かなり未来編「レイスの初恋2」
俺はミズキと夕食の時に再会。
母の実家には三組の家族が暮らしていて、そこに叔母ウィオラの弟子がミズキを入れて三人。
居間は広く、なるべく全員で食事をするのだが、俺は従兄弟ジオの隣が昔から定位置。
ジオは母の姉の子で、ミズキは母の義姉の弟子だから俺達の席は遠い。
叔母ウィオラがミズキを軽く紹介してくれたけど、よろしくお願いしますくらいの挨拶しか出来ず。
俺の嫁候補のはずなのに、あっさりしているなぁと考えていたら、夕食後にウィオラに呼ばれた。
居間の隣の部屋で彼女と二人きり。と、言っても居間に続く襖は開いていて、居間に人がいるから秘密の会話ではなさそう。
「レイスさん。先日から私の弟子として学んでいるミズキさんが、夜の街を案内して欲しいそうなのでお願い出来ますか? 明日、レイスさんは学校が休みですので多少夜更かししても構わないかと」
「……夜の街? えっ? ええんですか?」
「ええんですか、ということは乗り気なのですね。ミズキさんと仲良くしてくれるようで嬉しいです」
この辺りなら夜でも安全だろうけど、念の為クロを連れて行くように言われた。
番犬クロがいるくらいで、年頃の女性と夜に二人で出掛けて良いなんて、それってやはりそういうこと。
幼馴染同士で相愛だと、軽い結納をする同級生もいるけど、俺くらいの身分だと二十三才前後に祝言するので、いくら婚約していたって男女二人で付き添いなしで出掛けたりしないことが多い。
なので、これは衝撃的な過ぎる展開だ。
女性に慣れていないうちに、気が合いそうなかわゆい女性を意識させて、そこからさっさと結納。祝言したければ励みなさいという戦略なのだろうか。
「ミズキさん。レイスさんが夜の街を案内してくれるそうです」
そう、ウィオラはミズキを呼んだ。
彼女がウィオラの隣に現れて、俺を見つめて、花が咲いたように可憐な笑みを浮かべた。
両手を合わせて、少し首を傾けて、肩を揺らして実に嬉しそう。
「ありがとうございます」
「い、いえ……まぁ……」
こうして、俺とミズキは二人で家を出た。正確には二人と一匹。
玄関から家を出て、玄関にいる番犬クロを繋ぐ紐を解くと、ミズキはクロの前でしゃがんだ。
「初めてお会いした時から触ってみたかったのですが、よろしいでしょうか」
俺を見上げる上目遣いが実に上品で可愛らしいことこの上ない。
「もちろんです」
「噛みませんか?」
「ええ。クロは敵以外にはとても大人しい、利口な犬です」
片袖を左手で押さえながら、そっとクロに手を伸ばしたミズキに対して、クロはどうぞどうぞというように伏せた。
「ふふっ。ふわふわですねぇ」
国立女学生も品が良いのに、ミズキはもっとである。
白いうなじが良く見えて絶景なので、つい見惚れて唾を飲んでしまったら、タイミング悪く彼女がクロから俺に視線を移動。
玄関の灯りに照らされているので、彼女が顔を赤くしたのが分かった。
困り顔でクロに視線を戻し、そっとうなじに左手を当てたので眺めているとバレたと判明。
うなじだけで照れるってかわゆい。かわゆいしか感想が出てこない。
「あらっ。ふふっ。くす、くすぐったいです」
頬や首を舐められ始めたミズキが笑いながら身を捩る。
眼福至福だけどズルい。クロはオスなので、余計にムカつく。
「こちらのふわふわな黒い犬さんのお名前はなんと申しますか? この家について色々な事を覚え中なので忘れてしまいました」
下街娘ならこの犬はなんて名前? であるし、ここらの女学生ならこちらの犬の名前はなんですか? なのにこれ。
俺としてはおっとりした話し方もツボ。
「クロです」
「室内の白いわたあめのような犬さんはシロでしたよね? シロとクロで対なのですね」
わたあめは昔、半元服祝いで東地区へ行った時に食べたことがある、東地区でしか食べられない美味しいお菓子のこと。
「ええ。安直な家なので」
「いけませんわ。このままでは帰宅が遅くなってしまいます。クロさん。また明日、撫でさせて下さいませ」
ミズキは非常に名残惜しそうに立ち上がった。
「えーっと、では行きましょうか。夜の街観光ってどこへ行きたいんですか?」
「下街というものを知りませんので、この辺りを散策したいです。昼間の下街はお姉様と散歩致しました」
ミズキは懐から扇子を出して、顔を半分隠した。
「姉弟子さんも品が良いけど、ミズキさんはもっとです。そのように顔を隠して歩こうとしていますし、お嬢様なんですね」
「二人は妹弟子です。彼女達は違いますが、私はウィオラお姉様の従甥姪で三巴家の者でございます」
好きに歩きたいのかミズキが歩き出したのでついていく。
ウィオラの弟子はわりと入れ替わり立ち替わり。たまに年配の者も来る。
これまでは誰がどういう身分で、ウィオラとどういう関係なのかあまり気にしてこなかった。
挨拶くらいしかしなくて、興味も無かったので。
「無知でお恥ずかしいのですが、三巴家とはなんでしょうか」
「我が一族における呼称なので耳慣れないですよね」
ムーシクス家は琴門で、総本家が頂点で、その下に御三家があるという。
総本家になにかあったら総本家となるような格式高い、三つの分家のこと。
「ミズキさんはお嬢様中のお嬢様ということですね」
「私も憧れていましたの。お姉様が取り憑かれて離れられなくなった下街という世界に」
ゆっくりと歩くミズキは静かに歌い始めた。
少し低めの美しい声に聴き惚れる。憧れの場所に来たから嬉しいというように幸せそうに笑う横顔に見惚れる。
かわゆい。これが俺の未来の嫁。毎日が天の原じゃないか? と考えていたら、これこそが罠だと気がついて慄く。
祝言したいのなら、立派な跡取り息子になりましょうと言われる!
