かなり未来編「剣術小町ユリアさん」
十数年後が舞台の別作品を書こうかなぁと考えていて、子ども達世代のキャラ設定をしたのでユリア話です。ユリアはこう育ちました。
(この話後のユリアのデート短編とか、別投稿で書きたくなりましたが、最近時間が足りません)
大陸中央煌国。大陸史では、この時代のクロディア大陸中央部は戦国乱世と言われているが、その頃の大国煌国の王都は実に平和である。
平和も平和、王都の南地区の田舎寄りのそこそこの家に生まれたユリア・ルーベルは彼女目線では平凡、大陸全体から見るとあまりにも幸福な人生を歩み中。
平和とは一人一人の安寧が積み重なった状態なので、彼女のような存在が増えることは大切である。
朝目を覚ましたユリア・ルーベルは部屋を出るとまず洗面台は行き、顔を洗って髪の毛を朱色のリボンでまとめ上げる。
次に庭に出て、昔、親と使った鳥の巣箱の中を確認。今日はピピ鳥は来ていないと少し落胆して、次は庭の片隅に作ってある小さな小屋の前へ移動。
「おはよう」
彼女の女の子にしては少し低めの声に反応して、小屋から緑色のトカゲが現れた。トカゲの大きさはユリアの手二つ分なのでそれなりに大きい。
「エリトカゲさん。今日も元気ですね」
ユリアは近くの草をむしって、エリトカゲに差し出した。草食のエリトカゲはそれを美味しそうにむしゃむしゃと鋭い牙で噛んでいく。
今年で十六才になるユリアがこのエリトカゲを飼い始めたのは八才の時である。成人になれる可能性の高い八才、半元服を迎えたお祝いに両親と兄弟の五人で南西農村区にある温泉地へ行った時に拾った生き物だ。
緑色のぼこぼこした固い肌に、鋭い眼光、鋭い爪に鋭い牙を有し、首部分に扇子や襟のような部分があるのでエリトカゲと命名。
好奇心旺盛なユリアは旅館の庭で見つけたこの生物を、自分に懐いているから持ち帰って飼うとうんと泣いた。それで親は「見た目とは違って危なくなさそうなので」と許可。
ちなみに、このエリトカゲは北東部に生息する生物ドラドラコで、この国で売ろうとした者が持ち込んで、そのうちの一匹が逃げたもの。
ユリアが飼っているのはまだ子どもで、ドラドラコは獰猛で肉食なのだが、別に肉を食べずに草食でも生きていけるし、孵化したばかりでユリアを親と思い込んでいて彼女の真似をして生きているので本来の気性の荒さはなりを潜めている。そんな事は、世界の狭いユリアは全く知らない。
エリトカゲを撫でて満足したユリアは、部屋から持ってきた木刀を構えて素振りを開始。しばらくするとその隣に父親も並んで無言で同じように素振りを始めた。
すると、ユリアは無言で素振りをやめて会釈を残して撤収。最近、娘が冷たいから話しかけようとした父親ロイは、お年頃のユリアに今日も避けられて意気消沈。そんな事は意に介さない思春期真っ盛りのユリアは自室に戻って着替えた。
彼女が通う国立女学校は指定の制服を着て登校する。学年により着物の色が異なり、ユリアは淡い水色だ。袴は紺色と決まっている。今、季節は冬で年が明けたばかり。寒いので、今日も足元は毛糸の靴下にすると決定。
この靴下は何年も前に、ユリアの祖母が「あなたが大きくなるまでに手が無事か分からないので」と編んでくれたもので、伸縮性があれば予想した足の大きさと未来の孫の足の大きさが異なっても履けるだろうと工夫してくれたものでもある。
なので、この靴下はユリアのお気に入りで宝物の一つだ。模様が複雑で可愛らしくて、友人達に褒められて羨ましがられるので尚更。
化粧をしたいお年頃だけど、華美なものは校則で禁止されているので、ユリアは薄紅だけ引いて、目尻に透明なラメを乗せた。これは先週、親しい友人が始めた新しいお洒落である。
なお、この安価な化粧道具の基礎となるものを開発したのは母親と祖母と叔母なのだがユリアは知らない。彼女が苦手な魚の鱗で出来ていることも知らず。知っていたら、魚の鱗は嫌いで顔につけるなんて嫌だと売り飛ばすだろう。
髪の毛を結び直して、同じ一つ結びだけど編み込みを追加。父親似の厚めの一重まぶたに、固くて強情なまつ毛を上げることは昨年諦めたのでそのまま。
