特別番外「ロカと姉と兄4」
誘われるまま私は再び自分の部屋でユラと二人きり。家族も友人もいなくてお金しかないってどういうことだろう。
「昔、貧乏だったって言うたわね」
「はい。皆で一部屋暮らしですが私が記憶にあるのはルカお姉さん夫婦は隣の部屋の二部屋暮らしです。かまどのない違う部屋でした」
「私も途中までは長屋育ちでした。もっと狭くて天井も低くてカビ臭い部屋」
「家族はいないって亡くなってしまったのですか?」
「そう。母親しかいなくて殴られて蹴られて嫌な仕事をさせられて育って、ある日母は斬首刑で晒し首。ここまでとこれからのことはウィオラは知らない話」
……。衝撃を受けたばかりだったのにさらに衝撃的な話が始まった。
「えっ、それは……」
「世間知らずそうだから色々省略したわ。年齢不詳の多分半元服頃の身寄りのない女の子。どうやって生きてきたと思う?」
品の良い態度はやめるようでユラは机に頬杖をついて片足を立てた。とても行儀が悪くて声色は低くなって話し方は気怠そう。
それで私の顔とは別の方を見て宙を軽く睨んでいる。このような目を私は人生で初めて見た。
「……世間知らずです。分かりません。噂では聞くけど……見えません。今は感じ悪く見えますけど礼儀正しくて品が良さそうで普通でした。勉強して礼儀作法を稽古して気をつけているってことです」
そういうことを誰かが教えてくれたということなので引き取って育ててくれた人がいたのだろう。
「噂では聞くんだ」
「花街に売られてキスされたり触られたりする仕事に家事も沢山するしんどい生活をさせられるって。あと花街じゃなくて大きな家に売られてこき使われたり。お兄さんみたいな地区兵官が保護したら係の役人さんが養子先を探したり神社に預けたり働くところを探します。上品になれるから養子になったんですね」
「あら、少しは知っているんじゃない」
「家族、特に両親とお兄さんが教えてくれます。ふらふらしていると拐われてそうなるとか、夕方からは気をつけなさいとか色々」
ユラは口をつけていなかった湯呑みを手にしてたんぽぽ茶を飲んだ。そういえばなんで「たんぽぽ茶で」と指定したのだろう。
私の女学校の友人達はたんぽぽ茶を我が家に遊びに来るまで知らなかったのにあるって知っているんだ。
「私の名前、あんたの娘は幽霊みたいにふらふらゆらゆらしているって言われるからあんたはユラ。名前を聞かれてうっとおしいからそう呼ぶって言われてこの名前」
「そうなんですか……」
「家がないからそこらで寝て残飯を漁って飢えを凌いでふらふらしていたら悪い人に捕まってこき使われた。蔵に閉じ込められたの」
「……」
養子じゃなかった。いや、この後に養子になった?
「使えなくなったものは捨てるでしょう? 自分で殺すのは気持ち悪いからか食事抜きになって誰も来なくなって死ぬと思ってなんとか逃げた。多分今のあんたくらいの歳」
「捨てるでしょう? って人はゴミみたいに捨てるものじゃないです! 逃げられた時に兵官さんに助けてって言うて助けてもらえました? それで養子ですか?」
ここまでのユラには家族はいないし友人もいない。
そんな人居ますか? っていた。
「その兵官っていうのが分かってなかった。大嫌いだけどたまに優しいからか、子どもは母親を好きって刷り込まれて生まれるのか知らないけど、母親と引き離して知らないところに放り投げた怖い嫌な人達って覚えていた。説明されても知らないから分からないのよ」
暴力を振るう母親から助けてもらったのに、その兵官を敵だと覚えたってことだ。
「こういう人間はわりとゴロゴロいるわよ。学校には通えなかった、知識があるのとないのでは大きく違うって言うたでしょう? 無知って暴力ね」
「あの、すみません。酷いことを言いました……。家族も友人もいない人なんていないなんて……」
「あんたみたいなのは私にとって生きて息を吸っているだけで加害者よ。あんただけじゃなくてそこらにうじゃうじゃいる」
居るだけで相手を傷つけるなんてこんなこと初めて言われたし話でも知らなかった。
「た、助けてもらえなかったのなら、逃げた後はどうしたんですか?」
「また悪い人に捕まってこき使われた」
なんなのもう!
地区兵官はあちこちで見回りしてるのに!
誰か助けてあげてよ!
