日常編「リルはご機嫌ななめ」
町内会は揉めた事があるので犬猫飼育禁止。なのに我が家の庭に猫のフン!
庭いじりは義父母の共通の趣味で庭をとても大事にしているのになんてこと。
このフンは回収してもらって肥料にしてもらうし猫はかわゆい生き物だけどこれは問題。
(卿家が集まっている町内会だから規則にはうるさい。野良猫かもしれない)
せっかくのちび向日葵達に猫のフン。臭う。
(ちび向日葵を洗おう)
日差しが暑いけど肌が痛くなる日焼け防止の笠をしているし布を巻いたりしている。
小さめの桶に水汲みをして持ってきた手拭いでちび向日葵のフンがついたあたりを拭いて手拭いをしっかり洗って干して満足。
翌日。同じくらいの時間に洗濯物をこんでいたらちび向日葵が1本折れていた。土には猫の足跡。しかも変な匂い。
(この臭いはチッてしたかも! また来て今度は折った! お義父さんとお義母さんの大事なちび向日葵なのに! 床の間に飾るのに!)
完全に茎が千切れていないようなので折れたちび向日葵に枝を添えて包帯を作って巻いた。
これは猫からちび向日葵達を守らないといけない。
(猫オババのかわゆい猫達を畑から遠ざけていたのは……。なんだっけ……)
潰すと変な匂いの実だ。あれは春の実だよな、と思いつつ公園にあるか探しに行ったけど見当たらず。単に暑かっただけ。
さらに翌日。現行犯逮捕狙い、つまり箒と水で嫌がらせと思ってちらちら庭を監視していたけど来ない。
厠掃除後に早めに洗濯物を取り込もうと思って庭へ出たらまた猫のフンを発見。
おまけにちび向日葵の葉のところの茎がいくつか不完全に折れていた。
(ずっとは見張れないからやられた! 折った上にフン! やっぱり猫対策が必要。鼠取りは助かるけど庭はダメ!)
猫対策はなんだっけ、なんだっけ。とりあえずカカシもどきを作ってみた。
翌日、フンはなかったけどちび向日葵達のところの土を少し掘った跡と足跡。
4日も続くとイライラが凄い。妹達がうるさかった時は怒りは私の中から消え気味だった。
イラってしてネビーがふざけて楽しいとか姉妹で遊んだりしてさようなら。父も母もガミガミうるさいけど愉快な話も色々するから聞いてて面白い。
しかしルーベル家はわりと静か。今も義母はお出掛けしていていて義父もロイも仕事中なので家に1人。自分で自分の気を紛らわさないとならない。
(なんだっけ、なんだっけ……。ハッ! 唐辛子!)
我が家でそこそこ辛い物好きなのは義母。乾燥唐辛子があるぞと台所へいってすり鉢でゴリゴリ擦って水に混ぜて庭へ移動。それをちび向日葵達のあたりに撒いた。
(縁側で日向ぼっこはええけど庭に悪さはダメ)
猫にかなりイライラするからたまにはルル達の顔を見に行こう。
実家に行けそうな時間帯は暑くて出歩きたくなくて億劫気味だった。
今日は曇り空なので暑さはかなりマシ。洗濯物を部屋干しに変更。
義母は茶道教室で不在なので書き置きが必要だ。
(実家へ帰ります)
なぜか分からないけど昨日ロイが私に綺麗な瓶入りの絵飴を買ってきてくれたのでルル達にお裾分けだと思って手提げに入れた。
(ルカやルルが万年桜をもっと知りたいって言うてたな。そうだった。レイにアレクさんからの絵。ロカはなんだっけ。えー……狐の手袋の話だ)
万年桜の冊子と絵と教科書も準備。
(お母さんが味が好きって言うたからきゅうりのぬか漬けを持っていこう。お父さんはたくあん!)
