日常編「リルのお弁当」
感想よりガイ視点の小話です
桜の枝の蕾が成長し始めて中には花を咲かせているものもある。
立ち乗り馬車を降りて息子に別れを告げて自分の勤め先に向かいながらその桜の枝を眺める。
(ロイがいきなり土下座した日からもう一年過ぎたのか)
そろそろ縁談練習ではなくて結婚お申し込みをしたいと騒いでまとわりついて自分で下調べした情報を提示してこちらの意見をことごとく論破されたことを思い出す。
(面倒くさいと思ったけど案の定テルルさんが面倒で……でも掘り出し物を見つけた)
正直、新しい娘である嫁のリルは良いと思うところと心配なところがあって日を増すごとに彼女は変わり者だと感じる。
(まあ、欲しかったのはこれから役立ちそうな兄の方だからな。息子は上機嫌で出世するし嫁は変だけどかわゆいしテルルさんとも親しげなのでこういうのを良縁と呼ぶ)
自分の机に向かって荷物は引き出しの中にしまって鍵をかけて先週の仕事の続きと思って筆記用具の準備。
朝礼まで部署に配布される新聞を読んでそういえば今日から新人職員や新研修生が全体教育を終えて各部署に配属だったと思い出す。
(まあ俺はこの年だから担当にはならないしのらくら眺めていよう)
そうして朝礼が始まって新人職員四名に研修生一名か、とぼんやりしていたら研修生アキラ・タビスの教育係ガイ・ルーベル奏任官と名前を呼ばれて耳を疑う。
もう一人、かつて俺が教育担当をした後輩も名前を呼ばれたけど確かに俺も名前を呼ばれた。
「勅任官、なんで自分が今さらというか退職が近いのに研修生の教育係なんですか」
研修生期間は三年間あって次は新人期間三年間があるのにどういうことだ。
「退職が近いって、新しい息子が出来て世話があるから自分はあと十年くらいは現役とかこの年で健康なら長生きだろうって言うたからだ。退職可能年齢になった瞬間に即退官なんてさせないからな」
「……。いやあ、それは酒の席の勢いというかあれですよあれ」
「何があっても困らないようにもう一人つけたからよろしく頼む」
上司に指名されたら仕方ないけど通常の仕事はのんびりして新しい息子の出世に良い仕事探しとか俺の目的である視察官、監察官の仕事を振れるように小細工と思っていたのにこれだと忙しくなる。
「承知しました」
その他の連絡事項の伝達が終わると勅任官が俺のところへ来て肩を軽く叩いた。
「どうせ自分の業務範囲を適度に怠けて新しい息子にええ感じの仕事を振ったり他の部署の仕事に首を突っ込んで新しい息子におまけとか考えているんだろう」
「まさか」
「君はそういう男だ。仕事を減らすとその分しか働かないのに悪いなと思いつつ多めに仕事を振ったらしれっと期間内に終わらせる」
バレてる。
「そりゃあ必死なだけです」
「教育係を増やしてもどうせ息子のことも上手くやるんだろうから頼んだぞ。他の者と足並みを揃えるのにこれ以上の業務は増やさないけど君には足りないくらいだ」
同じ給与で過剰に働かされたくないのにどういうことだ。
気がついたらいつも教育係なので慣れているから別に構わないけど、と思いつつ新人研修生と後輩に挨拶をしてどうするか思案。
「年も年でいつ辞めるかいつ死ぬか分からないから俺は補助に回る。都度確認するから教育計画書の段階ごとに報告してくれ。あとは横目で見てるから」
「はい、ルーベルさん」
「先輩方、よろしくお願いします」
先週の仕事の続きを始めながらこれを早く終わらせて同期のところへ行って監察官候補に出来ないかネビーの宣伝だ、と頭の中で予定を組み立てる。
予定通りに午前中の仕事が終わって研修生がいるからいつもの食堂には行けないな、と同期ではなくて後輩二人に声を掛けて移動。
席探しも水の確保もしてもらえるから楽だけどここだとお茶が無いのが残念。席について研修生の住居はどこか確認したら二区一番地なので寮生だという。
「研修期間が終わったら区庁に異動希望か?」
「いえ。せっかく本庁勤務開始になれたのでしがみつきます」
「通勤可能圏内に住み込みや婿入りか。二区二番地なら大屯所の事務官が通勤圏内で花形なのになんでまたここを狙ったん——……えっ」
