特別番外「ルシーの小話」
かつて、アウルム家は皇居華族として多少の花を咲かしたけれど権力闘争に敗れて皇居を去ることになり、始めた銀行業が大当たりして現在は新規参入は難しい事業なので専売特許の勢い。アウルム一族は現在、煌国王都三大銀行財閥である。
私は第一分家の長女として生まれ、知力も美貌もあるという理由で当主会議で皇居入内が目標となり、私立女学校通いよりも格上とされる家庭教師三昧で育った。
結果として、ルシー・アウルムは一族の期待に応えて皇居入内試験を突破して無事に皇居暮らしとなったけれど、私が仕える事になったのは皇女の中では地位の低いソアレ様の局。当主会議で当主達は落胆したというけれど、目標を達成すると、より上の目標を提示されるだけなのは昔から嫌という程理解しているので私は自分の全てを家や一族に尽くす気はない。
最近は、有力な誰々と縁結び出来るようにうんたらかんたら、みたいな総当主からの手紙に「当主達の意向」という主張が記されているけど無視。
両親はこれ以上は高望みしないので、恋愛でも友情でも、堅実な相手を見極めて交際してどうか不幸にならないように、誰かを不当に陥れるような真似はしないように、困ったら帰ってきなさいと言ってくれている。
明日はソアレ様が夏越しのお茶会を開催するので私は同僚達とお手伝い係。表に出るのは上の方々なので私は事前に掃除をしたり、指示された通りに部屋を飾りつけたりして、当日は水屋で洗われた茶碗を片付ける係だ。
この茶会に参加出来るのは皇族、皇居で暮らす女性達の一部とその夫のみ。男性は伴侶と共にしか参加出来ないのだが、その男性達は同僚やその息子のお嫁さん探しをする場でもあるから表に出れたり参加出来るのがいわゆる得だけど、私は今のところそういうことには興味無い。
私はまずは友人作りと思っていて、今のところ同期とは表面上上手くいっている気がするのでここから親友が出来たら嬉しい。
朝から晩まで働いて今日もクタクタだけど、今朝手紙が来て読むのを楽しみにしていたので横にならずにそれを持って庭にいる。
私の身分は低いから、実家のように自分の部屋は無くて相部屋で、しかも新人なので就寝時間に明るくすることは出来ない。逆に寝たくても先輩達が起きている場合は暗くすることは不可能。これは実に不自由な生活である。
明後日になれば日常が戻ってくるので、昼間にのんびり手紙を読んで返事を書く時間はあるけど待てない。だから小さな光苔の灯りを持って庭へ出てきた。
新人は夜ならこのように美しい庭を堪能出来るので時折こうして庭へ出て、点々とある光苔の灯籠で照らされる景色を眺めたり、夜空を見上げて星空や月の輝きにうっとりしたりする。私は、毎日目に飛び込んでくる煌びやかな世界よりもこういう自然が好きだ。だからまたエドゥアール温泉街や農村地区へ行きたい。
庭にある長椅子に腰掛けて手紙を開き、灯りで照らしながら読み進めていく。今日の手紙は私の初友人であるリル・ルーベルからで、私は彼女からの手紙をとても心待ちにしている。なにせ、私からするとびっくり箱みたいな内容が書いてあるからだ。
相変わらず字はとても下手で読みにくいけれど、読み書きを始めてまだ一年とは思えない上達ぶりだし、この独特な丸くて下手な文字は癖になってきていて見ると和む。
「そこの方、このような時間に一人で楽しそうに笑うとは、さぞ楽しい本を読んでいるのですね」
聞き覚えのある声に私は驚愕して勢い良く立ち上がって頭を下げた。今の声は私の主、皇女ソアレ様のものである。違ったらそれまでだけど、正解だと勝手に話したり見てはいけないのでソアレ様だと思って行動しよう。
「面を上げて口を開きなさい」
「はい、かしこまりました」
暗くて本当に皇女ソアレ様なのか分からないけど、左右にいる側女が私の顔を大きめの灯で照らしたので眩しさに少し目を細める。
「ここにいるという事は私の側女の一人ですね? 名は?」
「ルシー・アウルムと申します」
「間違えていたら失礼だと思いましたけれど、やはり今年、新しく仕えてくれることになった者ですね。中々、話す機会がないのでこれは龍神王様のお導きかもしれません」
「そのようにありがとうございます」
新人六人は全員入内時に挨拶をして名前を告げたけど、覚えてくれているとは思わなかったので手が少し震える。
「して、何という本を読んでいました?」
「こちらは友人からの手紙でございます」
「気心知れている方からの手紙で和んで笑っていたということですか。そなたは確か外様華族でありましたね」
「はい」
蝶よ花よと育てられてルシーお嬢様、ルシーお嬢様とお姫様のような暮らしから一転、今の私はこの皇居だと身分は最下層の勢いである。
私の下にはもっと地位の低い下女のような側女もいて、彼女達も皇居の外では私立女学校へ通えるような上流層である。
ソアレ様が座るかも知れないので頭を下げたままゆっくり、ゆっくりと長椅子から離れる。
「そこへまた座りなさい。少々疲れたので私も隣に失礼します」
「はい」
なぜ皇女様と私が隣同士に座るなんてことが起こる!