父はこの間義父に中流層向けの作品作りには文学教養知識を増やすと良い、みたいな話の延長で読み終わった本について解説を聞きに来た。
その時にこのたくあんは好きだと夢中気味。そういえば気がついたら義父と夏星踊りを踊っていたけどあれはなぜああなったのだろう。
(なにか貰い物があるって言われるかもしれないから何かを入れる物、余分な風呂敷、万年桜の冊子、絵、教科書、水筒、水筒)
庭で育てているニラ、紫蘇、みょうがも持っていこう。
風呂敷を背負って実家。どんよりどよどよ曇り空なので日焼け防止笠もあるけど傘を忘れずに。
歩いてみたらやはりそこまで暑くない。代わりに汗で気持ち悪くなりそう。
(お義母さんの食欲がイマイチだから夕食はおうどんで早く出来る)
母に便乗したら夕方戦争で何か安く買えるかもしれない。
ルカやルル達は喜ぶかなとか、そういえば万年桜の冊子はそもそも父に見せるんだったと考えていたら実家に到着。
「なんだいリルちゃん。夜逃げならぬ昼逃げをしていきたのかい? お金持ちの家だとやっぱり厳しいんだろう。あんたは昔から……」
はい、と右手を挙げて手を横に振った。私は新しくこの技を考えた。
頼んでも止まらなそうなペラペラお喋りに止まってもらう方法。クララに学校では質問がある時は手を挙げると教わったので思いついた。
「ん? なんだい。違うのかい」
「元気です。少し遊びにきました。あと野良猫退散方法を知りたいです」
「妹孝行にきたのか。昔から世話焼きだしね。辛気臭い顔をして大荷物みたいに見えたから誤解したけど元気なの。それはええ事だ。野良猫退散? 猫なら見かけるたびに箒で叩いていれば来なくなるだろう。あと水をかけるとか」
「ここと違って家に1人か2人が多くて猫を見張れません。毎日悪さをした後です」
「ああ。そうか。お金持ちの家だと私らみたいに協力出来ないのか。それにしても喋るようになったねあんた。ええ子ではあるけど何を考えてるか分からない時は不気味っていうか変っていうか困るっていうか。あれは家族が喋り過ぎか」
喋らない時は不気味で変で困らせていたのか。でもええ子。さっき世話焼きとも言われた。元気でええ事、とは心配してもらえている。会話って大事だなと改めて実感。
「お金持ちではなくて節約で小金持ちです。また喋ります。実家に帰ります」
「節約で小金持ち。へえ。役人さんってそんななの。ネビー君も安月給ですって言うてるしな。分からない世界だわ。なんか噂で聞いたけど裁判官の世話係らしいねあんたの旦那。つまり6番隊に居るんだろう?」
「裁判所です」
「あっちの大きな所にいるのかい! ひゃあ、それはまた凄いんだねぇ」
「旦那様はいつもいつも勉強しています。たまに握り飯片手です。結果を書いたりなので何も出来ません」
話が続きそうなのでまた手を挙げて「急ぎます」と会釈をして退散。
あっちの大きい所とは多分小裁判所の事だろう。6番隊にいるのは軽犯罪をバシバシ裁いてくれる簡裁官。
自分もまくしたて気味のペラペラお喋りの自覚はないのだろうか。でもサラッと褒められた。これは喋るようになったから分かった話。
ずっと話されると実家にも我が家にも帰るのが遅くなるので撤収。
(手を挙げる作戦は使えそう。クララにお礼を言おう)
出る杭は打たれる。実家はまだ貧乏気味なので娘が玉の輿なのに何もしてもらえないのとか色々言われているそうだ。
これをしてもらっている、と言うと我が家に誰かが頼み事をするかもしれないから両親はのらくらしてるらしい。それで私も義母にちょこちょこ指示される。
あまり嘘は言わないけど誤解されるように話す。もうすぐ始まる町内会の付き合いでも大事だと言われた。
実際はもうド貧乏ではないけどルル達の教育費に回したり今後の手習などに備えた貯金もしている。来年からはジンに勉強も検討中らしい。
(前よりもロイさんのことを聞かれるからお義母さんと練習しておいて良かった。役人の手本なら困ってるんだから助けろって難癖がある事もあるから気をつけて回避。小さく見せるのは大事。うーん、難しい)
私は喋る練習をしつつ考えて喋る訓練中でもある。
考えて喋っているけど生活圏が広がって人付き合いが増えているから義父母やロイから卿家風の知恵を元に考える訓練。
「あれ、リルちゃん。ついに家を追い出されたの? 辛気臭い顔をしちゃってさ。ぼーっとして怒られ続けて嫌になったとかでしょう」
今度話しかけてきたのは幼馴染のアイシャ。ルカと親しくて性格がキツい。
こうしてたまに昼間遊びに来ても彼女は仕事で不在なので会う機会は少ない。それでサラッと嫌味を言ってくる。
まだ喋りそうだったのでまた手を挙げて横に振る。ん? とアイシャは首を傾けた。
「前よりぼんやりは直った。曇りで歩きやすいから遊びにきた」
「世話焼き兄姉がいなきゃ直るか。自力でどうにかしないといけないからね。なんだ。悔しいから出戻りしてこないかなって思うのにそろそろ1年だよね。1年大丈夫ってことは格差でもなんとかなるのか。おめでとう。ねぇねぇ、その髪型ってどうなってるの?」
えっ! おめでとうって言われた!