いつものように弁当箱を開けたらアサリの殻だらけだった。それもご丁寧に半分に分けられてキチッと並べてあって中央に梅干しが一つ置いてある。
「……ルーベルさん。これは……これはなんですか?」
後輩にクスクス笑われて研修生は目を丸くして固まっている。
「いや、なんだこれは。俺がそう問いかけたい」
一生懸命思い出してみたけど週末に息子の嫁を怒らせた記憶は全くない。
「奥さんと喧嘩しました?」
「いや。弁当は娘が作ってくれている。息子の嫁だ。何もした記憶はないんだが……」
どうやらリルはかなり怒っているようだけど何も思い当たらない。
「記憶はなくても何かしましたよね、これ。アサリの中身はどこへ消えたんでしょう。乱雑に入れないで並べてあるのが……また……ぷぷっ」
後輩は腹を抱えて笑い出した。逆なら俺も君は妻や娘を怒らせたのか? と大笑いするけど笑われると少々腹が立つ。
「あー。とりあえず外食してくる」
梅干しを食べるか迷って寮の料理人が作ってくれたらしき握り飯だけの研修生に「よかったら梅干しをどうぞ」と渡して食堂から撤収。
職場近くのお店はどこも混むしそれなりの値段がするからお弁当を頼んでいるのにいきなり外食になったので懐は痛むし休み時間は削れるしで、笑われたところにそれとは踏んだり蹴ったり。
午後の仕事が終わって帰り道に少し悩んで基本的には怒るつもりだけど「場合によってはご機嫌取りだ」と桜餅を購入。
立ち乗り馬車に揺られるのは疲れるので空いている場合は簡易椅子を使う。しかし今日は混んでいるからずっと立ちっぱなしで読書をしながら足が疲れるなぁ、と心の中でぼやいた。
何十年も歩いている道を進んで家に到着すると大きく深呼吸。
(第一声で言うか、向こうの態度次第か、どうしよう)
出迎えてくれるのは自分の妻の方だろうからいつも通り鍵を開けて玄関扉を開けて「帰った」といつものように告げる。
帽子を脱いで少し待ってみて、誰も来ないので寝室へ向かったら廊下でリルと遭遇。
「お帰りなさいませ」
しれっと微笑みで挨拶をしてきたので困惑。
「お、おお。ただいま」
「お義母さんはお風呂です」
「そうなのか。それなら……あー。はい。これ」
鞄の中からお弁当箱を巾着ごと出して差し出すとリルは両手で丁寧に受け取った。
「庭いじりを張り切って……間違えました」
主語のない話が始まって何のことかと考えかけた時に、リルが巾着に向かってカッと目を見開いたので何かと思って動揺。
「すみません」
「まず庭いじりはなんだい?」
「お義母さんが汚れました」
体の調子が良いとか天気が良いと言って昨日の庭いじりの続きを張り切って汚れたから先にお風呂に入ったってことだろう。
リルはお喋り下手というか独特の間があるけどそこそこ慣れてきている。彼女は夏から町内会の行事や当番に参加してもらうので正直、こういうところはかなり不安だ。
「間違えましたはなんだい?」
「旦那様のお弁当箱入れとお義父さんのお弁当箱入れを間違えました」
「おおー。そうか。何に怒っているか考えていたけど分からなかったけど分からないわけだ」
と、いうことは息子はこの嫁を怒らせたということになる。土曜は俺も息子も仕事後にそれぞれ飲みに行って帰宅が遅くなるから先に休んでもらって、昨日の俺は若干二日酔いで午前中をゴロゴロ過ごして午後は妻と庭いじりをしていた。
(昨日のロイは……夕食の時間しか姿を見ていないな)
息子とリルがどういう様子だったか記憶にない。
「コホン、リルさん」
「はい」
「貝殻弁当はやり過ぎというか姑息というか口で言いなさい。巻き添えで昼飯が外食になるし同僚に嫁を怒らせたのか、と笑われた」
「……はい」
素直な性格、と思っていたけど不満げな表情をしている。
「来なさい」
「はい」
居間に連れて行って座らせて軽く説教、と思ったら息子が帰宅した。
「ただいま帰りました」
「お迎えしません」
「おい、リルさん。待ちなさい」
「煮物が吹きこぼれます」
反抗的なリルは初めてだな、と遠ざかる背中を眺める。それからこの廊下を通る息子を待つ。
「ただいま帰りました」
仕事から帰宅すると毎回嫁が出迎えてくれるから二度目の声掛けなのだろう。
(ロイにはリルさんと喧嘩した自覚が無いってことか?)
