特別番外「雲外蒼天物語3」
もう一人の兵官と見習いらしき少年兵官とは別行動になった。ルーベルに案内された場所は屯所の奥にある門の向こうで、そこにある建物の一つに入り、二階の部屋へ通された。
「その格好で兵官と一緒だと犯罪者と誤解されるから着替えを貸します。仮眠用の浴衣ですけどどうぞ」
「すみません、ありがとうございます」
「悪いけど場所がないからここで着替えてもらえますか?」
「はい」
帯をほどいて着物を脱いだら「肌着は無いんですね。それは流石に貸せません」と笑いかけられた。
「必ず洗って返します」
「君の着物を屯所が契約している洗濯屋へ出すから洗濯代も。預かる着物は今度かめ屋へ行く時に返します。五銅貨払えますか?」
「えっ。いや、それなら川で自分で洗います」
「その着物は持ち歩かない方がよかかと。あと本職に任せると新品みたいになるかもしれません。荷物が全然ないので着物はこれだけですよね?」
「はい。それなら……頼みます」
五銅貨あればここへ来る前に昼飯を食べたうどん屋で一番安いうどんを食べられる。
洗濯ごときに、と思ったけど確かに脱いでみたら結構臭い着物を持ち歩く気にはなれず。新しい職場疑惑のかめ屋とやらに持ち込む気持ちはもっと湧かない。
「金が惜しいから嫌ですとか、ハッキリ言わないと今後自分が困りますよ。上京してきたってことは頼る相手はいないんでしょうから」
「いえ。考えた結果です」
「そうですか。無いですね、罪人印。重罪人で監獄出なのに。まあ、特殊番号が振られていますし判子の種類もおかしいので何かあるんでしょう」
「……えっ?」
浴衣の帯を結び終えた時にそう言われて、ジッと見据えられたので困惑。
「なん……で……」
「なんでって、そういう説明は無かったですか? 今のは身分証明書の情報です。兵官や一部の役人なら分かることです。監獄出で最優良の紹介状はかなり珍しいから怪しいけど、拝見した紹介状は偽造ではありませんでした。それどころか良く見ると煌護省と裁判所が用意した特殊なものです」
「は、はい……」
そこまで分かる兵官や役人と会うことはないだろうと言われたけど、早速遭遇した。
「先月、あれこれ新しくなったところで今日、指導をしている同僚と見習いは覚えていなかったので後で説教をします。事情は話さなくて構いませんので、今のようにはいかいいえと答えることでご協力下さい。貴方も含めた区民の為の教育ですので」
「あの。その……ジロって分かりますか? あの……母親……。殺していないけど……。殺した……。その、もう十年くらい前です……」
記憶の中のネビーはうんと優しかったのに、今目の前にいる同一人物疑惑のルーベルは冷ややかな目で俺を見ていて雰囲気がかなり怖い。しかし、それがふっと和らいで空気が変化した。
「君、あの時の……」
「手紙! あの時の手紙があります。でも困ったから来たのではなくて成り行きです。女将さんが話した通りです。こんなことあるんですね。恩人の妹さんや、彼女がお世話になっている旅館の女将さんと会って、こんな風に再会するなんて」
「すみません。あの時は自分にはほとんど何も出来ない、後は監獄の兵官や役人に警兵任せと思って……。その後は仕事柄色々な人と会うので、ほぼ忘れていました。名前もタロと覚えていて。顔なんてサッパリ」
「でも覚えていてくれていました。他のあの時の兵官さんと一緒に監獄に二回、手紙をくれましたよね?」
「……」
ルーベルことネビーはしばらく無言で、少ししたら顔を背けて目頭を押さえて、それからすぐに俺に向かって笑いかけてくれた。
「あの紹介状だから、足を引っ張られたり悪ガキやら悪い奴も周りにいただろうけど踏ん張ったどころかうんと励んだんですね」
「そんな気はしませんけど、そうみたいです。これは俺の財産できっと俺をよしな人生に導いてくれるって、そう言われました」
「そうか。良かった。それでかめ屋の女将さんに誘われたって……。自分としては運がええから働かせてもらうとよかだと言いたいです。これまでみたいに真っ直ぐでいたら安泰です」
良かった、と笑いかけてくれた彼の雰囲気はさらに丸くなった。
約十年前に接した時は、何も出来なくてすまないとか、ごめんとか、悲しそうな顔や声ばかりだったし、別れる時も困り笑いを向けられたので、こんなに優しく穏やかに笑う人だったということが十年経って発覚。