支度を終えたので、割烹着を身につけて、二階の自室から一階の台所へ移動した。
「お母様。おはようございます」
「おはようございます、ユリアさん」
「運びます」
「ユリア。そんな風に髪の毛で遊んでいないで、作るのを手伝えよ」
「お兄様。口が悪いですよ」
前掛けをして母親の朝食作りを手伝っていた双子の兄レイスに苦言を呈されたけれど、苦言を返す。
「家の中でくらい息抜き〜」
息抜きって、賢いことにあぐらをかいて学校終わりに下街に遊びに行って、卿家の跡取り息子らしからぬ言動や服装をしているくせにと言いかけて、ユリアはすまし顔でそっぽを向いた。
兄に対して跡取り息子うんたらと言うと、跡取り娘うんたらと倍返しされる。兄は父親似で頭の回転が早くて口も回る。口喧嘩では絶対に勝てない。それは口数少なめのユリアが更に無口になった理由の一つである。
いつものようにユリアは食事の配膳を手伝って、祖母の隣に腰掛けた。長年、持病が悪化しなかった祖母は昨年から左手がほぼ動かなくなり、足も弱くなってしまった。
なので、ユリアはその祖母が上手く食事を出来るように手伝うために、ごく自然にその席を選んでいるのだが、今のところ彼女の出番はない。
手足の不自由さという壁に何度もぶつかっているユリアの祖母は、その不自由さの中でどうすれば自分が自由に楽に過ごせるか学んで工夫しているし、仕方ないと諦めてもいるので、手助けを求めることはほぼないのだ。
「おばあ様。本日も元気で嬉しいです」
「ええ。あなたの元服祝いまでは元気ですよ」
「まではって弱気だなぁ。元服の次は祝言ですよ祝言。祝言の次はひ孫」
「レイス。卿家の嫡男がそのような言葉遣いをするな。それにレクスが真似をする」
「それならジジイ様こそ手本を見せろって。ごちそうさまでした」
レイスは苦言を呈した祖父にヘラッとした笑みを見せると、お膳を持って居間から去った。思春期ユリアと同種の反抗期である。
「ロイ。口だけ反抗期で、お行儀良く家のことをするのは格好悪いって言うてやりなさい。父親として励まないからこうなるのですよ」
「そうだ。仕事にかまけて教育を疎かにするな」
「出世しろ出世しろって言うておいて、そういう風に言うのはどうかと思いますよ」
「いつまでも反抗的だから息子も似るんだ」
朝から親子喧嘩が始まった、とユリアは黙々と食事を続けて「ごちそうさまでした」とレイスと同じくお膳を持って居間から退室。
台所で兄と遭遇したけれど、お互い一言も話さないで洗い物を進めていく。仲が悪いどころか双子の二人は気が合うので、阿吽の呼吸で洗い物を分担して片付けていく。
「今日からだな」
「……何が?」
「何がってジオがここで暮らすのがだよ」
「そうだっけ」
「本当は指折り数えていたくせにー」
頬をつつかれて、無言と無反応で抵抗を示した結果悪化したので、ユリアは木刀を少し引き抜いた。
「ぼ、暴力反対!」
「お兄様。遅刻しますよ。お兄様は一区まで通学なんですから」
「親父と同じ立ち乗り馬車に乗りたくねぇんだよ」
「色本を読みたいからですよね?」
「……ユリア! 俺の部屋に勝手に入るなって言うたよな!」
「破廉恥本は捨てました」
「借り物を勝手に捨てるな!」
ふんっと鼻を鳴らしたユリアだけど、兄がいるのなら本物の色春について知っているかとか、何か家にないかと学友に頼まれて、兄の部屋を物色して本と絵を発見。
彼女は今日、それを学校へ持っていく。兄弟がいる者からそういうことを学んでいく、知識を得ていくという女学生あるあるである。
早く登校して読書が最近のユリアの日課なので、早く登校する幼馴染との待ち合わせに間に合うように身支度。
その時、カラコロカラ、カラコロカラと玄関の鐘の音がして「おはようございます。ジオです」という声が、出掛けようとしてもう玄関にいたユリアの耳に届いた。同じく、もう家を出ようとしていたレイスが玄関扉を開く。
「おはようジオ。今日からよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「例の女の子はどんなだった?」
