特別番外「良縁物語」
この春でめでたく十五才を迎えた俺は親に来年ついに元服で、良くここまで大きくなったと言われて父と二人で大人の会話をした。
もうどこかで知識を得ていると思うが来年は元服で祝言可能になるから今年、花街で色教育を受けろと言われて概要を説明された。
男の意見や話で覚えると間違えていて嫁に迷惑をかけるから女性からしっかり習いなさい、というのが花街での色教育で、講座が定期的に開かれているという。友人知人と一緒だと照れるだろうから知らない者達と黙々と受けるそうだ。
花街への入り方や使い方、詐欺対策などは連れて行く父が説明するという。半元服の時にそれそろ異性もしくは同性に色恋感情を抱いていくだろうからこれはするなとか、これが常識と教わったし学校でも習った。
雇われればどこでも働ける年齢、十二才年になると立志祝い。その時にお年頃になったから女を抱くとは簡単にどういうことか父に教わって、子どもが出来ても何も出来ないから稼げるようになるまで絶対にするなと学び、次はこれ。
その時に抱くとはなんだと聞いたら簡単に教えられたけど、今回はそのさらに深い知識を得る強化版だそうだ。多分大体知っていると言ったら「そうでもないものだ」と真剣な眼差しで言われて気後れ。
「耳年増のようで何も知らなかったり分かっていなかったりするからしっかり学びなさい」
この年だと同級生に経験済みがいるから何も知らない、分かっていないはあり得ないと思うけど父もこの道を歩んだからそうでもないのか? と心の中で首を傾げる。
「……そこらのお嬢さんもそういう風に習いますか?」
俺としてはそっちの方が気になる。
「着物で隠れているところは祝言まで見せない、触らせないって教わって、閨のことは元服時に母親から教わるはずだ。嫁入り時に教える家もあるだろう」
俺は好奇心旺盛なお年頃だし色欲も人並み。もうある程度知識があるので元服後の女性はそういう話を知っているのか、とちょっとエロい気分になる。
清楚可憐、みたいな感じで奥ゆかしく歩いている人達にそういう知識があるってなんか良い。
「お前は区立高等校を卒業したら専門高等校へ進学だから花街で金を散財するな。そういう訳で講義だけだ。それ以上は自分で金を出すか祝言まで我慢しろ」
「講義だけではない家もあるってことですか?」
「そうだ。金持ちだと高級遊楼でとか、水揚げを買ったりもする。水揚げは遊女になるように育てられた優秀な美少女の初めてだ」
「知っています。有名古典文学で出てくるので調べました」
「花街嫌いの女もいるから我慢しておくのが無難だ。金ももったいない。切り詰めて学費を出したのは兄と共にこの家を支えて大きくして欲しいからだ。かわゆい性格のええお嫁さんを探してやるから何年かくらい耐えなさい」
「はい」
男兄弟しかいないし寺子屋から区立中等校へ進学させてもらったら男ばっかりの世界になって、区立高等校生になっても同じくなので、正直幼馴染の女の子と恋人になった友人などは羨ましいけど、俺はまだ恋とか分からない。
同年代の女の子達をかわゆいな、綺麗だなとは思うけど個別認識ではなくて女の子という生物全体に対する感想だ。
登下校の経路が途中区立女学生達と被るからたまにああいう女が良いとか、あの顔が良いとか、ゲスいとたまにあの尻とかうなじとか足首とか友人達と言うくらい。
この日、寺子屋時代に親しくなったインゲとニムラが遊びに来たので三人でいつものように放課後勉強会。高等校へ進学したのは俺だけなので頼まれて勉強を教えている。
教えると覚えるからありがたいし、絵の上手いニムラは親の仕事である傘作りをしてお金を貯めて俺と同じ美術の専門高等校へ通う予定なので、学校で教わるその試験対策も教えている。
我が家は小さな小物屋でニムラの父が作る傘を納品してもらっているけど、庶民向けから少し裕福層向けの絵傘を作って売って流行りにしたいと思っているからニムラとそういう会議をする事もある。
インゲは体があまり強くなくて、ツテで火消し組織で働く事務官の見習いをしている。俺には勉強しかない、と言っているけどとても賢いから教えるよりも教わることの方が多い。
昔は教えるばっかりだったし今は俺の方が学歴は上だから、彼を見ていると努力は報われるんだと思って前向きになれる。インゲは体が弱くて入退院を何回かしているけど性格も前向きだからそこも良い。
引っ込み思案で内気で町内会の幼馴染達からあぶれ気味だったり、寺子屋で軽くいじめられて親に泣きついて寺子屋を移った俺はもういない。
このインゲとニムラと出会って人付き合いが少しずつ上手くなって彼に似て前向きになったら性格も明るくなり友人が増えたし幼馴染の輪にも入れるようになった。
二人は俺の親友にして大恩人だと思っているけど中々それを口では言えない。元服時に手紙で伝えられたら良いと思っている。
「来年元服だけどインゲもニムラも花街で講義を受けて来いって父親に言われました?」
「えっ。言われてません。花街で講義って何だ?」
「俺は三月に言われました。インゲの誕生日は八月だからじゃないか?」
「勝手に仕入れた女の知識だと大失敗したり嫌われるから女のことは女に教わって来いって言われました」
「俺は寺子屋でした。大人の講義がある日があるから行けって言われて。ババアでも女は女だから恥ずかしくて嫌だったけど勉強になったし女に対する疑問もわりと解けました」
「それなら俺もその寺子屋かなぁ。花街でってエロい女が実演してくれるんですか?」
「違うと思います。売れなくなってきた高級店の遊女は手習講師やお店で世話人とか先生になるって背くらべで出てきたから年配の人でしょう。終わったら教える」
「全員元服したら花街で女に誘われようぜって友人達が盛り上がっていたけど、この見た目じゃ釣れないし、イオさんに女と遊び回ると後でツケが来る。男は硬派がモテる。最後に勝つのは硬派だって立志祝いの時に言われたから俺は行かない」
「女に興味はあるけど昔、イオさんはミユさんに大嫌いって言われて苦労していたからな」
イオはインゲが尊敬する、彼を火消しの事務官の見習いにしてくれたこの地域を担当するハ組の火消しだ。
俺達とも知り合いで、昔はよく遊んでもらったし今も街中で会うと気にかけてくれる見た目良しで性格も良い格好良い火消し。だから俺も尊敬しているしニムラもそうだ。
父と兄に言いまくって彼の浮絵を作って、本人の了承を得て独自販売したらそこそこ売れている。俺とニムラが本格的に関わった初めての商品なので鼻が高い。成長してきて知ったけど、彼は色男で火消しだから女にかなりモテるので昔は結構遊んでいたという。それが原因で本命の女性に最初は口を聞いてもらえなかったし面と向かって大嫌いと言われたそうだ。
インゲが入院した先に火傷で入院したミユはイオに口説かれ続けて折れた。
