22話
水曜日までに、土曜日にどこへお出掛けするか決めること。これは難題だ。
(お昼は家で、仕事終わりで疲れているだろうから休んでもらって。……散歩だ。公園で散歩! また手を繋いで貰えるかもしれない)
水曜日の夜、寝る前に「公園へ散歩に行きたいです」と伝えたらロイは「分かりました」と言ってくれた。それで「お弁当を作ってくれます?」と頼まれた。
待ち合わせは12時半少し過ぎ。場所はこの間の立ち乗り馬車停留所の長椅子。待つので遅くなっても良いと言われた。
立ち乗り馬車でお出掛けとなると、前に散歩した公園ではない。大きな頼み事に変化してしまったようだ。
「雨だったら帰ってきます。待ち合わせは無しです」
「はい」
「それでお弁当も無しです」
「はい」
「翌週に持ち越しましょう」
「はい」
「別の遊び方を習っておくのでトランプでもしましょうか」
「はい」
「将棋でもええですね。対局以外の遊びもあります。規則を覚えて父上に続きを教えて下さいと言うとええです」
「はい」
「日曜日は道場仲間と出掛けます」
「はい」
「今夜のリルさんは、はいしか言わんですね」
「はい」
なぜって、いっぱいいっぱいだからだ。膝を立てて座って、後ろから抱きしめられているから。
しかも合間に首や耳にキスするし、あちこち触ったり、やりたい放題だから。
「旦那様」
返事はなくて、やりたい放題に拍車がかかった。
☆★
土曜日は残念なことに朝から雨だった。出勤前のロイに「今日はお出掛け中止ですね」と言われた。
それで普段通り過ごした。義母は昼食後にフォスター家へ行った。夕食もご馳走になるらしい。
義父も昼食後にグェン家へ行き、その後ご近所さん達と飲み屋で飲み会。
つまり、ロイと初めてルーベル家に2人きり。今日のお出掛けのために、家の仕事はかなり前倒ししたし、雨で家の外や庭掃除は出来ないし、夕食の準備も軽くしてあるのでわりと時間がある。
今日はロイと2人だけで夕食なので、西風料理の鮭のムニエルとサラダの予定。予算内になりそうだったし、バターという高い調味料を切り売りで買えたから。
川に鮭釣りは義父と約束中で、炊き込みご飯に可能ならいくらの醤油漬けを乗せて欲しいと言われているので、今夜の鮭は魚屋で買った。
本通りに作るのでどんな味なのかワクワクしている。
代わりにお昼はロイの許可を取って質素にお茶漬け。
「母上は20時頃迎えに行きます。父上は夜中前に帰ってくるでしょう」
「はい」
それは義母や義父からも聞いている話。
昼食後、片付けや歯磨きも終わって居間で将棋を教わるはずが、水曜日の夜と似たような体勢。
ただ、あちこち好き勝手はされてない。後ろから抱きしめられているだけ。
目の前には脚付きの将棋盤と駒。ロイは駒をどんどん並べていく。
嬉しいけど、居間でこの体勢は心臓に悪い。いくら義母と義父が帰ってこないと分かっていても。
「これが対局用の並べ方です。読めない漢字はあります?」
「はい。ほとんど読めません」
「そう思って子ども用の本を借りておきました。後で渡しますね」
「ありがとうございます」
「覚えんでもええです。父上は王だけでも勝てると聞きました。動かし方を覚えられたか確認と、対局をしてみたいですと言うとええです」
耳元で囁くように話しかけられるから、ドキドキが止まらない。ロイは落ち着いている。いつもそう。
「お義父さんと仲良くなれるようにです? トランプで友達が出来るように考えて下さったように」
「そうです。海釣りで機嫌が良かったので、将棋もきっと喜びます。リルさんのためだけど、親孝行です」
ロイは本当に気配り屋で優しいと思う。きっと両親自慢の息子だろう。跡取り息子としての役目も果たして立派に上級公務員になって働いている。
「この沢山ある駒は歩です。歩兵。下っ端兵士は前に歩くしか許されんです」
「はい」
「こう、一つ前にだけ進めます」
「はい」
「相手と交互に動かします」
「はい」
ロイが向こう側の駒を動かし、私は手前の駒を同じように動かす。
この体勢、全然頭に入らなそう。
「こうやって重ねたら駒を奪えます。捕虜、人質です。説得して味方として働いてもらいます」
「また使えるんですね」
「そうです。同じ縦列に歩兵は1つしか置けません。なのでここは以外は駄目。弱い下っ端兵士が同じところに集まっても邪魔ですからね」
「難しくなりました」
「もっと難しい話があります」
ロイは交互ではなく駒を進めて、向こうから3列目に歩兵を置いた。
「相手の陣地に乗り込んだので出世です。最初に駒を並べたところ3列が自分と相手の陣地です」
駒がひっくり返る。歩兵の裏は赤い文字。
「これは読めます。と、です」
「そうです。止めるのと。少ないが無くなって出世です」
私は手前にある自分の歩兵をひっくり返して戻した。歩くから少ないがなくなって止まるになる。それで、と。覚えやすい。
