特別番外「ロカと兄と姉8」
それでは歌好きのロカさんへ、とウィオラは今の話の歌をロカに教え始めた。
(微笑ましくて癒されて回復してきた。さっきの恋話みたいなのはもうやめてくれ)
妹バカの俺は妹とそれなりに親しくしてくれる女性がお嫁さんになることを希望していてやはりその考えは正解だったと思う。二人だから癒しが倍ではなくて三倍くらいの気分。
(慎ましいなんだかかわゆいお隣さんがルルと仲良くしてるとか、家族とほのぼの夕食の時点でなんだかよかだと思っていた。やはり俺は本能人間)
お見合い後の最初の付き添い付きデート相手に末の妹さんが元服する頃に祝言希望ならその後は婿入りも可能ですか? という問いかけで気持ちが帰りたいに傾いて、その後に親代わりとは立派で家族想いと言われてさらに帰りたくなったことを思い出した。
どういう事前情報だったのか知らないけど俺が親代わりをしないとならない両親ではない立派な親だ。
家や妹に縛られているのではなくて妹バカの俺がくっついているだけ。
そういう話をしても俺としては頓珍漢な返事が来たので無理、と思った。他にもちょこちょこ気になって最後は単なる接待で癒しの逆。
お嬢さんやお嬢様も様々だととっくに知っていたので時期が来たら自分で探すか手当たり次第お見合いと思っていた。
なのに探す前にウィオラはポンっと俺の前に現れた。とても不思議。
「——……祝いに琴を買ってもらって趣味にしようかなって。仕事だらけは疲れるって。お医者さんや薬師さんの出番がもうない患者さんに安らぐ演奏を出来たら喜ばれるかもしれないでしょう?」
ロカに着物の袖を少し引っ張られた。
「ん? ぼんやりしていて少し聞き逃した。何祝いだ?」
「元服祝い。先生がそう言ってくれたの。あれもしたい、これもしたいは悪いですよねって言うたら」
ロカの発言に俺は虚を突かれた。
(お医者さんや薬師さんの出番がもうない患者さん……)
テルルが患っている石化病は、かつて俺の気持ちを救ってくれた恩人の命をあっという間に奪った。一言、ありがとうを伝えることも叶わなかった。
彼女は若かったので急変が多い世代。テルルは平均的な年齢で発症したし似た者達よりも進行が遅い。彼女の年代だと他の病気や事故死の方が多いと聞いている。
なのでテルルのことを家族親戚は楽観視しているけど俺は急に何かあるかも、とヒヤヒヤしている。
(もしもの時に何かと思っていたけど何も思いついてなかった。代わりに今のうちに孝行って。俺も練習しておいたら連奏に参加出来るかもしれないのか。参加したいな……)
「二つ三つくらいならこなせることが多いです。目が見えなくても聴こえることはあるので琴や歌。耳が聞こえなければ絵。ロカさんの趣味は薬師さんになりたいという目標へ続きそうです」
「お兄さんのおかげで無料で教えてくれるししかも貸してくれるんだよ。でもほら、先生は沢山練習するから借りてばかりはダメだしお礼はしないと。今は先生がいじめられないように皆で見張ってるの。あのね、先生は繋げるのが上手だと思うんだ」
「繋げる? そうなのか? 教えてくれ」
「金魚月池話を聞いていたでしょう? それにね」
同じ教室の生徒の話が始まったけどロカの話は若干右から左。
あれもしたい、これもしたいは悪いというロカの発言の方が気になる。
少し働いて手習をしたいけどまずは学校のことですか? とか薬師が目標なら今勉強している以上にどんどん勉強ですか? などの問いかけをウィオラにもしたということ。
(冬に俺に聞いたし親父達も聞かれたって言うてた。まずは勉強して後から習うと良い。人はいつからでも学べるって皆似たようなことを言うたけどロカは今手習がしたかったんだな。だからウィオラさんにも質問した)
同級生は一つくらい手習をしているから羨ましいとかあるのかも。
(働いて払うからって時点で相当習いたいと思っていたってこと。自主練をするにも琴はルーベル家にしかない。ロカは通学と勉強中心であまりルーベル家に行かないからな)
自分が今働ける範囲でお金を貯めても琴はまだまだ手が出ない。
演奏関係の趣味会には授業でほんの基礎だけしか演奏出来ない生徒はついていけない話をチラッと聞いた記憶がある。
合唱も楽しそうだけど演奏関係の趣味会も気になっていたのだろうか。