イオは見ているこっちが恥ずかしいくらい口説いていたし、浮気したら切腹すると土下座したりとにかく頼みに頼んだらしい。
「あの頃は大人になれないと思っていたけどなれそうです。この間、ここまできたらあとは他の人と同じだって言われました。突然死んでも長生きでも運だって。病気は今くらい気をつけていれば関係ないってさ」
「おお。それはめでたい話です。一緒に元服祝いをしようって約束したからな!」
「酒は飲めないつまらない奴だけど引き続きよろしく。あとは稼げるようになったら祝言です」
「何を言うてる。祝言の前に恋人を作りなさい」
「……サナさんがなってくれます。正官になったらって」
「インゲ! お前は単に惚れた女がいるから花街はええの方じゃないか! 告白したんですか!」
「うん。ダメ元で龍歌と絵を送ったら待ってるって」
自分がかつてイオやミユに励まされたから、とインゲはお世話になっている病院へ行って慰問みたいなことをしていてサナはそこで働く介助師見習いでおまけに美人。
お互い十二才の時に知り合って、ついに恋人になって祝言の約束をしたって羨ましい縁だ。
「俺は元服したらイオさんに頼んで火消しの娘さん達にお見合いしてもらう。俺は優柔不断でぐずぐすしているし、ついつい絵のことばっかりだから気が強いしっかり者がええです」
「花組の人達って火消しが好み派と真逆が好み派がいて一定数は外嫁さんになりたいらしいからクルスも元服後に頼むとええ」
「……そうなのか⁈ いや、俺は同じ商売系の子じゃないと。なるべく両家に得みたいな家から気の合う、俺でもええって人を見つけます」
「豪家になるとそうなるんですか。俺らは平家だからな」
この後は真剣に勉強をして翌日は日曜なので父について家の仕事の勉強。それで月曜を迎えて新しい一週間が始まって同じ町内会の幼馴染達と通学していつも通りの時間を過ごして下校。
その下校時にエイトの兄が門前で待っていたので何かと思ったら、俺達と下校時間が被る新人女学校講師が気になっているから仕事を抜けてきて手紙を渡すという。
桜がひらひら、ひらひらと舞う季節になって日差しも暖かくなってきたから皆、春爛漫なのだろうか。もう五月になるけど今年は遅咲きのようで桜はまだ散り終わっていない。
「エイトさん、新しい女学校講師って今月から現れたあの女学生に囲まれている少し浮いている人ですか?」
「ええ、五月からだから臨時講師でしょう。女学校の先生の制服って生徒以上に目立つから新しい人が現れるとすぐ分かりますし、その分目をつける人も多いのに兄上は無謀っていうかなんというか」
「手紙を渡すのは無料なんだから物は試しです。何もしないと何も起こらないだろう」
区立女学校講師は俺達みたいな下流層側の豪家、商家か裕福な平家だろうからエイトと格の釣り合いは取れるはず。
(でもあの新人講師は雰囲気が違うんだよな)
遠目でしか見ていないけど着付け方、歩き方や荷物の持ち方など所作がここらで見かけるそれなりの家に見える女性達と違くてより上品。
美人! という訳ではないけど柔らかで優しげな顔立ちで、とても肌が白いのと少し髪が茶色いから目を引く。
皆で歩いているとその女学校講師と女学生達の集団に遭遇してエイトの兄は気合いを入れるというように自分の頬を叩いて意気揚々と歩き始めた。
「振られるだろうけど近くで見ましょう。どんな顔の人かもっと近くで見たいですし」
「ええ」
「ついでに女学生達に認識されないかな。あの賢そうな方達、とか。誰だよ。区立男子校生はモテる。照れ照れドキドキしながら手紙をくれる女学生が現れるって言うた奴。来年卒業なんですけど」
俺もソオラと同じことを愚痴りたい。知り合いと思われたくないからエイトの兄と少し離れて三人で新人女学校講師達に近寄る。
「美人ではないなと思っていたけどやっぱりそうだな。まあ、普通にかわゆい人です。ただ、なんかエロい」
「エロいか? 俺は好みじゃないです」
「あのくらいの女性に迫られてもそんな贅沢を言んですか?」
「言いません。好みから外れていても迫られたい。手取り足取り手解きしてもらいたい……」
ソオラが無言になって、俺も会話に参加の前に言葉を行方不明にさせた。
路地裏から小汚くて目やにが酷くて足が血まみれの子猫が出てきて「ガーオ」と痰が絡んだような声を出した時に、エイトの兄が声を掛けようとしていた女学校講師がしゃがんで何の躊躇いもなく猫を抱き上げたからだ。
私達を見てお申し込みをして下さいというような桃色のかわゆい着物に袴という制服が汚れるのに構わないようで、彼女はとても優しい笑顔で猫を見つめた。
「ギニャア!」と子猫は大暴れ。
「だ、大丈夫ですよ。痛かったですか?」と女学校講師はおろおろし始めた。
「人が怖いなら人に虐められたのかもしれません。だ、大丈夫だから落ち着いて。先生は優しいから何もしません」
ちんまりめでリスっぽい顔立ちの女学生が汚れていて威嚇する猫におっかなびっくり手を伸ばして頭を撫でて笑いかけた。
ひらりと俺の顔の前を横切った桜の花びらが光った気がして、彼女の瞳がキラキラして見える。
(たまに見かける集団だけど、あんな子いたっけ)
あの中ならあの子が美人、みたいに話していたけどあのリスっぽい子はこれまで目についたことはなかった。よく見れば彼女は新人女学校講師と同じ髪型をしている。そこまで白くないし、顔立ちも全然違うけど姉妹なのだろうか。
「手当てしないと大変です。ロカさん、一番近い薬師所はどこか分かりますか?」
「たまに見学に行って勉強させてもらっているところがあります。こっちです」
「すみません、そちらの兵官さん。すみません」
女学校講師とロカと目が合った気がしてドキッとしたけど勘違いで振り返ったら後ろにたまに見かける兵官がいた。
「どうしました?」と兵官が彼女達へ駆け寄って行ったので俺達の横を通り過ぎた。
「うわっ。なんて汚い猫。暴れているし危ないですよ。野良猫処分は気が引けるけどこれじゃあ猫も辛いしこんな猫の引き取り手もないから任されました」
「ち、違います! 手当てするので生徒達のお見送りをお願いします。集団下校の監督を頼まれていますがこの子の手当てに行きたいので」
女学校講師は猫を庇うようにして子猫を掴もうとした兵官から離れて体の向きも変えた。
「おお。そういうことですか。任されました。財布にいくら入っていたかな。げっ。全然ない。これ、少しですけど治療代です」
そう告げると兵官は懐から財布を出してお札を彼女へ一枚差し出した。
「ロカさん、代わりに受け取ってくれますか?」
「はい。兵官さん。ありがとうございます。近くの二十三番小屯所勤務ですか?」
「ええ」
「たまに見かけていつも下校を見守ってくれているからお名前を知りたいです。近くに来ないから中々お礼を言えませんでした」