悔しいからって言われた!
(友達じゃないからおめでとうって言われなかったんじゃなくて悔しかったから……。悔しい? なにが?)
座ったら、みたいに合間机に促されたので並んで座る。
「前もかわゆい髪型だったよね。聞く前に行っちゃって聞けなかった。私ね、お嫁にいくことにしたの。つれない冷たい人よりも熱心な人。玉の輿のリルちゃんみたいな皇女様の着物はないけど髪型くらい真似出来たらええなって思って」
「……姉ちゃんはアイシャちゃんから着物を借りたよ。だから代わりに貸してって言える」
「あはは! あんな凄いのを汚したらとんでもない事になるでしょう? あんな宝物みたいな着物は借りられないよ。私の方が似合うのに! って思うけど。まっ、リルちゃんもかわゆかった。いいなぁ。お金持ちだとお洒落できて」
……そうかな。汚したりなんてしない。汚れたら他の人のせいとかだ。アイシャは口が悪いけどそれだけ。仕方ないなぁ、と遊びに混ぜてくれたり転べば着物の土を払ってくれたり。
ルカと気が合うのは皮肉屋とか世話焼きなところ。口喧嘩はするけど喧嘩だと仲裁側。
「お金持ちじゃなくて節約で小金持ち。今度髪型の本を貸すね。旦那様と兄ちゃんが会うから渡してもらう」
「役人ってそうなの? まあ、ネビーも安月給って言うてるね。すまし顔で感じ悪いって思ったけどよく考えたら怖いよ。着るところを想像したらそう思った」
「うん。緊張してた。旦那様も人見知り」
「なんか優しいらしいねあんたの旦那さん。ルカからリルちゃんは楽しそうって聞いた。別に好きでもなかった人とそうなれるなら私もそうかなって。私の相手はお金持ちじゃないけど親達もええって言う優しい人だから。会ってもそう思う。うんと優しいなって」
アイシャは俯いて両足をぷらぷらさせた。らぶゆを諦めて結婚……。つれない冷たい人にらぶゆか。
ニックがお弁当の恋人といるところを見た時の事を思い出した。
その次はロイが夜中過ぎまで帰ってこなかった日のこと。悲しくなってくる。それで悔しいの意味も理解出来た。
「本当、リルちゃんは感じ悪かった。私は選ばれました的な? すごく腹が立つ。私なんてお出掛けすら嫌だって。それなりにモテるのになんなのもう。八つ当たり。自分が嫌な奴になっていくなって思って諦めて、うんと諦めたら少しはマシになった気がする」
断っているのは見かけた事があるのにらぶゆな人からはそうなんだ。
今なら自分が苦しい時にお祝いの宴席は嫌かもしれないと分かる。またしても会話は大事だと痛感。
宴会の日に感じ悪い、と耳にした時に「緊張してるだけ」と話しかけていたら今のような話が出来たかもしれない。
「八つ当たり……。私を嫌いじゃなくて良かった」
「変なの。本当、ちょいちょい変だよね。嫌いな人を心配したり遊んだりこうして話しかける訳がないじゃん。リルちゃんがお嫁にいって全然会わなくなって私もお嫁にいくからますます会えないね。昔は毎日会ってたのに不思議。雨が降ってきたら大変だから買い物に行こう」
「そっか。ありがとう。髪型の本に手紙を添える。もう読み書き出来るから」
「そうか。ルカのところに遊びに来た時に手紙を置いておいたらリルちゃんとやり取り出来るのか。髪型の本は嬉しいから借りる。見て分からなかったら時間がある時に教えてくれる?」
