特別番外「雪花乙女物語3」
季節外れの雪の日に出会った男性が、目の前に現れるなんて驚きしかない。
「こ、こんにちは! 覚えていますか? あの。驚いてつい声を掛けてしまいました」
「覚えています。ハチさんの飼い主さんです」
癖っ毛そのままではなくて髪を全て後ろに流しているから印象が違うけど、どうみてもあの時の彼だ。
名札を見たらウィル・イムベルと書いてあり、部署は商家監査関係なので広義だと父の部下。
…… ウィル・イムベル? と私は心の中で首を傾げた。確か、父が用意してくれていた釣書にあった名前だ。卿家の次男なのと、穏やかで優しい性格という父の書き付けしか覚えていない。
「改めてお悔やみ申し上げます」
「こちらの部署なら葬儀に参列して下さいました? 気がついていたらお礼をしたのにすみません」
「まさか! 祖母と父親が同時になんて、そのような悲しみの中で、あの人数ですから気がつかなくて当たり前で、気遣いなど無理です。気を遣うのは周りです」
「そのようにありがとうございます」
「気の利いたことは言えなくても、なにかと思っていましたが、休まれていると聞いていて。葬儀で貴女がどなたか知ったので部署へ行ったのですが、会えなかったので文を預けました」
困り笑いだけど柔らかな笑顔でもあるからなんだかホッとした。この一ヶ月、葬儀や儀式に財産関係の処理や姉妹喧嘩などで疲れている。
「もしかして枝文……」
働いていた部署から私物を回収した際に、父と親しかった同僚かつ友人のクラヴィスに「お悔やみの枝文が届いていました」と桜の蕾のついた枝と、それに結ばれていたという文を渡されてまだ読んでいない。
私を訪ねてくれた人は何人かいたけれど、雑務仕事で仲良くなった女性達ばかりで、わざわざお悔やみ文を贈ってくれた男性はその人のみだと聞いている。彼は葬儀後と少し間をあけて二回来てくれたそうだ。
文を読めば誰か分かるからと、クラヴィスは私に彼の名前は教えなかった。桜の枝には花が一輪だけ咲いていたらしいけど、今は枯れてしまって花無し。でも水につけておいてくれたから咲きそうな蕾が沢山ある。
「なんだか色々な噂を聞いて大変なのかなとか、高齢のおばあ様はともかくお父上の急死なんてあまりにも辛いだろうなと……」
「お悔やみをありがとうございます」
「庭の桜です。今は真冬でしょうけど……。中々春は来なくても、少しは気が楽になる日もありますようにと願いました」
今の季節は春だけど、今の貴女の人生は真冬だろうから、どうか少しでも傷心が癒えて春の日差しが心に注ぎますようにという意味だろう。それはとても優しい発想だ。
「お心遣いありがとうございます。正直疲弊していたので嬉しいです。旅先に持っていって大事にします」
「旅先? えっ? 旅ですか?」
「ええ。家も土地も何もかも売ってしまってまだ職も家もないですし、一人なので祖母と父の遺骨を眺めの良いところに少し撒こうかと。この季節なので良い景色をぼんやり眺めたら気晴らしになるかなと思いまして」
「職も家も無くて? 一人なのでって、ご親戚やご友人は? い、い、今はどちらにお住まいなのですか⁈ 一人旅ですか?」
誰に話してもこういう戸惑ったような反応をされるのに、余計な話をしたのは心配されると一人ではないなと安心するからだ。自分中心な考えだけど今はこのくらいの勝手さは許されたい。
「はい。一人旅です。帰ってきたら少ない縁者を頼ってどうにか暮らすつもりです」
「た、頼って下さい! 職探しも家探しも家族総出で手伝います! 他にも頼れる方がいるからその状況なのでしょうけど、自分はあの一応卿家なので色々なツテがあります!」
社交辞令だろうけど、とは言わないけど、ご親切にありがとうございますとお礼は言わないとと唇を動かしたら、私が声を出す前に彼が続けた。
「若い女性の一人旅は危険ですので気晴らしは近いところへ日帰りが良いです!」
割と大きな声を出されたので驚いてしまった。
(頼る……。父の残してくれた釣書の方……)
彼は卿家の次男。卿家のお嫁さんの仕事は家守りと内助の功。卿家は公務員の手本、国の犬だから他人に足を引っ張られたくないので基本的に手伝い人は雇わない。
職員の監視役なので他の職員と対立しがち。だから卿家は卿家と固まり有事に団結するので事前準備としてご近所付き合いや卿家同士の人付き合いをかなり大事にする。
