19話
投扇興は台の上にイチョウ形の的を置き、離れた所から開いた扇を投げて打ち落とす。その落ち方や扇の開き具合により技の優劣を競う。
技名は龍歌百取りやルロン物語にちなんだ名前がついているという。
ルリが「今夜のルールは3回ずつ投げて1番点数が低い人は質問に答える」という事になった。
それであっさり負けた。初めてなので的に扇が1回も当たらず。
「今1番困っていることはなんですか?」とはルリ。
「今夜も増えましたけど、勉強することが山程あります。龍歌が何か知らんのに龍歌百取り。それからルロン物語。お義母さんやロイさんに教わります」
「龍歌は基本五七五七七の三十一字の詩です。ルロン物語なら家に全巻あるから貸しますよ」
「ありがとうございます。まだまだ漢字の勉強中なので、読めるようになったらお借りします」
それでエイラの質問は「あのロイさんと何を楽しくお喋りしてるんです?」だった。
「エイラさん。ええ質問です。祓い屋の夜はこうでないと」とルリは楽しそうに肩を揺らした。
「あのロイさんって、旦那様はそんなにお喋りしないんです?」
「せんですよ。昔から能面みたいな顔してあまり喋らんと。兄とか男達は将棋やら剣道やら喋らんでも仲良く出来るし、私らと違って喋るようですけど」
「そうなんですか。旦那様とは……質問と返事が多いです。勉強のこととか。あとはいつも困ってないか気にかけてくれてます」
「そうそれ。具合が悪いならおぶります、なんて羨ましいです。うちの旦那は昔から顔見知りだからか、言わんと何にもです」
エイラはぷくっと頬を膨らませた。
「私も驚きました。ルーベルさん家の跡取り息子さんにお嫁さんが来たら苦労しそうって噂をしていましたから。というより嫁探しは大変そうの方かな? テルルさんは何にしても細かくて厳しいですし、ロイさんは寡黙。気が利くらしいとは知っていましたけど、それも実際には知らんし」
「お義母さんは細かいかもしれないですけど私も細かいことが好きです。一緒に料理はとても楽しいです。それであちこちから褒められて更に嬉しいです」
「ロイさんは?」
ルリは愉快そうに笑った。何が愉快なのだろう?
「夜はどんな感じなんです? かわゆいとか、夜もお喋りです?」
私は思わずぶんぶんと顔を横に振ってしまった。
「かわゆいなんて、のっぺり顔の私に誰も言いま……お義母さんが言ってくれました。可愛らしいお嫁さんに浴衣を縫っているって。お義母さんは刺繍が大変お上手で桃柄の浴衣を縫ってくれてます」
「羨ましいくらいお義母さんと上手くやってるんですね。私はまだまだ苦手。小言や嫌味に慣れんです」
「うちもそうです。あなたのお母さんはこうでしたけど、うちはこうですからとか。あなたは昔からこういうところがありますからとか。なんだあ。テルルさんが嫁に甘くて、ロイさんがそんなに優しくてお喋りなら、嫁ぐの待ってルーベル家とお見合いもありだったあ」
エイラの発言にビクッとしてしまった。
「エイラさん。隣の芝は青く見えるだけです。それにあのテルルさんですから、甘いフリして心の中で減点減点である日コンコンとお説教とかかもしれませんよ」
ルリが身震いした。義母はそこまで恐れられてるの?
