特別番外「雪花乙女物語2」
夕方の安売りの時間まで、クラト神社でぼんやりしようとやってきて参拝して、祖母の苦痛が少しでも減るようにとお祈り。祖母には長生きしてもらって沢山お喋りしたいけど、苦悶が強いなら早く黄泉の国からのお迎えが来て欲しい。
(おばあ様に白無垢姿を見せてあげたかったわ……)
今朝の祖母は辛くないようで穏やかに楽しく話せたので、あの状態が続くなら長生きしますようにと手を合わせる。
(見せようかしら。相手有利の条件を提示してすぐに祝言してもらう。いっそ平家とか。腐っても私は華族令嬢。皇族の血を微かに引く凖皇女。それだけで釣れるっていうから誰かいないかしら)
鏡の前で練習しても無愛想で、平凡か下くらいの顔立ちなのに左こめかみから頬に火傷痕があるけど、凖皇女という血と家柄の価値は場所によってはそれを上回る。そのことは格下学校へ通ったことで、そこで出会った人々の反応で理解している。
(今の生活ならすぐに離縁されてもこちらから離縁しても困らないし……。おばあ様の喜ぶ顔が見たいわ)
昔は顔の火傷跡を気にしていたけれど、今はもう髪で隠すのも化粧で誤魔化すのもやめた。誰も何も言わなくても視線や表情で分かるように、隠れていなくて誤魔化せていないから。
参拝後は境内に腰掛けて足をゆらゆら揺らして、雪を蹴って遊ぶ。蹴鞠をした小等校時代が懐かしいけど、雪は文学作品内と異なり跳ねたりしない。ぽんぽんぽーん、と跳ねたらとても楽しいと思うのに。
「ワンワン、ワンワンワン!」
鳴き声がして、白い毛長犬が全速力で走ってきて、私の目の前の雪に突っ込んだ。首輪と紐がついているから飼い犬だろう。来た方向を見たけど誰もいない。
「元気なわんこさんね」
犬も猫も好きなので境内から降りた。昔捨て犬を拾ってきたけど、父に「飼う余裕なんてない」と捨てられた。
母が亡くなったばかりで寂しくて、捨て犬も家族が居ないのは辛いと思ったけど仕方ない。
春だったので捨て場所に毎日通って自分の食事を分けていたけど、誰か拾ってくれたのか五日目にカゴごと居なくなった。
急に現れた犬は人懐っこいようで、近寄ってきてくれて、尻尾をぶんぶんと振り回してくれたのでしゃがんで手を伸ばす。
「ふふっ、お鼻が冷たいですね」
膝の上に頭を乗せてくれたので両手で撫でてみた。毛が雪で濡れていて冷たい。天気が良ければもふもふそうな長い毛なので雪で濡れているのは残念。
「あなたは迷子? 私も人生の迷子ですよ」
二回も婚約破棄をした女性の婿にきてくれる男性はうんと格下しかいなそう。祖母に白無垢姿を見せたいと思ったから、それで良いと思う。格下男性だと今度は財産狙いに気をつけないと痛い目をみる。
(お父様は結婚詐欺に遭ってお姉様の家出でトドメ。さらにミアも家出。どの家柄でもお父様のお心に寄り添って下さる女性が居れば良かったのに……。まだ遅くないけどお姉様やミアが追撃してしまいましたから……)
ほうっとため息を吐きながら犬を撫でる。とても落ち着く。父と2人暮らしになったら犬を飼おうかな。
「わんこさんは良いお顔をしていますね。きっと、すとてときな家族がいるのでしょう」
優しげで幸せそうな顔立ちに見えるこの犬も、人と同じで雑な扱いをされれば目が荒む。この犬は逆で星空を閉じ込めたような美しい瞳をしているから大切にされているのだろうと推測。
「ふふっ。あら。治そうとして下さるの? 治らなくて良いのですよ」
傷跡を舐めてくれるから、ますます優しい犬な気がしてきた。
「このまま攫ってしまいますよ」
「あ、あの! おいハチ! 戻ってきなさい!」