「少々感じの悪い美人でした。あとぼんやりです。感じの悪さはともかく、大人しそうなのでユリアと気が合う気がします」
「ジオさん。やっぱり人魚姫でした?」
「さぁ。まだ挨拶しかしてないから知りません。自分で聞いてみると良いですよ」
「明日、会いに行く予定ですのでそうします」
従兄弟のジオは自宅に同年代の女性同居人が増えることになったので、通勤も楽になることもあり、今日からこのルーベル家にお引越し。
一応理由はあるけれど、単に親しいレイスと楽しく暮らすのも良いという意味を持つ、たまにしている同居と変わらない。逆にレイスがしばらくジオの家に居候することもある。
「ユリア、ジオも付き添い人にしたらどうだ? 変な男が減る。たけのこの君に男はつかないけど、周りのかわゆい学友達に虫が群がる。ジオ、彼女達を是非守ってくれ」
「付き添い人って、自分は今年から社会人で、もう学生ではありません。自分が行く方向はユリアさんとは違いますよ」
「……そうだった」
玄関にユリアとレイスの両親も集合。従兄弟のジオは挨拶をすると、玄関に荷物を置いて「帰宅後に部屋に運びますのでこのままで。仕事に行ってまいります」とレイスと共にルーベル家を後にした。
「旦那様もそろそろ行かないといけません」
「今日は休みでウィルさんの家です」
「そうでした。レイスの推薦状の話をしに行くんですよね」
「財務省が良いからよろしく親父ってなんなんですかあの息子は。財務省なんてどこから出てきたんだか」
「聞いたけど楽そうだからなんて言うんですよ」
「会って話してくれたはずなのに、ウィルさんの激務さを知らないんでしょうか。自分も話そうとしたのに自分からは逃げるし」
ユリアは兄から「税金泥棒も、財務省内の売国者も、ネチネチ追いつめて叔父上に逮捕させたら楽しいしスッキリしそうだから」と聞いているけど、それを両親に教えることはせず。親は知らないのか、と心の中で呟く。
検事か財務省の二択で、どちらも区民の生活を直接的に守るような仕事があるから、祖父や父や叔父の守っているルーベル家という看板に泥を塗らないように、むしろ家の名誉を増やすという考えが兄にあることもユリアは知っている。
しかし、照れ屋の兄がいつか自分で言うだろうし、勝手に言うなと怒りそうなのでまぁ、いいやと放置。
まぁ、いいや。ユリアにはわりとこのようなところがある。
「行ってまいります」
「ユリア、まだ出掛けませんから自分も付き添い人になります。学校まで送ります」
「お父様と一緒だなんて恥ずかしいことこの上ないです。おやめ下さい」
思春期だけではなくて、先日父親が朝帰りして、それがヒソヒソ自分の幼馴染達の間で噂になっているのでユリアは怒り心頭中。
ただ、その朝帰りは単に親しい親戚の家で飲んでいただけなのだけど、お年頃の乙女は色々な事に過敏だし噂を鵜呑みにしたりする。
『ルーベルさん家の旦那さんが朝帰りした』という噂の続きは『酔っているのにゴミ拾いをしていた』と『頬に妻の名前が書いてあった』だけど、そこはユリアの耳に届いていない。
酒の席で遊び賭けに負けた罰で頬に妻の名前を書かれたという話も、どの道、娘の神経を逆撫でするけれど。
「ユリアさん。お父さんに謝りなさい」
「言い過ぎました。おやめ下さい」
レイス同様、母親の言うことは聞く反抗期の終わりかけ。父親のロイは「自分が何をした」と今日も今日とて心を痛めるも、思い返すと自分もこの年齢の頃は尖り気味だったので朝からお説教するのはやめた。
こういうことを理由に妻との会話を増やそう、休みだから妻に癒してもらおうと玄関から立ち去る。
「昨日はお友達にお父さん自慢をしていたのに」
「そうでしたっけ。行ってまいります」
「お弁当を忘れていますよ」
「ありがとうございます」
こうしてユリアは出掛けて、町内会の鎮守社で幼馴染達や下の学年の子達と今日の付き添い人と合流して通学開始。
女学校が近くなるとユリアは少し注目を浴びる存在になる。引っ込み思案の彼女はそれをあまり歓迎していない。