「うん」
続きを言う前に本を貸してくれるなんてありがとう、とアイシャは去っていった。
またしても私には友達が居なかったというのは見当違い説。この間来た時もノンが話しかけてきて昔遊んだ時みたいだと思った。
それで喋る今の方が前よりも楽しくて良いと言われた。
(今も私は沢山は喋れていないけど……前より喋るようになったのと2人だからだ! ペラペラお喋り達と複数人で話しているところだと間に入れないけどさっきは違った)
2人で話そう作戦も使えるかもしれないと心の中の書き付けに書く。
仕事で不在なのか、お腹がしんどくて家で内職にしているか分からないルカの部屋を訪問。アイシャに髪型の本を貸す話もしたい。
「あれ、リル。来るなんて聞いてなかったけどどうしたの。なにその辛気臭い顔。家出にしては中途半端な荷物だね」
また辛気臭い顔と言われた。
「猫にイライラするから遊びにきた」
アイシャが誰かに失恋というのが悲しくて気になるのもあるけど私はあの猫に相当イライラしているみたい。
部屋に促されたので入ると内職作業中という様子。尋ねたら今日はいつ雨が降るか分からないから家で作業したら、と父や同僚達に言われてジンが使うものを運んでくれたそうだ。私はルカに猫話。
「へえ、珍しく相当怒ってるんだね」
「あれは怒る」
「うん。その顔は怖いよ」
「唐辛子で来なくなるはず。来なかったらせいせいする」
私はアイシャに髪型の本を貸す話と着物は断られた話もした。
「髪を結う練習をしてお祝いの日に手伝うのはどうなのかな」
「いやあ、やめておきな。多分まだ未練的な感じであんたに話しかけた気もするから。着物や髪型の話題が出て結婚話が出たら何か言いに来ないかなってさ」
「未練? 私? 私がどうしたの?」
「……えっ⁈ あー、そう。そうなの。知らないの。っていうか気がつかないの?」
「何?」
「いいや。知らなくてもええ事だし。それよりこれ、持ってきてくれたんだね。万年桜の冊子」
「うん。何度も忘れてたから。お父さんにも見せて。ルル達からは隠して。汚しそう」
「ううん。前は皆バタバタで放置気味だったけどこれからはどんどん練習させないと。私の目があるところで1人ずつ見せる。特にルル。もう夏だけどまだこの話をしてるから」
「……そっか。見張ってもらえばええんだ。それなら安心」
万年桜の冊子を見せて聞かれた事に答えて次は隣の実家。
声を掛けたらレイに出迎えられた。ネビーは机の横にいて本を片手で唸っていて私に気がつかず。
あぐらの間にロカがいて肌着を持っていてやはり私に気が付かず。ネビー達の側には着物がある。
「レイは洗い終わった着物を縫っていたの?」
「うん。今日は昨日乾いたお父さんの着物。あとばあちゃんの仕事のお手伝いで半襟も作るの。ロカは兄ちゃんが破った肌着で縫い物の練習。すぐサボろうとするし全然ダメ」
「そ——……」
「それで兄ちゃんが見張ってるの。あと針は危ないからそれも見てる。レイは縫い物しながらロカまで見られないから姉ちゃんに頼もうとしたら兄ちゃんが来てくれた。兄ちゃんは昨日と同じで夜に仕事なんだって。ご飯を食べたら寝るから今日は早くご飯を作るの」
「そう——……」