皇居では何が起こるか分からないという。廊下で皇子と会うとか、目に止まって何かしらに誘われるとか、目上の誰かを怒らせるとか、そういう事もある世界だという情報は持っていたけれど日々の生活でそんなことはなさそうだと思っていた。
「私にいきなりこのように接しられても緊張しますよね。しかし、私は自分の側女達を姉妹だと思う事にしているのです。血の繋がる姉妹達は敵対心ばかりぶつけてくるので嫌いで」
先に長椅子に座ったソアレ様が他の姉妹にいびられているのは知っているので、どういう返事をして良いものか悩む。
「お姉様の腹心が局に入り込んでいるからこのように夜にならないと中々。時に夜も心休まりません。明日のお茶会でもどんな嫌がらせをされるのか今から気疲れします。まあ、何もかも蹴散らしてやりますけれど」
ほら、座りなさいと促されたので私は戸惑いながら腰を下ろした。
「蝶よ花よと育てられていたのに使用人のような生活。ルシーもそろそろ下界のお姫様に戻ったり格上の殿方と縁を結びたいですか?」
質問されたら答えないとならない。
「ゆ、友人が……。友人がしている生活に近いかもしれないので、そう思うと楽しいです。それに彼女は私の見聞きする世界が楽しいようなので……もっとそれを書きたいので今の生活を続けたいです」
声がうわずって震える。
「そなたの友人はどこかの屋敷の使用人なのですか? アウルム一族は銀行財閥でそなたはその中でも格式高い生まれでしたよね? そのような者の友人が使用人とは驚きです。男女なら紅葉草子ですね」
自分の情報をソアレ様が持っていることに驚きである。
「友人は使用人ではなくて庶民のお嫁さんです」
「庶民のお嫁さん……。華族が庶民に嫁ぐとは興味津々です」
「いえあの、彼女は旅行で知り合った方なので庶民から庶民の家へ嫁いだ方です」
「旅行で友人が出来るものなのですね。どちらへ旅行したのですか?」
「エドゥアール温泉街でございます」
「私はあの街がとても好きです。そなたも行ったことがあるのですね。どこを観光したのが一番面白かったですか?」
エドゥアール温泉街へ行くのは最低限の話題作りと教わっていたけれど、本当に役に立った!
「この手紙の友人と華やぎ屋という庶民の宿を観光したのが一番面白かったです」
「どのように面白かったのですか?」
「母と浴衣を選んだり、お風呂から川や街並み、聳え立つエドゥ山が見られたり、友人や女性兵官さん達から知らない話を教わったり、そのように面白かったです」
「それはまた初めて聞く感想です。そなたは左様でございますかとか、右にならえ側女とは違そうですね」
顔を見てはいけないけれど、思わず見てしまいそうになる。私は太腿の上で重ねている手の甲をジッと見据えた。
「華やぎ屋……。そのような宿があるのですね。お父様に頼んで年末年始の宿はそこにしようかしら。ルシー、その際はそなたが私を案内しなさい」
「はい。かしこまりました」
なんか、話が飛躍した!
