日常編「リル、お茶会へ行く3」
お茶会会場はこちら、という地図が貼ってある立札があったのでその通りに進むと受付があって、全員の身分証明書と誰の紹介なのか確認されて筆記帳に記名。用意してきたけど、私達はお支払い無しと言われた。
会場までの案内と、ハチもまだ連れて行って良いことを説明されて、席入りの際に渡して下さいと数字の一と二が書かれている笹の葉を二種類渡された。
受付のところでアルトとクララと待ち合わせなので端に寄って待機。ここは六防の隣の敷地なので働いている火消しを見られる訳ではないみたい。ミユとイオともここで待ち合わせの予定だ。先に現れたのはクララとアルト夫婦で挨拶をしてロイがウィルとリアの紹介をしていたらミユとイオも登場。
「もうっ、離れて下さい。うっとおしいし暑苦しいです」
「怒らないでミユちゃん。でもまあ、怒った顔もかわゆいからええか」
イオは日傘を傾けてあげていてニコニコ笑っているけど、ミユは機嫌の悪そうな表情だ。先日の結納会でも二人はこのようにあまり親しくなさそうで、イオが土下座してなんでもするからとにかく結納して欲しいと頼んでミユが折れたという噂を耳にした。
イオは前に見た、落ち着いた色無地の着物姿ではなくて、長屋に来てネビー達と飲んでいた時みたいな派手めな格好。今日は黒地に赤で流水模様、一部矢絣柄、鯉が描かれているかなり目立つ着物で、帯は藍色に青い唐草模様である。
「おー、リルちゃん、ロイさん、こんにちは。早めに来たつもりだったけどお待たせしたようですね。あれっ、親父贔屓の夫婦さんって二組いたんですか?」
「お待たせしたようですみません。初めまして、ミユと申します」
全員、挨拶をしてロイがクララとアルトが例の夫婦でウィルとリアは婚約中だからお出掛けに誘ったと説明。
「へぇ、つまり俺らは婚約仲間ですね。夜勤の親父を誘ったんですけど、酒を振る舞う茶会じゃないなら行かない、寝てるって言うて。他にも機会があるだろうし、年明けの俺とミユの結婚式に来てくれれば会えるだろうから我慢して下さい。浮絵に記名は貰ってきました」
イオは懐から丸めてある紙を三本出した。
「要らないだろうって言うたのに、一枚は調子に乗って手形です。自分の子の成長記録ならともかく、熊ジジイの手形なんて嬉しくないと思うんで、古紙屋に売っ払って下さい。あはは」と彼は爽やか笑顔。
アルトが少し震える手で紙を三本受け取って首を大きくゆっくり横に振った。
「い、いえ。ありがとうございます。握手。握手して下さい! この間の試合を見ました」
「えっ? 俺も贔屓にしてくれているんですか? 男で珍しいな。ハ組のイオとは俺のことだ!」
片足を上げて拳を振り上げるとイオはアルトと握手をして大笑い。昔から遠目で見ているネビーの友人達はわりとこんななので私は驚かないけど、私以外は軽く拍手を始めた。
「おお。拍手。ミユ、俺は大人気かも」
「良かったですね」
「なんでそんなに冷めた目をするの。暑いから俺に涼ってこと? ミユは優しいからな。この間の試合を見たなら聞きました? こちらが俺の唯一星のミユさんです。一番って言うたら二番がいるのかって怒るかわゆい女です」
わあっ、とアルトはなぜかまた拍手したしクララもニコニコ笑いながら同じように手を鳴らし始めた。
「コホン、そのクララさん。ゆ、ゆ、ゆい。そんなこと、軽々と良く言えますね……」
アルトは照れ顔で、クララも夫が何を告げようとしたか理解したからか頬を染めてはにかみ笑い。
「恥ずかしいけど火消しって明日燃えたり川で溺れて死ぬかもしれないんで言いたいことは言っておかないと、心残りの気持ちが強すぎて黄泉へ行かずに妖になってしまいます。ミユ、笹の葉を貰ったけど茶会ってどこに行ってどうするんだ?」
「先程、説明されたではないですか」
「ミユの字が綺麗だなーとか、今日の髪型はかわゆいなぁって考えていて、全然聞いてなかった」
「皆さん、本当にすみません」
行きましょうとミユに促されたのでついていく。
「ミユ〜。毛虫」
「えっ。嫌っ。取って下さい」
「イオ毛虫でした〜」
