それは出会った日の治療費と迷惑料。どう見ても貧乏人だからアザミ君が出したと思っていたのに、あの日の治療費は君だってな」
俺はかなり前に、この家の門の前で、あちこち怪我をして、泥酔して意識が朦朧としているシンを、アザミがおぶろうとしているところを発見した。
確かにその時のシンの怪我などの治療費は俺が出したけど、まさかそれを今更返すとは。
「返してくれるのは助かりますが多いです」
「だから迷惑料だ。来い」
廊下を歩き出したので素直に着いていく。
部屋はここ、俺の部屋の隣と言われて、風呂はこっちだと案内された。
風呂も貸してくれるのかと思いつつ、確かこの家の風呂は温泉だとマリが言っていたので、エドゥアール温泉街以来の温泉だと嬉しくなる。
「風呂まで良いんですか?」
「臭い体でアザミ君の布団を臭くされたら最悪だ。彼は俺の世話役で居ないと困る」
「……追い出したのにそうなんですね」
「あのなぁ。若い女が来たのに、中年親父が居るのはあまりだろう。金が欲しい家なんだから、アザミ君が罠に嵌められたら困る。私を押し倒しましたーとかなんとか若い金持ち女は最強だろう」
息子とそんなに変わらない子が、こんなに自暴自棄だなんて見過ごせない。
怪我と泥酔時に出会ったので、シンの顔のあざだけではなくて、左腕と左手が奇形であると知ったアザミは、彼をとても気にかけて押しかけ住み込み奉公人となった。
自分だけ一方通行の、お人好し世話焼きではないんですよという報告はアザミから聞いているけど「それは良い解釈をし過ぎ」というものばかり。しかし、これだとアザミの一方通行ではないかもしれない。
風呂へ案内してくれた後、シンは鍋焼きうどんを食べるから勝手にしろと去った。
こうなると俺は屋敷内を自由に動き回れるので、信頼されているということになる。
風呂は岩風呂で露天風呂もあり、そこの庭はかなり手入れがされているので、ここだけ見るとまるで幽霊屋敷ではない。
温泉を堪能して、シンにお礼を告げに行ったけど、今良いところだったのにと激怒されて、さっさと寝ろと追い払われた。
「いや、もういい。集中力が切れた。わびとして、初体験話をしろ」
「えっ?」
「俺をこそこそ嗅ぎ回る兵官なんだから、アザミ君からどんな本を書いているか聴取しているだろう。俺は春本作家だ。資料や標本はいくらでも欲しい」
マリ・フユツキは俺の大恩人ネビーの姪ユリアの同級生だったので、シンというご近所さんの婚約者になった話を彼にした。
そうしたら、ネビーはこの間、俺が調べたことは米粒みたいに感じる調査内容を持ってきた。君はまだまだだなと笑い、他の資料もあるけど教えない、課題にすると怒られた。
渡された資料で判明したのだが、作家偽異魑は、俺が最初に調べた内容とは異なり、かなり納税している。他の仕事をしている気配がないので、つまり、それだけ本が売れているということになる。
この辺りは個人情報保護の範囲になるから俺はそのことを業務上必要な相手以外とは話さない。
シンは長屋で「道楽で書いたら小遣い稼ぎくらいにはなっている」と言い、作品を誰かに見せることはない。
手に入れられた二冊しか知らないが、吐き気がするような残虐的な作品なのになぜ暮らしていけるだけ売れているのだろう。
隣に腰掛けて、なぜ春本を書いているんですか? と今さら質問。
「この世への恨みつらみを吐き出したらそうなっただけだ」
「何がそんなに恨めしいんですか?」
「君のような人間には一生分からないさ」
ふんっと鼻を鳴らされたけど、また「さっさと寝ろ」と拒絶しないのは、まだ俺と話したいのだろうか。
こんな風に自分の感情を教えたり、アザミへの感謝のような言葉を口にするのは初なので、誰かに自分の胸の奥の叫びを受け止めてもらいたいのかもしれない。
「どうだろう。俺は昔、人を殺すか川か海に沈もうって思っていたから、多少は分かるかもしれない」
「誰を殺したかったんだ?」
「母親を殺した男です」
「……」
俺は一年以上シンに構っていたつもりだったけど、彼の心はそんなに開かなかった。
