かなり未来編「レイスの初恋1」
卿家とは特殊公務員家系で役人の手本であれ、と言われる家柄だ。
政治不信が起きた際に、それは監査役の卿家のせいだと責任を押し付けられる役であり、それはあの役人達が悪いので監査役の卿家役人がしかと区民の味方になりますと仕事を押し付けられる役でもある。
つまり、貧乏くじ。
跡取りになるには、数々の査定を乗り換えないとならない。
その中の一つに学校を擬似役所と仮定して、卿家役人として振る舞えるかという項目がある。
在学中に教室長や副教室長や類似役を務めて、同じ教室の学生達を束ねるということがその一つ。
俺が進学した国立高等校は、地元の学校ではなくて、立ち乗り馬車に乗って行かないとならない、多くの者が中央省へ就職する、良家の息子達の中でも学業優秀な者が集まるところ。
はっきり言って、俺は面倒くさがりなので地元の国立高等校へ進学予定だった。
しかし、祖父、父の二人が一区国立高等校卒でおまけに中央庁務め。
教育ババァ——おっと口が滑った——教育に熱心な祖母が当然のように孫も一区国立高等学校へ進学と言って、さっさと願書を提出してしまったから疲れる日々。
ここから中央務めになったら、俺は南三区の六番地という田舎街から、わざわざ華の一区へ毎日通勤になる。
そんなこと、勘弁してもらいたい。
同じ町内会から同じように一区国立高等校へ進学した者はゼロ。
地元の中等校からも、同学年は珍しく進学者なし。
そういう訳で俺は一人で一区国立高等校へ乗り込むことになり、気の合う友人は特に見つからず、暗くてジメジメした学生生活を送っている。
ハッキリ言って、暗黒生活だ。
「っ痛」
「なにが暗黒生活だ、だ」
チンチロをしていたら従兄弟ジオの声がして、スパンッと頭を叩かれた。
振り返ったら彼は仁王立ち。どうやって心の声を読んだ。
ここは田舎街の中でも下街、母の実家のある庶民だらけの街にある小神社。
俺と下街幼馴染達の溜まり場だ。
「んだよ、ジオ兄」
「飲酒、喫煙、賭博、その品のない格好や座り方と言葉遣い。自分はいくつ君を売るネタを仕入れないといけないんですか?」
飲酒、喫煙は十六才元服後から。ただし、学生は卒業後から解禁。俺は学生で、この間十五才になったところ。
賭博に法規制はあまりないけど、卿家の男児はあまりするなと言われている。
品のない格好とは、祖父母や親に与えられた上品な着物と羽織りではなくて、親友である火消しのテオから借りているド派手な模様の火消し着物だから。
しかも羽織りなしの着流しで、袖を捲っているから。
お坊ちゃんは基本、夏でも素足にならないけど、今の俺は足袋を履いていない。
「早く売れ売れー。重たいルーベル家の看板を背負う跡取りなんて御免だ。学校にいるお坊ちゃん集団と同じ生真面目なジオ兄にやる」
へらへら笑ってそう告げたら、首根っこを掴まれて立たされた。
「帰りますよ。今日は従兄弟達と勉強会の日です」
「バカに教えるのは嫌です」
「君の頭が良すぎるんです。しかし本当の聡明さというのは、頭の弱い方に簡潔明瞭、理解しやすく説明出来ることです。これは役所勤めに求められる能力ですよ。世の中の大半は君よりも遥かに頭がよろしくないのですから、教え方を学びなさい」
鍛えても非力なので鍛えることを諦めている俺は、特段鍛えていなくても力のあるジオに引きずられた。
いつものことである。
「ぼん、待たな!」
「また息抜きしに来い!」
「じゃあな、レイス」
テオ以外はお坊ちゃんという意味のぼんというあだ名を告げる。
俺も下街男に生まれたかったと毒づきながら、渋々しっかり自分で歩き始めた。
「レイス。なんて髪型になっているんですか」
「テオに剃り込みを入れてもらった。器用だよなあいつ。家紋の青鬼灯。紐を解いたらお坊ちゃん髪型になるんだ。凄くね?」
「風に吹かれたら見られますよ!」
「精神的重圧で禿げました。帽子を被らせて下さい。よよよ〜って憂顔をして帽子を常に被れるようにするから問題無し。か、ん、ぺ、き!」
片目つぶり——ハイカラに言うとウィンク——をしたら、ジオに呆れ睨み顔をされた。
「まぁ、まぁ、ジオ君。君は俺のお目付役で大変だけど、それこそ卿家男児の仕事だろう? 俺は君を成長させようとしているんだ」
肩を組んだらペシっと腕を払われた。
「自分は跡取り認定は取得しますけど、ルーベル家は継ぎません。ひっそり分家扱いになります」
「なれやコラァ! ルーベル家本家なんて二束三文で売ってやるから引き受けろ!」
「自分は君の予備です。血筋が無いから継いだらルーベル家は断絶です」
「卿家は華族と違って血ではなくて特権確保優先。だから俺が生まれる前にジオをおじい様の養子として確保して、別居でもこうして跡取り認定を取れるように育てているんじゃないか」
「ぷっ。おじい様って、隠せていないぞ。わざと下街男性になろうとしても色々滲み出ている。歩き方とかもそうだ」
ジオに可愛い奴だなぁと頭を撫でられた。
畜生!