「なのに今日お夕飯担当のルルは帰ってこない。お母さんが仕事から帰ってきて迎えに行った。ルルはばあちゃんに沢山怒られてへしょげてる! だから寺子屋の後に遊びに行ってそう。兄ちゃんは酷いんだよ。ロカが糸が針から抜けたって言うても代わりに出来ないの。だからレイの仕事が進まない!」
話に入る隙間がなくてねぇねぇ、とまとわりつくレイの頭をとりあえず撫でた。
「レイは頑張ってるんだね。ばあちゃんに任されるのは凄いことだよ」
私はネビーとルカにルル達の褒め係を頼まれている。前は疲れたり呆れてそんなにしていなかったこと。
「そうなんだって! ばあちゃんはレイを面と向かって褒めないけど孫のレイは凄いって言うてるんだって! レイは器用なんだって! ルカ姉ちゃんとリル姉ちゃんと同じなんだよ!」
この話はこの間も聞いたな。
「そっか。長所を伸ばそうね」
「ルルはダメダメなの。短気なんだって。細かくするのが嫌になってくるって言うから怒られる。ルルは野菜も雑にバラバラの大きさに切るでしょう? でもルルは賢いよ。分からないで困っているレイに沢山教えてくれる!」
3対1は疲れて面倒になって放置気味だったけどやはり1対1だと会話しやすいな。
「ルルもレイも頑張ってるんだね。ロカもかな」
「リル姉ちゃん!」
「うおわ! 危ねえロカ。俺を針で刺そうとするな!」
ロカが立ち上がろうとしてネビーがロカの腕を掴んだ。
「兄ちゃん離して。ロカはリル姉ちゃんと遊ぶ! 遊びに来てくれた!」
「それならレイもリル姉ちゃんと遊ぶ。じゃないと帰っちゃうもん」
「ロカ。その前にお前は説教だ。俺の前に正座しろ」
そう告げるとネビーは正座した。
「やだぁ。正座嫌い。お説教も嫌い。兄ちゃん離して。リル姉ちゃんが帰っちゃう。兄ちゃん嫌い! 大嫌い!」
不貞腐れロカの嫌々が始まると面倒。少し呆れ顔をしたネビーが「おや、すべすべな手だと思ったらかわゆい皇女様。ロカ皇女様とはこちらの方でしょうか」とロカに笑いかけた。
「そうでございます! ロカ皇女様はすべすべ肌です! かわゆいかわゆい春がすみの局の皇女様です!」
「そちらにいるのはロカ様の髪を結うレイ様ですね。ロカ様の衣服も縫われるとか。賢くて美しくて縫い物など全てが素晴らしい方しかなれない仕事をする女官吏様だそうですね」
「はいはいはい! 女官吏レイでございます!」
おままごとが始まった。ここからどうやって叱るの?
「皇女様なら女官吏様のように動く前に針をここに刺しましょう。危ないからだ。兄ちゃんの目が見えなくなるところだった。少し痛かったなぁ……」
「痛かったの? 兄ちゃん痛かった? ロカが刺した?」
「ここが少し痛かった。血が出てないなら問題ない。危ないから動く前は針をここに刺そうな」
「うん。ごめんなさい。血はないよ」
「おお。なら平気だ。さてさて、清風の局の女官吏リル様がいらっしゃったようです。挨拶をした方が良いのでは? レイ様。ロカ皇女様にはお手本が必要です」
「はい! リル様、こんにちは! うるわしゅうです!」
「レイ。女官吏様だから私はレイですって続けてみようか」
「うん。私はレイです!」
ネビーに促されたレイは正座してへにゃっというお辞儀をした。レイが自ら進んで正座した!
「ロカ。皇女様や女官吏様はこうやってするんだよ」
「リル姉ちゃんこんにちは」
ロカまで正座したしレイが前よりも世話焼きをしてる気がする!