(そのくらい出したけど気にするからな。末っ子だったから自分だけ女学校に通えた。一番美味しい順番の妹で私だけ悪いって思ってる。ルカやリルに相当我慢させたから親父達はロカを甘やかさないし与え過ぎは本人が気にするから……やっぱり難しいな)
ルカやリルとかなり違う教育の代わりにロカは幼少期に母親と過ごした時間がルカやリルよりもうんと少ない。
母親代わりだったリルを幼少期にいきなり奪われたり、ルルとレイはルーベル家と距離が近いけどロカは遠いなど色々ある。
家族が取りこぼしたロカの何かしらのモヤモヤを優しい答えで掬いあげて世話もやいてくれているとは嬉しくてありがたい話だ。
(ウィオラさんの感じだと教えて欲しいとは嬉しいですとか、妹は居なかったから楽しいとか言うてくれるのかな。さっき小物を買った時みたいに。あと学校で助けて下さいね、とか。一方的にならないように)
俺からするとウィオラは嬉しい台詞選びをしてくれる女性。
嫌な人は嫌な言葉選びかもしれないけど俺は嬉しいとか癒されると感じる事が多い。
八百屋へ寄って二人が野菜を買うのを眺めて再び帰路で家へ到着。
ロカが火消し半見習いケイジュの話をひたすらするから不愉快だったけど耳を傾けている限り、そいつに憧れているのはロカの友人でロカは初恋の応援っぽい。
俺が火消しはやめておけと説明したら「うるさい」と怒られた。
「うるさくねぇよ」
「そもそもお兄さんの親友は火消しばっかりじゃん。優しくて楽しい人達なのになんなの。遊び人ってええのに。説明されたら雅なのもええけど粋に口説けるって格好ええよ。前は分かんなかったけど最近少し分かってきた」
「はああああ⁈ 遊び人がよか? あり得ない。やめろ。お前はそんな狂った考え方を直せ」
「なんで? 色々な遊びを知っていて歌も踊りも出来て仕事は人命救助で格好ええよ。火消しが人気なのも分かる」
「……」
ロカは遊び人の遊びを誤解している。ルカを除いて我が家の女達は精神年齢と実年齢が若干乖離気味なのはなぜだろう。
「ロカさん。お兄さんの言う遊び人の遊びはこういうことです。じゃんけんで勝ったらきとすをしてやるぜ。例えばそういう遊びです」
……。
キスと言わない奥ゆかしさとしてやるぜ、と火消し風に言ったのに上品な言い方がかわゆい。いや、かわゆいじゃなくて俺から仕入れた情報をロカに横流し!
「きとす? キス? じゃんけんで勝ったらキスしてやるぜ? ええええええ!」
「真剣な想いなら戦う覚悟が必要です。遊ばれない工夫などもでしょう」
「へえ。キスの練習や思い出だけなら火消しとじゃんけんしたらええんだ。悪さしないで格好良くしてくれるってええね」
「うおいロカ! 練習するな! 大事にとっておけ! 絶対に後悔するからそこらのバカと練習するんじゃねえ!」
「なんで? キスが下手で袖振りされたらどうするの?」
「逆だ。清楚可憐な感じなのに最初に慣れたどエロいキスをされたらドン引きする。なんでって、なんでってお前こそなんだ。お前にはないのかよ。こう、乙女心的なキス願望」
「別にたかがキスじゃん。そう言ってたよ。マミさんが期待外れだったって。マミさんはエナさんの二つ上のお姉さんね」
「だから後で後悔するからその考えはやめておけ」
「だってさぁ。格好良いと思ったのに鼻息が荒くて気持ち悪くて袖振りしたって。つまりキスの練習が必要じゃん。練習しておけばドン引きされないどエロいキスじゃないのを上手くして少し照れて初めてなの、で済むけど練習しないで失敗して袖振りされたら最悪でしょう。備えあれば憂いなし」
初めてなの、で済むけどってなんだ!
区立女学校に通うのはお嬢さん。なのでロカは平家お嬢さん。あばずれお嬢さんもいるのは知っているけどこれは兄の夢ぶち壊し。
「まあ、そういう考えもあってそうやって袖振りされる奴がいるから練習するかってなる訳だけど……。やめろ。お前は練習するな。鼻息が荒くて気持ち悪いって最初にどんだけがっついたんだ……」
「ルルがお兄さんは乙女ちゃんって言うけどこういうところだよね。片足オジジなのに過剰に女に夢を見る乙女ちゃん。最初のキスを奪われて泣いちゃったんでしょう? この間レイに聞いた」
今のロカよりも年下の時、子どもの頃に幼馴染とそういうことがあって、嫌だと怒ったら幼馴染が泣いて誤解した親に説教されて泣いた話のこと。誰がバラした!
