日常編「リル、着物を買いに行く1」
小物を買った時と同じようにリルがひたすらビックリする話です。
私は今月五月に十七歳になる。義父母とロイから着物を贈ると言われてロイと呉服屋きらら屋へ向かっている。
父が働く日用品店ひくらしの経営者達が小物屋うらら屋へ営業をかけているのでひくらしから小物屋うらら屋、小物屋うらら屋から呉服屋きらら屋という経由で予約したという。
小物屋うらら屋へ流行り情報を提供したり客を増やす客——クララ——を紹介したルーベル様はひくらしと関係があって呉服屋きらら屋も贔屓してくれる。
そのルーベル様は日用品店ひくらしの大旦那と繋がっている。そう思われるのが狙いらしい。
私だったら呉服屋きらら屋へ直接予約しそう。
街を歩きながらロイに告げられた台詞に衝撃を受けて私は転びそうになった。
「ロイさん、今なんて言いました?」
「今日買うのはリルさんの訪問着を春夏秋冬分です。全て一つ紋を入れます。です」
「今なんて言いました?」
おかしい。私はもう訪問着を持っている。ロイから結納用だと贈られた薄桃色の生地に貝桶と四季折々の花柄というとても素敵な皇女様のような着物だ。
滅多に着ないし派手過ぎず若向き過ぎないから大事に大事にしていたらきっと一生着られる。
「今日買うものはリルさんの訪問着を春夏秋冬分の四着です。全て一つ紋にします」
「帰りましょう。訪問着はもう持っています」
「いえ。帰りません。自分の着物も買いますから。リルさんの訪問着は一着しかないです」
「はい。宝物中の宝物が一着あります。なので他には要りません」
「リルさん。母曰く三十代くらいまでの卿家の女性がそれなりの茶会へ着ていくのは訪問着です。なので春夏秋冬分、それぞれの季節の柄のものが必要です」
そうなの?
「母曰く、訪問着は何かの祝いに父と選んだ着物が多いので生きている間は譲らないそうです。孫は別だと」
「はい」
「息子の友人達の結婚式に毎回同じ訪問着なんて恥ずかしいので種類がないと困ります。卿家の懐事情はどの家もわりと似たり寄ったりなのにルーベル家は一人息子なのに嫁に着物を買う金がないなんて何かあると怪しまれます」
卿家は日々の節約はするけれど持ち物などはそれなりのものを揃える。それはもう学んだ話だ。
漁師が誤解したように変なことが起こったりしないようにもあるし、お金がないと思われて借金や浪費などと勘繰られて告げ口から監査や調査と面倒な事が起こる時もあるからだ。
もしも平家落ちしてしまっても質の良い持ち物は売れる。
「はい」
「季節ごとの訪問着が一着ずつあれば町内会のお嫁さん同士の貸し借りに参加出来ます」
「はい」
「小紋のお出掛け着ではなくて訪問着で遊びに行っても良いものです」
「お出掛け着でドキドキするのに宝物中の宝物を汚したくないです」
「お嫁さん仲間とお出掛けの時に出先によって格を合わせるのは大切です。副仲人としてそれなりの場所にも行きますから訪問着もどんどん着ましょう」
「……はい」
「母曰く、訪問着に合わせる帯や小物は貸すし、まだあまり着なくて構わない色無地は自分が先に亡くなって残すから買う必要はない。義母、つまり自分の祖母の紋付きの色無地も取ってあるから渡します」
「……私の着物が増えるのですか⁈」
「義母、つまり自分の祖母の着物のうち柄があるものは目にも入れたくないから売ったそうです」
嫁姑問題!