「一人だけ贔屓するとそなたが面倒なことになりますので、年末まで残った新人全員にしましょう。今年も何人残るやら。私は毎年、新人に多少構いますので上の者達に贔屓とは言われないでしょう」
「ご配慮ありがとうございます」
とんでもない事が決まってしまった。ソアレ様は未成年なのに、側女が自分の寵愛を求めて争うわないように気にかけるなど、中身はかなり大人びているようだ。
「庶民の友人からの手紙には一人で笑う程の何かが記されていたようですが、それは私に教えられる話ですか?」
「はい。読んでいたのはまだ冒頭です」
私はリルからの手紙の最初の方を要約してソアレ様に伝えた。先日実家へ帰ったら居眠りしてしまって、更には雷雨で帰りが遅くなって嫁ぎ先に家出したと間違えられたそうだ。書き置きした内容が実家へ帰りますだけだったので怒って家出したと誤解されて、旦那様が心配してくれたり、義理のお母上に叱られたので次の書き置きは気をつけたいと記されていた。
そこに悪さをする猫という謎の絵と、怒った義母と普段の優しい義母の似顔絵も添えてあったので私はつい笑ってしまったのだ。
「実に独特な絵ですね。その続きも読んで愉快そうなら教えて下さる?」
「はい。かしこまりました」
手紙の続きを読み進めてどの話ならしても良さそうか確認。今の一番の悩みは義両親の大事な庭に悪さをする猫をどう遠ざけるかで苦戦していること。
しかし梅干しを天日干ししている時に庭でゴロゴロしている姿はかわゆい——愛くるしいの南地区庶民言葉——から敵対心が薄れているけどやはり庭荒らしは許せないという。
これは話しても良さそうだけど、ソアレ様が楽しいのかは分からない。ただ、沈黙が続くのは良くない気がするのでとりあえず話してみることにする。
「梅干しを天日干しとはなんですか?」
「夏前に漬けた梅干しを干したのだと思います。前回、梅干しの作り方を教わりました。その前の手紙にそろそろ梅干しを作ると書いてあったのでどのように作るのか気になりましたから質問しました」
「茶会が終わった明後日にその話を教えてちょうだい。庶民のお嫁さんは梅干しを買うのではなくて作るなんて知りませんでした」
「私もそう思って母への手紙に書いたら我が家の梅干しも使用人が作ってくれていました。買うこともあるけれど梅干しや梅酒は昔からの使用人が作った味が良いそうです」
続きには話せる事はありますか? と問われたので読み進めさせていただきますと返事をして手紙に目を通す。
これは食べてはいけないキノコな気がするけど八百屋で買ったから大丈夫で自分の目が間違えだろうと思ったら、間違っていたのは八百屋の方で、義母と二人でお腹を壊して大変だった。自分の目をもっと信じるし、怪しんだ時は実家のご近所さんにいるキノコ名人に確認して二度と毒キノコは食べたくない。
なのでいつも食べるキノコではなくて、少し変わったキノコを食べたいと思った時は気をつけて下さい。皇居で側女生活だと八百屋へ行ったりキノコ狩りには行かなそうなので安心な気はしますが一応と書いてある。
注意してくれるとは優しいな、とかこうして手紙を書けるのなら大丈夫なのだろうと思いながら、これもソアレ様に話せる内容なので伝える。
「それは八百屋で毒キノコが売っていたということではないですか」
「たまにあることのようです」
「たまにあるって、あってはなりません。私達の民が毒キノコにいびられたり、万が一亡くなるなんて許せません。お父様に教えてどうにかならないのか訴えます」
大事になりそうなので彼女が役人に報告した事を伝えたけど「氷山の一角な気がします」とソアレ様は渋い声である。
「手紙はそれで終わりですか?」
「いえ」
「気になることばかりですので続きも知りたいです」
「かしこまりました」
次の話題は親しくない幼馴染——って何なのだろう——の火消しの恋話だった。夫の友人が描いたというその火消しの絵が一緒に入っている。