ミユの肩を叩いたイオは顔を動かした彼女の頬に人差し指をくっつけてうにうに動かした。
「さ、さわ、触らないで下さい!」
「やだ」
「離れて下さい」
「やだ」
「話しかけないで下さい」
「やだ」
「婚約破棄しますよ。大人しくして下さい。落ち着きのない方は嫌いだって言うているではないですか」
「やだ。俺のこと嫌い?」
「このようなところは嫌いです」
「ところはってことはそこだけ嫌いで、他の部分は好き?」
「ですからこのようなところは嫌いです」
ミユはとんでもなく辛辣な発言をしてからプイッと顔を背けて、イオと離れて私の隣へ来た。彼女は怒り顔である。
へしょげ顔になったイオは「ロイさん、俺のことを嫌いって言いながら、婚約破棄なんて言いながら逆なんですよ。いやあ、ええですね。早く結婚したいです。火消しの祝言は小祭りだから友人知人を集めて来て下さい」ともう笑顔に変化している。
「もうっ、あの方。つけ上がっています」
「イオさんのこと、嫌いですか?」
「ええ。あのような恥知らずなところやうるさいところや落ち着きがないところともっと強く言わないと反省しないところは嫌いです」
ミユは一見ほんわかした雰囲気だけど、お見舞いの時もそうだったようにハッキリしている。
「もう婚約破棄ですか?」
「すぐではありませんが、年明けまでもつ気がしないです」
「でも婚約されたのですね」とリアが話しかけた。クララとアルトはイオに話かけてラオ話を尋ねている。
「まあ、その、はい。良いところもあって、うっかり……」
「うっかりされたのですね。火消しさんのこひ話はとても気になります」
「一目惚れされてつきまとわれて、嫌いだったのですが……あのように」
あのように、とイオを掌で示したミユは頬を染めた。あのようにとは何かと思ったら親らしき二人と一緒にいる男の子とニコニコ話して握手しているイオの姿。片腕にいつの間にか幼子を抱っこしている。ミユは先程と異なりらぶゆ顔なので、こういうイオのことは好きみたい。
「こんなに小さいのにお行儀の勉強ですか。賢そうな顔だから補佐官になれ〜。俺らを助けてくれ〜。何ですかその書類って怒るのはやめろ〜。ん? なんだその顔。眺めが良さそうで羨ましいか?」
イオはロカくらいの年齢の男の子も軽々と片腕で抱き上げた。
「うわあ。高い。力持ちです」
「おうよ! 火消しは力持ちばっかりだ」
「この間のお祭りで竹を持ちました?」
「歌って踊って練り歩いたぞ。皆の健康祈願で。さあ、さあ、来い来い福よ来い! ってな」
イオは男の子を抱っこしながら軽く踊った。親しいからかこういうところはネビーと似ている。昔も何回も思ったけど、トランプをした時にルル達と遊んでくれた時も感じたけど、引っ込み思案の私はイオのこういうところは尊敬する。
「わんわん、わんー」とイオの腕の中の幼子がハチに向かって手をおいでおいで、みたいに振った。
「そういや、その犬はなんですか?」
イオは子どもを抱っこしたままこちらへ近寄ってきてリアに話しかけた。
「お散歩が楽しみのハチさんです」
「へぇ。ハチって言うのか。何でハチなんですか? 眉っぽいところがハチの字だからですね」
しゃがんだイオはお兄ちゃんの方の男の子を地面に下ろして、ハチの顎の下を撫でたけどハチは嫌そうに後退りしてリアにくっついた。
「おお。人見知りか? 俺がデカくて怖いか? 男嫌いのオスか? それともしっかり番犬なのか? ほれほれ」
イオは逆さ手招きをしたけどハチは彼に近寄らない。こうなると私とネビーの臭いが似ている説が濃厚になってしょんぼりである。
「茶室のある建物の近くに紐をくくれるところがあるのでそこで待ってもらう予定です」
「吠えないし、唸らないからでしょうね。こうして職員の子が来ているから係の人とかに、子どもがこのハチにイタズラしないようにって気をつけさせます」
「ハチさんは人を噛みません」
「こんなに暑いのに毛だらけだから人よりも暑くて可哀想って水をぶっかけるバカもいるんで。俺や友人達がちび助だった時ですけど。噛まれて、噛んだ犬が悪者扱いされて殺されかけてぎゃあぎゃあ泣きました。犬が許されて安堵です」
