感想より小話編「先輩の家の謎の若嫁さん」
かれこれ二十年前から約十年間、自分の教育指導者だった職場の上司がまたしても教育指導者になった。
俺が尊敬する同じ部署の上司、ガイ・ルーベルはキレ者で仕事が出来るし教え上手だけどムラッ気があってやる気がない業務はのらくら逃げたり最低限で終わらせるので落差が激しい。
彼は入職当時は災害実働官側の人間で監察官だったけど法の抜け穴と火消し人気などで準官に横入りしようとして上司に叱責されて兵官側へ転属して降格処分を受けたという噂。
なのに同期と同じくらいまで出世したので噂の悪知恵による降格がなければ同期よりも頭一つか二つは出世して下駄をはいて入職する華族組と肩を並べていただろう。
能ある鷹は爪を隠す、という言葉はガイ・ルーベルのような人間であると俺はそう思っている。
本日金曜日は約十年振りにルーベル家にお邪魔する。ガイと外飲みは定期的にしていたけど家に招かれることは全然無かったし、わざわざ家まで行こうという気も無かったけど、昨年一人息子が結婚した時からお祝いをしたかったから様子をうかがっていた。
約十年振りに直属の後輩になれたので、家へ行く約束を取り付ける事が出来て終業後に俺と新入職員のアキラ・タビスはルーベル邸へ向かった。
家同士が微妙な位置関係なので泊まって一緒に出勤でも良いと言われたから甘えることにしたので荷物が少し多い。
「あの、ヒヨン先輩。手土産は本当にこれだけで大丈夫ですか?」
これだけ、とはガイに言われたたまごである。
「せっかく教えてくれたからこれで良い。新人の頃は言われたものに追加したらそのお礼が返ってきてしまったから」
詳しくは親に聞け、と言いそうになったけど彼は家を出て寮生活なので直属の教育係として俺が教えるべきかと考え直す。
立ち乗り馬車を降りて歩きながら町内会の家々を眺めて「こんな感じだったか? 記憶が全然ないな」と思った。
「タビス君、ちょっとしたことなのに何を贈るか考えるのは面倒だろう。息子は甘いものは嫌いだけど手土産というとようかんみたいな菓子が多いから昔からこれにしてくれと頼んでいる」
タビスにコソッと尋ねられたので聞こえていないと思ったけどガイの耳に届いていたようだ。
「ルーベル先輩の息子さんは甘いものを好まないのですか」
「栗の甘露煮だけは好んで食べるという変な味覚をしている」
ガイは鎮守社に寄ったので一緒に参拝して再び歩き出した。
「ルーベルさん、ルーベルさん!」
後ろから男性の大きめの声が聞こえたので振り返る。ガイと同年代に見える勤務帰りという男性が小走りでこちらへ向かってきた。
「こんばんは。どうしました?」
「帰ってから家に行こうと思っていたんですけどちょうど良かった。昨日、そちらの若奥さんからたけのこを何本もいただいたのでお礼の品です」
「それはありがとうございます」
ガイは小さい風呂敷で包まれた何かを受け取ると会釈。それで二人は少し世間話をして別れたので俺達は再び歩き出した。
ルーベル家に到着して「ああ、このような門構えだったな」と思いながら玄関にあがってガイの妻テルルと息子の妻リルの二人に出迎えられた。
(そういえばロイ君の結婚について全然知らないな)
昨年秋に祝言したことを部署の噂で耳にしてガイにお祝いの言葉を告げたら、あんなに小さかった息子がもう祝言みたいな話はしたけどそれだけ。
最近、何年振りにガイと昼食を摂るので妻のテルルのように料理上手なお嫁さんということと、悪戯されていたから茶目っ気のある女性らしいという情報しかない。
玄関で挨拶をしてくれたルーベル家の若嫁リルは少し釣り目でわりとつぶらな黒目がちで凛々しめの眉で彫りの浅い顔立ちで誰かに、何かに似ているなと思いながら居間へ移動。
(ちんまりしてると思ったけど背がうんと低いわけではないのか)
夫に抗議のために貝殻弁当を用意したり、悪戯でイカ墨弁当を作った女性と実際に見たリルの大人しい雰囲気はあまり噛み合わない。人は見た目によらず、ということだろう。
荷物を預かってもらって居間に通されて着席したら挨拶になったので自己紹介とタビスと二人からの手土産渡し。
机の上に既に並べられているお膳や器の様子でちょっとした料亭にきた気分になり、前もそうだったなと思い出す。
(お品書きまである)
今夜は先輩の話を聞きにきた訳だけどこのようにもてなされると気分良し。
先付け そら豆の白和え
前菜 アスパラと人参の胡麻和え
お椀 長芋のすり流し
お魚 アジの西煌風たたき
煮物 たけのこの煮物