たけのこの君は兄のふざけ悪口で、ユリアの通り名は百合の君か剣術小町さんだ。父親似の顔に父親似の体格のユリアは、たけのこのように背が伸びて、他の女性達よりも頭一つ程度飛び出している。そして肩幅もわりと良い。
狐の目を少し大きくしたような顔立ちで、背が高くて目立った次に、その涼しげな切長気味の目とすまして凛々しい表情が視界に入ると目を奪われる男性はそれなりにいる。
さらに、ユリアは隠しても胸が大きめなのでそこにも男性の視線がいきがち。そして、ユリアを見ているのは男性だけではない。
「ゆ、百合の君。贔屓です。お手紙を受け取って下さい!」
女学校に通う一定数の女学生は先輩に憧れる。男性寄りの顔立ちに、高い背やその体格に凛々とした雰囲気のユリアは後輩女学生達にわりと人気がある。
「ありがとうございます」
「あ、握手もして欲しいです」
「ええ、どうぞ」
叔父が有名人で間接的に握手をしたいのだろうとユリアは後輩の求めに応じた。ユリアは少々天然気味なので、このように自分へ向けられる感情を正確に把握しきれていない。
何人かの若い男性達の視線も、叔父の贔屓くらいに考えている。
涼しげな目に凛々しめの眉。程良く日焼けした肌。顔は小さいけれど、背は他の女性達よりもにょきっと高い。おまけにいつも凛と背筋を伸ばしている。
更に彼女は珍しいことに制服の袴に木刀を帯刀していて、鞄は他の女学生達と異なり剣術道具袋で、足元は草履ではなくてこの国では珍しい異国の平靴である。これで、六年間同じ経路で通学する彼女を覚えない者は少ない。
国立女学生はほとんど全員注目の的で、普通は「かわゆい女学生」のはずが、自分の場合はたけのこの君だとか、大きい女性や男女か、有名な叔父の姪っ子として注目されていると、ユリアはそう思っている。
ただ、最近それは卑屈で自信がないから自虐的に考えてしまっているだけで、違う気もすると気がつき始めた。
なにせ——
「うわぁ、剣術小町さんですよ。昨日はこの時間には居なかったのに。やっぱり綺麗ですね」
「あっ、目が合った気がします」
「気のせいですって」
このような声を耳にするようになったからだ。
集団で登校中のユリアを見かけた男子学生達がヒソヒソ声を出しながら彼女を熱心な目で見つめる。
ユリアはとびきり美人ではなくて平凡平均くらいの容姿だ。しかし目立つ分、彼女は美人というような評価がついている。
(それなら文通お申し込みしてくれないかしら。憧れの文通お申し込みをされてみたいわ)
男性学生達が近寄ってきたので、ユリアは「ついにだわ」と胸をときめかせたけど、付き添い人に渡された手紙は彼女の幼馴染宛であった。
いつものことだけど、と心の中で落ち込むも、表情筋があまり動かない彼女の顔は実に涼しげで他人の目だと彼女の落胆は分からない。
恥ずかしくて乙女の憧れを語れない彼女が恋話に興味津々だとか、文通お申し込みをされたいということを、幼馴染達でさえ知らないし気がつかない。
兄のレイスは従兄弟のジオと結婚すると言っていた子どものユリアのままだと認識しているけれど、彼女の恋心は別人へ向いている。
「大丈夫ですか?」
目眩がしてよろめいた女性を支えたユリアは、抑揚のない声を出した。凛々しい顔立ちで、気遣わしげな表情に、落ち着いた声でそう告げられた女性はユリアに見惚れた。
サララと風に揺れた、ユリアの一つ結びの長い髪には気が付かず、男性だと思って頬を染めている。ユリアは「女性だと分かるように編み込みまでしたのに」とガッカリである。
未だに男性から恋文を貰えないのに、女性からはもう三回も貰っているので、こういう反応がそういう意味だということは理解している。
「あ、あの。あの。ありがとう……ございます……」
「お気をつけ下さい」
ユリアは女性の体勢を直して歩き出した。それで女性は自分を助けてくれた人が女性であると気がついて、自分はもしかしたら噂の女色家の仲間かもしれないとユリアの背中に熱視線。
違うのでそのうち違うと気がつくだろうが、一時的にでも少女を無自覚に惑わすユリアは罪な少女である。
「そこの! そこの女学生! なぜ帯刀している! 止まりなさい!」
若い見回り兵官に怒鳴られたので、ユリアは「そういう季節ですね」と素直に足を止めた。