「まあ。ネビーさんは泣いたのですか」
「うるせえ! お前らはなんなんだよ。俺の悪いところばかりペラペラ、ペラペラ喋りやがって。俺は知っているんだぞ。お前らはこぞってウィオラさんに俺は足臭だとかバカとかあれこれ言うたって」
「ふざけ悪口だけどちょっと臭う時は臭うじゃん。足っていうか全体的にたまに加齢臭っていうか残念な感じ。分かってるからウィオラ先生に洗濯されたくない乙女ちゃん。良かったね。洗濯してくれるし、練習してなくてキスが下手なのに袖振りされなくて。あと臭いから嫌いってならなくて」
畜生!
俺がいくらウィオラに格好つけようとこんなのが他にあと三人もいる。
残り一人のリルもたまにしれっと「足臭です」とか「ド忘れおバカです」みたいに悪口を言い放つ。
リルの場合、ロカみたいにふざけ笑いじゃなくてしれっとすまし顔で言うから神妙な感じになるから別の意味でムカつく。
「なんで俺のキスが下手って前提なんだ!」
「ウィオラ先生、下手でした? 鼻毛を発見したとかなかったですか? ふがふが言われて幻滅したマミさんの袖振り話でそういう話も聞きました」
「ま、ま、ま、まだですので今の話で気をつけてくださるでしょうし私も嫌がられないように気をつけます」
「嘘だよ先生。お兄さんと屯所で別れた後にたまに唇を触ってぽやーってしてたじゃん。あんなのバレバレだよ。いつも二人きりの時間があったし」
俺はそのウィオラを見てない。それはかわゆい話。
「お兄さんは枕とかこんにゃくで練習した? こんにゃくはなんか切れ目を入れたら唇になりそうじゃん。おお、こんにゃくを試してみたい。ウィオラ先生、今度試してキスと感じが似るか教えて下さい」
ウィオラは毎日こんなロカを相手にしてるのか。ウィオラと出会う前と後でロカの話題が全然違う。
「そ、それは、それは初めてのきが終わった後にします。それまで教えられません。いえ、ルカさんに頼むと良いです」
「ふーん。本当ならキスをしてもらいたくて待ってる顔なんだ。だって、お兄さん。小心者だから噂のたかがキスも出来ないんだね。あっ、お母さん! ただいま帰りました! あのね、お兄さんがお小遣いをくれるのを許してくれたから先生とお揃いの流行りの髪飾りを買えました!」
ロカは階段を降り終わると合間机のところで料理の下準備をしている母へ駆け寄っていった。
「……ロカは最近あんなですか?」
「いえ。今日はいつになく話題が色恋でした」
「なにしれっと火消しの遊びの具体例を教えているんですか。下手すると俺に飛び火します。いや、別にしてもよかですけど。この件でウィオラさんに隠し事はもうないです」
「他の遊びは知りませんのでつい、です」
「たかがキス。たかがキス……俺かも。俺かもしれません。備えあれば憂いなしも、俺が甘えるロカを抱っこしてあいつらと飲んで喋っててなんとなく覚えてるとか……」
西瓜割りにルーベル家も来るから、それならとラルスはルーベル家でユリアとレイスに稽古や講義をして一緒に来る、と言ってくれたらしいので不在。
ラルスがいないから遠慮せずに、着替えて料理をするというウィオラについていって一緒に部屋に入ろう考えていたらロカに「お兄さん」と声を掛けられて手招きされた。
「なんだロカ」
俺はウィオラが着替える前にかわゆい制服姿を堪能したい。邪魔するな。
「これ。撫子の髪飾り。かわゆいでしょう。先生喜ぶよ。私に頼んでこっそり一緒に買ってもらってたって言うとええよ。今日のあの雅さにこれはグッてきそう」
手を取られてはい、と渡されたのは小さな撫子の形の飾りが二つついた棒。多分刺して使うのだろう。このかなり小さい簪の名称はなんと言うのだろうか。
「いつもありがとう。お仕事沢山お疲れ様。ウィオラ先生も兄ちゃんを大事にしてくれるからご褒美。優しくしてくれるお礼でもあるけど私から貰うよりも嬉しいよきっと」
多分これがロカが小物屋でお財布の中身を気にした理由。
「……」
「いくら小心者でも婚約者なのにキスくらいしなかったら振られるよ。多分。ククリさんが昔そういう理由で恋人を袖振りしたらしいよ」
ルルとレイの幼馴染ククリは二年前に結婚してこの長屋を去ったけど遊びに来たのだろうか。
ククリちゃんが紙芝居を持ってきてくれたわーい、みたいな感じだったロカがククリとそんな話をしたのか……。
「……」
「お母さん! 兄ちゃんが気持ち悪い! いつも気持ち悪いけどもっとだよ! なんか泣いた! ウィオラ先生がモテるから横取りされるって怖くて泣くって小心者過ぎるよ! もうしたと思っていたのに気持ち悪いって言われたら怖いからキス出来ないんだって! 逆に振られるよ!」
話を捏造するな!