「女学生さんはしっかり見てくれているんですか。こりゃあ嬉しいな。おじさんはグレイって言います」
「グレイさん、いつもありがとうございます」
ロカが丁寧なお辞儀をして顔を上げた時、そこには満面の笑顔があって、急に風が強くなった気がした。
風が目がしみて何度か瞬きを繰り返す。すると彼女はもう横顔になっていてグレイが動いたから彼女の姿自体が半分隠れていた。
「いつもお世話になっています。大通りのあおい茶屋までが集団下校の場所です。お迎えがくる家はそこに家の人が来ますし一人で帰る子は一人で帰ります。生徒達をよろしくお願いします」
「もちろんです」
上機嫌顔になったグレイが女学生達を連れて歩き始めて女学校講師とロカと何名かは猫を心配しながら反対方向へ歩き始めた。
「クルスさん? クルスさん? クルスさん?」
「……えっ? はい。なんですか?」
「どうしたんですかボーッとして」
「ボーッとしているのはエイトさんのお兄さんです」
俺が手で示すと全員が首を縦に振った。エイトの兄はどう見ても赤い顔でぼんやりしてヘラッと笑って立ち尽くしている。三人で近寄ってエイトが声を掛けると彼は我に返った。
「かわゆいからちょっと運試しって思ったけど書き直す。見つけた。あの人が俺の女性だ。調べてしっかりしたお申し込みをします」
「ああいう優しい姉が出来るのは大歓迎です。でも少し怖かったです。なんだかこう、躊躇無さ過ぎて。元々雰囲気が違うので、なんかこう俺達とは住む世界が違うと思います」
「怖い? なんだエイトさん、その感想は」
「あれで目を引っ掻かれたら失明です。危なげというか考えなしみたいに感じました。こう、放っておけないというか。お兄さんには無理な物件な気がします」
こうして俺達は帰路について、エイトの兄が彼女に本気のお申し込みをするなら、それはどういう文か考えて自分達のいつかの練習にしようという話をして翌日それを持ち寄った。
三人で、これは無難過ぎて何も心に響かないとか批評をして、これは練習が必要だと大笑い。下校時刻に俺達はまた昨日の集団に遭遇して少し近寄ってエイトの兄の為に情報探りだと耳を傾けた。
猫の話題はなかったけど女学校講師の名前はウィオラだと判明して、彼女は俺の知らない文学の話を生徒達に話していた。
「神より強く家来は悪魔〜」
そんなに大きな声ではないのによく通る美しい声にびっくりしてウィオラを凝視してしまった。
「誰よりも美しく、恐ろしい、恐ろしい、あたしは世界で一番、さぁ生き血を寄越しなさい」
ウィオラはいつの間にか扇子を手にしていて一番近くにいた女学生の顎を持ち上げると首もとを見て舌舐めずりをした。その表情の妖艶さと不気味さに背筋がゾッとして両腕に鳥肌が立つ。
「きゃあ! 先生怖い!」
「生き血を吸われます!」
「助けてロカさん!」
「我は猛虎将軍ドルガ也! 覚悟!」
友人にしがみつかれたロカは扇子を懐が出して刀のように構えてウィオラに向かって歯を見せて笑った。ドルガは煌国東部を任されている将軍だ。
「あら、話が変わってしまいます。えーっと。ドルガ様、お覚悟!」
「きゃあ、ドルガ皇子様!」
「助けて下さい皇子様!」
「なんて美しい姫なんだ。手にかけるなんて出来ません」
「騙されてはいけません、彼女は吸血姫です!」
「あっ、ちょっと待った。すみません、落としましたよ〜」
ロカはすれ違った初老の女性が買い物カゴから落としたネギを拾って駆け出した。
「皇子様が逃げました」
「実は臆病者なのでしょうか」
「私の美貌と牙に恐れをなしたとはなんたる軟弱者。さあ、乙女の生き血をいただきますわ」
「それならこの一閃兵官ネビーが相手です!」
ロカとは別の子が扇子を刀のように構えた。皇子様から身近な兵官になって、この小芝居はまだ続くらしい。
「ふふっ。皆さん想像力豊かですね。演劇会や演奏会との合作にしますか?」
「先生、急に照れましたね」
「かわゆいです」
エイトに引きずられて遠ざけられたので彼女達の会話の盗み聞きはここまでになった。
「ちょっと、なんですかあれ。あのかわゆい集団。しかも昨日、猫に優しかった子もいました。女学生って、女学生って前からええなぁと遠くから見ていたけど近くで見たらとんでもなくかわゆい生き物です!」
エイトに両腕を掴まれて揺らされて、その通りだけどこれは気持ち悪くなるからやめて欲しい。
「クルスさん、真っ赤になって見惚れていましたね。俺もちょっと。あれはヤバい。あの子達は前からかわゆいなと思っていたから余計にです」
「被っていないか確認します! 敵には情けと言いますが譲り合いはしませんよ!」
「せーの、でいきますよ」
「えっ? せーの? 確認?」
「せーの!」
「「「桃色リボンさん、リスさん、矢絣柄着物さん!」」」
全員バラバラでおおー、となりなぜか三人で握手をして俺は心の中で「リスさん⁈」と素っ頓狂な声を上げた。
「リスさん? リスさんなんて居ました?」
「エイトさんのお兄さんが気にするあの先生の名前はウィオラさんってことは分かりました」
「いえあの、その、リスっぽい、ちんまりめだけど大人っぽい、俺達と同い年くらいの子があのウィオラ先生の近くにいましたよね?」
「ああ、昨日も今日もウィオラさんと同じ髪型の子。似ていないけど姉妹でしょうか」
「あのぼんやり顔の子ですか。クルスさんはああいう方が好みだったんですね」
「ぼんやり顔って自分こそぼんやり顔なのに失礼ですよ! かわゆい人でしたし目が特に綺麗で……うわああああ。なんだこれ。うわっ。ええっ」
心臓がバクバク始まったし痛いので俺は胸を押さえた。
「クルスさん、乗りとか単にかわゆいってだけじゃなくて本気っぽいですね」
「これは下調べして入念に準備して礼儀正しく近寄りましょう」
「クルスさんの文通お申し込みにかこつけて俺達も練習がてら文通お申し込みはどうですか?」
「それはええですね。今日みたいに盗み聞きなどで俺達も本気になるかもしれませんし」
そういう訳で翌日からもそれとなく近寄った。しかし毎日近寄ると変態達みたいだから遠目で見る日も混ぜつつ情報集め。
でも彼女達の名前くらいしか分からない。ロカはいつも友人達と楽しそうに笑っている。
ゴミを拾ったとか、歩き疲れたような人に声を掛けたとか、前を見ないで走ってきた子どもに優しくしたとか、目が見えなくて杖を頼りに歩いている男性にウィオラと共に声を掛けて道案内をして迷子だったから解決などは見たので、ロカとウィオラは優しい上に率先して行動する姉妹なのは理解したし、周りの子達もロカの真似をするから性格良しそう。
区立女学生だから町内会の区立女学生経由でロカの素性が分かりそうだけど、それをするには親に相談する必要がある。自分達で調べるなら後をつけて家を突き止めて聞き込みだけど、付きまといなんて怖そうだという結論を出してそれはやめた。