夫は仕事があるから人付き合いの多くは妻の仕事。父が人柄良しだと選んでくれても無愛想な私だと卿家のお嫁さんとしての期待には応えられない。
卿家は家のことを理解していて卿家同士のツテコネ強化になる卿家の娘をお嫁さんに望むもの。
その次は少し野心だと豪家、商家、華族でツテコネを強化する。つまり彼の家からすると私と縁を結ぶ理由はほとんどない。
「貴方が葬儀で私の存在を知ったのなら、父が一方的に入手したのでしょうけど、父の遺品に貴方の釣書がありました」
「えっ? 自分のですか?」
「困った娘で取り柄がなくて、このように無愛想なので婚約破棄されて心配をかけていた親不孝娘です」
女学校卒業後からこの財務省中央国税所で週ニ回雑務仕事をしてきた。彼の部署に書類運びをしたことは何度もある。
しかし、この六年間で私を見初めた男性はいない。彼も他の華やかな雑務女性に目を留めていただろう。
「……えっ? えええっ?」
「持参金はあります。頼って下さいというのでしたら仕事と居場所を下さい。貴方のお嫁さんと貴方の家です。そうでなければ結構です。どうにか自力で生きていきます」
失礼致しますと頭を下げて逃亡。私は何を言っているんだか。正面から「お見合いして下さい」と口にして断られたらなんだか辛そう。そう思ってしまったからだ。父の残してくれた釣書の方々に頭を下げてみるのは考え直した方が良いかも。
挑戦してみないと未来は分からないけど勇気がポキリと折れた。彼みたいな太陽みたいに温かい男性でそれなりの家柄の男性は奪い合い。そんなの負ける、負け戦。
結婚は全てではないけどシアやミアのようにコレ! という目標や熱を上げられるものがないから——琴は才能なし——仕事に生きるよりも家庭に入りたい。
家事や家族のお世話なら普通にこなせる自信がある。なにせしてきた。
特に今は一人になったから余計に家族が欲しいと思う。無愛想だけどなぜか好いてくれるから子どもも好き。失ってしまった家族が出来る。
(子ども……卿家⁈)
卿家は卿家と固まっているから全役所にツテがあることが多い。
(女学校講師のツテ!)
「あの。やぶからぼうに失礼致しました。気が滅入っているのでつい。卿家の方なら女学校にツテのある方……」
「お見合いしましょう! いやして下さい! むしろ結納して下さい!」
振り返ったら目を閉じている彼に叫ばれて耳を疑う。
「ひと、一目惚れで探し回って見つからなくて、葬儀で発見してあの状況では声を掛けられないので部署を訪ねてお会い出来ずに文を送って今日です」
「……」
(一目惚れ? 私に?)
「心配過ぎるので1人旅なんてしないで下さい。どなたを仲人にお申し込みしたら良いですか⁈」
ウィルに頭を下げられて動揺。ハッと気がつく。昼休憩で食堂に向かう職員達にかなりジロジロ見られていた。
「おも、思っていたのと違うと、君は氷や雪のようで冷えてくると言われるのはもう沢山です。すみません」
口から飛び出した台詞に自分で驚く。これは好機なのになぜ逃げるのだろう。
ニ回も同じような理由で浮気されて婚約破棄されたからかなり傷になっているみたい。私は階段を慌てて降り始めた。
うんと嬉しくてもかなり楽しくても微笑みくらいにしかならなくなったのは五歳の時に祖父に「不謹慎だ笑うな」と強く叱責されて胸ぐらを掴まれたかららしい。
私は祖父が辛そうなので元気づけたくて笑いかけたりあれこれしていたそうだけど、病気が発覚したばかりの祖父はその孫に八つ当たり。
すぐに謝ってくれたらしいけど私はその後半年間祖父に近寄れなかったという。私にはうっすらした記憶しかなくて、恐ろしい程怒っている祖父の顔と悲しげな瞳だけが鮮明。
六歳の時に亡くなった祖父は後悔していると遺書に認めていて後から読んだ。何度かその愛情のこもった手紙を読んでいるのに、祖母も両親もずっと気にかけてくれていたけど治らない。
見た目がイマイチなら愛嬌。愛嬌は美貌にも勝るなんて聞くけど私にはその愛嬌が無い。
父が縁談相手の候補にしてくれた男性が一目惚れと言ってくれたのに、こうして逃げる私は今後誰とも縁結び出来なそう。
「あっ」
草履が脱げたので足を止めて振り返る。それで体勢を崩した。目の前にウィルがいて、片手が伸びてくる。腕を掴まれて彼の右手は手すり。引き寄せられたので気がついたら彼の体の上。