「泣いてねえよ! なんで俺がいきなり泣くんだ。いつも気持ち悪いってなんだよお前は」
「放っておきな。多少気持ち悪かろうが足臭だろうが髭面が汚くても見逃されてるからなんとかなる。あばたもえくぼって言うでしょう」
畜生!
母親が母親だから俺の妹は皮肉屋ばっかり。悪口ばっかり言いやがって。髭面が汚いって汚かったのかよ。教えてくれ。ロカからしか言われてない。ウィオラの部屋の扉越しに彼女に声を掛けて招かれたので入室して扉を閉めた。
「ネビーさん。どうしました?」
「いえ……。あの、こちらを……」
泣いてねえ、とロカに言い返したけど少し泣いてる。ウィオラへ撫子の髪飾りを差し出した。
「ロカさんからですか?」
「分かるんですか?」
「チラチラ見ていて金魚以外も欲しいけど今日の臨時お小遣いで足りないからお財布を確認していると思っていました。先にお会計をしたので買ったかどうか知りませんでした。ネビーさんへだったのですね」
お財布を確認したのは俺も見ていたけどこの髪飾りをチラチラ見ていたのは気がつかなかった。
「今日の撫子龍歌にこれはよかだからって気遣いです。ウィオラさんにお礼だそうです。俺からの贈り物の方が喜ぶだろうって言うてくれました」
確かに俺は疲れているかも。涙腺が緩いし自分で撫子龍歌をもじったのに何も思いつかなかった。普段ならそこまでバカではない。
「ありがとうございます。小さいので失くしそうですが一生物になるように気をつけます。ロカさんから初めての贈り物です」
「これは刺して使うものですか?」
「ええ。今日だとこの辺りのリボンの手前が良い気がします」
「失礼します」
分からないけど良さそうなところへ刺してみる。その時にウィオラはこう口にした。
「中古の琴は小型金貨一枚しません。それできっとこの髪飾りと同じくらいの価値があると思います。学校では青鬼灯の簪は高価そうで恐らく規定違反で使えませんので他の髪飾りの贈り物も良いですが私はそれも嬉しいです」
俺が贈った簪を使ってないって規定の問題。言葉を選んでサラッと尋ねたらすぐに分かるのに勝手に拗ねた俺はバカ。
「……。一緒に選んで欲しいです。俺もそのうち弾けるようになりたいから共有します。俺のだけど家族のものでもあるって言います」
ウィオラと親しくなってどんどん俺を助けてくれ、とロカに言おう。
頼ったらロカはきっと喜ぶ。あの悪口や皮肉は気に食わないけどなんだかんだ俺は慕われている。
「ネビーさんも弾いてみたいのですか?」
「はい。中官試験が終わったら、しっかり習いたいと思っています。ウィオラさんだけではなくてムーシクス家と縁結びなので家業のことは下手でも覚えたいです」
ウィオラは「それこそその時にお揃いの特別な琴が欲しいです」と花が咲いたように笑ってくれた。おねだりされて嬉しい。
「声が大きいので聞こえていまして、その、いつも気持ち悪いけどのところあたりからです。初めてのきのお礼と言うと良いですって……」
「はあぁ……。よく観察しているなと思ったら的外れな事も言うし訳が分かりません」
先日、屯所でも思ったけど俺の妹は成長しているのかしていないのか、子どもだけど大人に近づいているのかサッパリ分からん。