火消しは下街では人気者なので皇居でもそうなら使えるかもしれないから描いてもらったそうだ。代わりに皇居の景色や官吏か側女の絵を貰えたら皆で回し見したいと書いてある。
「ソアレ様、こちらは彼女の夫の友人が描いた火消しの絵で彼のこひ物語が少し書いてありました」
差し出した結果、欲しいと言われたのでこうなると献上するしかなくなる。同期と回し見出来なくなって残念である。
「先輩側女に取り上げられると返ってきませんから私がいただいて、一通り見せ終わったら返します。お姉様に奪われたらすみません」
そういうこと、とますますソアレ様に感心。
「すみませんなんてとんでもないです。そのようにお気遣いありがとうございます」
「こちらの火消しはどのようなこひをしたのですか?」
「火事現場で助けた女性がご友人を助けるような勇敢で優しい方だったので恋穴に落ちたそうですが、日頃の行いが悪くて門前払いで百夜通いしたそうです」
「日頃の行いが悪いとはなんですか? 命の恩人にこひするという話なら分かりますが逆で、人々の命を救うという火消しの日頃の行いが悪いとはどういうことですか?」
「女性関係が派手だったそうです。それをやめて百夜通いをして一生、絶対に浮気しないからと土下座し続けたら婚約出来たらしいと書いてあります」
兄の親友なのでそう聞いた。自分の周りの気になる恋話はこうだったので、皇居で聞いた気になる恋話を教えて下さいと書いてある。
「百夜通いが成功した例を初めて知りました。物語でも現実でも挫折した話しか知りません。百夜通って毎晩土下座とは、それは折れる気もします」
「火消しなので誰にでも親切で、特に子どもにとても優しいので、お相手の方はそこにうっかりしたと言っていたそうです」
「やはり優しい殿方が良いですよね。まだまだ元服したくないです。ソアレ、そなたはあの男と結婚しなさいなんて嫌。少しは選びたいです」
ソアレ様は側女の名前を呼んで「今、ザッと聞いた火消しの恋話をイズミに小説にしてもらいたいので頼んで下さい」と伝えた。ソアレ様に続きを、と促されたのでまた手紙を読み進めて内容確認。
人生で初めて大寄せに参加して、嫁仲間候補——とは何なのだろう——の女性が色々解説してくれたのもあり楽しかった。お茶席の道具はこういう取り揃えだったと記されている。
旦那様が火消しと知り合いだということが幼馴染や友人達に広まって、あちこちから誘われて飲み会三昧なので朝寝坊して遅刻しないようにするのが大変。
花火大会の日はいつも実家の長屋の屋根の上から花火を眺めていたけれど、兄が仕事で海辺街の花火大会警護に呼ばれたから見に行きがてら、今年は初めて花火大会のお祭り現場に行って面白くて楽しかったけど連れて行った妹達がうるさくてかわゆいけど疲れた。
家でゴロゴロしていたしょうもない兄が、仕事中はキリッとしていて、おまけに乱闘をバシッと鎮めたので、姉妹達で拍手したし自慢したくなったからここに書きます。
そろそろ夏が終わって秋になるので山へ行って川釣りで鮭を釣って、いくらを沢山漬けたい。季節の変わり目なので風邪を引かないようご自愛下さいと締めくくってある。
最後まで特に隠したい話や秘密の話はなかったので私はそれを告げて、思い切ってソアレ様に彼女の手紙を見せることにした。これまで話したところまでは飛ばして、これからの部分を差し出す。
「それはありがとうございます。まあ、読みづらい文字ですね」
「彼女は読み書きを覚えて一年程でございます」
「庶民のお嫁さんということは私よりも年上なのに読み書きを覚えたのは一年前なのですか?」
「そのようです」
「随分と身分格差のある友情のようですね。旅行でどのように知り合ったのですか?」
「昨年、年末年始に買いそびれた編み物の手袋をつけていたので気になって声を掛けたら親切な事に見せてくれました」
「さすがエドゥ山。ご利益があるのですね。ここには楽しい話ばかり書いてあります」