現在の季節は冬で月は一月。一月は新年で、新しく働き出したり、部署が変化するような時期だ。
「煌護省の許可を得ています」
そう告げると、ユリアは身分証明書と許可証を駆け寄ってきた地区兵官に提示した。この国では許可の無いものは帯刀禁止となっていて、刃物所持は更に禁止である。
例外として、三十才未満の女性は襲われる可能性が高いので、役所の許可なく懐刀を所持出来る。三十才で区切るなという声が多いので、年齢制限は形骸化しているけれど。
ユリアは幼い頃から父や叔父に自己防衛出来るようにと剣術や体術を教わり、小等校からは女流剣術道場へ通っていて、何かあったら友人達や周囲の人を守りたいと、講習を受けて役所の許可を得て木刀を帯刀している。
「許可……証ですね。……ルーベル? ルーベル? 副隊長と関係あるんですか?」
ここへ年配の兵官がやってきて、ユリアに「すみません」と会釈。彼の「すみません」は後輩がよく考えずに走り出して怒鳴ってすみません、ということなのは明らかなので、ユリアは小さく首を横に振った。
「番隊副隊長は私の叔父です」
「上品な女学生さんなんだから、家柄関係や特技で自己防衛だろうと推測してもっと丁寧に、挨拶のように声を掛けなさい。なんで不審者対応をするんだ。落ち着け。よく考えろ」
「……す、す、すみませんでした! 副隊長のお嬢さんなんて知らなくて」
「いえ、姪です。お母様の兄で……」
若干怯え顔の若い地区兵官の背後で、年配女性の鞄をひったくった男性を発見したユリアは走り出した。
「お待ちになって、ひったくり犯さん! それは犯罪ですよ! 悔い改めて自首して下さい!」
力強い叫びと、言葉遣いの落差に道行く人々は足を止めてユリアに注目。足の速い彼女はひったくり犯に追いつき、抜刀して腕を伸ばして犯人の背中を一突き。
「なぜ止まらないのですか。奥様の大事な鞄を返しなさい!」
「っ痛ぇな!」
おっとりのんびり系の性格のユリアだが、こういう時は勝ち気である。
前方に転ばされて背中を踏みつけられた犯人は顔を上げて、若いひ弱そうな女だと怒りを倍増させ、さらには逃げられると心の中でほくそ笑んだが、瞬間、彼の顔の横に短刃が突きつけられたので硬直。
「抵抗すれば罪が増しますので、神妙にお縄について下さい」
勇敢な女学生だけに任せるな、取り押さえろと勇気のある区民が犯人逮捕に協力して、追いついた新人兵官と別の兵官が犯人に捕縛縄を巻いていく。
「ご協力ありがとうございま……」
地区兵官よりも女学生の活躍の方が早いとはなんだと区民が文句を言い始め、次に「お嬢さんは何者だ?」とか「剣術小町さん、格好良かったぞ」などとユリアの褒め会が始まる。
しかし、人見知りの彼女は無表情で会釈をして走り出し、自分の所属する集団のところへ戻った。
流し目を残して、さらさらと髪を風に靡かせて立ち去った剣術小町女学生のことは、その場にいた老若男女の胸に刻まれる。中には既に彼女を知っている者もいたので、ユリアはまた少し名を売ったということだ。
こうして、卒業年にまた少し有名になったユリアは無事に通っている女学校へ到着。
その門のところに、派手な朱色に荒磯模様に鷹という着物姿の若い男性がもたれかかっていた。着物は半分はだけていて、下に着ている厚手の黒い長袖肌着が見えている。
甘い系統の顔はとても整っていて、髪型は両側に剃り込みを入れていて、ユリアの位置からでは見えないけれど、右横から見るとハという字も剃られて、左側から見ると火車一族の家紋が剃られてる。
そういうところを見なくても、派手な着物姿かつお坊ちゃんはしない髪型なので、下街男性の中でも派手な火消しか大工か反社会的な人物だと分かる。それで「お嬢さん達、冬は乾燥しているから火の用心。俺の心に火をつけるのは良いぜ」と手を振るのは火消しだ。
そういう観察や考察をしなくても、ユリアには視界に入った非常識気味の若い男性が誰なのか分かる。なにせ、彼女の幼馴染だ。
「ユリア〜。おはよう。休みだから不埒な男が登校する乙女達に近寄らないか監視しにきた」