「なんで誰も助けてくれないんですか? お兄さんなら見回り中に保護するし、仕事をしてない日だって助けるし、お父さんもお母さんも声を掛けるし、私だって近くの兵官さんを探すのに……」
涙がじわじわ出てきた。人は生まれた時は悪なので救われないし助けてもらえないっていうけど優しい親のところに生まれたらすくすく育つ。それなのに……。
「……お父さんはどこですか? あっ、キスして逃げたんですね。副神様は気まぐれだから祝言前でもキスした男女に子どもを与えるって言うけど、女の人はお腹の中にいるから逃げられないのに男の人は逃げるって卑怯です卑怯。だから家族とか友人が逃げるなって捕まえます。逃げられてもお父さんに天罰です天罰」
「悪い人に捕まってこき使われたって言うたけど、こき使われたしガミガミ言われたけど悪い人ではなかった。分からなかったの。自分が無知で悪い子どもっていうのが。そこで少し知識を得た」
寂しそうに笑いかけられた。この話でようやくホッとして嬉しくなった。
「ここはウィオラも知っているけど男を信じて住み込みから二人暮らしになって、その副神様の気まぐれで子どもが出来た」
「ユラさんには子どもがいるんですか」
「悪い嘘つき男で不倫だった。不倫って分かる?」
「結婚しているのに浮気することです。許す家もあるけど許さない家もあります。嘘つきだから騙されたってことですか?」
「そう。つわりで横になっていたら暴漢が三人来て殴られて蹴られて死にかけた。子どもも流れた。退院した後に部屋へ帰ったらもぬけの空で何もなくて男も行方不明。偽名で職場も嘘」
全然ホッとする話じゃなかった。
「そんな……」
「暴漢は一人だけ捕まって金で雇われたって。殺せって言われたけどそれはさすがに。子が流れるように腹を沢山殴ったり蹴ろって言われたって。まあその前に本人にもなんで子持ちになるんだって殴られたけどね。子持ちになるなって何を言うてるんだか」
「そんなの酷いです!」
「雇い主は行方不明。多分私の元恋人」
「酷い、あんまりにも酷い男です……」
「怪しい気がするから調べる。店を辞めて転職して男と住むなんて言わないでもっと学びなさいって女将さんが正しかった。ガミガミうるさい女で嫌いだったけど……」
「あの。帰りましたよね。もう分かったから。女将さんのガミガミは叱責や心配で優しい人だったって。お帰りって言うてくれました?」
「恥を忍んで頭を下げにいったら火事でお店も家族も燃えてなくなってた」
「なんでそうなるんですか! 酷いです!」
酷い。酷過ぎる。浮浪児を拾って働かせて勉強もさせてくれたようなお店や家族なのに火事でとか、こんなに辛いことばっかりの人にまた不幸なんて酷い。
「本当は優しかったんだと思ったら女将さんや旦那は奉公人を売ったり脱税とか給与を過剰に低くしていたって。恨まれて燃やされたってこと」
「お店に天罰です! 罰は龍神王様や副神様が気まぐれで決めます。やり過ぎたのかもっと悪いことをしていたのかも」
「それからもうちょっとあって、必要なのは金と知識と思って仕事を転々としつつのし上がれるような教養や手習を借金をしてでもして、ウィオラと同じお店になった」
もうちょっとあってってまだ辛いことがあったの。なんなのもう!
ユラはどこの家の養子にもなっていなくて自分で稼いで生きてきて借金までして品良くなれるようになったんだ。
「一年前ですよね」
「今はもう一年少し前。私は下っ端芸妓でウィオラはとびきりの芸妓。あと皆、特に若い子ども達の先生。住み込みが多い職場」
「それで仲良く……。ユラさんはウィオラ先生を知人って言いましたね」
家族はいないし友人は……ここまでの仕事の時も居なかったってこと?
本人が居なかったというから居なかったんだろう。
「私、自分が何歳なのか分からないのよね。生まれた月も知らない。勝手に決められたからそれにしてる」
「えっ。ああ、人でなしのお母さんだったからですね……。ジン兄ちゃんも十二歳まで年齢を知らなかったって言うてました。殴られたとかは聞いたことないですけど捨て奉公人です。今は私のお兄さんで皆の家族で誰も捨てないしむしろ横取りされたくないです」
「へえ。あの色男はそうなの。目が少し仲間だと思ったわ」
義兄ジンの目は全然怖くないけどユラにはそう見えるんだ。
「ウィオラは没落したから借金を減らしてるとか、家出したとか、旅芸妓一座から武者修行中とか嘘つき女。私も父親が片足になってしまった代わりに沢山稼ぎたいって嘘つき女。真実もいるけど嘘つきもいる世界」
「先生は優しいから一緒に働いて楽しいこととか嬉しいことがありましたよね?」
「店に入った頃、熱を出してうつすからって埃臭い小部屋に放り投げられた」
私の質問は無視するみたい。
「大丈夫ですよって言われたの」
「誰に……。ウィオラ先生ですか?」
「金を減らしたくないから寝てた。医者に来てもらったって言われて薬と水を飲まされて、仕事があるのですみませんって」
優しくされたのにユラにとってウィオラは知人で好きじゃないって……。
ウィオラを嫌いになる人は嫉妬して八つ当たりしたりする意地悪な人って言ってしまった!