エドゥ山にはご利益がある、というのは私も少し信じ始めている。なにせこの皇居暮らしで使用人みたいな扱いで辛いなと思ってもリルは似たような生活でとても楽しそうだから、私も彼女の仲間だと思うとやる気や元気が湧いてくる。
「はい。とても元気づけられています」
「またこの友人から手紙が来て、私に話しても良い内容があれば教えて下さい。今夜のお礼は……」
「よお、ソアレ。寝ない子は育たないぞ」
足音と男性の声で固まる。夜に皇女ソアレ様のお屋敷に出入りしてソアレと呼び捨てに出来る男性は限られている。とりあえず扇子を出して顔を隠して俯いた。
「ドルガおじ様。お帰りなさいませ!」
私に手紙を返してソアレ様が立ち上がって男性に向かって走り出した。ドルガという名前でソアレ様を呼び捨てに出来ること、おじ様という発言からすると現皇帝陛下の弟の一人、煌国東側の守護を命じられているドルガ皇子としか思えない。猛虎将軍ドルガといえば皇族将軍の一人で不敗神話を築いている英傑である。
「ちょっと帰っただけだ。お前が今持っている菓子で一番美味いものが欲しい」
そうッと盗み見したら、噂通りの美青年で目の保養。現皇帝陛下はそれなりの年だけどドルガはまだ二十代と若くておまけに未婚だから誰が正妻になるか、というのは常に噂になっている。皇妃には憧れていないけど、彼に万が一見染められたら当主達は喜びそう。
「それでしたらお茶を淹れさせます。お疲れなのですね」
「違う違う。贈与品として欲しいんだ」
「部下の方々にですか?」
「いや。俺の未来の嫁にだ」
「おじ様、結婚されるのですか?」
「二日後にする」
「そのような話は聞いていません。私は結婚式に呼ばれないのですね」
「まさか。お前を招かないで誰を招くっていうんだ。聞いていませんって父上も兄上も知らないんだから知らなくて当然だ」
「えっ? どういう事ですか?」
「この間見つけてまだ再会していない。セト達が探していて俺がコウカに帰る頃には見つかっているはずだから再会したら即祝言だ。そういう訳で未来の姉にお前のお菓子を分けてくれ。屋敷中、普段よりも甘い匂いがする」
「あの、おじ様。意味が分かりません」
「何が?」
「お祖父様もお父様も知らない方と祝言とは許されませんよ」
「許さなかったら父上も兄上も俺にぶっ潰されて滅ぶだけだろう。この国に俺に逆らう奴はいるか? いたな。祖父君に腹心の部下達にお前だソアレ!」
ドルガ皇子様に抱っこされたソアレ様が遠ざかっていく。
「そこの側女はなぜ来ない」
「は、はい!」
私は下っ端側女なのでついて行く必要はないはず。それを誰かが口にするかと思ったけど、その前にドルガ皇子様が私に声を掛けた。
「珍しくそんなに嫌な匂いがしないから酌をしろ。子どものソアレや年増女の酌じゃつまらない」
「かしこまりました」
「おじ様、年増女って私の母親代わりのような側女達に無礼ですよ!」
「好ましく思っているけど年増女は年増女だ。言っておくけど琴や舞は二人の担当だ。それは若い未熟な女だとつまらん」
「彼女は今年から仕えてくれている新人なので一人だけ、となると諍いになることもあるかもしれません。他の新人側女も呼んで良いですか?」
「この皇居もここで暮らす女達もそういうところが嫌いなんだ。相変わらず面倒くさい。大勢は嫌だから数人にしろ。ソアレの局だからお前の好きにと言いたいが大勢は嫌だ。新人は何人だ?」
「彼女を含めて六人でございます」
「多くて嫌だ。半分にしろ。今日はこの屋敷で寝るから夜三人、朝三人。それで良いな?」
「はい。ありがとうございます。ルシー、今年の新人を二人、私の部屋へ集めなさい。夜と朝、どちらが良いか六人で決めるのですよ。その際に琴を二つと舞用の扇子を用意するように」
「はい、かしこまりました」
「夜に来たからって手は付けないからな。襲われたいなら他の兄弟達に胸をときめかせてくれ。それも伝えろ」
「かしこまりました」
こうして私は、他の新人二人と共にソアレ様とドルガ様の簡単な宴会に参加。私がしたのはドルガ様にお酒のお酌をしながらトランプ。