少し思案して私は「噛まれたのは兄ですか?」と質問。ネビーは十年くらい前に犬に腕を噛まれて帰ってきたことがある。その時、誰かは覚えていないけど大人も一緒でネビーは珍しくメソメソ泣いていた。
「そうそう。俺らと一緒に水をかけて噛まれたのはネビー」
「リルさんのお兄さんに先程お会いしてハチさんはとても懐いていました。兄妹だと分かったようです」
「匂いですかね。うわあ、リルちゃんはあのネビー臭なのか。リスの匂いだな。犬はリスが好きなのかぁ。よしっ、俺にもリスの匂いをうつしてくれ。俺もハチに懐かれたい」
衝撃的なことにイオは私の着物の袖の上から腕を両手でさすって、更には両手を取って少し拝んでハチの鼻先へ手を出した。リスはかわゆい生き物なのでリスの匂いは得な気がするけどネビー臭だとげんなり。
「ちょっ、ちょっとイオさん。リルさんに突然何をしているんですか!」
少し離れてクララとアルトとウィルと話していたロイが駆け寄ってきてイオに詰め寄った。
「え? リス臭をお裾分けしてもらってハチに懐かれようとしました」
「リ、リス臭?」
「ええ。このぷにぷに犬はネビーにやたら懐いたって聞いて兄妹だから匂いが似ているんだろうって話をしたんで」
「ぷにぷに犬ですか?」
「はい。なんか腹をたぽんたぽんってしたくなるんで。絶対、ぷにぷにしてる気がするんですよ」
発想がネビーと似ているというか同じで、イオはハチのお腹に手を伸ばした。今度のハチはあまり嫌がらなくてお腹をイオに黙って触れられている。
「やっぱりなんかぷにぷにしてる。太っていないのになんだ。どういうことだ。見た目からしてそうだけど、もっとかわゆいな」
「わん」
小さく吠えたハチはイオの右手に頬を寄せて軽く舐めた。
「お前はリス好きか!」とイオが発言したので私はやはりネビーと似た匂いなのかと落ち込んだ。
「その、あの、イオさん。悪気はないんでしょうがご自分の婚約者がそのように触られたらどう思うか考えて下さい」
「……そうでした。リルちゃんはもう人妻でした。年々話さなくなったからなんか子どもの頃で止まってて。イーちゃ、ってよたよた追いかけてきそうなのに人妻って……エロいな。リルちゃんってかなりええもの持ってるしな。昔々はぺたんこだったのに」
ロイの頬が引きつって何か言いたげに唇を動かしたけど声は出てこない。
「なっ……。何を言うて……」
「ん? 何ってなんですか?」
「よかなものをって……」
「実際に見たことはないですよ! 寝る時の浴衣だとそこそこ分かるじゃないですか。あそこの長屋で飲んでて水とか持ってきてくれたり、頼んだら持ってきた漬物を切って運んでくれたりする時とかあったんで。別に女として興味が無くても、男は本能で見るというか気になるじゃないですか」
兄と飲んでいる彼ら、酔っ払い達にこういうことを言われるし、兄も「男はバカだから気をつけろ」と激怒するから私は今の季節のように暑くても浴衣一枚で彼らの前に出なくなった。
あと、兄が「ありがたいけど、バカしか居ないから母ちゃんに持って来させろ」とやはり怒るのであまり近寄らなくなった。それがイオと幼馴染でも親しくはない理由。
私は兄に「耳が腐るからあいつらの話を聞くな」と教わって育ち、父にもネビーの友人達が集まっているなら部屋の中にいなさいなど、ちょこちょこ言われていた。確かに、エロいだなんて破廉恥極まりない発言を白昼堂々するなんて耳が腐る可能性ありだから父も兄も正しかったと感じる。
「……ふふっ。このような男性に初めて会いました」
リアは人見知り時のロイみたいに、ほんの少しだけ笑った。
「どう見てもお嬢さんに見えるんでバカは近くにいなかったって事ですか? 顔のこれって火傷跡ですよね? 暴力ですか?」
イオは立ち上がってリアの傷跡を見つめた。
「いえ、暴力なんてまさか」
「それなら誰かを庇いました?」
「ええ。庇ったと言いますか、妹が危なかったのでつい」
怪我の跡について聞くのを躊躇する私とは異なりイオはあっさり質問。