五月が終わって六月になり、俺は下手を打って文通拒否されるのは避けたいから真剣に悩むようになった。
「クルスさんは最近リスばっかり描いていますね」
「あと春が終わったのに桜」
「えっ?」
放課後、我が家に来ていたインゲとニムラに突っ込まれて手元の絵画用の筆記帳に視線を落とすとその通り桜の枝と花とリスを描いていた。
「実はその、リスっぽい顔立ちの女性が気になっていてつい……」
「へぇ、どこの方ですか?」
「クルスさんのそういう話は初めてですね」
「下校経路が途中だけ重なる女学生さんで名前以外の情報は何もです。お姉さんらしき方が女学生講師です」
「それはこの家的にありなんですか?」
「多分。高望み政略結婚狙いならとっくにお見合い三昧でどこかの小物屋とかお店の店主の娘などを紹介されています。奉公してくれている職人さんの娘ってこともありますけど、親にそういうことを望まれている気配はないです」
「区立女学生なら家や商いのことを任せられそうです。相手が平家でも高望み婚狙いの親が頑張って入れて本人も勉強に励んだんでしょうから印象がええです」
「文通して会いたいので、練習ではなくて本気なので失敗しない方法を知りたいです」
幼馴染かつ学友の二人にはまず親に話して調査をして許可を得て、親にも赦しをもらったという文を添えて彼女の気を引けるような文通お申込み書を渡せと言われたとインゲとニムラに話した。
「普通の文通お申し込み書みたいな情報量が少なくて、気の利いた龍歌や絵を添えるだけだといかにも練習で見た目が好みではないとか家ではねられるかもって」
「えー。俺は男で男兄弟しかいないんで分からないです」
「家は平家で格上の世界の文通お申し込みはよく分からないです。同じ教室だったからご存知のように学校で聞きかじったけど、まだ誰も練習してみたとかいなかったですから」
「あっ。ミユさんに聞きましょう。元区立女学生ですからきっと当時のお申し込みとか友人達の話を知っています」
それだ! と思って今の時間帯は失礼ではないから三人で我が家を出てミユの暮らす火消しイオの家へ向かった。
「手土産はどうしますか?」
「絵は持ってきたけど……。ミユさんは花を生けるのが好きだから花かなぁ。河原に寄って詰んでいきましょう」
そうして河原で小さめの紫陽花を詰んで生花に使えそうな草も選んでからイオの家に向かった。来訪したらイオは夜勤のようで眠そうな顔で「ちび達と遊びに来てくれたのか?」とふにゃっと笑ってくれた。
仕事時の勇ましい姿を何度も見た事があるけど普段はとても柔らかい雰囲気の男性なので、こうなりたいと思っているけど中々難しい。
勉強や絵描きで家の中にばかりいるから俺は色白で彼はかなり日焼けしているし、イオはとても整った顔をしているけど俺は凡々顔だから似ないのは当たり前。
腕立てなど教わった鍛錬はしていて、ヒョロヒョロ男にならないように気をつけている。優しい目や表情の真似の仕方は全然分からない。
「あの、ミユさんに相談に来ました」
「ミユに? 俺じゃなくて?」
「クルスさん、イオさんも必要ですよね」
「ええ。兄よりとても参考になりそうです」
兄は跡取りなのもあって元服年からお見合いを繰り返しているけどちっとも成果が出ていない。
恥ずかしいけど、つっかえながらイオに状況を説明して友人達とこういう作戦が良いのでは? と考えたことを伝えた。
「おお。お前らはもうそんな年か。なんか感激。抱っこして七夕祭りを練り歩いたのが最近のことみたいなのに」
「抱っこしてって言われると赤ん坊の頃みたいですが数年前です」
「お前が死にかけた時だなインゲ。よくここまで大きくなった。友人の恋の為に悩むなんてええ。すこぶるええ! 病院でお前は今くらい気をつけていたらもう皆と同じようなもんだって聞いた。お前らの元服祝いはハ組でもするぞ! インゲだけは酒を飲むな」
俺達はまだ子どもではあるけど、来年は元服年なのに昔みたいに順番に頭を撫でられた。それで、そうされてみたらそれは嬉しかった。
「酒って毒でしかなさそうなので自分も飲まなくてええです。インゲとそういう付き合いはしないからなおさら」
「俺もそう思っています。肌がまたあの頃みたいに酷いことになって入院は嫌なんで」
「お前らは昔から眩しくてええ。友人想いの性格良しって伝わるのが一番だけど、とにかくとっかかりがないと土俵に立てないからミユか。ミユなら元区立女学生だから何か分かりそう。だけど俺もそこそこ知恵があるぞ。ミユの気を引きたくてお嬢さん対策の勉強をしたから」
「そういうことを聞きたくて来ました!」
付きまといは怖いだろう、は正解だからこのまま相手の素性はあまり調べなくて良い。むしろ知らないから教えて欲しいと書いたら返事をくれるかもしれないと言われた。質問には質問を返すものだからだ。
その為には印象が良い事が大切で、相手の印象も大切だけど裏にいる家族の印象こそが大事だという。
「だから彼女に話しかけるな。その付き添いをしている女学校の先生に手紙を渡せ。よろしくお願いしますってな」
「それはどこからともなく習いました」
「えっ、クルスさん。そうなんですか? 俺は知らなかったです」
「俺もです」
「俺はわりと破天荒気味にミユに突撃したけど一番最初は親に話した。その子の親が分からないから付き添い人に挨拶だ」
付きまといは気持ち悪いと考えると悩むだろうけど、下校途中でちょこちょこ見かける、それでそれ以上のことは知らないくらいなら「男子学生は素敵」ってなる可能性が高い。なぜなら花組——火消しの娘達——がそう言っているから。
これまで耳にした情報、目にした情報から好みそうな物や色を使うと良いという。
「なぜ彼女なのかを書いて、たまに見かけているから話してみたいので手紙を書いたとかそういう感じにしたらええ。後はなんかええ龍歌をもじったりして、得意の絵を使って、自分はこういう者だと家の住所や情報を書いて親に調べてもらって文通練習して下さい。どうだ!」
「頼りになりまくりです」
「クルスさんのお兄さんは形式はこうだ、で終わりでしたよね」
「ええ。多分ダメだと思って聞くのをやめました。父には恥ずかしくて言いにくくて」
そこへミユが買い物から帰宅して、イオがさらっと俺達が来た理由を説明して自分の提案も伝えてくれた。
「それで良いと思います。私はお申込みされなかったですけどお申込みされた子は、あのたまに見かける男子校生さんだってワクワクしていました。返事もしましたよ。クルスさんみたいな凛々しい方はきっと喜ばれます。気が合う、気が合わないはその後の話ですから、礼儀正しければ門前払いはあまりしません」
「ミユはかくれんぼしてたらしいからな。天然記念物の髪型にババァ臭い格好で。こんなにかわゆいから隠れていてくれて良かった」