ネビーに目で促された気がするのでレイとロカの正面に座ってお辞儀。
(うーん。こう? 前もこうしたような)
「皇女様達、お目にかかれて光栄です」
レイとロカは自慢げな笑顔を浮かべた。さらにはレイがロカに「さすが皇女様です」と告げる。
「リルは何しに来たんだろうな? 聞いたら教えてくれるだろう。質問したら待つんだぞ。レイはさっきリルとお喋りしたから次はロカだ」
頭を撫でられたレイとロカは嬉しそう。
「リル姉ちゃん何しにきたの? あのね、ロカは……」
ロカの口はネビーの手で抑えられた。
「リルが喋ってからにしような」
俺もだけどあいつらは喋り過ぎで疲れるから直し中、とこの間我が家で義父とロイとネビーが飲んだ時に言っていたけど直し中とはこの事っぽい。
「時間があるからレイやロカ、今はいないけどルルと遊びにきた」
「おお。レイやロカが沢山働いていたからだな。きっと休んでよかだって事だ。良かったな、レイ、ロカ」
「うん! あのね、リル姉ちゃん!」
左右にロカとレイが移動してきてそれぞれ何か言い出した。両方は聞き取れない。
そこに母とルルが帰宅。母とルルの手には買い物鞄に洗濯物。
ルルはリル姉ちゃんが居る! とはしゃいで駆け寄ってきそうになったけど母に襟首を掴まれて「手洗いとうがい。下駄を揃える」と怒られてぶすくれ顔。
珍しい私の登場だからかルル達は怪獣化。母がいてもネビーが諭そうとしても左右にレイとルルで背中にはロカでお喋りが止まらない。
(前回と似てる。毎日一緒の時はここまでじゃなかった。バラけて欲しい)
ルル達が何を言っているのか分からない。多分近況報告。こうなったら3人を無視するしかない。
ネビーもさり気なく遠ざかって座って本を読み始めている。よく見たらくたびれ顔だ。
「お母さん。ぬか漬けとたくあんを持ってきた。悪さをする猫にイライラするから遊びにきたけどこれはうるさい」
うるさくないもん! と始まった。うるさい。
「イライラ? あらありがとう。ルル! レイ! ロカ! 一度に話しかけても分かる訳がないでしょう! 並んで座って順番に話しかけなさい!」
母の雷が落ちた、と思ったらバリバリバリという本物の雷の音。ビクってして少ししたらゴロゴロ音。しかもこれで終わらないで続いた。
「リル姉ちゃん怖い」
ロカに膝の上に座られて抱きつかれたのでとりあえずよしよししとく。私もちょっと怖かった。我が家で1人だったら少しビクビクしたかも。
「兄ちゃん、雷の副神様にさらわれる。さらうって聞いたよ」
ルルはネビーに駆け寄っていってあぐらの上。レイは無言で母に抱きついた。
「兄ちゃんが守ってやるから大丈夫、大丈夫。雷の副神様もネビーはくさいって逃げ出すから平気だ」
「やだぁ! 足を近づけないで! あはは! ニワトリの臭いがする!」
そうなの?
「しねぇよ! 触ってもいないニワトリってなんだ! この間はきゅうりの臭いって言いやがったよな! お前が俺の足に落としたくせに! お前こそエサの匂いがするな。芋虫なんだろう。コケッ!」
「ニワトリネビーだ! 食べられる! 助けてレイ! あはは」
軽くくすぐられたルルがネビーの手から逃げたけど「芋虫ルルめ!」と転がされている。
そこから逃げて追いかけられたルルはレイと合流したけどネビーに捕まえられて帯を持たれてぶらぶらされた。
「足くさ怪獣にさらわれた! 助けてリル姉ちゃん!」
「逆だよルル! ニワトリ怪人から皇女ロカ様を守ってだよ! 逃げて皇女様! きゅうりくさくされちゃう! あはは!」
「きゃあ! リル姉ちゃん! くさくさに襲われるから逃げよう!」
「うん、逃げようか」
もう成人なのに私まで帯を持たれてぶらぶらされて畳に「ニワトリ達。リル虫だぞ。エサだエサ」と転がされた。ルル達に襲われて重い。これはかなり懐かしい。
母に夕食を作るから遊びつつ裁縫をさせてと頼まれた。ザアアアアアアという雨音が聞こえてきた。音的に雨足は強そう。
(部屋が空かないのについにあちこちから追い出された。腹をくくって工夫する、か。お母さんとルカとの交換日記で読んだけど実際に見たらむしろルル達に前よりもひっついた感)