トランプはソアレ様のものだけど、前にリルからトランプの遊び方を教わっていたのでその一つであるポーカーをご存知ですか? とふと口にしたら誰も知らなかったのでそれで大盛り上がり。
「ふふっ。ドルガおじ様は弱過ぎます」
「なんで俺は役なしか最低役しか出ないんだ!」
「ご自身で混ぜているのになぜでしょうね」
「昔から運任せの遊戯は壊滅的なんだ。俺にはあらゆる運がない。あるのは実力だけだ」
「おじ様、恋愛運はどうですか? おじ様がお手を付けたという話は知りませんし、二十代も半ばを過ぎて未だに妃を持たないので男色家だと噂されていますよ」
「男なんて抱くか! そこらの女は怪力の俺が夢中になったら死ぬだろう。ソアレ、ついに見つけたんだ。俺の雷切を拳で破壊する猛勇乙女を」
「宝刀を壊されたって敵の兵士だったのですか?」
「いや、いきなり空から降ってきた。バーグと散歩していたと言っていたから兵士ではない」
「バーグとは獰猛な肉食獣ではないですか!」
「俺もバーグを飼おうかな。猛虎将軍と呼ばれているけど乗っているのは黒鹿だ」
「それはおじ様が本来隠すべき魔除け漢字を堂々と使われているからです」
「猛獣の虎よりも勇ましく強くて格好良いから猛虎と書いてドルガと読ませる。龍神王様の爪の名称。実に素晴らしい名前なのに秘匿するなんてつまらん。皇族っていう時点で加護を与えられているんだから魔除けなんて要らん」
今夜の事をリルへの手紙に書いたら喜んでくれるかもしれない。彼女は庶民だから雲の上の人達について興味津々と言っている。
翌日はお茶会、その翌日はお茶会の片付けで疲れてしまって、その後からリルへの手紙を書き始めて、少しすると話題が増えるだろうと少し待っていたら副吏が私に枝文を持ってきた。これまでは先輩達が誰かに口説かれ始めるのだなとか、恋人と交流しているのだなと眺めていたけどまさか私。
「ありがとうございます。金平糖は好んでいますか?」
皇女様のお屋敷に出入り出来る男性は、まだ男性と定義されない半元服未満の男児だけで、副吏と呼ばれる皇居官吏の息子達は伝書鳩だ。そういう話はリルにしたかな? と思ったので手紙に増やそうと決意。
副吏と側女の娘が親しくなってやがて、という話は良くも悪くもある。
「はい。ありがとうございます」
「少々お待ち下さい」
副吏に金平糖を贈って、同僚達に誰から、誰からと促されたので葉をかなり減らしてある桃色の金魚草に結ばれた文を緊張しながら開いた。ふわっと鼻腔をくすぐった香りは白檀。文には秋の景色に池の絵が描かれていて龍歌が添えてあった。
「き」
「きゃあ!」
「ルシーさん。ルシーさん! イゼの君ですよ!」
「イゼの君ってルイゼ様の事ですよね」
正室がいて優美な恋をしまくりな色男官吏なんて私はゴメンだし当主達も正妃になれないような恋はするなと怒りそう。私は庶民なので身分が低くて構わないので正室狙いですと、他の方に文通流し。誰と決めると面倒そうなのでトランプで決めて下さいと言っておいた。
金魚月池に掛けたのは明らかで、貴女は絶世の美女で魅力的という噂なので熱烈に慕っていますなんて誰にでも使えそうな事だから緊張も冷めたし龍歌も月が綺麗、みたいな最近の流行りをとりあえず入れておけという感じで特に。
文通流しされても構わないと思ってそうで、私の事なんてまるで知らなそう。
そこへもう一人の副吏が来て、何も生えていない小さな鉢植えと、それとは別に書簡を持ってきてくれた。実家からだろうと受け取って金平糖を贈ろうと思ったら、お菓子は要らないので紙が欲しいと頼まれたので一緒に私の部屋へ移動。
屏風などで仕切られている狭い空間だけど皇女様のお屋敷に私だけの空間があるって何度見ても感激してしまう。皇居の女官吏というのは、リルのような庶民的な生活を体験しつつこの国のほぼ最上層にいるという不思議な存在だ。
「そなたは勉強家なのですね」
「はい」
「それではこちらはご存知ですか?」