「あっ、宛名は盗み聞きしたお名前ではなくてなんとかの君の方が嬉しいです。どうしてそう考えてくれたのか書いてあると特に」
ミユはチラリとイオを見てから、父親にまとわりついている我が子を抱っこした。
「それ、俺から君への手紙のこと?」
「火消し達は口が上手いから少し参考にするとええです。女遊びなどは真似しないように。印象最悪で門前払いされます。緩い女学生もいるけど堅い子、潔癖気味な子の方が多いです。あれこれ夢見るお年頃です」
「そうだそうだ。別にこのくらいはええだろうと思っていたら痛い目を見る。俺は火消しでミユの命を助けていなかったら首ちょんぱだった。あれは危なかった。首の皮一枚残しで口説かせてくれた。女が寄ってくるからって遊ぶなよ」
彼らはおしどり夫婦だけど、出会った頃も仲良しそうだったけど、インゲとニムラによると三人が入院中だった時に入院中だったミユはイオを追い払っていたらしい。
インゲがイオから預かった手紙や花を渡しに行った事があって他の男性とお見合いしているのも見たという。
「女が寄ってきません」
「モテません」
「その、運良く恋人が出来たので大事にします。そして他は寄ってきません」
「インゲ! 何一丁前に恋人を作ってるんだ! 知ってるけどな! お前のことは筒抜けだ! 今度その祝いをするけどその前に親父と共に向こうの家に挨拶に行った方がええ。サナの父親がイライラしてる」
「えっ。あっ、はい!」
「花文もすとてときです。何年か前から広がった有名な花言葉か自分で考えた意味を密かに添えて、何回か文通した後や会えた時に伝えるとドキドキしそうです。なんとかの君のことも、後から言う方がええです。答えが分からないと気になって返事をしたくなります」
「恥ずかしくないならというか、恥ずかしさくらい耐えろ。よって添削してもらうのもあり。俺の友人に龍歌にやたら詳しくて作れるくらい賢い男がいるから、添削や助言を頼んでやるよ。国立高等校卒だから、国立高等校生風に出来そう」
ミユがイオに向かって「イオさんの凝った手紙はロイさんの協力や代作ですものね」と優しく笑いかけた。
「俺が書くと好きです。大好きです。かわゆいです。みたいなアホみたいな文にしかならない。勉強しているんだけどなぁ」
「遅くなるから家まで送ってあげて下さい。この間、お礼だとみかんを沢山いただいたので少しずつ持って帰って下さいね」
「クルスの店になんかええ紙があるだろう。俺からの前祝いでそれを買う」
「旧煌紙に香を炊くとええですよ」
「ミユ、きゅうこうしって何?」
「使ってくれているではないですか」
「女好みのキラキラ紙か」
「言い方」
夜勤前に送らなくて良いと伝えたけど、散歩だ散歩とイオは子ども二人を連れて俺達を各家まで送ってくれた。
翌月、俺は文通お申し込み書とお申し込みを受けてもらえたら最初に渡したい手紙を完成させて、花も選んだ。花は流行りらしい金魚にちなんで金魚草の予定で、色は彼女が良く着ているのが黄色い着物だったり持ち物も黄色が多いので黄色を選んだ。
お申し込み書は常識的なものにして添削者が考えてくれた龍歌もじりの文を添えたもの。
【たえて桜のなかりせばと言いますが春が過ぎても桜の君がいます】
もし、世の中に桜の花がないなら、春を過ごす人の心はどんなにのどかなことだれつ。桜の花があるから、散ることが気になり落ち着かないです。そういう桜は素晴らしいと歌った龍歌があってそれは景色の龍歌。
それをもじって春が過ぎても桜の君、つまりあなたがいるから桜が散った後も落ち着かないみたいなこと。
こんなの俺には考えつきもしなくて、ミユも「お申し込み文にこれはすとてときです」と花丸を出していた。なぜ黄色い金魚草なのか、なぜ自分は桜の君なのかとても気になるし、そこに旧煌紙にほんのり良い香りはうっとりするという。
あと、これは知的な男性そうだからと親が許可しそうと言われた。
お申し込み書に良い返事が来たら本番の文通で、最初の手紙で桜の君、金魚草はなぜなのか伝える。
俺が考えた桜の君の理由はとても良いけど、流行りだから金魚草はつまらないので、鈴蘭のようだから君に幸せが訪れますようにという意味だと伝えるのはどうだと添削主が意見をくれたので改稿。
さらにミユが「優しい桜の君には幸せが自然と訪れるでしょうから、どうか自分と二人に来幸を願いましただとどうでしょう」と提案してくれた。かつて、イオがそう言って来幸という花カゴを贈ってくれて、嬉しかったからだそうだ。
そのように準備万端。緊張しまくりながら今日渡すぞ、と意気込んだのは七月でその日はとても晴れていた。
朝から上の空で授業を聞き流して、これはマズイとエイトとソオラに授業内容を確認して勉強し直し。胸が苦しくて緊張で吐きそうで弁当を食べれずに放課後を迎えた。
俺は話しかけられないけどエイトがお目当てのヒナに猫がいるお店で何回か話しかけたことがあるので、俺はロカにその回数分近寄った事がある。
世の中の年の近い女の子に対して思っていたように、肌が男と違うとか、唇がぷるぷるしているなとか、サラサラした黒髪が風に靡くと触りたくなるとか考えて手汗びっしょり。
「こんにちは。かわゆい猫ですね」という言葉すら言えず。同じ町内会の幼馴染の女の子と少し挨拶くらいは出来るのに。
そういう訳で俺はロカ達の集団に近づくにつれてビビってエイトに代表者になってくれと頼んだ。
「ええですよ。付き添い人に渡すんですし」
「今日は男の人もいますよ。これ、むしろ好機じゃないですか?」
「男の人になら自分で渡せます。自分の分は自分で渡します」
今日はウィオラの隣に穏やかな笑顔で歩く男性がいて、親しげな雰囲気だから恋人だろうと感じた。なにせ男性は彼女の日傘をわざわざ持って傾けてあげている。
「恋人ですかね。エイトさんのお兄さんは失恋です」
「ぐずぐずしている間に取られたんでしょうか」
「ああすると格好良いのですね。いつか出来るかな」
「絵になるから今度ああいう絵を考案してみます。あの髪型は珍しいというか初めて見たので流行りの髪型発信浮絵みたいに売れそうです」
「クルスさん、緊張しているのにしては商売のことを考えられるって実は落ち着いていますか?」
「いえ。あのぐるぐる髪型はやたらかわゆいからますます近寄り難いです」
よっしゃあ行くぞと三人で小声で気合いを入れて付き添い人ウィオラへ渡すのは変更で、ウィオラの恋人らしき男性に突撃。
背筋を伸ばして品の良さそうな感じで歩いて、礼儀、礼儀、礼儀と心の中で唱え続けて彼の前に立った。
「あのっ。すみません。自分達は区立高等校に通っています」
「文通お申し込みに来ました」
「お嬢さん方に渡していただきたいです」
三人で順番に渡してどの着物の女性へと告げて最後に三人で「よろしくお願いします。お時間をありがとうございました」と会釈をした。これは練習通りだ!