三度目の声掛けはしないようで少し待っていたら息子が俺の近くまで来た。
「お帰りなさい」
「ただいま帰りました父上。廊下で立ちつくしてどうされたのですか?」
「ロイ、お前はリルさんと喧嘩したか?」
「いえ。まさか。リルさん。今日はうんとよかなお弁当で嬉しかったのでお土産を買ってきました」
無表情が多いのに微笑みながら俺の隣を通り過ぎると息子は「リルさーん」と言いながら台所へ続く扉を開いた。
(うんとよかって、今日の俺の弁当は凄かったってことか!)
喧嘩ではなくてリルが一方的に拗ねているか怒っているようだけど、俺の懐が痛んだ原因は息子のようなので息子の財布から無駄な出費分を回収しようと後を追う。
「リルさん?」
「……」
「リルさん、どうしました?」
「……」
「みかんは嫌いでした? でもこの間とても美味しそうに食べていましたよね」
「……間違えましたけどこちらは今日の旦那様のお弁当です」
息子に背を向けてかまどに向かっていたリルが振り返って、ぶすくれ顔で蓋を外したお弁当箱を両手に乗せて息子に差し出した。
「……。えっ?」
「お義父さんに悪いことをしました」
「ちょっと待ってリルさん。これ、噂の怒りの貝殻弁当ですよね? 昔ネビーさんにした。笑いを取るなら事前に言うか貝の下に何かありそうですけど無さそうです」
「はい」
「……」
少々沈黙が続いて先にロイが口を開いた。
「土曜に夜中過ぎに帰ったからですか? あー。昨日も昼飲みに行きましたし……」
昨日、息子の姿を夕食まで見た記憶が無いと思ったら昼飲みに行っていたのか。
「……。……に」
「に? 小さい声でしたのでもう一度お願いします」
「紅です」
「……」
結婚一年もしないで花街に行って迂闊なことに紅をつけて帰って激怒したようなので俺は「リルさん。何かのお詫びと思ったけど特に何もなかったようなので居間の机にお土産を置いておく」と逃亡。
寝室で着替えて荷物を書斎に置いて風呂場へ向かって脱衣所へ続く扉の前で軽く咳払い。
「母さん。ただいま」
「今、着替えていますから少々お待ち下さい。一番風呂を奪ってすみません。でも急かさないで下さい」
「いや。ロイとリルさんが修羅場かもしれないから逃げてきた。何か知っているか?」
「修羅場? 知りません」
「弁当を開けたら貝殻弁当だったんだ。アサリの中身がなくて貝殻がキチッと並べられていて梅干しが一つだけ。リルさんを怒らせた記憶はないから驚いた」
扉越しに話していたけど扉が開いて浴衣姿の妻が怪訝そうな表情で出てきた。
「なんですって」
怪訝、ではなくて怒り顔だこれは。
「さっき話したらロイと間違えたようで謝られた」
「お昼はどうされたのですか?」
「近くのうどん屋で食べた」
「……。修羅場って喧嘩の原因はなんですか?」
「聞く前にここへ来たから知らん。リルさんは一言紅と言うた」
「昨日、昼間っから飲みに行ったのは花街ってことかしら。リルさんは昨晩から大人しいというか考え事をしていたから何かと思っていましたけど」
「来月のリルさんの誕生日祝いを買いに行ったついでに花芸妓と遊んできたのか? 遊女の方か? リルさんリルさんうるさいのにな」
「ったく。貝殻弁当なんて陰湿な真似。ロイはロイで自分の立場を分かっているのかしら。我が家とリルさんの力関係はすっかり逆転しているのに」
陰湿な真似、という言葉に聞き覚えがあるなと思ったらかつてこの妻にイカ墨ご飯にされた時に母に言われた台詞だ。
喧嘩を立ち聞きされて「陰湿な真似」と後から母に言われた。
「まあ、リルさんの家事が無くなると結構困るよな」
「ええ。すっかり楽をする習慣がついてしまいました。他を探すのに時間がかかるしあのくらい細かい性格は見つけにくいしお兄さんを養子にしてしまいました」
「出てくとか帰るとか言わないよな?」
「ロイが悪いならロイこそリルさんの実家で反省させて下さい。弟になってもらったことですしネビーさんにお説教してもらうとええのでは? エルさん達に聞いたけど、あの方女性関係はかなり自分に厳しくしていますよ」