しかし、マリという女性の登場で彼は自分の殻から出てきた。その前にアザミという心優しい男性が彼に寄り添い続けていたからだろう。
俺もアザミと同時にシンと出会ったというのに全然なので、こういう時に俺はちっとも目標のネビーに近寄っていないなと惨めになる。
「目の前で殺されて、天涯孤独になって、保護所はいっぱいだったから監獄が保護所代わりです」
「おい、待て。嘘をつくな。殺人鬼は死罪だからもう殺せない。川か海に沈むはともかく、復讐殺人という発想には至らない」
「捕まったら死罪だから逃げた。六才児には捕まえられず、そいつは闇世の中に消えて、俺は監獄暮らしになったから犯人のその後は知りません」
「……」
嘘だけど大体合っている過去話。シンは何も聞いてこない。
「その目はもう復讐なんてまるで頭にない奴の目だ。君は真っ直ぐ誠実。俺は真逆。やっぱり、一生分からないさ」
開いていくように感じていたシンの心の扉がピシャッと閉まった感覚がする。今夜のこれは失敗だな。
「それで、君の初体験は?」
「ありません。兵官になるのに必死で金も時間も無い男は結婚出来ないから未婚。っていうか、独身って知っていますよね?」
「……はぁ? 独身と未経験は繋がらないだろう」
「俺の場合は繋がりません」
「まさか本当に赤鹿の尻穴好きの変態か?」
「はぁあああああ⁈ んな訳あるか! たまに獣姦を見かけたり、時には逮捕するけど、俺にそんな趣味はない!」
「ああ、不能なのか。気の毒に」
「違う!」
「男色家か? それはそれで初体験話がありそうだが」
「俺は女好きだ!」
「指くらい小さくて人に見せられないか不能なんだな。気の毒に」
俺は嫁を触りまくるから、結婚出来る一人前になるまで我慢しているだけだ! と叫ぶ前に停止。
あっ、笑った。
下卑た笑みではなくて、心の底からみたいな優し気な笑みに、少し子どもっぽい無邪気さの含まれた笑顔に脱力。
『目標が出来てもやっぱり辛くて苦しくて、でも君は少し心を開いて俺の手を握って助けてと言うてくれたから、あれからずっと、ずっと、走り続けてこられましたしこれからも続けます』
俺はまだまだ未熟者だけど、俺が出会った時のネビーには追い付いたかもしれない。
俺は先程、シンが「ありがとう」というように笑ってくれたから、また走り続けられる。それも長く、うんと長く。
自然と両手を確認したら、そこはもう母親の血で染まっていなかった。
「復讐したかったなんて大事にされていたんだな。その手に母親の血なんてついていないだろう。普通の親は子の幸福を祈るものだ」
「えっ?」
「眠くなったから寝る」
立ち去ろうとしたシンを思わず呼び止める。
「君の親は普通ではないのか?」
「ふっ、おい、そこにデカいムカデがいるぞ」
「えっ⁈ うおわっ!」
その通りでムカデがいて、シンは俺を見下ろして冷めた瞳で、悲しげに微笑んだ。
いつか犯罪者になる可能性がある酷く荒んだ目ではなくて、彼は孤独に蝕まれていたんだと今気がつく。
つまり、俺が監獄にいた時の水に写ったあの目も、復讐心や憎悪に燃える目ではなくて……。
「愛でてみせろよ、その気持ちの悪い虫を。普通はそんなこと出来ない。しないさ」
暗闇へ溶けるように去っていくシンの背中には再び強い拒絶が滲んでいる。俺はその背中にこうぶつけた。
「君を醜い化物と言う者が現れたら必ず俺を呼べ。君は俺に、温かい温泉と布団を恵んでくれて、アザミさんにお礼を言える素晴らしい人間だ! 傷つけられても誰かに優しく出来るのは、本当に優しい人なんだ!」
暗闇から返事はなく、俺のこの台詞は彼に届いたのか届かなかったのか不明。
翌朝起きたら、俺の枕元に赤鹿を陵辱して快楽を貪る兵官の短編が置いてあって、生々しい描写過ぎて読みたくないのに引き込まれる何かがあり、つい最後まで読んで、朝からげんなり。
ただバレた兵官は「性処理じゃなくて、人は愛せず、この優しい赤鹿を愛しているんだ」と大宣言して赤鹿と入籍するというオチで、最後に題名が出てきて「兵官の幸福な嫁取り」だったので、怒る気にはなれなかった。