子どもが元々好きなのもあるし、弟と年が近いからどういう反応を示すのか気になってリルがお祭りの屋台で見たり旅医者の友人から聞いた異国の動物を描いた絵を彼に見せてみた。
これは下手だけどある意味上手いリルが描いたのではなくて、それを元に私が描き直してみたものである。リルの絵は独創的である意味愛くるしい絵で飾りたい、と先輩に取られそうになったから隠してある。
「このけもじな生き物は姉君が描かれたのですか?」と驚き顔をしたので楽しい。歳の離れた弟も、私が送った手紙を見てこのような反応をしたかもしれない。
「ええ。友人の絵を真似したものです。こちらは羊、こちらは異国の牛、それから豚だそうです」
「異国の牛はてんてん模様なのですか?」
「そのようです」
羊の毛を刈って糸にしたものが毛糸で、今、私はその毛糸で編み物をしているのでそれも見せた。牛の乳は牛乳またはミルクと呼ばれて最近庶民の間でも使われるようになっている。そういう話もしたら「庶民の方が異国のことを知っていそうです」と彼は目を輝かせた。
「姉君は博識なのですね」
「いえ、たまたまです。友人の友人が旅医者なのです。それでこのような面白い話を教えてくれます。彼女はこの皇居の生活全てが面白いようなので私はお礼にそれを書いています。だからまた遊びに来て、楽しい話があったら教えて下さいね」
「はい! 来週、同じ日にまた来ますので出来れば兄上にお返事をいただけたら幸いです。失礼します」
姉君が私を含めた女官吏全員なように兄君だと若い官吏全員のことだけど、兄上だと血縁上の兄になる。
兄上? と首を傾げながら黒塗りの書簡を開いたら「延齢草の君へ」という宛名。手紙と一緒に季節外れの延齢草が入っていたのでそれを思わず手に取る。白い花びらが三つで葉も三つだけ残してあるから縁起数字揃えだろう。
「延齢草ってこんなに愛くるしかったかしら……」
手紙に目を通したらここ最近、世では花言葉というものが流行っているというので知的という意味のある花を探して、その中からどうか貴女様の命が健やかに長くありますようにという願いと祈りを込めた花を選びましたと綴ってあった。
龍歌は苦手なので代わりに知的好奇心が旺盛そうな貴女様が気にいるかもしれない、最近手に入れた異国文学の訳書を贈りますと本が入っている。
先入観なく手紙のやり取りをしていただきたいので名無しで失礼しますという言葉が引っかかる。正室がいて恋人もいるのにさらに増やそうということなのだろうか。
鉢植えは「根付きますように」という意味で他には誰も居ないと書いてあるけど嘘だろう。何が咲くかはお楽しみ、というからまんまと気になってしまったので育てることにする。
私は男性が私だけに贈ったというものはこれが初めてで、ここでは失恋も主や先輩達のつまみというから乗ってみよう。体を許す、許さないというところまで来たら改めて悩めば良い。
どの道、彼は私に会いたいとなったら、この屋敷の誰かを通して姿を表さないとならない。文学で定番の夜這いをするには根回しが必要で、女性側が興味が無かったり、評判が悪い相手だと堰き止められるという知識は皇居に来てから学んだ。
☆★
情報通の少し変わった性格の娘がソアレの屋敷にいて愉快だった、というドルガ様の話がきっかけで茶会の裏方で働く私を見た。それがきっかけだと彼の弟、私達の橋渡しをする副吏から教わった。どうやら彼はドルガ皇子ととそこそこ親しい間柄らしい。
こうして始まった名乗らない殿方との文通は長く続いて、やがて誰か分かって気後れしたものの、熱烈にお申し込みされて、身分格差が気になると渋ったけれど、押し切られる形で正室になるのは数年後。
さらにはソアレ様の格が上がって私は天下の春霞の局で第三秘書官にまで昇り詰めることになる。
『そちらの方、愛くるしいものをお手に身につけていらっしゃいますが、そちらはもしや編み物でしょうか?』
年末のお祭りで買えなかった噂の編み物を持っているとは羨ましいと声をかけただけなのに、実に不思議だ。