彼の背は草履を履いた私よりもほんの少し高いくらいで細身なのに体がすっぽり包まれている気がする。胸が広い。女性みたいな体格に見えても男性だからそうか。そうなのか。
「お怪我はありませんか⁉︎ 足を捻ったとか引っ張ったから腕が痛んだとかないですか⁉︎」
すぐ両肩に手を置かれて体を離された。
「どこも痛みません。ありがとうございます。むしろ貴方様にお怪我はないでしょうか?」
「ええ」
状況に驚いたし、先程のような触れ合いで心臓が暴れているのに、自分でも驚くくらい淡々とした声が出た。
私の手や足は微かに震えている。怪我をすると思って怖かった。立ち上がって彼に会釈をして手を差し出す。ウィルは私の手を取らずに手すりを支えに立ち上がった。
それで彼は私に軽く会釈をして草履を拾い、私が立つ階段よりも下に移動して草履を差し出してくれた。
「どうぞ」
「なにからなにまですみません。ありがとうございます」
草履の鼻緒にそっと足を入れる。
私の暴れ鼓動以外は無音と思っていたけど「おお、よく助けました」という言葉や拍手が聞こえてきた。ものすごい注目を浴びている!
「自分はあの寒い中温かいと思いました。ただ溶けてしまいたいと口にした通り、儚げというか物憂げで心配というか……。少し聞いたらそうもなるかなと……」
ウィルは私の草履を両手で持ったままで俯いている。
「少し……なにを聞きました?」
「長女さんと三女さんが家出してしまって自暴自棄気味なお父上の世話をしながら祖母君の介護中だったと。あと先程の婚約破棄。相手の不義理なんて傷つくよなと」
「……同じ理由で二回です。男性は私の全てに嫌気がさすようです。笑うのが苦手でして。それでなにを考えているか分からないとか冷えていると感じると言われます」
「分からなければ聞けば良いだけです。ハチと無邪気に遊んでくれていた姿と葬儀で気丈に振る舞って影で涙を拭っていたお姿しか知りませんが……」
彼は私の下駄から手を離して、俯いたままゆっくりと立ち上がった。
「いきなり結納お申し込みをしますは気がはやりました。付き添い付きで一度出掛けるだけでもお願い出来ませんか? いやそれも早いですね。今は心を休めるべき時です。でも一人旅は危ないのでしないで下さい。自分を仕事や家探しに利用して下さい」
役人の手本として不正密告係を担う卿家が大事にするのは信用信頼世間体。
だから父は家の存続は難しくなる卿家の男性を私の縁談相手として探してくれたのだろう。なにせ卿家の男性はニ名もいた。国の犬なので、売られることもあるけど味方につけると強い。
問題は私が卿家のお嫁さんに相応しい女性ではないという事だ。父なら分かっていそうなのに、なぜ卿家を縁談相手に選ぼうとしたのだろう。もっと話したかったと、そういう話もしたかったと私は涙を零した。我慢、と考える前にあっという間に泣いた。
「……します」
「本当ですか⁈ 先程女学校と聞こえました。父や兄に自分の友人関係でどうにかなり……あの、涙が……」
顔を上げたウィルの表情は私の膝の上に顔を乗せた時のハチみたいに嬉しそうだったのに、それは私が泣いたりしたから霧散してしまった。
「結納します」
「えっ?」
「家も職もないので同居結納を要求します。女学校講師だとしばらく貯金切り崩し生活です」
土地収入があるから貯金は減らないのに嘘つき娘。またしてもなにを言っているんだか。結納してガッカリされるのはもう嫌だけど、口からこう飛び出たから彼に手を伸ばしてみたいのだろう。
「同居結納……ああ。はい。はい!」
「父の在籍していた部署にオルゼ・クラヴィスさんという方が居ます。父に頼まれて何かあった時に私を頼むと言われていて、その通り私の今後を見守って下さるそうです」
「上司の上司の上司です」
「同居結納以外の条件はクラヴィスさんと決めて下さい。財産以外の要求は全て従います」
普通に結納してなんとかなって祝言後にガッカリされるのは困る。
結納直後から同居することを示す同居結納は華族ではそこそこある。
半嫁、半婿扱いで実際に役立つか、家に馴染んでくれるかみてもらう。同居結納中に手を出されても万々歳みたいな相手に特に使う。
これが破棄になると次の縁談時にかなり悪評というか生娘ではない疑惑がつきまとう。私はもうニ回も婚約破棄されているので大差ない。