「テオさん、おはようございます」
「おはようございますテオさん」
「皆さんおはよう。今日も全員かわゆいなぁ」
幼馴染達にチヤホヤされる幼馴染という見慣れた光景に呆れたユリアは会釈をすると、テオに近寄らず、特に言葉も発しないで歩き出した。
「ユ〜リア。おはよう」とテオがユリアの前にひょこっと顔を出す。背の高いユリアに負けないくらい背の高い男性は少ないけれどテオはその一人。
「……」
「喋ろ。今日こそ喋ろ。口がついているけど、この口は飾りか!」
唇にテオの指が伸びてきた瞬間、ユリアは抜刀してテオの首にそれを当てた。苦笑いしたテオがゆっくりと両手を肩の上に上げる。
「刃がない木刀を首に当てても脅迫にはならないぜ?」
「……」
「だから喋ろよ! なんで一年も口をきかないんだよ!」
それは女性と腕を組んで歩いていて、それが彼女にとって物凄く不愉快だったからである。
家族ぐるみで親しくしてるものの、性別が異なるので年々疎遠になり、遊ばなくなり、しかし兄や従兄弟と遊ぶ際に会うからそこで話す。
そうして、気がついたら目で追っていた幼馴染。それがユリアにとってのテオである。火消しあるある以上に子どもに優しいところがかなり好き。
好き。そういう気持ちを自覚したらどんどん話せなくなって、近寄らなくなった幼馴染。それがユリアにとってのテオである。
「……」
膨れっ面になったユリアは無言で走り出して、追いかけたテオが校門をくぐろうとした時に振り返った。
「先生! 若い火消しさんが神聖な女性の園に侵入しようとしています!」とユリアは叫んだ。
「あっ、どうも先生。打ち合わせの時はありがとうございました。今日はよろしくお願いします」とテオはその教師に会釈。
「ふっはっはっ! 休みは嘘で今日は護身や防犯訓練の助手として来た! だから堂々とここに入れる! 今日こそ逃すか!」
「よいやっさー!」
「っ痛」
背後から蹴り飛ばされたテオは地面に倒れて、滑り、その体はユリアの足元まで来た。
「かわゆい女ばっかりだからって女学校ではしゃぐな! なんでいつもの格好で来ているんだ!」
「いてぇ。このバカ力」
テオを蹴り飛ばしたのは彼の父親イオだった。
「俺だ俺だ俺だってうるさいから助手になることを許したのに、約束を全部破るとはどういう了見だ!」
息子とは異なり落ち着いた服装に地味な髪型の壮年が誰なのか知っているユリアは、彼と目を合わせて小さく会釈。それから、少し迷いつつそっとテオに片手を伸ばした。
「……」
しかし、テオは何も言わないし、起き上がらないし、ユリアの手も取らなかった。無言でユリアの顔を見つめ続けている。
「……」
「……」
「……お」
お? とユリアは首を傾げた。
「俺と祝言しろユリア。なんで手紙の返事一つ返さないで喋らないんだ。俺が何をしたって言うんだ。百通以上送ったんだから一通くらい返せ。拒否の返事でもいいから一通くらい返事をしろ。嫌なら理由を述べろよ。改善出来ねぇじゃないか。喋らないし、逃げるし。俺が何をしたっていうんだ」
「……」
「どんどん話さなくなっても、喋って笑ってくれていたのになんで無視するんだ。俺が何をした!」
頭を抱えて、人目もはばからずに地面を転がり出した幼馴染に呆れつつ、ユリアは告げられた言葉に放心。彼女は彼から手紙を貰ったことなんてない。
それを夢見ても何も起こらないし、書いた手紙は勇気が出なくて引き出しの中。本命どころか誰からも文通お申し込みされないのだから仕方ない、父親似だから悪いというのが、ここ一年半くらいのユリアの父親嫌悪の主な理由。
一方で、剣術を好んでいるし、父親の仕事仲間のような女性兵官になりたいから、そこは捨てずに女性らしくなるにはどうしたら良いかと日々悩んでいた。
実際は平均くらいはモテているし、こうして本命も振り向いていたという。
「テオ。何をしているんだお前は。これだと六防所属の自慢の息子の反対だぞ。乙女の園で醜態を晒すな」