男性の声がしたので確認したら、長くも短くもない少し癖っ毛の若い男性が困り顔をして立っていた。若いけど若くない。私と同じ年頃な気がする。
藍色の着物に、黒地に流水紋の褞袍を重ね着。首には白いマフラーを巻いていて足元はブーツ。マフラーとブーツというハイカラ品は年末年始のお祭りの露店で買ったのだろう。
小洒落て見えるし、ハイカラ品のブーツやマフラーとは羨ましい姿。祖母が熱を出したので年末年始はどこにも行かなかった。
祖母といたかったから行かなくて後悔はないし、行っても節約のために何も買わなかっただろうけど、友人が買った異国の物は珍しかったので、露店を見られたら良かったなとは思っている。
「ハチさん。あなたはハチさんというのですね。大切なご家族が迎えにきてくれましたよ」
ハチの体を押してみたけど動かない。それどころかハチは私の膝の上にまた頭を置いた。
「すみません。近寄っても良いでしょうか?」
一瞬告げられた意味が分からなかったけど、気遣いだとすぐに悟った。彼はそれなりの家の男性だ。それなりの家の男性は若い女性にむやみに近寄らない。特にこのように人気のない場所では。
実年齢通りだと既婚者と思われてそこまで気にしないだろうけど私は童顔。ただ、この気遣いは私のためだけど本人のためである。何もしていないのにしたと、女性側に難癖をつけられたら困るからだ。
「道にどなたかいるでしょうから、神社前へハチさんをお連れ致します」
「それはお気遣いありがとうございます」
垂れ眉がさらに垂れている。どんぐりみたいにつぶらで眠たげな重たいまぶたの目が細くなって三日月型。大きめの口は微笑みの形になった。
「飼い主さんとハチさんはお顔が似ていますね」
ハチに小声で告げて頭を撫でて立ち上がる。紐を持って歩くとハチは素直についてきた。
境内に置きっぱなしの手提げとカゴを持って前を歩く飼い主に続く。距離が少し近づいて、彼はそんなに背が高くないなと、流水模様がある背中を眺める。神社の前の道に出たけど誰も居なかった。これはもう仕方のない話。
「ありがとうございます。遊ばせていただきました。ハチさん。楽しかったですよ」
距離を保って私の前に立つ飼い主へ、ハチの紐を差し出した。
「こちらこそありがとうございます。雪が大好きで、雪の日になると遠くまで散歩に出てこうして急に走って迷子になりかける困った犬です。そろそろ老犬なのに元気いっぱいで」
「元気なのは良いことです。ハチさん、お元気で。私も雪が大好きですよ。いつも一緒に溶けてしまいたいと思います。では、失礼致します」
雪が溶けて消えるように消えたくなる時もあるけれど、雪溶け後の春のような女性になれたら良いのにといつも思っている。
愛想の良い愛くるしい女性になりたいけれど、鏡の前で練習しても私は上手く笑えない。
ハチの頭を軽く撫でて飼い主に会釈をして私は買い物に向かった。
夕方の安売り戦争に勝って上機嫌で帰宅。贅沢をしなければ父が在職中はなんとか現状維持、父の望む家柄維持は可能だ。
夕食作りをイナに任せて祖母のお世話。今日は朝以外ずっと寝ているなと思ったら体がうんと冷たかった。出掛ける少し前はこうではなかったのに。
「お嬢様! リアお嬢様! 旦那様が!」
この後のことはあまり覚えていない。この日、私は祖母と父を同時に亡くした。祖母は老衰。父は雪で滑って階段から落下して頭を打って黄泉の国へ連れていかれた。
シアとミアに連絡を入れて葬儀の準備。父の日記を見つけて三姉妹へのそれぞれの想いが吐き出されていて姉も妹も「もっと話し合えば良かった」と大泣き。私にはそういう後悔はなくて、放心しているから涙は全然出てこない。