「それでですねリルさん」
「はい」
着物を四着買うなんて衝撃的なのにまだ何かあるの⁈
「それは両親からリルさんへの誕生日の贈り物です。嫁入り後初なので奮発するそうです。来年からはここまでしません」
「それはとてもホッとしました」
「自分はリルさんに色無地を贈ります」
「……色無地は先程あると言いました」
「験担ぎで自分が何度か着て息災だったら自分の色紋付を息子が元服した時に贈ります」
色無地の話をあからさまに無視された。
「それは知らない風習です」
「ええ。両親が決めただけです。ルーベル家は子ども関係の運がイマイチなので」
「そうですか。旦那様が元気いっぱいだから息子が生まれたら旦那様の着物もどんどん贈ると言うことですね」
「ええ。それから息子が二人になって親戚に未婚の娘が三人増えたから全員が結婚したら我が家と親戚を合わせても色紋付の数が足りないと。式のたびに同じ人が同じ色はちょっと」
「貸し借り交換するという事ですか? 紋付きはご近所さんと貸し借り出来ません」
「ええ。そういう建前で自分の今回の誕生日祝いは色紋付です。両親とリルさんからです」
義父母にロイの誕生日に何なら贈って良いか確認したらお小遣いの範囲で軽いもの。事前に相談しなさい。そう言われた。
それとは別に義父母と私からとしてそれなりの物を贈る、物と予算は指定するけど私が選ぶように。そう言われた。それは色紋付なのか。
「それなりの贈り物は二人と私からで選ぶのは私と言われました」
「なのでリルさんの色無地と自分の色紋付を同じ色にしたいと思っています」
「お揃い……はい。はい!」
それは嬉しいお知らせだ。
「なので今日買うのはリルさんの色無地、訪問着四着、自分の色紋付の反物です。リルさんのものは全て一つ紋。自分は三つ紋を頼みます」
「訪問着に紋を入れたら嫁仲間と貸し借り出来ません」
「祝い事はともかくお出かけの際はあまり気にしないものです」
「そうなのですか」
「ええ。母も一つ紋を貸し借りしていますよ。慶事があった家から借りたり。自分も書面半結納の日にヨハネさんに紋付きの着物を貸しました。結納時は自分の家紋ですがその前なので新婚の自分にあやかるという験担ぎです」
「家紋なんてない家に生まれて教科書でもまだ読んだことがありません」
「地域の風習とか卿家の習わしかもしれません」
「そういえばお義母さんに頼まれて私もクリスタさんに着物を貸しました。宝物中の宝物の訪問着です」
「きっと同じ理由ですね。なぜか聞かなかったのですか?」
「はい。反省です」
「リルさん、あなたは質問をする練習中では? っていうのが最近の母上の口癖になってきましたね」
ロイの義母の真似はさすが親子でわりと似ている。笑われているけど笑い事ではない。軽口の時もあるけど喉がヒュッとなって怖い時がある。
お揃いの着物は何色にしようか、という相談をして私は一番の宝物の簪に合わせたいしロイにも似合うから青系とあっさり決定。
「合わせてもらって二人に似合う色を探しましょう」
「はい。あの、ロイさん」
「急に渋い顔をしてどうしました?」
つんつん、と眉間を指でつつかれた。
「倒れてしまいそうなので値段を知りたくないです。知るのも勉強ですか?」
「いえ今日は予算を教えます。それに相場を知るのは勉強です。質の悪い物を高く買わされると損をします」
「それなら呉服屋巡りをして比較した方がええです」
「今回は両親が事前に確認をしてからこの店と決めました。リルさんの実家やひくらしのこともあるので。呉服屋や小物屋巡りはまた別でしましょう」
「はい」
雑談しながら呉服屋きらら屋へ到着。私は呉服屋に初めて入る。
店内は正面から見て扉のない部屋が三間あってそこに箱が沢山あって美しい着物が飾ってある。
私が立つ領域には仕立て済みの着物が衣服掛けにかけられて並んでいたりうらら屋のように小物が並ぶ。
二間には何人も人がいてワイワイしていて宝物のような美しい反物を見たり体に合わせて鏡を見ている。
残りの一間には誰もいないけど調度品が二間と異なり高そう。煌びやかな打ち掛けが飾られている。その分なのか狭い。
「仕立て済みの着物は新品と古着と両方……ロイさん?」
いくらから、と書いてあって恐ろしくない値段だったのでホッとしていたけどロイは店員に話しかけた。
宝物の山のお店は入るのに予約が必要って大変だと思ったけどそういえば普通に入れたな。
(まあいいや。ここは小紋だけど……。訪問着もあった。高い……けど安い? 相場が分からない。柄や布の質がロイさんからの贈り物よりも格が低そう。これはお出掛け用によさ……)
「リルさん」
「はい」
「行きましょう」
買わないでもう帰るの?
そう思ったら店員が近寄ってきて衝撃的なことに私の手提げを預かってくれてこちらですと案内されて三間ある部屋の一間へ案内された。
店内には他にもお客さんがいるのに私とロイだけ一番格が高そうな部屋に着席。座布団がふかふか。お茶をお持ち致しますと店員が奥の部屋へ消えた。
(予約って、予約ってこういうこと……)
「どうしましたリルさん」
「訪問着はあちらに高いけど安いかわゆい古着がありました」
「リルさん。今日選ぶのは仕立て済みのものではなくて反物と言いましたよ。それに結婚後初の誕生日祝いなので古着にはしません」
「えっ。あっ、はい。いえ、あちらにかわゆい古着がありました」
「今後はともかく今回は新品です。仕立ては交渉してリルさんの祖母君に依頼してもらう予定です。祖母君と妹さん達に指導して下さい」
そうなの?