「転属だ転属。俺は上地区本部に行って熊と組手する! もう無理。もう嫌だ。なんでこの俺がこんなに振られないといけないんだ! なんで本命だけ氷のようなんだよ! 俺はテオだぞ。テオさん、テオ君って大勢が俺を恋人にしたがるのに、なんでこんな不毛な片想いをしなきゃならねぇ。だから熊と組手だ! こいつよりも強くなるって熊と組手しかねぇ!」
熊と組手なんてやめて欲しいし、自分よりも強くなるとはなんなのかとユリアは茫然としつつ、テオの言葉に対して心の中で突っ込む。
「えっ。お前の本命って、氷河の君ってユリアちゃんだったのか? 誰だろうと思っていたらそうなのか。あはは」
「あははって笑うんじゃねぇ!」
体の反動で一気に起きて地面に両足をついたテオが父親の合わせを掴んで食ってかかった。
「……手紙なんて読んでいません」
「……えっ?」
「百通も書いたんですか?」
「百と八通書いた。百八煩悩の数まできちまった。ついでに言うと君が俺を見て無視したのもさっきので百と八回」
「……こひ人と私を二股ですか?」
「恋人? 本命がいるのに恋人なんているわけないだろう」
「……腕組み。去年の今頃……」
「腕組み? 俺と腕組みできる女は足を挫いた老若女かユリアだけだけど。えっ。皆で初詣した時に俺とこっそり腕組みしたかったのに出来なかったから拗ねていたのか? なにそれかわゆい」
「バカだなぁ、お前は。足を挫いた女がいて、肩や腕を貸して〜って言われて何も考えずにそうしたんだろう。で、本命に誤解されたと。注意不足だな」
「っていうか、それミズキじゃないか? 俺は女にくっつかれないように日頃から気をつけている。昔の親父みたいに女遊び人とか、親父似って言われたくないから」
ミズキとは、ユリアの叔母に弟子入りしている琴門留学生で、奏者としてだけではなくて女形の役者としても修行中なので、自ら女装している同年代の男性である。
一年前から母親の実家で暮らしているミズキは同年代のユリアの兄レイス、従兄弟のジオ、目の前にいるテオ達と親しい。
「おいテオ。ミズキちゃんがこの街に来たのは半年前だぞ」
「あー、それならやっぱり誰か怪我人に肩を貸したんだな」
「……」
「うわあ。勘違いでヤキモチを妬いて一年も喋らないとかかわゆい」
「……」
「否定しないから嫉妬だ嫉妬。絶望から一転、この世の春が来た!」
「……」
「私よりも強くないとって言うから、それは難しそうだけど試合で勝ち抜いたんだけど、まさか見てない?」
「……風邪をひいて見てない。告白したって聞いた」
「君に返事くらいしてくれって言うた。あれ、ユリアじゃなかったのかよ! それなら誰だ、女。逆光で見えにくかったけど、レイスの隣にいるのがユリアじゃなきゃ誰だ」
「知らない」
「あの野郎。俺に黙って女を作ってしかも二人でお忍びか? 今日にでも聞きだそう。なーにがユリアにはちゃんと渡しているんだけど……だ。あの妹バカに頼んだ俺が間違ってた。卿家のお嬢さんだから常識を守ったのに邪魔しやがって! ジオもグルだな!」
「……」
もう、ユリアは全てを理解した。
ボッと真っ赤になったユリアはその場から逃亡。授業はずっと心あらずで、火消し達による護身防災訓練時間は「体調不良」という理由で介護教室で寝て過ごした。
それで放課後を告げる鐘が鳴ると一目散に帰宅。幼馴染達に一人で帰ると告げて、ひたすら走り続けて、途中でひったくり犯を木刀で突き飛ばして見回り地区兵官に任せてまた走り、息を切らして家に上がり、母親に向かってこう一言。
「ユリアはお母様と同じく、十六才でお嫁にいきます」
彼女は非常にしおらしい態度で、小さな声でそう告げた。幼馴染のテオが彼女を気に掛けたのは優しい性格だけではなくて、他の彼の周りの女性には無い勇ましさとこのようなところの落差の激しさだ。いわゆるギャップ萌えである。
それから徐々に疎遠になられて、無性に気になったからである。他人にはにこやかでそれなりに喋るのに、自分にはすまし顔で冷めた目なので。
「……えっ? ユリアさん?」
「ユリアはお見合いします」
「お見合いします? どなたかに文通お申し込みされたのですか?」
「テオさんです」
ユリアの母リルは、娘がぽやんとした顔で口にしたのが良く知っている子だったのでニコリと笑って「そうですか」と娘の気持ちに寄り添う。