あれ程嫌だと言っていたのに、目に入れても痛くない一人息子よりも嫁を庇うのか⁈
「おお。そうか。ネビー君はそうなのか」
「貞淑なお嬢さんに縁談時に不潔と言われたくないからお嫁さんにする人以外はそういう意味では触らないそうです」
「へぇ。調査した限りではわりとモテ男なのに女の影や遊んでいる過去も見つからないと思っていたけどそうなのか」
お嫁さんはお嬢さんはなんなのか親戚会の時に飲みながら聞いたけど、目で追うのは昔からいつもそうだったからとか学生の時に女学生をほぼ毎日眺めていてさらにそう思ったとか、今だと女学校の先生に目がいくとかあれこれ言っていた。
(まあ、遊び回ったら紹介しにくいから自ら律しているなら助かるな。そこまでは話してなかった)
「ロイを放り投げている間にリルさんのご機嫌取りをして下さい。男はそんなものとかなんだとか。私は嫌です。なんであの嫁の味方をしなといけないの。間にも入りたくないわ」
喧嘩が始まるなら夕食は外食なのかしら、と言いながら妻は「あなたの書斎に逃げているからよろしく」と去っていった。
押し付けられた!
渋々台所へ向かったら二人は微笑みあって並んで立っていた。
「なんだ。仲直りしたのか」
「父上、とばっちりですみませんでした。今日の昼食代は自分が払います」
「いえ。私がお小遣いから返します」
「怒っていると言いづらいからいきなり貝殻弁当は悪いのでそうしましょう、と言いたいけど自分の情報共有不足のせいです」
なんだったのか確認したらリルは昨晩、息子が書きかけの手紙を見つけてそれはどう考えても女性宛。
しかも相手女性からの手紙も置いてあってどちらも恋文のようだった上に贈り物と思われる紅もそこにあったので浮気だと思ったそうだ。
(内容は分からないけどそりゃあそう思うな)
「手紙はネビーさんが今からお嬢さん対策をしたいって言うて半ば無理やり自分をお嬢さんに見立てて文通です。女性風に書いたものとネビーさんの手紙を添削したものの二通です」
「そんな頼まれ事をされたのか」
長年友人ではなくてあまり話してこなかったというのにネビーが息子にそんな頼み事をしたことも、息子が頼まれたといってもそのような面倒な事を引き受けたのも意外。
「ええ。一回目で文学や龍歌のもじりが分からないから調べますって言うて一ヶ月くらい間が空いたから忘れたと思っていたけど土曜の夜に郵便受けに入っていました」
「お嫁さんはお嬢さんって本気なんだな」
「兄は何年も前からずっと言うています」
リルは兄と呼んだり兄ちゃんと呼んだり気まぐれなのだろうか。
「そのお嬢さんの定義は何かと聞いたら慎ましくて照れ屋で貞淑がよかだから国立女学校卒以上のお嬢さんって言うていました」
「区立女学校は外すのか」
「調べた結果あばずれお嬢さんの可能性が高くなるからって言うていました」
「あばずれお嬢さんってなんだ」
「話を聞いているかぎり男女関係に潔癖症気味の女性がよかで本人がそうみたいです。長屋の貧乏男と暮らす国立女学校卒以上のお嬢さんはいないから出世して家を建てる。今のうちから話が合うように備えるってあれこれ聞いてきてやかましいです」
やかましい、と言いながら息子の顔に楽しいと書いてある。
「ルルさん達を全員卿家のお嬢さん風にしたいので教育したり勉強させるって言うていました」
「一緒に勉強しているのは聞いています」
「紅はなんだったんだ?」
「兄が旦那様に頼みました」
「ん? 今から備えるとかロイで文通の仮想練習ってネビー君は高嶺の花を見つけて口説く気なのか? 必ず出世出来るから待ってくれとか」
「いえ、幼馴染が口説く用です」
「親しい幼馴染に卿家の養子になったという話をしたらそこらでは手に入らないような物を自分に頼んで欲しいと頼まれたそうです。分からないからお姉さんのいるヨハネさんに依頼しました」
この話が嘘か本当なのか、リルは兄に直接聞けば良いしヨハネも最近月に一度か二度遊びに来るからやはり質問可能。
(それにしても相変わらずリルさんは説明下手だな。町内会は大丈夫か?)