「はい。確かに受け取りました」
受け取った男性に物凄く嫌そうな顔をされたし、俺なんて睨まれた気がする。
「失礼します」と告げて遠ざかって、様子を見ていると花文は無事に本人達へ渡されて、願望なのか三人ともきゃあきゃあはしゃいでいるように見えた。ただ、ロカの反応が一番悪くてあまり気にとめてなさそう。
「気持ち悪い三人が来た、じゃなさそうです!」
「あとは返事待ちですね。俺達はついでの練習だけどクルスさんにどうか最初のとっかかりを」
「門前払いは流石にない。きっと返事がきます。縁結びの副神様、よろしくお願いします。クルスさんは昔からええ男です。何も出来ずに振られたり、悪い縁を結んで反省させる必要なんてないですからお願いします」
エイトとソアラは二人とも俺のために手を合わせてくれてかなり感激。俺は友人にうんと恵まれていると思う。
「なあ、あの男性、ルーベルさんっぽくなかったか?」
「俺も思いました。一閃兵官さんな気がします」
「あんまり見てなかったです」
エイトは昔から剣術を習っていて試合で格好良い人を見つけたと言って三人で「すげぇ」と応援するようになった、
試合には負けるけど強い兵官がネビー・ルーベルで四年前にエイトの兄は出先の役所で火事に遭ったけど彼に助けられた。それから俺達はますます応援している。彼はどんどん有名になって今は浮絵も売っていて我が家のお店にも置いてあるけど老若男女に売れている。
「あの中の女学生の関係者ってことですよね?」
「いや、あのウィオラ先生じゃないか? あんなに寄り添って日傘をこう傾けるなんて普通はしません」
「結婚指輪をしていませんでした? 金属ではなくて木製のようでしたけど朱色で目立つし同じ色だなと思いました」
「あの二人は夫婦? 今度見かけたら確認しましょうか」
「ええ」
また見かけたら握手や浮絵に記名を頼めるかもしれないと三人で興奮。なにせ彼は大会でいつも囲まれていて頼む事ができない。良い事があると幸先が良い気がして俺は少々浮かれた。
催促みたいになるから放課後、ロカ達に会わないように気をつけて、気持ち悪いくらい毎日、毎日郵便受けを確認して、親と兄に笑われていたある日【金魚草の君へ】という手紙を放課後に発見して小躍りして家の玄関を開くのを忘れて扉に激突。
「っ痛」
家に入って階段を登っていたら足を踏み外した。こんなことがあるなんて悪い事が書いてあるのかと怯えてしばらく手紙を見つめて、見つめて、見つめて、勇気を出して手紙を開いた。
今日はインゲやニムラが来る日ではないので自分から行かない限り、友人は誰も居ない。
(……お母上からだ)
【娘にお申し込み書をありがとうございます。初めてのことで動揺していますが年頃で気になるようなので練習も兼ねて文通させていただけたら嬉しいと思い筆を取らせていただきました。娘の名前はロカで六月に十三才になりました。我が家は平家です。夫、つまりロカの父親は日用品店ひくらし及び彩屋で働く奉公職人のレオと申しまして竹細工職人です。母である私は家守りです。ロカには兄姉がいまして、私達夫婦の子どもは全部で六人です。長男は籍だけ養子に出ていますが生活を共にしています。長男の仕事は地区兵官です。長女は父親の跡を継ぎましたので竹細工職人で父親と同じ店で働いています。同じ職場の職人を婿をもらい隣で暮らしています。次女は嫁ぎ先で家守りをしています。三女は手伝い人として働きながら花嫁修行中です。四女は料理人見習いで来月料理人に昇格予定です。平家で子どもを多く授かったので、その時その時の精一杯を模索した結果、全員の教育方法や進路が違います。ロカは末っ子で、我が子や親戚の支援と本人の努力のお陰で区立女学校へ通っています。卒業後はツテをたどって薬師の弟子になりたいと口にしています。絵を描く事が好きな勉強家で手前味噌ですが優秀で優しい娘です。商売関係でも何か得があるかと思いますので、ご両親の許可を得て文通しますというお返事をいただけましたら、娘にお申し込み受け書をどうぞと伝えます。父親は子煩悩で娘を溺愛しているので、文通練習でもイライラして仕事に影響が出たり過剰に男性払いをするのでこの件はしばらく私が担当します。その為、手紙はお母上の名前でお願いしたいです。ご両親と共にご検討の程、よろしくお願い致します】
母親の名前はエルと書いてあって、とても美しい字なのでしばし見惚れる。
(調べてこちらが嫌じゃなければどうぞって丁寧。ロカさんからの返事が来るんだと思っていた。うわぁ! 俺のお申し込み書を読まれたんだ!)