家族総出で俺を品良く育てたからだ!
俺はジオに彼の家——母の実家——に連行された。
本日は土曜で、俺は学校帰りに立ち乗り馬車で家とは別のところで降りて下街で遊んでいた。
元々今夜はここに泊まる予定だったけど、ジオのせいで来るのが早くなって辛い。
なにせ、避ける予定だった叔父その一が夜勤前で、まだ家にいる時間だったから。
最近の叔父は日勤だと十時から八時間、準夜勤は十四時から八時間、夜勤は二十二時から八時間で、それぞれ残業つきだから、勤務表を手に入れて鉢合わせしないようにしていたのに。
夜勤が二十二時からだと二十時には家を出て、職場で自主鍛錬なので、そのくらいにここに来る予定が、ジオのせいで叔父その一と遭遇である。
案の定、その格好はなんだと叔父の説教開始。
叔父その一ネビーは父の予備として祖父の養子になった男。
跡取り認定を取得しているし、俺の祖父母や父にうんと世話になっているから、彼らのようにうるさい。
「卿家の跡取り息子がこんな髪型にするな」
長めの髪で上手く隠れるのになぜバレた。
叔父の手が伸びてきて、隠れている剃り込みを確認された。
「バレませんので平気です」
「ジオ、剃刀を持ってこい。全部剃る」
「……全部剃る? 全部剃るってなんですか⁈」
「この髪型から問題ない髪型にするには丸坊主だ」
俺は勢い良く立ち上がって素早く逃げようとしたけど、瞬発力が凄い叔父にあっさり捕えられて床に押さえつけられた。
「ジオ! 助けてくれジオ!」
「助けろって言われてもネビー叔父上には勝てません」
「そんなこと言わないで助けろって! 坊主だぞ!」
「三日前に父上がまた丸坊主にしましたけど、相変わらず似合っていました。レイスも似合うと思います」
「美形のジン叔父上と一緒にするな! 俺のこの不細工めな顔で坊主なんて最悪だ。雰囲気美形でなくなる!」
「君は俺やリル似だから確かに髪型に左右される。悪いのは自分だ。二度とふざけた髪型にするな。ジオ。早く剃刀の準備」
「叔父上! 自分はそろそろ稽古の時間です。出掛けないと。レイスの髪を剃るのは……誰かに頼んで下さい」
悪者になりたくない、俺に責められるのも叔父に責められるのも嫌なジオは逃げるようだ。彼はそそそっと退室。
「おば、叔母上! ウィオラ叔母上! なんてあられもない格好をしているのですか。いくら子どもが風呂から飛び出しでもその格好は……」
「えっ? ウィオラさん?」
ジオの機転で叔父が俺を離して、部屋から出て行った。今のうちだと逃亡。
玄関で下駄を履いていたら捕まりそうなので、裸足で縁側から庭に出て、蔵陰に隠れて様子見。
叔父が来ないので裏口へ周り、合鍵を使って外に出たけど、腕を組んでいる叔父がいて、にんまりと笑った。
「俺は腐っても番隊副隊長で、ここ数年は六番隊どころか周辺番隊の中で検挙数最多だぞ。クソガキを簡単に逃すか」
「……」
「叔父上、大変申し訳ありませんでした。二度とこのような髪型にしませんし、注意は真摯に受け止めます。復唱しろ」
「た、退学してやる! 俺は跡は取らない! 退学して就職してやる!」
「えっ?」
「叔父上がこの息抜きを許さないなら、俺は二度と学校に行きません。閉じている口に無理矢理薬や食べ物を入れられないように、絶対に行かないと行っている男を通学させることなんて誰にも出来ません」
叔父は深いため息を吐くと、鼻で笑ってこう告げた。
「坊主にしなかったら一人で生きていくんだな? この街で俺の息がかかっていない場所なんてあると思うか? 甥を雇わないで下さい。居候させないで下さい。俺がそう言って、君はどこでどう暮らすんだ? 人見知りのビビりなのに遠くへ家出して一人で生きて行くんだな。無一文からなんてきっと大変だ」
「……」
目が本気だ。
畜生!
目が本気のこの叔父を敵に回したら、この街どころかかなりの範囲で、暮らせる場所は見つからない。
なんで俺の叔父は番隊副隊長なんだ!
