特別番外「尽未来際物語1」
私の初恋は十七才の時で、それは延々と続いている。
相愛だろうと思い込んだこともあったけど、そうではないという事実を何度も突きつけられて、ずーっと失恋状態。
世の中には数多の男性がいるのに、なぜ私は余所見しないで、失恋をしながら付きまといをしているのか。
そう思ったから、数年前に想い人ユミトが警兵見習いになり、エドゥアール温泉街の華やぎ屋から南西農村区へ引っ越すと言った時に、実家に帰ろうと思った。
最後に盛大に遊んでもらって、告白して応援の言葉を贈ってお別れ。
そのはずが、はしゃいで森で迷子になり、崖から落ちて大怪我。
最後の最後に大迷惑をかけたな……と朦朧とする意識の中で大後悔。
「レイさん。大丈夫。必ず治るから」
「……」
手を握って心配してくれるなら、ずっと怪我をしていても良いな……。
両手を失って二度と料理を出来なくなるなら、私は生きていたくない。
なので、怪我をしたのが背面部で良かった。
怪我が原因で熱発して生死の境を彷徨い、意識が鮮明化した時には両親がいた。
こんなに遠くまで来てくれたなんて感激だけど申し訳無い。
私は家族よりも恋人——勘違いだったけど——を選ぶと家出した。
そこそこ根回ししたし、許された家出で送り出されたけど、心配してくれる家族に酷いことを言ったことがある。
年末年始には帰っているけど、良く手紙の返事を忘れて追撃される。私はとても薄情な娘だ。
「レイ、よおやったな。お前が助けようとした赤鹿と赤ちゃんは無事ですくすく育っているぞ」
「良い子は黄泉に連れて行かれるなんて言うから心配だったけど、レイにはまだまだこの世ですることがあるって。良かった、良かった……」
一ヶ月くらい意識が不明瞭だったらしいけど、私としてはそんなに時間が経ったとは驚き。
こうして私は実家に帰ることにした。
まず体の調子を取り戻して、その後はどこかで料理人として働く。
毎日お見舞いに来てくれていたユミトとはこれでお別れ。そのはずが、実家へ帰るなら護衛するとついてきた。
帰る途中で具合が悪くなり、ユミトがお世話になる警兵、兄の先輩にして友人の家で世話になることになった。
両親は「ここなら前より近いから」と私を置いていった。私が知らない料理や食材があると、はしゃいだからだろう。
変な風に怪我をしたのか右手が痺れるので、元の感覚を取り戻す訓練や鍼治療をしながら、お世話になっている家の家事を手伝う日々。
ユミトは赤鹿屋一族に生まれていないのに、赤鹿にかなり好かれるから赤鹿乗りとしては優秀だけど、剣術も弓も槍もダメで、おまけに人に刃を向けるのがとことん苦手だから、兵官は諦めろと言われ続けている。
おまけに頭もあまり良くない。自分をバカバカ言う兄よりも良くない。
それは多分、なんだかんだ寺子屋、特別寺子屋、高等専門校と勉強漬けの環境を与えてもらえた兄と、下地がほぼないのに大人になってから勉強を始めたユミトの違い。
それでも彼は夢を諦めない。半見習いはお金を払って教えを乞うもので、お給料は出るけど雀の涙でお礼代の方が高くつく。
そこに手習代と生活費があるので、ユミトは華やぎ屋で作った貯金を食い潰した。
私は彼のその真っ直ぐさや努力家なところが好きだ。
尊敬する兄をうんと慕っていて、兄の強いところではなくて、素晴らしい性格——バカなところ以外——を追っているからとても優しい。
私は怪我を乗り越えてまた働き出したし、貧乏性で貯金もあるから、レイさんのヒモになって後で返すみたいに考えてくれたら良いのに。
しかし、彼は私から絶対にお金を借りないし、ちょっとご馳走も必ず断る。
レイさんからは絶対に嫌、みたいに言われる。
ユミトのお金が尽きかけた頃、かつて働いていたかめ屋から、新しいお店を開くので開店従業員にならないかと打診された。
腕を磨き続けて、名もないお店を繁盛店にした私が欲しい。
それは素直に嬉しかったし、住まいが実家に近くなるので了承。
恋を諦める、諦めると自分に言い聞かせてまた数年経っていたので良い機会だ。
こうして私は今度こそユミトとお別れだと決意して、告白してさようならすると考えたのだが、彼にもその開店従業員の誘いがきた。
かめ屋の御隠居も旦那も彼にこう告げた。どれだけ努力し続けているかはあちこちから聞いている。
夢を諦めたくないなら、また貯金が必要。新店舗から今の場所なら、赤鹿で移動すればとうんと近いので警兵見習いを続けられる。
新店舗で赤鹿屋をして稼いでくれるなら、昔のようにまた援助するという好条件。
そういう訳で、私はまたユミトと同僚になった。
厨房でお菓子部門の副料理長の私と、力仕事と護衛と赤鹿業務の彼だからそんなに会わない。
海辺街暮らしなら、また義姉の仕事を手伝おうと思って神社付きの保護所に顔を出すようになり、懐いてくれた子達が元服して保護所を出るけど一人で生きていくのは不安というので、それならと一緒に暮らし始めることにした。