我が家にルーベル家のお金がこの呉服屋きらら屋を通して流れるということ。
「それはありがとうございます」
「リルさんを鍛えた祖母君やお母上ですからそこらの針子より余程ええ。両親がそう判断しました。親戚だから贔屓しますけどイマイチなら頼みません。特に色紋付きは」
「はい。祖母は仕事に困ったことはないです。こだわりが強いから沢山働かなくて一人暮らし分を稼いでいます」
「そうみたいですね。しっかり老舗呉服屋と契約しているようですから」
ガミガミ祖母とガミガミ母は仲が悪い。祖母は母のことを父をたぶらかしてネビーを産んだ女だからと嫌っている。
その流れでネビーも若干嫌われているけどネビーが飄々としていて「ばあちゃん!」みたいに気さくだから祖母は満更でもない。ネビーの見た目が父に似ているのもあると思う。
その流れで父似の私も祖母にそんなに嫌われていない。
祖母と黙々と縫い物をしてたまに怒られてたまに褒められていた。その間ルル達は遊んでいたので私も遊びたいと思った事は何度もある。
(今のレイがあの頃の私と同じだから順番って事だったんだな)
ルルは雑過ぎてそれ以前の問題らしい。母に私は偉かったけどもう少し教育をして欲しかったと言われた。
それからあの暴れ娘三人には三対一で私の性格なら気圧されるからそれは無理だったわよね、とか。
三月の親戚会で母が義母に卿家の教育のことを尋ねて、ルカは母親になる予定で私もそのうち親になるから四人で話してその流れ。
(ルル達を押し付けられてるって思った事もあるけどネビーとルカと私がとにかく先でルル達こそ放置気味の後回しだったしな。考えたらルル達ってお父さんと二人とかお母さんと二人って見たことなかった)
十六歳になって知らなかった世界が現れて今年もそうなる予感。
夏から町内会に参加だしルル達の事や両親の老後などを大人として一緒に考える方に参加になった。私は嫁にいったからルーベル家側としてだけど。
少し待っていたら店員が戻ってきてお皿に乗ったお菓子を運んでくれた。
(練り切り!)
鶯の形と桜の形で私とロイで種類が異なる。
ロイがお菓子を出された時に「甘味は苦手なので妻に包んでいただけますか?」と頼んで衝撃的。そんなこと頼んで良いの?
頼んで良かったみたいで店員はニコニコしながら「かしこまりました」とお皿を持って奥の部屋へ下がった。
そこに高そうな着物姿の年配男女も登場。旦那と女将だろう。二人はロイと挨拶を開始。ソワソワする私も少し参加。
普通にお茶が来るのかと思っていたらお菓子を運んでくれた店員が盆略点前を始めた。
「本日は妻の訪問着を四種類と色無地と自分の色紋付き用の反物を選びにきました。袴はいりません。予算は訪問着用の反物は小型金貨二枚以内です。色無地と色紋付きは同じ色を希望していて予算は反物の色や生地の種類で考えます」
この発言で旦那と女将の愛想笑いがさらにホクホクになった気がする。
それで私はかなりのめまいがした。八金貨。私の訪問着だけで八金貨!
「訪問着は春夏秋冬で四着仕立てるので季節に合わせた柄と生地の反物を比較したいです。最初は春物から探したいです」
「かしこまりました。奥様、ご希望の柄はございますか?」
(小型金貨が八かける三十で二百四十銀貨……。多分私は暗算が出来た……)
八金貨。八金貨……。八金貨……。
「考え中のようなので先にお願いがありまして……」
ロイが何か言っているけど八金貨、八金貨という衝撃的な予算が頭の中をぐるぐる回り続けている。
「リルさん、大丈夫ですか?」
「予算にめまいがします」
「リルさんが唯一持っている訪問着とあれに合わせた帯とこの四着分だったらこちらの予算の方が安いですよ」
「……えっ。ええっ!」
私はあの訪問着を二度と着られない気がする。飾らないと。いや日焼け……は衣装部屋ではしないけど埃や虫食い……。虫除けをしっかりしないと!
(えっ。あの訪問着と帯で八金貨以上でそこに小物に下駄に家着に割烹着に浴衣に……)
私はロイにいくら貢がれてロイの給与はいくらなの?
ロイに家計についてまだ考えなくて良いと言われているけど気になり過ぎる。これだと卿家は小金持ちではなくて大金持ちだ。
ロイの給与の大半は貯金だと聞いている。私達は義父の稼ぎで生活していてロイは言われた金額を出している。
もしもロイが月に一金貨を積み立てていたら一年で十二金貨。ロイは十六歳から働いているから貯金が六十金貨以上あるの?
結納品代に祝言代に加えて今日また一気に貯金が減るけど今回のこの予算は義父母とロイからのお祝い金なのでロイの貯金がすっからかんにはならない……はず。
ルーベル家はお金管理が細かい。そもそもロイは結婚後にすぐ私に小物を一金貨分買おうとした!
(ルシーさん達は大大大金持ちってこと? えっ⁈ ああ。違う。ルシーさんが大金持ちだと我が家は小金持ちだ。つまり中流層の商家や豪家もこんな? でないと商品が売れないからそうなる……)
宝物を沢山使って売ってくれるから平家が古着で楽しめる。
お洒落は贅沢だから元服祝いにかわゆい着物を一着贈る。そうしたら長屋の友達と貸し借りに参加出来るからあれこれお洒落出来る。
一年少し前はそう言われていたのに私は今とんでもない場所にいる。
「小物はうらら屋さんでまたお世話になりますし帯なども色々あるので今日は反物のみです。色紋付きの羽織り用の装飾品はお願いします。悩むみたいなので見繕っていただきたいです。結婚記念で長く使うのであまり若向けではない反物をお願いします」
「かしこまりました。春夏物は新作もございますし定番物もございます」
盆略点前をしていた店員にお菓子をどうぞと言われたけど食べ物が喉を通る気がしない。