私がどうにかする前にネビーが再び春霞の局ごっこでルル達に裁縫をさせた。
ネビーは私が来た時と同じようにロカをあぐらの間に座らせて読書。
設定がよく分からないおままごとに雑に参加。一言二言添えるとペラペラ喋る。
ネビーにコソッと「お前が来たから俺に話しかけてこなくて助かる」と耳打ちされた。
中官試験の他は細々と言われたのに細々じゃなくて特別試験や教育目標に関係する仕事以外の事とか色々あるのは聞いている。
(そうか。勉強しながら面倒をみていたってこと。助かるか。来てよかった。3人はやっぱり疲れる。でもおままごと風は意外に使える。前から知りたかった。いや、前だとルル達の知識不足? 女官吏とかどこで覚えたんだろう)
ルル達に聞いたら母とネビーからだった。
(ああ。そうだった。皇女様ごっこでどうにかなると思いますか? ってお義母さんに何か聞いていたな)
母は若くして母親になったし両親、つまり私の祖父母は私が生まれる前に立て続けに亡くなっている。なので母は周りに聞きながら親として手探りだった。
そこに義母という違う世界の相談相手が出来たので手紙でなにやら聞いているしネビー経由でもなにやら。
(うるさいけど和む。前は楽しくて帰るのを忘れていたけどリル姉ちゃん、リル姉ちゃんってかわゆいからかな)
レイは明らかに裁縫がしっかり出来るようになってきているし、ルルが前よりもお姉さんになった気がする。ロカも邪魔するばかりではない。
(1年少しか。こうやって変わっていくんだな)
裁縫が終わった後に褒めて飴を配ったら大興奮でまた収拾がつかなくなった。ネビーはルル達を褒めると私に「悪い。ルカのところにいる」とコソッと告げて去った。勉強に集中したいのだろう。
(またそれぞれ喋るから話が分からない。昔から元気過ぎる)
1人くらい私みたいに大人しい妹がいても良いのになぜなのか。
(眠い。夜に来るかもって見回りしていたからな……)
ルル達はうるさいけど子守唄みたい。うとうとしていたらルルに「姉ちゃんに布団を敷いてあげる」と言われてロカにも「姉ちゃんと寝る」と言われてそれなら少しだけと思って横になった。
大降りで雷も凄いので帰るに帰れない。
「リル。リル。あんた帰らなくて大丈夫なの? 雨足が弱まったけど帰るって言いに来ないなと思っていたら寝てたなんて」
母に起こされて窓の外も室内も暗めだと思った。夕暮れどころか夜疑惑。ルル、レイ、ロカは私と横並びで寝ている。
「夕食にお風呂!」
「帰る気はあったの。遊びに来た時に猫にイライラって言うたから、その理由なら帰ると思ったけど表情が暗いから何かあって来たのかと思ってつい。この感じだと単にねぼすけか。起こせばよかったわね」
「うん。悪さをする猫にイライラしていたから遊びに来た。家事はしたし今日は曇りだからここまで歩くのは暑くないなと思って」
「悪さをする猫、悪さをする猫ってなにをされたの」
「お義父さんとお義母さんが大事に育ててるちび向日葵にフンをしたり折るの! 見張りきれないから今日唐辛子を撒いた」
「リル。あんた凄い顔してるわよ。ここまで怒るなんて珍しいわね。あんたからイライラなんて単語を初めて聞いたよ。そういう顔をしても言わなかったのに本当に喋るようになったわね」
「うん。目から鱗があるから頑張って喋る」
帰る準備をしていたらしましま蛇のおつまみをくれた。ロイが気になる、と言っていた話を交換日記に書いたから確保してくれたそうだ。
部屋の外に出たらすっかり夜。何時だろう。ルカとネビーに声を掛けて帰宅、と思ったらルル達が起きてきてぐずった。
「リル姉ちゃんとまた暮らしたい。毎日がええ。お嫁さんをやめて帰ってきて」
「おお、ロカ。兄ちゃんと約束しただろう。リルはもう結婚したから毎日は帰ってこられないけど兄ちゃんはロカと沢山居るって。なっ! 帰ってきてじゃなくてまた来てね、だろう?」
母の腕からロカを抱き上げたネビーはいじけ気味で不貞腐れ顔のレイの事もよっと持ち上げた。