「手紙はこれからいただけます」
「良かったですね」
「はい」
十六才で、ではなくて急がずにゆっくりでも良いのでは? と話しをしたら、娘の返事が「おばあ様やおじい様が元気なうちに花嫁姿を見せたいです」だったのでほっこり。
こうして、ユリア・ルーベルは幼馴染の火消しのテオとお見合いをすることになった。
十六才で嫁にいくなんて許さないし、そもそも嫁入りを許さないし、火消しは言語道断という父親は無視されて、幼馴染だから三回お出掛けして特に問題なければ結納して、更に問題がなければ女学校卒業後のお正月に祝言。テオが嫁取りしてルーベル家に同居と決定。
これは決定前のこと——。
「十六才で嫁にいくなんて許しません」
「私は十六才でこの家にきました」
「……。そもそも嫁入りを許しません」
「嫁入りでここに同居ですのでユリアは離れません」
「……。そもそも火消しは言語道断です」
「家族親戚に一人は火消しさんです。ルル達はいつ南三区へ戻るか分かりません。体が弱くなったお義母さんやお義父さんがすこぶる安心します」
「……。あのイオさんの息子……でそっくりなのに……硬派です。他に、他に、他に反対理由が……無い」とロイは肩を落とした。
「六防所属で生粋火消しさんなのに中官さんです」
「賛成理由しかない」とロイはますます落胆。
ハ組のテオと名乗るけど、テオは組を束ねる六防に配属された期待の若手。勉強嫌いの生粋火消しの中で育って、自分も勉強嫌いだけど周り——主にレイスとジオ——に影響されてかなり勉強したし、学歴も少しある。
見た目も中身も父親似の好青年で、おまけに父親の欠点である上に立ちたくない気質やかつての女遊びみたいなところはない。彼には彼の欠点があるものの、大したことではない。
「うわあああああ。イオさんに頼まれてネビーさんやティエンさんと育てたらユリアを取られる! 取られた! いつからこんなことに!」
「始まっていなかったのでこれから交際です。良かったですね。ユリアは我が家にいてくれます」
「嫌だあー。娘の新婚生活なんて見たくないー」
「それなら嫁に出しますか?」
「出す訳ないじゃないですか! 同居一択です!」
「最近、我が家は静かめでしたが明るくなりそうですね」
「うるさいだけですよ!」
「まだ一年ありますよ」
「破局し……てユリアが泣いたら嫌だー。ハッ。結納したら手を出される。結納なんてさせません!」
「ロイさんが帰ってくる前に、テオ君が彩り屋が卸している婚約指輪を買ってユリアに渡したのでもう結納したことと同じです」
「我が家の大事な娘に、勝手に何をしているんですか! 絶対に許しません」
「ユリアの想い人が、ユリアと結納しないで、婚約指輪もしないで、モテまくっている方が良いのですか? 婚約指輪は俺は虫除け、これで群がる女が減るって言うていましたけど」
「なんでそこはイオさんに似なかったんだ」
「テオ君ってお兄さん好きで、初恋がウィオラさんですし、ミユさんもイオさんの女遊び歴を心底嫌がっていますから」
「ジオだと思っていたのに、意外過ぎる」
「ジオとユリアは、レイスとユリアのような兄妹です。見ていれば分かるではないですか」
「リルさんは二人の気持ちに気がついていたんですか⁈」
「ユリアのことだけです」
リルは夫のロイと似たような会話を三回繰り返した。ロイが「十六才でお嫁にいくなんて許しません」と同じ話を始めたので。
ロイは妻のリルの説得であっさり陥落したのでユリアとテオのお見合いもあっさりと決まり、両家の付き合いは長いので、お見合い話はトントン拍子。
元服したので文通お申し込みをすると決意したテオが、ユリアに対して書いた百と八通の手紙は、テオに頼まれたレイスとジオが「妹に近寄る男は幼馴染でも許さん」と止めていた。
おまけに手紙を隠したのではなくて、風呂を沸かす際に一緒に燃やしていたという。
二人はユリアに「お兄様達、私と試合をしましょう」と睨まれて、怒られて、竹刀でボコボコにされた。
感想でいただいてネタはありますが、上手く書けないので、また書けたら話を増やします。