ユラはウィオラを嫌いと言っていないけど……。
彼女への暴言、悪口になるなんて考えずに口にしてしまった。
「嬉しかったですよね」
「ムカついてお粥を投げつけた。張り手して突き飛ばして怒鳴った」
「えっ……。なんでですか?」
「勝手に医者や薬代だから金をむしり取られるとか、恩を着せてなにかさせられるってそう思った」
「あの、先生に謝りました?」
「謝ってない」
「……。謝りましょう!」
「謝ったら何。過去が消えるの? 謝罪なんて単なる自己満足でしょう。別の日は湯呑みを投げつけた。ウィオラのこめかみに薄い傷跡があるわよ」
何してるのこの人。
「ウィオラ先生をいびっていた……のにどうして先生は友人って」
「さあ? 廊下ですれ違ったら元気になって良かったですねって。何日経っても何も起こらない。金の請求とか何にも」
「先生は親切にしただけです」
「しただけ。私の周りには居なかったわよそんな人。助けてくれる人も居なかった」
「あっ……はい……。そうか。分からないんですね。また騙しかもって思いそうです……」
優しさを素直に受け取れることが恵まれている証拠なんて知らなかった。
「あんたは何度も親切にされて人に助けられて育ったんでしょうね」
「ご近所さんだったらとっくに私達と楽しく暮らしていました。それかお兄さんが保護して神社暮らしとか。お兄さんは私の年にはもう兵官の半見習いだったから絶対助けます」
「そう」
「あの、そんな風に優しくされたからウィオラ先生のこと……好きですか?」
逆にウィオラの友人発言の方が分からない。お粥を投げられて怒鳴られたり、湯呑みを投げられて顔に傷まで残ったのになぜ友人と呼べるだろう。
「ちび向日葵が折れていたの」
「ちび向日葵ですか?」
話が変わった。ウィオラを好きと言いたくないってことは嫌いなのかな。
「教養を教えたり稽古をつけている子ども相手にいつも見ていたので折れていたら悲しむと思いましたって言うて添え木をしてりぼんで結んだの。お洒落になりましたねって」
「ウィオラ先生らしいです」
この間は足を怪我している猫に飼えないけど飼い主を探しますよって消毒をして包帯を巻いてお洒落ですってリボンを結んであげていた。
目やにが酷いしシャーッと威嚇して怖い猫だったけどウィオラはサラッと助けたので驚いた。それで私達は一緒に学校で飼い主探し。
兄はうんと優しいから同じようにうんと優しいお嫁さんが欲しくて探していたのだろう。
私が元服したら、はそのくらいまでには見つかるだろうという願望だった気がしてきた。
「庭が見える廊下を通った時だった。だから向こうは私に気がついていなかった」
「あっ……。知らないところで悪口ではなくて優しくされたら本物だから嬉しいです。いつもそのちび向日葵を見ていたのはユラさんだったんですね」
「そういえば居たわ。カビ長屋に友人疑惑。そうか。ちび向日葵ってあの頃の……」
この感じだと庭のちび向日葵を無意識に眺めていたのかな。
「イノハの白兎が乙女と末の福神様へ贈ったのは黄色い花で今の福寿草だと言われていて幸せを招く花です。向日葵も同じ黄色い花で少し似ているから好まれているのでしょうって」
イノハの白兎ってなんだっけ。聞いた記憶があるけど授業ではない。
「知識がないからその時はイノハの白兎も福寿草もサッパリ。あんた、福寿草の別名を知ってる?」
「いえ、知らないです」
「良縁を結ぶことを結良とも言いますって。結ぶに良いって漢字。イノハの白兎の物語の中には黄色い結良花と出てくることもあります。なので福寿草の別名は結良花です。だって」
私は大きく息を飲んだ。幽霊みたいなユラなのに結良花のユラと陰で言われたということだ。
「口は悪いけど優しいので似合いの名前な気がします。良縁結びで幸せを招く花と同じ名前ですから遊んでもらうと良いかもしれませんって……」
ユラの頬に涙が流れ始めた。幽霊みたいだからユラって名前をつけられたのにこんな優しい話を言われたら私なら嬉しい。それも本人が居ないところでだから本物の言葉だ。
彼女だと嫉妬とか腹を立てたりしたのかな。
けれども彼女はとても悲しそうな表情だし泣いている。ウィオラをいじめたことを後悔しているのかもしれない。
「そんな風にどんどん分かった。この人は誰にも何も求めない。本当に優しいから、こんな人はいなかったから、この人だけは絶対に裏切っちゃいけないと思った」
好きなんだ。しかもユラはきっとウィオラをとても好きだ。大好きに違いない。