「応援してくれた人達には村でも街でも他地区でも構わないから長く働けそうなよしなところで働けって言われました。先日監獄を出て、最後の説明や働き口を紹介されたけど、母の墓参りくらいしたくて上京したところです」
「仕事の希望はありますか?」
「監獄を出る前にそう言われましたけど、世の中にどんな仕事があるのか分かっていません」
「そうですよね。この身分証明書だと中央区には入れませんけど、それ以外の場所で禁止就労先はありません。例えばここ、屯所で自分の仲間になるのも歓迎です」
「……えっ。俺、兵官になれるんですか⁈」
「ええ。それも誰でもなれる戦場兵ではなくて地区兵官や警兵。ただ、金と稽古と勉強が必要です。あと出世は無理でしょう。業務制限がかかるはずなので。事務官と言ったけど学歴無しから事務官はキツいです。この体格と体つきで、努力出来るなら、年月をかければ下っ端地区兵官にはなれるかと」
お金を貯めて、武術系の道場に入ってそれなりに鍛えて、貯めたお金を使ってここで半見習いとして兵官にくっついて学ぶ。
それと並行してコツコツ下級公務員試験の勉強をするのが一番良い道だそうだ。そういえば、これを勉強しておけとか、このままいけば就労先制限はないからなと小難しい勉強を教わったような。就労先制限がないという言葉の中に公務員という選択肢も含まれていたとは。
「そのお金を貯めるのには時間が掛かるけど、かめ屋での働きぶりなどが半見習いを引き受けるかの合否に関係してくるので興味があるなら急がば回れです。勉強も下地があまりないと思うんでコツコツ積み上げましょう」
「俺にそんな道があるんですね……」
「誰も教えてくれませんでした?」
「いえ。少々聞き流していましたが就労先制限は無いって言われていました。何になりたいって言われて、普通に暮らしたいって話したら、何か思いついたら屯所へ行って福祉班に聞くか、帰ってくるか、手紙で質問しなさいって言われています」
「地区兵官だけではなくて、警兵で赤鹿乗りになるとか、職人になりたいとか、君の人生はこれからだから、どんな道を選ぶにしても、まずは更なる実績作りと貯金がよかだと思います」
「俺、ここでも監獄でも沢山兵官さんや役人さん達にお世話になったんでなれるならなりたいです!」
その後、ネビーはこの身分証明書が常に足を引っ張るから理不尽な目に遭うこともあるだろうけど、これまでのように味方はいるから、腐らずに他人よりも真っ直ぐ正しく生きろと告げられたので大きく頷く。似たようなことを他の人達にも言われている。
「ここまでこれたなら君は大丈夫。真の見返りは命に還ると言うてこれまで励んだ分、幸せになります。この街暮らしなら自分がいます。南西農村区へ帰っても大丈夫そうですね」
彼は俺の浴衣の合わせを直して「失礼」と口にして俺の髪の毛を手ぐしで整えてくれた。
「ありがとうございます。あの、俺。母が見守ってくれそうなこの街で暮らしたいです。それに、最初はネビーさん達でした。俺の心が死ななかったのはネビーさん達に出会ったからです」
「女将さんには偽造ではないので後は自己判断と伝えます。監獄出だけど特殊番号、というのはついて回りますが、それに気がつく者は少ないですし、もしもそれで理不尽な目に遭いそうなら相談に来て下さい」
「重ね重ねありがとうございます」
「悪ガキや嫌な兵官や役人もいたでしょうけど、堕ちないで踏ん張ったんですね。胸を張ってよかな人生を切り拓いて下さい。事情を知らない兵官などが職質などで身分証明書を見て怪しんだら俺の名前を言うとよかです。六番隊のルーベルさんが担当です、って。かめ屋にもそう伝えます」
拳で軽く胸を叩かれて、かなり嬉しくなった俺は「はい!」という大きな声を自然と出していた。
「んー。兵官になりたいというのは、世話になった人達への恩返しですか?」
「はい。そう思いました」
「君が兵官になったことで、その人達に何が還ると思いますか? どういうよかなことがあるのでしょう」
問いかけられて、俺は返事に詰まった。
「例えば俺。全然力になれなかったけど、ありがとうと言うてくれたし、自分が不甲斐なくて悔しかった分は、これから助けてあげることで満たされそうです。君が地区兵官になっても、かめ屋の敏腕番頭でも、俺の嬉しさは同じです」