ウィオラのウの字も出てこなかったのでロカは単に先生の髪型をいつも真似しているだけのようだ。顔立ちが似ていないからとても腑に落ちる。
「ち、父上。父上!」
部屋を飛び出して階段を駆け降りたら尻餅をついた。これは悪い運が来たとか来ていないのではなくて俺が動揺し過ぎだ。
書斎にいると思って訪ねたら、父は帳簿かなにかと睨めっこをしていたので声を掛けて話をして良いのか確認したらどうぞと促されたので正面に正座。
「文通お申し込みの返事が来まして、家族についてとご家族の職業などを添えて下さり、ご両親の許可を得られたら娘さんがお申し込み受け書いてくれるそうです。こちらがその手紙になります」
差し出した手紙を読みながら父はみるみる目を丸くした。
「おま、お前が惚れたのはあのレオさんの娘さんじゃないか。こりゃあ、我が家もお前も軽く調査されたな。調査の上で良いですという返事とは良かったな」
「ロカさんのお父上をご存知なのですか?」
「ひくらしの大旦那さんが抱えている自慢の職人の一人で何回か飲んだことがある。ひくらしを営むロブソン家の三男と俺は専門高等校の同級生だ。こりゃあ景気のええ縁だ! 偶然なのは知っているけどええ女に惚れた!」
ひくらし、という単語を見た時に俺も我が家に良い縁の兆しと思ったけど父の興奮ぶりからすると経営面ではぼんくらな俺はピンッときていなかったけど、ロカというかレオはかなり良い相手のようだ。
「つまり、その、彼女と文通してもええですか? 自分と文通練習してくれるそうです」
「ひくらしは老舗だしじわじわ大きくなっていて、ここ数年は中流層にも事業拡大していて順風満帆だ。そこの大事な職人の娘さんなんてこっちから頭を下げて、土下座してお願いする相手だぞ。ひくらしが事業提携先なのは分かっているよな。絶対に悪さをするな。縁がなくても礼儀正しくだ」
「当たり前です。練習でも門前払いではなかったからホッとしました。少なくとも一往復は出来ます」
「お前は真面目で優しい努力家だからそれが実を結んだってことだ。自分を誇れ! この縁が破談でも絶対に我が家の糧になる。ただし、悪さをしなければだ。最初から俺に相談したように今後も相談しなさい」
「はい。家守りは無理な方そうですけどええですか?」
「その辺りは兄嫁に任せるか人を雇う。薬師さんになってくれるなら雇えるだろう。優しいから惚れたと言うなら応援しなさい。薬師さんになりたいなんで応援するのは当たり前だ」
「はい」
「レオさんは気さくだったけど娘の教育方針などは全然知らないから今度ロブソンさんに会って情報収集しておく」
「ありがとうございます」
この手紙の返事は父が書くそうで、俺は再びロカからの手紙を待つことになった。
翌日では直接投函で郵便受けに文通お申し込み受け書が投函されていて、大緊張して開いたらありがとうみたいな事と、お願いしますという文に春の桜は綺麗ですねというような龍歌まじりと家、家族構成など基本的なことが書いてあった。
秋らしきすすきのある景色の中にある池に月が浮かんで道を作っているような美しい絵が添えてあってそれが何か分からなくて苦悩。
悩むよりも聞いた方が早いと一番賢そうなイオの友人、添削主に頼んだらあっさり「金魚月池でしょう」という回答と簡単に話を教えてくれる手紙をくれた。
既に準備済みの最初の手紙をいじるにはまた添削が必要になるから俺は月の池を描いて、そこに金魚を増やしてみる作戦にした。二回目の手紙からはなるべく自分らしくと言われているからそこで金魚月池について会話にすれば良い。
月の色の金魚草だから流行りではなくて、月池金魚にちなんで私は魅力的という意味ですか? そういう意味の絵なら知的で駆け引き上手な相手か、周りにそのような助言が出来る相手がいるのだろう。添削主はそうも書いていた。
俺は一晩で絵を描き上げて父に最初の手紙を託して「早く届くようにお願いします」と依頼。
初恋の相手に門前払いされずに文通出来るなんて嬉しくて、数日間浮ついて何も言えなくて、ようやくエイトとソオラに軽く報告していたら、珍しく朝からロカ達の集団に遭遇した。
ウィオラの隣にまた男性がいたので俺達は手紙を受け取ってもらったお礼をして握手してもらおうと意を決して近寄った。
なにせ男性は前回と違って兵官の制服姿でおまけにこの辺りではルーベルしか着ていない地区本部の羽織りを着ているから本人で間違いない。
文通をお願いします、とロカに挨拶をするならウィオラだけの日よりも男性がいる方が印象が良い気がするのもある。おまけにロカが俺を見て小さく、とても小さく手を振ってくれたからこれは絶対に挨拶するべきだ。
「おは、おはようございます! 先日は手紙を受け取っていただきありがとうございました」
「おはようございます。ありがとうございました」
「おはようございます。その、兵官のルーベルさんですよね? その地区本部の羽織りはそうです。この間は気がつかなかったんですが憧れていて大会でいつも見学しています。握手して下さい!」
打ち合わせ通りエイトが握手を頼んだ。
「……」
ルーベルから返事はないし、彼はしかめっ面だったけど少し待ったら優しい笑顔を浮かべてくれた。
「あはは。朝から元気が良くて礼儀正しいですね。大会を見学しているとはありがとうございます。剣術の見学よりも仕事振りを真似して困っている人がいたら声を掛けたり兵官を呼んだりして下さい。それなりに働いているつもりなので」
そう言うとルーベルは俺達と順番に握手をしてくれたけど俺の時だけ少し眉間にシワで握手がおざなりな気がした。前回睨まれたのは気のせいではなくて、俺には何か失礼なところがあるっぽい。
「それなりなんてとんでもないです! 兄が火事から助けてもらったことがあります! それでずっと前から憧れています!」
「彼が言うので見るようになって自分達もそうです」
エイトとソオラに任せて俺はロカを見るか、見ないか、話しかけて良いのかぐるぐる思考を開始。
「あの! その、そちらの先生とルーベルさんは恋仲なのですか? この間そう思いました」
「おい、よく見たら結婚指輪をしてる」
「うわぁ。やっぱり兄上は失恋だ」
「……」
ルーベルの笑顔が明らかに引きつった。
「ええ。こちらの先生の婚約者でこの子の兄です」
ロカの兄は地区兵官。目の前のルーベルは地区兵官。彼はこの子の兄。この子、とは今ルーベルが見たロカのこと。しっかり見たらめちゃくちゃ顔立ちが似ている! 二人してリス顔だ!
「ロカさんのお兄さんがルーベルさんなのですか⁈」
俺は思わず叫んでしまった。
「あれ。でもロカさんって平家で苗字は無いと……。ああ、お兄さんは豪家拝命……」
ずいっと、ルーベルの不機嫌顔が目の前に来た。
「あの……」
「君、誰が俺の妹の名前を口にしてよかだって許可した」
睨まれたのは気のせいではなくて、真正面から思いっきり睨みつけられた。ハッキリ言ってかなり怖い表情だし圧も凄い。
「えっ?」
「ネビーさん。おやめください。すみません。お母上から常識的なお付き合いは許可されていますので気にしないで下さい」
ウィオラがルーベルの袖を引っ張った。
「ええ。常識的で本気なら。設定した目標の将来に向けてどう努力してどのような結果を出しているのか説明出来る全く女と遊ばない律儀な男というのが最低条件です。まず親や兄にそういう情報を提示するべきでは?」
そうなの?