脅される!
「レイスさん? どうされました?」
「いやぁ……帰りましょう。その、自分には宿題がありまして」
「……帰るのですか?」
非常に悲しそうな上目遣いで、グイッと近寄られたら跳ね除け辛い。
「いやぁ……少しくらいなら……」
「宿題は大切ですものね。私、我慢しますから、必ず違う日に連れて行って下さいませ」
そっと手を取られて、小指と小指がすっと絡まる。
意外に大きな手だけど、すべすべだし指が長くて美しい。
「指切りしましょう、約束しましょう、嘘をついたら……どうしますか?」
「……えっ。いや、あの」
近いしかわゆいし肌と肌が触れ合っている!
「でぇと、して下さいね」
恥ずかしい! というように俺から小指を話したミズキが来た道を戻って、小走りで遠ざかっていく。
「近いけど夜道ですから一人は危ないですよ」
くるりと振り返ったミズキが「目を離さないで下さいませ」と可愛く俺を手招き。
二人で家に帰って、クロを繋ぎ、家に上がったらミズキに「宿題、頑張って下さいませ。私もお稽古に励みます」と小さく手を振られた。
何あれ、かわゆい。
宿題を終わらせるだけでデート出来るのかぁ、とジオの部屋に行って持ってきた荷物の中から筆記用具や必要な勉強道具を出して宿題開始。
そこに風呂から出てきたジオが来て、なんだ、もう帰ってきたのかと言われた。
「んー、いやぁ、ほら。あんな可愛らしいお嬢様と夜デートなんて卿家の跡取り息子として良くないだろう? いくら家族公認で犬がいても」
「へぇ。叔父上が仕掛けた罠には引っ掛からなかった、と。その台詞、叔父上達に伝えておきます。良かったですね。これできっと、ロイ叔父上からの説教が減りましたよ」
「……。罠は祝言したいなら真面目に励めじゃなくて、そっちか!」
「オルガ達と入って一緒に出たから風呂にどうぞ」
危ないところだった。
うるさい甥っ子達と風呂に入ってあげるとは相変わらずジオは優しい。
今、良いところなのでと宿題を優先して、終わったので風呂に向かった。
実家だと狭い木のお風呂だけど、この家は川から水を引いている岩風呂なので広い。
この時期だと薪をケチッてぬるいし、夏なんてほぼ水風呂だけど広いし眺めも良いから好きだ。
「空が晴れてて気分良……」
「……っ」
無造作に扉を開いて脱衣所に入ったら、長襦袢姿のミズキと遭遇。
人が入っている時は、出入り口のところの札を裏返したり、名前付きのものを飾ったりするのに!
来たばかりだから彼女は知らなかったのだろう。
お嫁にいけません、と言いそうな涙目で焦ったけど、同時にこの何も見えない姿でこんなに恥ずかしそうにするとはと萌える。
「す、すみません!」
萌える、とか考えていないで早く外に出ないと。
「お、お嫁にいけません……」
それならなんで俺の袖を掴んだ! と足を止めて振り返ってしまった。
「……」
「……」
この上目遣いは本当に破壊的にかわゆい。
そもそも、世の中の女性は同年代でそこそこ品が良ければかわゆい生き物なのに、色っぽい上にかなり上品なミズキなのでもっとである。
「……もうお嫁にいけませんので、お嫁さんにしてくれますか?」
「……」
今、なんて言った?
耳を疑っていたら、彼女はそっと俺に近寄ってきて、ぴとっと寄り添った。
「……。えーっとそれは……親同士が許せば……」
「本当ですか? 私、一目お会いした時から……」
目を閉じたミズキの顔が近づいてきて、これは流石におかしいと脳内に警鐘が鳴り響く。
箱入りお嬢様がこんな積極的な訳がない!
「ちょっと待って下さい。ミズキさ……っん!!!」
いきなり股間を鷲掴みするお嬢様がいてたまるか!
なんだこの淫乱は!
「あっ。しぼみましたね」
お嬢様がしぼみましたなんて言うか!
お嬢様は知らないけど、結納前のお嬢さんの俺の妹には色春知識がわりと欠けているのでお嬢様も多分仲間。
それなのにおかしいだろう!
「こんのクソ淫乱お嬢様! 俺のときめきを返せ!」
あれっ? 思ったよりも力が強い? と戸惑っていたら押し倒されて馬乗りになられた。
妖艶な舌舐めずりと、俺を見下ろす視線にゾクゾクする。
「あらあら。また勃ちました? こういうのもお好きなのですね」
「ち、違っ……」
変な触り方をするな!
ふふっと、笑ったミズキが長襦袢をはだけて唖然。
少しふっくらしていたので、そこそこある胸をしっかり押さえているのかと思っていたのに、逆に折りたたまれている手拭いが二つ俺の上に落下。
そして、はだけた上半身にあったのは壊滅的な貧乳。
っていうか胸筋?
腹筋も割れている。
「あははっ。楽しかったですよレイス君」
立ち上がったミズキは長襦袢を全て脱いだ。
前がもっこり気味の褌に、筋肉質な太腿……。
「ミズキ・ムーシクスは陽舞妓一座輝き屋の女形なのでこうして修行中です。以後よろしく。しばらくこの家でお世話になりますので」
「はぁああああああああああ! この野郎! 俺のときめきを返せ!」
このようにして俺は軽い初恋をして即座に失恋。
ただ、悪友が出来た。