だけど嫉妬して意地悪もする。沢山騙されて嫌な目にあってきたから親切が怖い。
「手紙が来て元気なのか気になるし私に足りない知識だけ借りようと思って返事を書いたけど、頓珍漢な返事が来て、三回もそうだったから相談なんて嫌なのかとか……。ウィオラだけは違うとか……。住所も嘘で私はまた騙されるのかとか……。来たら住所は合っていてウィオラも居た。私の手紙は郵便係のサボりで止まってた」
「郵便は誰かが受け取って渡すことが多くて誰も居ないと郵便受けです。郵便受けを見るのを結構忘れます。手紙は自分で持ってきて誰かに預けたり扉に挟むとかそういうのが多いので」
「そうらしいわね。今の職場じゃもう芽がなくて先細りだからウィオラにたかりにきた。仕事の知識は増えたけど世間知らずだし私は世の中のほとんどを信じてない」
「先生は信じられるから助けを求めにきたんですか?」
ユラは頭を縦に揺らしてから今度は横に振った。
「そう思ったけどやめた。友人って対等に親しくしている関係なんでしょう? 対等じゃないでしょうこれは。だから私はウィオラの知人。違う?」
ユラはもう泣いていなくて私を見つめて顔をしかめた。
なぜ友人と呼ぶのかウィオラに聞かないと分からない……いや、意地悪をされても友人と呼ぶからには何かある。
「知人って言われるとウィオラ先生は寂しくなったり悲しみそうです。あっ、辞書は難しく分かりにくく書いてあるから一緒に楽しく過ごして先生を助けたらええです。泊まっているから一緒に楽しくは出来てそうで……助けるのは私も先生の困り事が分からないです」
「……。そっ。私はあんたを信用して話した訳じゃないし嘘つきだから嘘ばかり。話したことを本当だと思った? 思ってそう」
ユラはもう泣いていない。宙を見つめているけど最初のように睨まなくなった。
「悲しくて辛くて酷い話ばっかりだから嘘の方がええです」
「……ふーん。おめでたい頭をしているのね。もっとえげつない地獄かもしれないわよ」
「えっ」
彼女は私に向かって笑いかけた。今まで感じていた目の怖さはない。
「信用してないから言いふらせばええ。特にあんたの兄。あんたの兄は仕事柄えげつない地獄を知ってる男だからウィオラや今のあんたよりも余程何か察しているわ」
素直じゃない人みたいだから特にあんたの兄、は私から兄に伝えて欲しいってことだろうか。
「はい。お兄さんは嘘をわりと見破ります。あの、頼まれたようにお兄さんに伝えます」
兄は人を沢山助ける自慢の地区兵官って思っていたけど仕事柄えげつない地獄を知っている男なのか。
「そっ。顔立ちも似てるけどあんたはあの男に喋り方とか良く似てる。今夜少し話した私がそう思うんだから他の人はもっとそう思いそう」
「はい。兄の友人達にたまにちびネビーとかネビーの娘みたいに言われます。十四歳も離れているんで親子っぽいところがあります」
「愉快で面白かったしあんたはウィオラをうんと褒めたから教えてあげる。ウィオラの今の困り事は毎日心配で寂しいってこと」
「ありがとうございます。兄に言います」
「言わなくてええ。あのバカは分かってる。必死に仕事を調整して毎晩時間を確保しようとして眠くても連絡帳を書いたりわざわざ義兄に工夫を聞いて言葉を贈ったりあれこれしているんだから」
ウィオラは兄がロイに助けを求めたことを知っていて、そういう話をユラにはしたのか。
兄をバカと言われてイラってしたけどバカだから仕方ない。
付き合いが浅いのにもうバカだと知られてしまったならウィオラはもっとだろう。
それでも許される愛嬌があるから大丈夫……なはず。大丈夫かな。
「ユラさんはウィオラ先生とそういう話をするんですね」
「少しはね。言っていたわよ。ネビーさんの家族は皆どこかそれぞれ似たところがあって、妹のロカさんは見た目もわりと似ているし喋り方なんて時々そっくり。ネビーさんと一緒にいる気分になる時があるって」
ユラは気怠そうに立ち上がって私に背中を向けた。
「先生、先生ってまとわりついて婚約破棄になって欲しくないってちょろちょろしてるだけであんたはウィオラの慰め係になっているってこと」
「あの、教えてくれてありがとうございます」
「お兄さんも何もしていないのにウィオラを繋ぎ止められて喜ぶんじゃない?」
質問しても教えてくれなかったことを今教えてくれるんだ。ウィオラの心配だけではなくて兄のことも気遣ってくれるみたい。つまりユラから見た兄の印象も良い?