「全然なんて、俺、顔も声もどんどん忘れていっても言うてくれたことや名前や手紙のことは一度も忘れていないです! 何度も助けられました!」
「そうですか。あの時の先輩達は地区本部へ移動して一区に引っ越したんで会った時に伝えておきますね。隊長や副隊長も覚えているだろうから伝えようかな」
トントン、と彼に肩を叩かれた。
「世話になったから君は兵官になりたい。それは地区兵官なのか。監獄兵官なのか。警兵なのか。誰のようになりたいのか。兵官になったその先はどうしたいのか。そういう目標が決まったら教えて下さい。まずは生活基盤を整える事が先で、次は人生の目標。目標が決まった時に、その道への進み方を一緒に考えましょう」
「俺が兵官になっても恩返しにはならない……。そうですよね。だからどうしたって話です」
「いや、真面目な努力家が仲間になるのは助かりますよ。多少マシになってきたけど今年の激務で、退職は死罪命令が終わったら退職者が続出しそうなんで。どういう仕事なのかなど、よく考えた方がよかです」
「はい。ありがとうございます」
「普通の方法で公務員になるのは難しいので、目指すと決めたら相談して下さい。困ったことがあれば何でも。頼られても無理なことは無理って言うので遠慮なくどうぞ」
「……」
こんな上げ膳据え膳で良いのだろうか。これ以上頼るのは違う気がする。
「返事は? 遠慮なく来ること。気遣いのはずが逆になり、処理が大変になるから迷ったら来なさい。来ない方が迷惑をかけると覚えておくこと。あれこれ経験も知人も不足しているんだから少しでも困ったら、悩んだら必ず来なさい」
「はい!」
迷惑をかけたくないので、何かあったらすぐに言おう。
この後、俺はネビー連れられて屯所内の別の建物に移動して、書類を書いて、また移動して、配管達が鍛錬をしている広いところで副隊長に紹介された。
身分証明書と紹介状を副隊長に見せるように促されたのでそうする。
「彼のことは自分が担当します。今、福祉班として担当している区民は一人しかいませんので」
「そうか」
「まだ兵官半見習いだった頃、今の季節よりも少し前、バカだから成績が落ちていて、ムシャクシャしていて投げやりでしたけど、小さい震える手が俺の手をずっと握っていました。何も食べないし喋らないけど、助けてっていう言葉は伝わってきました」
突然、何の話だろうか。
「俺の両手は刀を振って、人も獣も虫も斬りますけど、時に命を奪いますけど、あの手を忘れなければ大丈夫です。こいつ、昔はうんと手が小さかったのにもうこんなに大きくなって、地区兵官になれるならなりたいなんて言うたんですよ」
つまり、今の話は俺のこと。
「促したのか? この肩書きだから、公務員は隠れ蓑になる」
「ここで働き続けます。俺の手は弱くて震える辛い人の手をしっかり握って助ける手にします。うんと鍛えて下さいって言うた時の子か。二十年近くここにいればこういうこともある。良かったな」
「はい!」
「あれは十年くらい前だから……。稼げれば何でもええって言うていたのに、やっぱり絶対に地区兵官で一生辞めたくないのであれもこれもするって空回りし始めた頃か。泣きべそが空回り坊主になって最近ようやく一人前だな」
「ちょっと、笑わないで下さい。一人前になったのはもう少し前だと思うんですけど」
「ひよっこだ、ひよっこ。尻の殻が取れただけ」
「相変わらず厳しいです。隊長はいますか?」
「役所に呼び出されて補佐官と出掛けている。ネビー、この後の業務はなんだ?」
「後輩と見習い指導の継続で、彼の世話と見回り継続と例の担当区民関係です。十八時から教育総班が行う警備指導には戻ります」
「そうか。それなら隊長には俺から軽く伝えておく。担当区民が二人になったって。出張時などの補佐は誰にするつもりだ?」
「縁があるということで今日の二人にします」
「明日、アラタも増やせ」
「はい!」
俺も副隊長によろしくお願いしますと挨拶をしてまた移動。別の建物の中に入ると、うどん屋の店内みたいに机と席が沢山ある部屋で、兵官が何人もいて、そこにここに来るまで一緒だった兵官と見習い少年がいて、少年は何かの書類と格闘していた。