私は家出した時から男装を始めたけど、背が小さいし綺麗な顔立ちをしているから、青年ではなくて少年と誤解される。
そこに騙されやすそうな保護所育ちの女性三人だから、ユミトを用心棒につけることに。
私が頼んだ訳ではなくて、兄が彼に頼んだから。
ずっと寮暮らしじゃ嫁が出来ないとか、福祉班になりたいって言うなら今から似たことをしなさいみたいに話したらしい。
そういう訳で、寮には身寄りのない男性も増えることになった。
前から保護所卒業生のことは気になっていたから、私が手伝ってくれるならと義姉が買ったボロ長屋を義姉のお金と寄付金と私の貯金で改装。
そこは保護所卒業生の為の寮の一つとなり、私はそこの寮父になる。実際は寮母だけど、鶴屋のレイは表向き男性ってことになっている。
私は子ども全員を立派に育てた父を尊敬しているので、父にあやかって近くに竹を植えた。
それから、この街の子ども達がどうか元気でいますようにという願いと祈りを込めて、自分の貯金からお金を出して七つの地蔵を作ってもらった。
この寮は入れ替わり立ち替わりというものではなくて、自らの意志で出ていかない限りは住み続けて、家族のいない彼ら彼女達に家族が出来ても良いから、未来の子ども達のお守りでもある。
私は多分結婚しないから、この子達が私の子どもで、彼ら彼女に子どもが出来たらそれが孫。
姪っ子や甥っ子達に更に子どもや孫が増えたら、私の人生は今のすこぶる楽しい生活の三倍くらい楽しいに違いない。
そういう訳で、ずーっとかめ屋で料理人と思っていた頃とは、随分と違う人生になったと考えながら、明日から人が入る長屋を見上げた。
部屋は全部で十部屋で、私とユミトの部屋があるので残りは八部屋。
ここに女性三人、男性五人が入居する。身分が似たようなもので、身寄りもない子達なので、一緒に生活するうちに夫婦になるのはあり。
惚れた相手が被ったら揉めそうだけど、それもそれで人生経験。
よし、頑張るぞと腕を腰に当てたら、赤鹿の手綱を引いて、フラフラするユミトが近寄ってきた。
「ユミトさん、どうしたの?」
「熱……帰れって言われた……」
明日から皆で新生活なのに何をしているんだか。
ユミトは今朝からここに住んでいて私は今夜から。仕方がないので看病することにする。
恋が叶わないのなら友情を築くかと、男と男みたいに交流してきたので、もう密室で二人になるなみたいに言われることはない。
昔々は危機感を持ちなさいと言われたけど。それなら私にも欲情することがあるのかと言ったら、レイさんだけは有り得ない、全くもって無理と告げられたことがある。
大好きで尊敬する兄の妹は、彼からすると女ではない存在みたい。
布団を敷いて寝かして、道具も材料もあるから自分の部屋でお粥を作り、食べなきゃ元気にならないと無理やり食べさせて、汗を拭いたり額に濡れた手拭いを乗せたり。
ここで暮らす子達は家事をするけど、私がしっかりさせるけど、料理はなるべく私が引き受けようと考えている。
私は作ることが好きで、もっと好きなのは私の料理を食べた時に出来る笑顔だから。
ユミトの様子を見ながら明日の朝食の仕込みをするかと材料や道具を運んできて手を動かす。
相変わらず兄の浮絵を三枚も机の前の壁に貼っていて呆れる。
あと部屋にあるのは机に並べられている勉強用の本と赤鹿関係の本くらい。
実家殺風景な部屋である。父から花籠をもらって、花くらい生けてあげたら喜ぶかも。
自分の世話しか出来ないからありがとうという言葉を、私は彼から何回も受け取っている。
机の上に手紙が広げられているので、出来心で見てしまった。
なにせ書き出しが「桜の君へ」だったので、多分恋文だろうから気になる。
わざわざ探し出して盗み見ではなくて、しまい忘れて広げっぱなしの手紙を少し読んでしまうのはしょうがなくない?
これはいつ、誰がユミトに渡した手紙なのか分からないけど、少しだけ読んだだけでとても素敵な内容だと感じた。
罪悪感で途中までしか読まなかったけど、彼は誰かと文通しているのかもしれない。
惚れっぽかったはずなのに、気がつけばどんな女性とも縁を結ぼうとしなくて、私にまるで興味が無い理由はこういうこと。
彼はとても心が美しい人に見つけてもらって、応援されている。
兵官になれたら結婚したいけど……みたいにたまに言うけどそういうこと。
色褪せ気味の桜の絵が添えてあって、咲いている花と蕾の二輪。
蕾はきっと、これから咲くユミトのことだろう。そうすると咲いている桜は手紙の主だから、この絵は私は貴方を待っていますという意味。
つまり、私は本格的に失恋だ。それも、今ではなくて知らないところでもう既に。
レイさんだけは無い、レイさんは違う、レイさんは……と色々否定の言葉を耳にしてきたし、直接気のないことを言われたこともあるので、あまり傷ついてないかも。
元々諦め気味だったので、これで私はこのまま男装人生で、ずっと独り身だなぁとぼんやりしながら、大根の千切りを開始した。