「リルさん。出世するとお金を貰えます」
「はい」
「なのでこの歩兵はとになると金と同じ動きが出来ます」
そう言うとロイは「金将」という駒を中央に持ってきた。金は読める。金貨の金だ。
「金貨の金です。将は偉い兵士のことです。偉いので斜め後ろ以外は1つ進めます」
「裏は……何もないです」
「これ以上出世出来んのです。これより偉いのは王様で、王様は皇帝様と同じ偉い方。皇帝様には出世ではなれませんね」
ロイは金将を元の場所に戻して王将を持ってきた。
「王様。トランプのキング。皇帝様は偉いのでどこにでも1つ進めます」
「それならこの駒、銀貨の銀に将だから歩兵より偉くて金将より偉くない駒です?」
私は銀将という駒に人差し指を置いた。
「そうです、そうです。1つ進めるけど、真横と後ろには行けません」
銀将をひっくり返すと金だった。
「出世出来ますね」
「そうですね。ただ、偉くなると仕事が増えて大変になるように、動きが変わるので出世しない方が良い時もあります。それが将棋の難しいところです」
「私は動きを覚えるので大変です。でも旦那様の説明は面白いです」
しばらく返事がなくて、耳を好き勝手された。
「リルさんはすぐ頼み事を忘れますね」
黙っていたら何度かキスされた。こうやって名前呼びを遅らせると時々キスされるので少し待つようにしている。
ロイはしれっと説明の続きをした。いつもこう。ロイは私にドキドキとか緊張とか、そういうのはないみたい。
「香車です。お香の木だけで出来た貴重な荷車です。ひたすらまっすぐ、好きなだけ進めます。でも帰れません」
「荷馬車は出世出来ませんね」
ひっくり返したら文字が書いてあった。崩れた文字で読めない。
「お香は売れて金貨になります。これは金という字です。こいつも桂というお香で、馬が運びます。桂馬です」
ひっくり返したらやはり文字が書いてあった。またしても崩れた文字で読めない。
「これも金です? 漢字の崩し方って色々あるんですね。覚えられそうもありません」
「草書は人で崩し方が変わるし、その人の癖もあるので自分もこれだけをぽんって書かれたら読めません」
「そうなんです?」
「この駒は祖父が友人に作ってもらったそうです」
「代々伝わる、ですね。馬はどう進むんです? 立ち乗り馬車みたいに真っ直ぐだから香車と同じです?」
ロイは桂馬の駒を2つ進めて右と左にゆっくりと置いた。
「馬は暴れん坊。それに急に休みます。それから跳べるので、こいつだけは他の駒を飛び越せます」
桂馬の置く場所を変えると、ロイは歩兵を飛び越えて角行という駒の上に置いた。
「こいつは角行と言います。角に行きたい放題です。斜めにどこまでも。牛の角なんて説もあります。ただ、馬ではないので跳びこしは出来ません。牛は跳べません」
「裏は何です?」
龍馬。馬は覚えた。この難しい字は何?
「牛からなぜか龍の馬です。龍さえどんな生き物なのか分からないのに馬とは何ですかね? 始皇帝様は龍王神様に神託を受けたというので、王様の動きを出来ます。それで角の動きもそのまま。馬になっても跳び越せないのは単なる馬じゃなくて龍馬だから? 龍は空を飛ぶと言いますけどね」
龍馬はとても強そう。
「最後はこの駒ですね」
「飛車です。飛ぶ荷車。飛べるので前後左右に行き放題です」
「馬ではないので跳びこしは出来ません?」
「そうです」
「ひっくり返すと……龍王。龍王神様。王様の動きが増えます?」
「そうですそうです。将棋は戦争なので交互に駒を動かして、相手の王様を捕まえたら勝ち。2ヵ国を我が物に出来ます。他の国の王様を家来にして、その家来も荷車も伝説の生き物も手に入れられて鼻高々です」
戦争はたまに噂を聞く。煌国は大国。周囲の小さい国をじわじわ取り込んで大きくなってきたという。父の子どもの頃は、今は交易をしている西の大国と睨み合いをしていたという。
争うなんて嫌だな。西風料理に花言葉にトランプなど、仲良くしていたらそうやって幸せは増える。
「将棋は優しいですね。誰も死にません」
「だから昔々から残っているのかもしれないですね」
多分ロイの優しい嘘だろう。ロイが将棋をそう説明してくれただけ。義父、もしかしたら彼の祖父がこう説明したのかもしれない。
こういうところがす……好き。うん。好きだなあ。この好きはきっと恋の好きだ。違いは胸がキュッとなること。
ロイや義父母の望み通り跡取り息子を産めたら、こういう優しい説明が出来るように育てたい。ロイの教え方、背中を見て育てば大丈夫だろうけど、母親で台無しにしませんように。
意識したら急に暑くなってきた。密着しているからなんだけどさらに。
雨で空気が冷えているから、ロイは私を炭や湯たんぽ代わりにしているのかもしれない。
だから私は頼まれるまで「火鉢で暖をとりますか?」と聞かないつもり。