「この高さ、顔に火傷は大体そのどっちかです。しかもこの辺りだけなんてなおさら。ミユと同じ優しい女って事で、それがこんなに分かりやすいから争奪戦です。ウィリーさんはそれを勝ち抜いた、と。彼は優しい目をしてますもんね〜」
「あの、ウィルさんです。ウィリーさんではなくて」
「すみませんウィルさん。人の名前を覚えるのは苦手で。ん? どうしました?」
イオが振り返ったので私も視線を移動したら、ウィルは怪訝そうな表情で目線は私達とは違う方向である。
「いえ、別に」
「別になんて顔はしていませんよ」
「いやあの、勝ち抜いてなんて……いなくて……」
「お互い婚約中仲間だからそうですね。横から掻っさらう奴が出てきそう。ミユ! 毎日、四六時中口説くからどっかに飛んでいかないで」
イオは子どもを親に返すとミユに近寄って軽く体当たりした。
「ち、ちか、近寄らないで下さい!」
「やだ」
「こ、こないで」
「やだ」
「離して下さい」
「やだ」
私とロイは知り合いがいないところでは手を繋ぐけど、こういう場では恥ずかしすぎてそれはしない。しかしイオはミユの手を取って、ハチに近寄ってきた。
「ほれほれ、ぷにぷに犬だぞー。かわゆい犬と戯れるかわゆい姿を見せろ〜」
イオはミユから手を離してハチを抱き上げた。彼はミユへ近寄っていくから彼女は距離を保とうと遠さがっていく。
「あれ、ミユは犬嫌い?」
「嫌いなのはあなたです! 知人の前で触れるなど破廉恥過ぎます!」
「当たり前だけど君の表情で一番好きなのは笑顔だから、怒らないでミユちゃん」
「非常識行為を皆さんに謝罪して下さい!」
「いや、別に婚約者の手を取るくらいそんなに非常識ではないし誰も怒ってないから。照れで怒るのはやめてくれ。分かっていても肝がギュッとなる」
イオとミユが軽い追いかけっこみたいになった。
「イオさん、お待ちになって。ハチさんが怯えていて可哀想で……」
リアは足がもつれたのか転びかけて、サッと手を出したウィルに腕を掴まれて支えられた。
「いやっ」
「すみません。転ぶと思ったので」
「い、いえ」
しかめっ面同士の二人はお互い顔を背けて気まずそうな空気になった。
「そちらの怪我の跡は妹さんを庇ったのですね」
「ええ、まあ、たまたまです」
「そのように優しいところが……。気遣い屋さんですし、その、あの、す……。ほ……。惚れて……」
あけすけなイオに感化されたのかウィルが突然告白をした!
「えっ?」
「いやあ、あの。でもほら。うん。気になる方がいるらしいですし、その。でもまだ口説く隙はあるんですよね? 家に居てくれているので」
「私に気になる方……ですか?」
「ははは……。ええ。そう聞きました」
「あの川、青々とした紅葉がそのうちひらひら舞い落ちそうです。ハチさんはまたきっと嬉しいです。一緒に……拾えたら……。私もきっと……です」
川で紅葉の落ち葉を一緒に拾ったら……浮かべるかな。このやり取りだとリアの発言はそういう意味に聞こえる。ウィルもそう思ったのか彼はへらっと笑って「ははは」と「あはは」を繰り返した。
(お互いにらぶゆが伝わった!)
そこへロイが近寄ってウィルに耳打ちして足を軽く蹴って、すぐに遠ざかって私の隣に立った。
「秋山に落つる黄葉しましくは、ってリルさんはご存知ではないですよね?」
「はい。もっと勉強します」
「いえ。そんなに有名ではないので。続きは、な散り乱ひそ妹があたり見むです。まあ、要は妻を見ていたいみたいな歌です」
「それをウィルさんに教えたんですか?」
「上の句だけ。紅葉草子の曲でも使われるので、かなり琴を嗜んでいるリアさんならもしかしたら、と思いました」
ここへクララが「かなり琴を嗜んでいるリアさんと聞こえましたがそうなんですか?」と私達に近寄ってきた。
リアはかなり顔を赤くしてウィルの隣を歩いている。その横顔を見てウィルはますますヘラヘラ笑い。
私は手を合わせてイオの背中に向かってお辞儀。悪気はなくても破廉恥行為をされたし恥ずかしい発言もされて胸を観察されていたなんて腹の立つ話もされたけど許す。