「酷いことを言うたのにこんな風に優しくしてくれてありがとうございます」
「疲れていて剃れないところに言うのは酷いから言わないみたいだけどあいつの髭は嫌いみたいよ。私は見てないからどんな髭面なのか知らないけどお髭は好みません、だって」
「おお。お兄さんに言うかお父さんかジン兄ちゃんを連れて行って代わりに剃ってもらいます。ウィオラさんが嫌がっているだと落ち込むから隠します」
「じゃあ。お兄さんにウィオラの胸はわりとデカくて揉み心地良さそうとか教えてやれば?」
ユラは土間へ降りて下駄を履いてスタスタ部屋から出ていった。追いかけて部屋を出ると彼女はもうウィオラの部屋へ入ろうとしていた。
「あの」
「なによ」
「また来ますか?」
「さあ。のたれ死んでるかもね」
「来て下さい。あんみつを食べましょう。先生が心配して優しくしてユラさんも心配して優しくしたから対等だと思います。私とユラさんもです。おやすみなさい。色々ありがとうございました」
お辞儀をして頭を上げたら驚いたことにペシンッとおでこを軽く叩かれた。
「うっさいわねこのリス女。ガキはさっさと寝な。ぺちゃんこ胸が育たなくてモテないわよ」
「ぺちゃんこはルルです」
フンッと鼻を鳴らすとユラはウィオラの部屋へ入っていった。出迎えにきたウィオラと目が合う。彼女は歯を見せて笑った。
「ロカさん、ユラと仲良くなったのですね。海をまだ見たことがないと言うので……もごっ」
ウィオラの口をユラの片手が塞いだ。
「あんたの婚約者の妹じゃなきゃムカつくリス女の話なんて聞かないわよ。腹の立つ男の妹だからイライラし……んんっ」
ユラの口もウィオラの片手で塞がれた。それでウィオラの口からユラの手が少し離れる。
「お顔に楽しかったと書いてあります。引っ越してこないなら七夕祭に遊びに来て下さいね。ロカさんは歌って私は伴奏します。趣味会の話をしましたっけ? してないですね」
「なんで休んで遠出して女、しかもガキ達を見なきゃいけないのよ」
「私は夏休みに遊びに行きます。教えたはちみつあんみつを食べましょう」
「あんたはざらめあんみつでしょう」
ウィオラに手を振られて、彼女は「ロカさん、お休みなさい」と扉を閉めた。
☆★
翌朝、起きたらユラはいなくてウィオラはいつも通りの顔をしていて一緒に家事に勉強や登下校。
それで夜はウィオラとラルスと三人で兄に会いに行くことにした。遠慮しな、と母に言われたけどユラの台詞が脳裏に過って「行く」と返事をしていた。
「ひっついているのはネビーだから別に兄離れしなくてもええけどあんたは昨日行ったでしょう。一人分空くけど今日はそこは誰もなし。意味分かるわよね?」
「お兄さんに筆記帳には書けない内緒話があるしウィオラ先生は私がちびネビーみたいで嬉しいらしいってユラさんが教えてくれた」
「ふーん。そっ。ロカ。あの人帰る前に私とお父さんに優しい娘さんに癒されました。ありがとうございますだって。来てから私に初めて本当のことを言うたと思ったわよ」
「えっ?」
「具合が悪いから仕事を休んで遊びに来たっていうのに日雇いしてるし空きが出るから引っ越してきたらって言うたら別のところに住むとか久々に難しい女に会ったわ。何をしたのか知らないけど偉かったわね」
その何かを母は聞くつもりはないみたい。久々に母に頭を撫でられて嬉しい。
けれども私は自分が何をしたのか分からなかった。