嫌だと叫んだけど、無惨なことに丸坊主。
そして正座させられて、説教開始。
右から左へ聞き流していたら、昔の父親と同じ顔をするな! と怒られた。
うるさい。本当にうるさい。そこへ母親が来て顔を出して、どうして俺は坊主なのかと叔父に問いかけた。
「火消し風の派手な髪型にしていたからだ」
「まぁ」
「リルは何しに来たんだ?」
「レイスが泊まり道具を忘れた。坊主もかわゆい」
十五才の息子をまだ幼児みたいな目で見るなこのババァとため息を吐きたくなる。何がかわゆいだ。
「母上、ありがとうございます。ご足労をおかけ致しました」
「いえ。皆の面倒をよく見るのですよ」
これで母帰宅。叔父に「いっそ家庭内暴言くらいしろ。クソババァとか思っているんだろう。卿家の子なのに恥ずかしい姿を外で出すな」とまた叱責された。
「俺は好きで卿家の子に生まれたのではありません!」
「誰だって選んで好きな家に生まれてこれないんだから、それをウジウジ恨んでるんじゃねえ」
どうせ同じ家に生まれるなら、祖父や父似でとても優秀とか、母方の血筋であるこの叔父みたいに無敵の勢いの剣術の才能が欲しかった。
成績は中の中だし、男らしい才能は皆無。一言ったら十返ってきそうだし、この叔父にはまるで勝てないので不貞腐れていたら、顔に出すなとそれも説教。
仕事に行くから、と解放されたのは一刻以上後のこと。
ムカムカするから従兄弟達に勉強を教えるなんてするかと、なるべく居間から遠ざかったら、とても耳触りの良い、美しい琴の音が聴こえてきた。
こっちには叔母がいるのかと来た廊下を戻ろうとしたけど、一定の間隔で、同じ音がずっと出ているので気になって部屋を覗きに行った。
男が琴なんてと幼馴染達にバカにされるから辞めたけど、本当は弾きたい。
幼い頃、叔母が教えてくれる琴の手習時間が俺はとても好きだった。
それに叔母は甘々の激甘なので、叔父と違って何か良いことを言ってくれそう。
母も跡取りなんて別に、ロメルとジュリーのような悲恋が最も嫌だからそれだけは気をつけなさいと言ってくれる激甘親だけど、もう母親に甘えるような年ではない。
叔母なら良いのか、結局俺はまだまだ甘えたの箱入りお坊ちゃんだと自嘲しつつ、部屋に近寄る。
障子を少し開いて中を確認したら、そこに居たのは叔母ではなくて若い女性だった。
この屋敷に、叔母と似たような美麗な音を出せる叔母の弟子は居なかったので、どうやら新入りのようだ。
色白で、すべすべそうな瑞々しい肌に、憂いを帯びた横顔。
叔母と似た、この国では少し珍しい漆黒ではなくて濃茶色いの髪や瞳。
叔母の弟子は現在二人だから彼女で三人目。他の二人とはかなり雰囲気が異なる。
同年代な気がするが、下がり気味の目尻と口元のほくろのせいか妙に色っぽい。
蕭蕭たる雪のようで、触れたら溶けて消えてしまいそう。
「どなたですか?」
心地良い音が止まってしまい、更には話しかけられた。
こちらを見た彼女は平凡な顔立ちだけど、やはり妙に色気がある。
そこまで大きくない目に、目立たない鼻に、特徴があまりない形だけど少しぽってりとした唇。
可愛い女性はこの世に山程いるし、美人ではないのになぜか視線を離せないし、動悸がしてきた。
「……」
年頃の男女は堂々と二人にならないし、覗いていたなんて恥知らずなので、去ろうと思っているのに体が動かない。
すると彼女はとても上品な所作で近寄ってきて、そうっと障子を開いた。
「お初にお目にかかります。昨日よりお世話になっております、ミズキと申します」
微笑まれてますます心臓が暴れ出す。ブ
サイクだって笑うと可愛いものだけど、この笑顔はあまりにも素敵だ。
「……レイス・ルーベルと申します。ウィオラ叔母上のお弟子さんですか?」
「ええ。ふふっ。月のようなそちらの髪型は、珍しいのもあって愛くるしいですね」
ミズキは俺に笑いかけてから、帯から扇子を出して広げて顔を隠し、そうっと障子を閉めた。
深窓の御令嬢は、このように男性に姿を見せないもの。本で読んだことしかないけど今のは多分そういうこと。
俺はその場を離れて叔母を探し、居間で子ども達に勉強を教えていたので、新しい住み込み弟子が出来たのかと質問。
「ええ。従姉妹の子のミズキさんです。仲良くして下さい」
「……はい」
仲良くしてって、仲良くしてってそういうこと?
俺の叔母は東上地区の名家ムーシクスの元御令嬢。総本家の次女である。その従姉妹の娘は御令嬢だろう。
見栄っ張りな祖父が、孫にかなり見栄えの良い嫁をと望んでウィオラに相談した結果なら……。
これならお坊ちゃんに生まれて良かったかも。
下街男に生まれたかったけど、俺の好みはあのくらい上品な癒し系の女性。
それは下街にはサッパリいないし、幼馴染の姉妹や妹の友人にもあまり。