ご飯 ご飯、香物、茶漬け用ホタテ出汁
一品 茶碗蒸し
甘味 キャラメル
お酒 日の出もしくは自家製梅酒
飲み物 水、ほうじ茶、梅甘水
字が丸くて少々独特で春らしいハンコが押してあるしお品書きにはちょこちょこ知らない単語が紛れている。
このお品書きだと立派な料亭ではなくて庶民向けの小料理屋へ来た気分だけどよく行くお店では出てこない名前があるのが愉快。
(品数が多い。張り切ってくれたんだな)
崩すのがもったいない花の形になっていた手拭きを使いながらお膳とお品書きを眺めて、今あるのはこれだなと確認。
「リルさん、とんでもなく気合いが入っているな」
「はい。お義母さんが元気なので二倍作れました」
元気なので、ということは元気ではない日があるということなのでチラリとテルルを見たけど見た目では分からない。
彼女に会うのはいつ以来なのか思い出せないので年を取ったな、とは思うけどパッと見だとどこも悪く見えないので体の内側の不調ということだろう。
彼女は微笑んでいるけど目は笑っていなくて隣に座る若嫁を見据えている。
(義母の不調が分かるような発言をするなってことか?)
ジロジロ見るのもな、とお膳に視線移動。既にお膳に置かれている料理を観察。香物のきゅうりが松の葉様で茄子は市松模様。
胡麻和えの緑の茎みたいな野菜がアスパラというもので、これは見た目も名前も初めて。
(飾りの葉や盛り付け方もお店みたいだな。前もそうだった。ガイさんが頼んでいるのか奥さんが凝り性なのか分からないけどこれはお嫁さんは大変だろうな)
そこへガイの一人息子のロイが帰宅して居間へ顔を出して挨拶をしてくれたけど驚いた。
「大きくなったのは知っていても別人みたいに育ちましたね。昔は小さくて色白だったから驚きです」
小さくて細くて色白で悪い言い方だともやしっ子のようだったのに、今のロイは俺よりも背が高そうだし肩幅はあるしわりと日焼けしている。
気弱そうな顔立ちだった記憶があるけど凛々しくて頼り甲斐がありそうな雰囲気になっていて同一人物? と首を傾げたくなった。
「ああ、ヒヨン君は昔のロイを知っているか。というかあの頃しか知らないか」
「はいはいくらいの時も何を言ってもなぜですか? と言い返していた頃も知っています。お話はうかがっていましたけど見た目がこのようになったとは全然知らず。雰囲気も変わりましたね」
ガイは仕事の自慢は全然しないけど家族自慢は良くするので一人息子が成績優秀とか、裁判所に入職になって中央所属だから鼻高々など、そういうことは知っている。
「ヒヨン君は昔は我が家にちょこちょこ来ていたからな。心配だけど頑丈に育って欲しいから兵官育成もしている剣術道場に放り投げたら立派に育った。剣術が趣味になってもう十年以上通っている」
「剣術道場通いは記憶にありますけどその話は聞いた記憶がないです。まさに願い通りに育った、という感じですね」
ロイとリルは夫婦揃ってすまし顔で会話に入る気はないようだ。ロイなんて顔を少ししかめて何か言いかけたのに唇を結んで何も言わず。
テルルとリルは食事の用意をしますと手土産のたまごを包んである風呂敷を持って居間から去ってロイだけが残った。
「着替えてきますので自分も失礼します」
「二人とも泊まるから人数が多い。先に風呂に入ってきなさい」
「はい。ヒヨンさん、タビスさん、お先に失礼します」
眉間のしわは減ったけど愛想笑いをしないで去ったロイを眺めながらガイとは似ていないなと改めて思った。
「お義父さん」
「おお、なんだリルさん」
「皆さんの最初のお飲み物は何にしましょうか」
「全員日の出にしてくれ。あとは都度言う。品数が多いのはなぜか分かったけど、お品書きなんて初めてでお店みたいだ。やけに張り切ったな」
事前にお酒は飲むのか確認されたので特に文句はない。
「お茶会の勉強です」
「そうかそうか。お茶会の勉強か。それにしてもこんなにあれこれ買ったのか。たまご六つだけ欲しいと言うたけどこれだと気にされる。なぁ?」
「ええ、それを言おうと思っていました。こんなに沢山ありがとうございます」
「いえ、貰い物ばかりでほとんど買っていません」
この発言でコホン、とテルルが咳払い。
「へぇ。たけのこは堀ってきたものなのは知っているけど他はなんだ?」
ルーベル家はたけのこ掘りに行ける家だったらしい。そんな話は聞いたことがない。
「そら豆と豆腐とアジとエビと長芋とアスパラと干しホタテは貰い物です」
……ちょっと待て。
今日の夕食の食材のほとんどが貰い物じゃないか!