【先に亡くなるから人柄の良い男性に任せたいのになぜ婚約破棄……。こんなに良い娘なのに見る目がないのは私なのか相手の男なのか……】
父の日記の文字をそっと指でなぞる。自分の退職時に華族終了で構わないという言葉も発見した。
(そうか……。お父様の心配通りになってしまったわ……。私のせいなのにご自分の見る目のせいだなんて……。良い娘……)
ここが娘の良いところ、悪いところ、心配だと色々書いてある。遺品の中に私の縁談相手として集めたと思われる釣書を五枚発見。華族だけではなくて豪家、商家、卿家に平家まで揃っている。
(お父様の部下の方二人。関連部署の方二人……)
見栄っ張りで家柄維持に固執していると思っていた前なら別の意味、政略結婚相手だと捉えるけど、ただただ不出来な娘を心配してくれていたようなのでこれはきっと父の愛情の証だ。
(こちらの商家の次男さんはお父様の趣味の囲碁教室の方。平家地区兵官はどのような縁なのか全く分からないけど出世しそうな方かしら。成り上がって豪家になるような方は、妻が華族だと一般的に喜ぶもの)
しかし、父の後ろ盾あってこそだ。父が亡くなったのでスティリー家の納税と寄付の義務は一年間停止。私達三姉妹の仕事や土地収入金額などに対する納税義務だけになる。
私かミアが婿を迎えると相手はこの家を継ぐことになり、華族の家にまつわる義務も発生。
父くらいの稼ぎがあればなんとかなるし、このお屋敷を売って土地収入を得ればさらに安全。しかしその大黒柱である父は失われてしまったので、そこまで稼げない男性がこの家へ婿に来てもあっという間に家柄は失われる。それなら安泰で支援してくれそうな華族の家からお嫁さんをもらったり、婿入りしたりしたいだろう。
私がお嫁に行く場合は華族の権利を放棄することになる。私かミアが一年以内に稼げるお婿さんを迎えない限り華族スティリー家は終了。私達姉妹だけでは高額納税寄付金を払えない。
華族スティリー家は終了で良い。顔に傷のある無愛想娘でも遺産と土地を相続したと知られればお金狙いの家や男性はそれなりに集まるだろう。野心家、政略結婚派が消えてくれるからむしろ楽かもしれない。
親戚はさっそく私達三姉妹の財産狙いの気配で、特に私の世話をするから的な圧が強い。なので、父の残してくれた釣書はとても大事なものに思えてくる。
この中に父の後ろ盾はなくても、ツテコネという縁が残っているからとか、私の相続分くらいで構わない、あとは教養や私自身の人柄で考えてくれる家はあるだろうか。
釣書は父が調査して作成したような未完成品と、相手の関係者が作ったような正式なものと混ざっている。リアとここが気が合いそう、人柄良さなどの父の書き付けが今はただただ悲しくてならない。
(今朝のいってらっしゃいませがお父様との最後の会話だったから家出したり結婚してお嫁にいっていなくて良かった……)
考えてみれば、シアもミアも家出したのに父は私に婿取りに変更しなさいとは一度も言わなかった。
華族ステュリー家は畳むから、基盤のしっかりした家に迎えてもらって、なるべく安泰な生活を出来ますようにという意味だろう。没落華族には悪い人が寄ってくるものだ。
(おばあ様も朝少し起きた時にお話出来たし……。いきなり一人か……。お姉様は家庭があるし、ミアはまだまだ住み込み……)
思い出もあるけど息の詰まる家だった。大好きだけど嫌いな父だった。大好きだけど祖母のお世話は時々叫び出したくなるほど辛い時があった。
でも自由を望んだシアとミアと違って、私は最後まで家族と過ごした。なにせ、家族の思い出のあるこの家から離れたくなかった。父と祖母のお世話が心の拠り所になっていたけど、それはもうない。