こうして息子夫婦の修羅場は起こらず穏やかな気持ちでお風呂に入れて夕食も和やかに過ごしていつも通りの生活である。
翌日もいつも通りで昼食はまた後輩と研修生と一緒でやはり普段とは異なる食堂。
「ルーベルさん。今日も貝殻弁当だったらどうしますか?」
「夫婦喧嘩というか誤解で夫婦喧嘩手前のとばっちりだったから今日はいつも通りだ」
そのはずだけど昨日の蓋を開けたら衝撃、を思い出して唾を飲む。
「うわあ。なんですかこれ。とばっちりのお礼に仕出し弁当ですか?」
「綺麗です」
「……」
アサリの中身はどこに消えたと思っていたけどアサリの佃煮になっていたようでそれと青菜と鮭のほぐし身で三色。青菜の上には花の形になったにんじんが二つ。
(花のやくの黄色はなんだ?)
小さめの青竹の入れ物に入っているレンコンも飾り切りされているし串焼き野菜も飾り切りされていてきゅうりの香物は松の葉やたけのこに見える形だ。
(いつも特別な時や頼んだ時以外はここまでじゃない。気合が入っているように見えるのは昨日のお詫びだろうな)
なぜかたまご焼きが握り飯の形でかまぼこ二つは目も頬に色もあるうさぎになっている。片方のうさぎは紅色の頬でもう片方は茶色いから梅と味噌か?
「たまご焼きが握り飯ですねこれ。それでうさぎはかまぼこですね」
「仕出し弁当ではなくて娘の弁当だ。宝箱みたいだからいつも楽しみにしているんだがここまでじゃないから昨日のお詫びみたいだ。息子は料理上手な嫁を迎えてな」
「えっ。朝からこれを作ってくれたんですか? 料理上手ってまるで料理人ですよ」
「友人が旅館を営んでいて厨房で少し働いているから日に日に腕が上がっててな。妻が凝り性で教わっているのもある」
昨日とうって変わって妻も娘も大自慢出来るすこぶる良い昼食だ。
この日、帰宅してリルにお礼を告げて握り飯形たまご焼きやうさぎのかまぼこは何かと尋ねたら寺子屋に通い出した妹達が勉強を頑張っているからお小遣いでかわゆいお弁当を作る予定でその練習だった。
俺にお詫びではないのか、と少々がっかりしたけど「それなら」と今日のお礼とそのうち後輩と研修生を家に招くから根回しも兼ねてお小遣いを追加。
「昨日のお詫びにお義父さんが好きなイカの一夜干しを作りました」
「おお。そうか。それはありがとう」
「それから夕食はたまごふわふわ風茶碗蒸しにしました」
「おおー! また出ないかと思っていた!」
「はい。また頼むとそう言うていました。お弁当袋間違えも姑息な手も気をつけます」
神妙な顔ですみませんでした、と謝られた。
「まあ、母さんも俺の弁当をイカ墨ご飯にしてそれだけにしたことがあるし、余程ならそのくらいはええかもな」
「……何をして怒られたのですか?」
「それが覚えてない。弁当箱の蓋を開けたら真っ黒ご飯だったことだけを覚えている」
ふむふむ、とリルは頷いて夕食の準備に去った。この三日後、俺は昼食時にその真っ黒弁当を見ることになった。
手紙が添えられていて「思い出のお弁当でふざけです。下に色々あります。リル」と書いてあってこのようにふざける面もあったのか、と笑ってしまった。
「ルーベルさんの家のお弁当って宝箱じゃなくてびっくり箱じゃないですか。なんですかこの真っ黒なご飯は」
「昔妻を怒らせたらイカ墨ご飯だけだったと教えたからふざけたそうだ。ほら」
手紙を後輩に見せた。昨日までと違って親しくしている同僚もいるので皆で大笑い。
下に色々あります、と言うようにイカ墨ご飯の下にはサッサの葉が上手にひいてあってその下はいつものお弁当だった。