「そんなに沢山どこから貰った」
「失礼します」
なぜかテルルが居間から出て行った。
「そら豆と干しホタテはイオさんの家からです」
「イオさん? どちらさまだ?」
「兄の幼馴染の火消しです」
「そうか。それならネビー君にお礼を言わないとな」
テルルがもう戻ってきてお猪口を配ってお酌してくれたのでお礼を告げた。
「これは私と旦那様への遅いちび祝言祝いです」
「ありがとう母さん。そうなのか。ロイとリルさんにか」
「豆腐はルゥスさんの家からです」
「ルゥスさん? どちらさまだ?」
「兄の幼馴染の豆腐職人です」
リルの兄の幼馴染には火消しと豆腐職人って変わった交友関係を有しているな。
(そういえばロイ君の祝言話は聞いたけどどういう縁とかどのようなお嫁さんかは聞いてなかったな。お嫁さんについて先輩から聞いたのは料理上手という話くらいだ)
「そうか。それならネビー君が頼んでくれたのか?」
「いえ、私と旦那様への遅いちび祝言祝いです」
「そうなのか」
「アジとエビは今朝、バレルさん達からだと知らない人が来ました」
「へぇ、彼らからか。そのエビはどこにいる」
彼らって誰なのか気になる。テルルが戻ってきて笑顔で料理名を告げて配膳していく。
まるでガイとリルは会話しているのを聞いていません、というように。
「生きているのは生簀で死んだのは茶碗蒸しです」
淡々としたこの返事にタビスが少し吹き出した。俺もそうなりそうだったので気持ちは分かる。
「おお、エビの茶碗蒸しなのか!」
「蓋を開ける時のお楽しみです」
「お楽しみって、蓋を開ける前にネタばらししたな」
のんびり話すお嫁さんなのだなと傍観。ガイが職場の休憩時間の時のようにニコニコしている。
一方、リルはしまった! と言いたげな分かりやすい表情を浮かべた。
すまし顔だったリルが少し動揺しているように見えて面白い。
「長芋はどこの誰か分かりません」
「どこの誰か分からない人に貰ったとはなんだ」
ガイの言う通りである。
「兄に……草刈りです。兄がどこかで草刈りをしてそのお礼みたいです。誰かは分かりません」
「つまりネビー君に貰ったのか」
「顔が似ているから妹さんですか? それなら君にもどうぞと貰いました。背負いカゴに沢山持っていました」
「誰か分からないとお礼が出来ないな。いや、お礼品だからお礼は変か」
「はい」
「あとはこのアスパラか。緑色のつくしみたいな野菜を初めてみた。これもネビー君関係かい?」
「いえ、コリンズ家のオーロラさんがくれました」
「コリンズ家といつ親しくなったんだ?」
ガイに問いかけられたリルは首を傾げている。
「私はコリンズ家と親しくないです」
これはあまりにも予想外の返事だ。
「そうなのか? この珍しいアスパラという野菜をいただいたのに親しくないのか?」
「ザルのお礼にいただきました」
「ザルのお礼?」
「月曜に実家へ行こうと思ったらオーロラさんに会ってザルが壊れているので修理して欲しいと頼まれました」
他の家の嫁にザルを直して欲しいと頼まれるってなぜだろう。
「なぜコリンズ家の若奥さんがリルさんにザルを直して欲しいと頼む」
「いえ、父にです」
「ああ。お父上に頼んで欲しいと言われたのか」
「はい」
リルはわりとのんびりした話し方だし説明下手な気がする。リルの父親はザルを直せて、更にはご近所の若奥さんに頼まれるってどういうことなのか。頃合いを見て質問しよう。
「いや、なぜザルを直しただけでこのような珍しい野菜をいただいたんだ?」
俺もそう思う。
「母がこれなら自分でも直せるけど父の腕が悪いと思われたら嫌なので姉の作ったわりと新しいザルと交換しました」
「お父上に頼まなかったんだな」
そして結局、父親作ではなくて姉作である。
「お店まで行ってザルの修理よりも楽です」
この感じだとリルは商家の娘?