しかし、確かに先日の雷は怖かった。
「でもロイさんがそない気にかけてくれてるなら庇ってくれそうですね」
「お義母さんはちっとも怒らないし優しいので、旦那様に庇われることがないです。この間も折檻するフリでした」
「折檻するフリ?」
「はい。旦那様が寝坊したんですが上手く起こせなかったんです。衣装部屋に正座させられて、卿家の嫁だから蹴り飛ばしてでも起こして絶対に遅刻させるなと叱られました。それで終わりです」
ルリとエイラが顔を見合わせた。それから2人ともブルリと体を揺らした。
「想像出来ます。怖かったんじゃないです?」
「そこ、拭き忘れてます。あなたの嫁は掃除もろくに出来んから気をつけた方がええですよ。ひええええ。怖い怖い」
やはり義母は恐れられてるみたい。
「少し怖かったですけど、その後は優しかったです。庇いたくない嫁を庇った言うてました」
「庇った? そうなんです?」
「旦那様に、嫁が早起きしてせっせと作った朝食をいらんとは可哀想と言ってくれました。いらん嫁なら……追い出すと」
かめ屋のギルバートのことは嘘だろうから黙っておこう。
「それでロイさんは?」
「帰宅後に朝食と夕食を全部食べて、夜の仕事を全部代わってくれて、気を引き締めますと。仕事で出世して半人前と言われないようにすると言いました。その……お義母さんに1日中正座させられたと言わされて」
ルリとエイラは目を丸くして瞬きをした。
「リルさん、えらいテルルさんに気に入られてますね。その感じだとロイさんにも。ロイさんはまあ自分で探してきた嫁ですから分からんでもないですけど、息子が勝手に連れてきた嫁にそこまで優しいとは」
「うちなんて、旦那さんが夜更かしして遊んで中々起きてこないと全部私のせいですよ。早く寝かせないあなたが悪い。起こせないあなたが悪い」
今、気になることをルリが言った。
「自分で探してきた嫁は少しは気に入るものです?」
急に胸の真ん中がバクバク、ドキドキしてきた。
「そりゃあそうではないですか? リルさんはロイさんに嫁に来て欲しいと頼まれたんですよね?」
ルリはまたしても愉快そうな顔を見せた。
「そろそろ嫁取りなのでそろそろ結婚したい娘を探した。母が多産なので跡取り息子に期待出来る。姉と妹が合わせて5人なので養子を取れる。風邪をひかないから健康。お義母さんの手足が悪いので家事を全部任せられる。それが旦那様の条件で、それに合ったと言われました」
「そうなんです?」
「あと多分……これは言われませんでしたけど、私は料理の好みがお義母さんと似てます。詰め方とか飾りとか。味は全て教わった通りにしてます」
「そいでリルさんはロイさんのどこがええと結婚を決めたんです?」
エイラもルリと同じような表情になった。
「うちは貧乏で16になったら嫁に行けと言われていて、でも覇気も元気もないと長屋では評判が悪かったので嫁の貰い手はいなかったです。なのに卿家の嫁なんて贅沢で幸運な縁談。お父さんがその日すぐに返事をしました」
「その日のうちに? お見合いのお申し込みの日に?」
「結婚お申し込みと言われました」
「それがお見合いのお申し込みです。それならリルさんはロイさんと喋らんと終わりました? お見合いのお申し込み日って親同士が話しますけど何か違いました?」
「いえ。ロイさんと初めてお話ししたのは祝言の日です」
「はあああああ。それはまた古い縁談話ですね。あなたはあそこの家の嫁に行け、なんて昔々ですよ」
「てっきり恋愛結婚かと。長屋住まいの方が嫁入りなんて珍しいから皆そう噂してますよ。しかもあのロイさんかあって。それであの嫁はテルルさんにいびられるって」
そうなの? 恋愛結婚?