男性は「お嫁に迎えた後に逃げられたではなくて良かったですね」で済むことが多い。
「両親に話してクラヴィスさんのところへ話に行きます」
「皇居では三日で祝言ですので四日後の朝に旅立つことにします。三日以内か帰宅後にご検討お願いします」
一人旅は危険だと言うのなら前のめりになってくれるかもしれないという計算なのか、ガッカリされて袖にされるのが怖くて逃げたいのか自分でも分からない。
私はまた転ぶのも、草履が脱げるのもいとわずに階段を全速力で駆け降りた。
熱い。体が熱い。このようになったことは最初の結納時以来だ。
父に言われるままに結納したけど、徐々に婚約者が気になっていって、次はいつまた会えるのかなと胸をときめかせていた。日に日にそうなった。
しかし彼は逆。私が照れて喋れなくなっていくのに比例して彼は多分私を嫌だと思うようになった。そうして元々気になっていた女性への心残りの火を燃やして炎に変えた。愛想が悪くて喋れなかった私が悪い。
次の結納相手に対しては私は相手の言う通り本当に冷めていた。家族のことで頭がいっぱいだったから上の空。父が安心するとか祖母に晴れ姿と思ってお見合い中はなんとか張り切ったけど結納後に息切れ。
お嫁になんていけない。いきたくない。祖母と父から離れるわけにはいかない。見捨てたくない。そういう気持ちが彼に伝わったのだろう。つまりこれも私が悪い。
(でも非常識な袖振りをされる程酷いことはしていない。辛辣な言葉で胸を刺されるような悪いことをしたつもりもない……)
上手く笑えないなど私はきちんと伝えていた。私こそいつも私にガッカリしている。頭の中も気持ちもぐちゃぐちゃだからって、あのような失礼発言や訳の分からない事をウィルに言うなんておかしい。
(期待されて違うよりも悪印象から開始の方が良いか。それか何も始まらない。始まらなければ終わらないもの)
走り続けて役所を出て、さらに走り続けて、もう無理だと思ったところで足を止めた。息を整えて深呼吸。気になって手提げから桜の枝文を出して文を解いた。
【紫陽花の八重咲くごとくやつ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ】
(桜の枝なのに……。綺麗な紫陽花の絵)
美しい文字。龍歌以外に、彼が口にした事と同じことが書いてある。今は真冬ですが、こうして桜が一生懸命咲こうとしているように、少しは気が楽になる日が出てきますように。絵が趣味の友人が美しい絵を描いたのでほんの少しでも心が晴れますように。
この龍歌は紫陽花が八重に咲くように末永く成長したり栄えてくださいという意味だから、私の今後の人生が末永く幸せでありますようにという思い遣り。
梅雨の真っただ中に咲く雨に濡れた紫陽花だから、意気消沈している葬儀で毅然としていた私に見立ててくれたかもしれない。
(部署に自宅のご住所にお父様の職業まで。卿家なので仕事先など必要があれば頼って下さい。お母上と妹さんに頼む……。釣書のことがなくても元気が出たわ)
特に「ハチが私を探して何度か神社へ行った」という話。またハチを触ったら少しは気晴らしになるかもしれないと思っていたので戸惑いつつも返事を書いただろう。感謝と共に、ハチと会いたいです、触りたいです、そういう内容の返事をしたに違いない。
(それなのに同居結納を要求しますって私は本当に頭がおかしい。出会いもこの文も台無しにした)
私は龍歌と紫陽花の絵が描かれている文を空高くかざした。
「綺麗……」
私の人生は期待しても無駄なので期待していない。なにせ期待に応えられない。期待していなかった分、この文はあまりにも美しくて私の気持ちを羽のように軽くしてくれた。
雪になって結晶花になって彼の掌の上に乗って「冷たいけど綺麗です」みたいに笑顔の源になって溶けられたら良いのに。徐々に笑顔を奪ってしまうのならその方がずっと良い。
「忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな……。またガッカリされるのは悲しいからいっそそうなりたいわ……」
今の幸せが永遠に続くことはないからこんなにも幸せな今日の間に命が尽きてしまえばいいのに。しかし今日の私の体は元気なようで特にその気配なし。実に残念である。