父親が直す、だから父親は職人の可能性がある。そうなると大きめの商家とくっつく豪家という可能性もある。
姉の作った、ということはリルの姉は父親の仕事を手伝っているのだろう。
(跡取り息子なのに商売系と縁結びって、先輩は退職したら事業でも始めるのか?)
破天荒な事をして降格、転属させられた過去がある人なので息子の縁談で無難な道は選ばなかったようだ。
相手の家は娘の一人を卿家に嫁がせるのは万々歳ってことである。卿家を嫌がる商家や豪家もあるから何かが噛み合ったということだ。
「それはそうだな。あの家からお店まではうんと近い訳ではない。それにしてもザル一つでなぜアスパラをいただいたんだ?」
「修理代の二銅貨では安いからとくれました」
「そうなのか。いや、なんか釣り合っていない気がするけど……。あっ、母さん。ええところに戻ったきた。なぜコリンズ家の若奥さんがリルさんにアスパラをくれたんだ?」
「祓い屋でよく一緒になるようでいつもお世話になっていますと新年にほうじ茶を贈ってくださったのと同じ理由だと思います」
テルルのこの発言で隣に座るリルは大きく目を丸くした。
「あなたは何に驚いているのですか。ザルの二銅貨では安いからくれましたとはなんです。あなたはそう……コホン。すみません。リルさん」
「はい」
リルはしおれ顔になってテルルと共に居間を去った。ガイ主導で乾杯して挨拶をして食事も開始。
「美味いですね、このお酒。わざわざありがとうございます」
とりあえず何も見聞きしなかったように振る舞おう。
「いただきものだ。息子が貰ったんだが半分なら客に出してええと言うてくれて。なんだっけな。後で息子に聞く」
職場でも思ったけどガイは息子の妻をやはりサラッと「娘」と呼ぶ。
「自分はこんなに美味しい酒は初めてです」
「あはは。タビス君、それは酒を知らなすぎだ。これも美味いが他にも美味い酒は山程あるから今度どこか一緒に行くか? 最後の後輩だろうから多少贔屓してご馳走する」
「但し、働けってことですよね。タビス君、先輩は酒の味にうるさいから連れ回されると舌が肥えるぞ」
「うるさいとはなんだ。好みの問題と値段相応かどうかとかそういうことだ」
「励むのでご馳走になりたいです!」
「あはは。ご馳走になりたいですって潔くてええな」
ガイは業務外だとこのようにニコニコしている事が多いのでやはり息子は似ていないと感じる。顔立ちと同じく性格も母親似なのだろう。
お茶会の練習は料理だけのようで甘味以外の料理が全て運ばれてテルルとリルも着席して一緒に食事。
お膳ではなくて机の中央に置かれた山盛りのたけのこの煮物とアジのタタキ、それからお茶漬け用の出汁や切ってある海苔でより夕食が豪華に見える。
茶碗蒸しは保温中でロイが風呂から出てきたら出しますと告げられた。
リルは萎れ顔からすまし顔に戻っていて食事の挨拶後はたまに会話に入ってくれる俺の隣席のテルルとは異なり無言。
しばらくしたらロイが風呂から戻ってきてタビスの隣に着席。
「ヒヨンさん、タビスさん、ご一緒させていただきます。母上、リルさん、このように豪華な夕食をありがとうございます。いただきます」
手を合わせて挨拶をしたロイにリルがスッと徳利を差し出した。
「ありがとうございます」
お猪口を持ったロイはすまし顔で軽い会釈。
「はい」
何か喋るかと思ったけど二人は何も話さなかった。
(そういえばロイ君が結婚した話は聞いたけどどういう縁か知らないな。お嫁さんの料理話しか聞いてない)
「ロイ。この酒は何でどこからいただいたものだ?」
「お品書きに書いてある通り日の出という名前のお酒です」
「ああ、書いてあったな。料理ばかり見ていた」
「お店は夜明け屋です。リルさん、お願いします」
「はい」
頼まれたリルがロイにスッとお酌。
「ありがとうございます」
父親と息子の共通点発見。ロイは結構飲みそう。
(息子が大きくなって結婚したら我が家もこんな風に娘が増えるんだよな。なんか不思議だな)
この後、ロイはリルと同じく会話に全然入ってこなくて若夫婦は揃って無言で食事を続けた。
 