俺の周りの大人の男性でそうしなさいという者はいなかったけど。それなら再度、親と彼宛の手紙を書かないといけない。
「私をいきなり馬でお出掛けに誘った方よりも付き添い人に文通お申し込みや付き添い人に声を掛けて朝の挨拶の方が誠実です。遅刻するので行きましょう」
ルーベルの腕を両手で掴んだウィオラが歩き出して目を丸くしたルーベルが引きずられて行く。
「皆さん、遅刻しないように行きますよ。私の前を歩いて下さい」
ウィオラに声を掛けられた生徒達が前へ進んで行くのでロカ達は俺達に会釈をして歩き出した。
「あの! 俺、今言われたこともします! それも踏まえて返事をくれたら嬉しいです!」
振り返ったロカと目が合って、彼女は顔を真っ赤にして会釈をしてくれたので多分幸先良し。
「うわあ! 知らないうちにルーベルさんの妹に惚れていました!」
「すげぇ。クルスさん。是非初恋を叶えて下さい。ルーベルさんの義理の弟ですよ!」
「弟って、祝言なんてそんな先の話は分かりません! 彼女はまだ十三才です」
「早いと三年後に祝言ですよ」
「返事の一通も来ていないのに気が早いです!」
俺はこの日の放課後、いてもたってもいられなくてイオの家に押しかけたら彼はまた夜勤で家にいて、ミユと彼女の両親と共に話を聞いてくれた。
「……えっ? ルーベルの妹だった? お前はロカちゃんに惚れたのか⁉︎」
「えっ? ロカさんをご存知なんですか?」
「知っているも何も赤ん坊の頃から知ってる。ネビーは俺の幼馴染だ。うわぁっ。世間は狭い。おまっ、お前。お前は妹バカのネビーと戦うのか。いや、レオさんが大変だ。頑張れ」
イオに肩を叩かれて戸惑う。人見知り気味で一人のことが多かった寺子屋時代にイジメみたいな目に合って別の寺子屋に移動したらインゲやニムラと仲良くなって、このイオと知り合って、その幼馴染の妹に惚れたって世間は狭すぎだ。家や生活圏はそこそこ離れている。
「えーっとあの、子煩悩だからお父上には秘密にするとお母上からの手紙に書いてありました」
「っていうかお前の手紙を添削したのはロイさんだぞ!」
「ロイさんという方なのですね。預けたお礼の手紙の内容が失礼でした?」
「違う。違う、違う、違う。ロカちゃんには姉が五人いて二番目のお姉さんの夫がロイさんだ。つまり義理の兄ってこと」
「……そのロイさんは義理の妹への手紙を添削したってことですか?」
「そうだよ! なんだこれ!」
「ということは最初の不恰好な手紙のこともロカさんに知られるということです」
「そこは問題じゃないけど面倒そうだからそこは秘密にしておこう。これは秘密だ。仲良くなれたらそのうちロカちゃんに言うてもいいけどネビーとロイさんには言うな」
「はい。でもなぜですか?」
「ネビーがロカに男を近づけたってロイさんに恐ろしい一閃突きか下手したら乱突きをする。俺にも食らわせる。あれは怖えよ」
「……あの試合のそれは怖いです」
「……お前は女に手を出したことはあるか⁈」
「モテないので指一本ないです」
「モテない、じゃなくてそういう信念だと言え。ロカちゃんと結納するまでキスするな。せがまれてもそう言って断れ。でないとネビーに縁を潰される。ネビーよりレオさんだ。あの親子はとにかく色に厳しい」
「イオさんに硬派が最後は勝つと言われていたのでそうしてきて良かったです」
「俺が太鼓判を押すええ子が相手だから、ネビーのやつは追い払えない相手が現れたって泣くな。畜生! って泣くな。ヤベェ。楽しみ。あはは。なんだこれ」
後日、俺が親に話してから送ったロカの母親とルーベルに当てた手紙に返事が来た。しかもロカからの手紙も同じ封筒に入っていて動揺。
怖いから一番最初にルーベルからの手紙に目を通すことにする。
【ハ組のイオが子どもの頃から知っているようだし調べた結果学業成績も生活態度も問題ないので仕方がないから許すけど、非常識行為に対しては法的対処を行い社会的に抹消します。ゆめゆめ忘れないように。南三区地区本部所属六番隊出向副隊長補佐官副官ネビー・ルーベル、南三区中央裁判所裁判官ロイ・ルーベル】
怖え。文通お申し込みをしただけなのになんだこれ。地区本部兵官に裁判官の義兄って最強の布陣だ。何か悪さをしたらぺちゃんこに潰されるし、潰すって宣戦布告された。つまりロカは家族に大事にされているってことなので身が引き締まる。怖いから嫌だ、とはならなかった。
隙間に「付き添い付きでお茶をしましょう。ロカさんはわらび餅が好みです。ネビー・ルーベルの婚約者ウィオラ・ムーシクス」と「満天屋を下見しておいて下さい。リル・ルーベル」と書いてあって混乱。
ウィオラの文字はロカの母親の美しい字とそっくりなのであの手紙は彼女が代筆した可能性があると思った。
ロカの手紙に目を通したら、俺に対する質問が色々書いてあったり、学校の友人達やウィオラの話が多くて自分が優しいのならそれは周りの人達がそうだからみたいに綴られていて謙虚だなと感じた。
しかも親友の誰々はこのように優しい、ウィオラはこうだと具体的に書いてある。エイトが気にした子も、ソオラが気にした子もとても優しい女性のようだ。
あの子猫は学校の空き部屋でウィオラが看病をして元気になったから絵を描いて皆で飼い主を探したという。
すぐに助けて、飼えないけど飼い主を探しますよ、と消毒をして包帯を巻いてお洒落ですってリボンを結んであげたウィオラのように本物の優しい人になりたくて、それはまるで兄と同じだと兄自慢の後に、一番目の姉はこう優しくて、二番目はこうで、三番目はこうでと四人の実姉も皆それぞれ優しいから、末っ子で真似できる自分は得。
最近、何度も親切にされて人に助けられて育ったから真っ直ぐ育ったり人に優しくできること。親切を素直に受け入れられること。親切にされたことがあまりなくて、騙されたり酷い目に遭ってきた人は親切が怖いと知ったそうだ。だからあの猫も同じで、そこで怖いと見捨てたり避けたり逃げたら良いところを知る事は出来ない、あの猫は今とても人に懐いてふわふわした毛で人気者、という話は興味深かった。
辛いことがあっても誰かに優しく出来る人は本当に優しい人で、自分はあまり辛いことに遭遇していないからいつか試される。その時こそ君は優しい人、それでも君は桜の君だと呼ばれたいです。この言葉は俺をさらに深い穴に落とした。
約一年後に知るけど、インゲは優しい火消しのイオと優しく褒めてくれたミユに会わなかったら、真面目に療養することも勉強も、どうせ死ぬんだから何もかも無駄だと放棄していたそうだ。
そのインゲは内気だった俺とニムラを引き上げてくれて、一緒に区立中等校へ行こうと誘ってくれて、たまに会うイオやミユの言葉は俺達をうんと真っ直ぐ育てた。もちろん親も尊敬しているけど子どもは親以外からも大きく影響を受ける。
俺達は親や家族だけでは腐っていた、嫌な男に育ったかもしれないと元服祝いの席で友人達と笑い合って、酒ではなくて梅甘水を飲んだ。
その梅甘水は昨年ロカと姉のリルが漬けてくれた物で今後も皆で飲み続けたい。
周りの口車に乗せられて、なぜかかなり厳しい剣術道場に通わされることになって、師匠が良しと言わない限り祝言禁止なので励みたいと思う。