「全然いびられません。可愛らしいお嫁さん言うて、思い出の着物も譲ってくれました」
「着物なんてもう使わないのに嫁になんてくれません。嫁が娘を産んだらその娘にって思っているんでしょう。ちょいとまあリルさん。そのコツを教えて欲しいです」
「私も知りたいです」
「コツですか? もたもたしたり失敗したりしていてコツが何か分かりません」
「いいや、絶対あります」
そこから2人に毎日どういう生活をしているのか聞かれた。聞かれたので答える。朝5時の鐘で起きて、夜寝るまでをザッと。
ルリとエイラは顔を曇らせた。
「リルさん、それ、疲れてません?」
「そうですよ」
「毎日楽しく元気いっぱいです。楽を出来る環境で時間が空くので勉強も出来ますし、掃除などを前倒しにして週末は旦那様とお出掛けしたりお義父さんと海に行ったり、うんと楽しいです」
私は海釣りは大漁だったこと。義母と2人で魚の処理をして好きなだけ料理を作れたことを話した。
ああ、と思い出した。
「今日はさすがにしんどかったですけど、もたもた嫁にお義母さんが、たまには手抜きをするか頼み事の1つくらいしてええって言ってくれました。それで朝食の下準備を残してきました」
「どこがモタモタですか。ろくに汚れんのに毎日毎日掃除とか、あのテルルさん並みで掃除なんてうんざりします。あー、ロイさんはあれやわ。テルルさんに気に入られる嫁を探したようですね」
「あの細かいテルルさんが、いくら体のことがあっても家事を任せてほとんど何も言わないなんてそうです。私なんかが嫁いだら毎日雷です。そもそもそうでした。よく怒られていたのに。確かに隣の芝は青いでした」
「そうですか。そうなんですね。そうですか……」
嬉しいような悲しいような。それに、かわゆいの事も気になる。クララも言っていた。かわゆいかわゆい言ってくれるからええ、と。
「リルさん、急に落ち込んでどうしました?」
「いえ、あの。最近旦那様を少々慕っている気がするので、条件の合う嫁だとなんだか代えがきくようで悲しいなと」
少し話すか悩んだけど、親切な2人なら何か元気になれる言葉をくれそうな気がする。
「へえ、リルさん。その話を教えて下さい。ロイさんのどこがええんです?」
「それ聞きたいです」
「えっ? あー……」
恥ずかしい。ルリとエイラの目は興味津々と言う様子。
「分からんです。優しいのはお義父さんや旦那様の同僚の方も同じです。もたもた歩くなと急かされないし、返事が遅くても話すまで待ってくれます。皆、知識のない私に何でも優しく教えてくれます」
私は1度に3人に恋したのかと勘違いしたことと、少し違う気がしたことを話した。そういえば義父には恋の音がしたと錯覚しなかったな。
「リルさん、そんなにもたもたしています?」
「はい。ぼんやり、もたもた言われて育ちました」
「そうは見えんですけどね」
「長屋はいつも忙しいです。声も大きいです。こんな風にお話出来ません。喋らん変な子言われてました」
私は嫁にきてから、今までの人生分以上喋っていると話した。自分のペースで働けるので気が楽なのも伝える。
「そうですか。確かに長屋のそばを通ると威勢が良いというか、活気に溢れていますよね」
「それで、他の人と同じなのにロイさんは少々お慕いしてるって何でです?」
「何ででしょう? なんだか他の方と違って、こう、またいつ手を繋いで散歩するのか……な……」
これは口が滑った気がする。ルリもエイラもすごぶる愉快そう。
「今風。手を繋ぐなんて今風です。ジェシカさんに聞いたんですよ。華族では夫婦で手を繋がないほうが恥になりはじめてるって」
「その話を旦那様にしたら、そんなはずない。軟弱な骨抜き男のすることやって」
そうなんだ。それは知らない話。
「今風ですか? そういえばロイさんは花言葉というのも知ってるそうです。うらら屋で雅な旦那様って褒められていました」
「花言葉? 何です? 花に手紙を結ぶとかです? なにそれ、ええですね」
花に手紙を結ぶ? それは確かにええ。嬉しい。もらってみたい。
「いえ。旦那様は西の方では花それぞれに色々な意味があるそうですと。椿は謙虚だって。辞書には載ってないし、本屋にも無くて他の花は分かりません。定期的に花をくれて、枯れると新しい花をくれます」
時折ロイは花を一輪持って帰ってくる。それを勉強机の上に飾ってくれている。
1番最近は黄色いガーベラ。ロイに花言葉はありますか? と聞いたら「前に進む」らしく「勉強が捗りますように」と言ってくれた。
義母に聞いて毎日水を換えて茎を切って少しでも長持ちするようにしている。
「雅や。それは雅です。ロマンチックというやつです。ええなあ。それ、ええなあ。私も花をもらいたいです」
ロマンチックとはなんだろう?
「私も欲しいです。花自体貰いたいのにくれないですよ。それなのに意味まで乗せてくれるなんて」
気がついたらカン! と0時の鐘の音が鳴った。