私は急に空っぽで一人ぼっち。
泣いていては喪主は出来ない。そう自分を叱咤激励して葬儀で気丈に振る舞ったら、シアとミアに「悲しくないの⁈」と怒られてしまった。
泣きたいから長女のシアが喪主をしてくれたら良いのに。シアはなんだかんだ長女なので頼まなくてもしてくれたけど、ミアにも葬儀に来てくれた方々へのもてなしの手伝いをして欲しかった。
一愛想笑いなんて嫌だからなんて言って一人だけ逃げてズルい。リアお姉様は元々無愛想だから許されてズルいなんて、私はもう大人なのに子どもみたいに引きこもって何もしないミアこそズルいと非難したかった。
そんな風に言いたいことは色々あるけど、祖母や父は孫や娘の喧嘩なんて見たくないだろうと思って我慢。
葬儀が終わって、弁護人と共に相続の話をシアとミアにしたら激怒されて、なんだか疲れたから家も土地も売って全財産を三等分に変更。
ただ、後から父と親しかった弁護人に隠し土地があって、それは私だけが相続だと教えられた。
父は自分が亡くなるとこうなる気がしていて、そういう手配をしてくれていたそうだ。つまり今後の私はそれなりの収入が入る土地持ちである。
平家落ちして贅沢に溺れて散財しないで慎ましく暮らしてそこそこ働けば、結婚しなくても生きていけるし結婚するなら武器になる。弁護士にそう言われてその通りだと思った。
華族の娘、凖皇女として結婚してステュリー家を続けるのなら、成せる相手を選んで一年以内。
現状維持を望まないのなら、家の後ろ盾がなくても凖皇女だから血統と教養と遺産も格下相手にはかなり売れるので選べるし主導権も握れる。弁護士のその言葉には同意しかねた。私には愛想や笑顔が足りない。
どこかへ行きたい。
そう思って手に入ったお金でしばらく旅に出ることにした。気が済んだら帰ってきて、住まいは治安が良い地域なら長屋で良いので、友人知人に頼んでどうにか仕事を得る。
女学校の講師資格を取ってあるし、区立女学校で一応首席だったので、家庭教師や華族のお屋敷で手伝い人など探し回ればなにか仕事があるだろう。一人になってしまったようなものなので、住み込み仕事だと嬉しい。
姉妹喧嘩をしたし、親戚は嫌な気配なので、頼るべきなのは父の友人と私の友人に琴の師匠。
気持ちが落ちついたら、父の残してくれた釣書の家に「持参金は全財産」と「華族の血脈」と頭を下げてお見合いを頼んでみようとも思っている。
家どうこうよりも人柄重視で探してくれていたようので期待大。父の期待をことごとく破壊していた親不孝娘だから五人全員に断られるだろう。しかし何もしないと何も起こらない。
そうして私は父の職場でしていた雑務仕事を終了。終了といっても祖母と父が亡くなって約一ヶ月間一度も出勤していなかった。
父のコネで週ニ回働いていたのでもう働けない。父の関係者に頭を下げれば引き伸ばせるけど、頭を下げるなら旅行から戻ってきた際の職探し時だ。あと住む家を探す時も頼りたいので、頼み事はその時のためにとっておく。
親戚や友人が旅に出るまでどうぞと誘ってくれたけど、一人でぼんやりしたくて現在安宿暮らし。使わなそうな私物は箱にしまって鍵をかけて親戚に預けてある。どうか箱ごと売られませんように。
部署でお世話になった方々へのお礼挨拶が終わったので、帰るために廊下を歩いて階段を降りていたら「あの」と声を掛けられた。
聞き覚えのあるようなないような男性の声の方へ視線を向けると、驚いたことに父と祖母の命日になった雪の日に遭遇したハチの飼い主が立っていた。