「やだぁ。兄ちゃんとリル姉ちゃんは違うもん。兄ちゃんは居るけど姉ちゃんも。ルカ姉ちゃんも毎日家で仕事して欲しい。リル姉ちゃんまた来る? 必ず来る?」
「うん。また来るよ」
「レイ。リルはレイを忘れていなかったな。リルは忙しくて沢山はこられないけどまた来てくれた。つまりまた次もある。リルが居なくて寂しい時は兄ちゃんが遊んでやるからリルにまたねって言おうな」
母は母でしかめっ面のルルと何やら話している。
「やだ。兄ちゃんとリル姉ちゃんは違うもん。帰ってきてリル姉ちゃん。毎日一緒がええ。兄ちゃんが前よりもいるんだよ? ルカ姉ちゃんも! だからリル姉ちゃんもいたらもっと楽しいよ! ロイ兄ちゃんと引っ越してきて! それかあの大きい家に皆で住みたい!」
「レイ。大きい家は親父と兄ちゃんが建ててやるから待ってくれ。それでロイさんやリルの家と近くにするからさ。この間指切りしただろう? それにお嫁さんにいくってどういう事なのか話したよな?」
「聞いたし分かるけど嫌。レイはリル姉ちゃんと毎日お喋りしたい」
「レイ、私はって使ったらもっと遊べるって言わなかったか?」
「私はリル姉ちゃんと毎日会いたい! もうお手伝い出来るもん!」
母にくっついているルルが「レイが嫌々言うとロカが理解出来ないよ。私はリル姉ちゃんをお見送り出来るよ。だからレイもしよう?」と笑った。でも眉毛はハの字。
「ほら、レイ。リルは助けてって言われているから帰らないといけない。お手伝い出来るってレイはまだまだ助けてって言われないから無理だ。勉強も裁縫も料理もお母さんと頑張ろうな」
「お母さんとも話したわよねレイ。また話しましょう。リルにバイバイして」
そのうちケロってするから、と母に言われてレイとロカの嫌々を聞きながら私は実家を去った。
(ルルはやっぱりお姉さんになってる。ここまでグズるのにレイやロカは一緒に行くとか、次はいつ来るの? と大泣きにもならない。兄ちゃんやルカが前よりいるから、って話がその理由かな)
少ししんみりしながら歩き続けていたら雨がまた激しくなってきた。居られそうな軒下を見つけて雨宿り。傘はあるけどこれは激しくて不安なので一旦休憩。風があまりないのは救い。
(勉強や仮眠の場所がついになくなった。部屋が空いても近ければ前と違って突撃される。独立させて結婚させようって思うのにルル達から離れないであげそうって今日のあれか。そうか。お母さんやルカの心配が少し分かった)
両親の予想よりもルル達は私が居なくなった寂しさが強かったようでその分ネビーやルカにわりとべったり。それをまた見てしまった。
(ルカが赤ちゃんばかりになったらどうなるか、か。赤ちゃん! になればええけど。お父さん達は親だけど兄ちゃんもルカも親じゃないから自分達を優先して欲しい……。うーん懐かれるのはかわゆいし2人とも世話焼きだしな)
ルル達はぎゃあぎゃあうるさくて面倒とか邪魔だな、と思うこともあったけど当たり前のように毎日一緒だった。
(まあお父さんの日、お母さんの日、ルカの日みたいに変わるらしいしな。ロカはジン兄ちゃんにべったりな時もあるらしいし。もう少し帰れそうなら帰ろう)
いや、1人ずつ遊びに連れ出すか義母や母に相談して我が家で勉強などだな。
三人揃うのは疲れる。でもかなり和んだのも確か。
(減ったのにまた雷が増えた。雷が鳴っていると動きづらい。わりと怖い)
書き置きはしたし雷雨で察してもらえるかな。帰ったら説明する。会話は大事。
待ちに待っていたら雨が弱まったので今だ! と帰宅開始。
(さっきの鐘の数は多分7時。木曜だからお義母さん以外はまだのはず)
我が家に到着する頃にまた雨が強くなってかなり濡れた。
そのまま庭に回ってちび向日葵達を確認。
(不在の間にフンをされていなかった。唐辛子が流れたかもしれないから明日の朝また撒こう。お母さんにトゲトゲの草ももらったから土に刺さないと)
大雨で折れていなかったのも良かった。義父母が縁側に並んで座って桶の水で涼みながらこのちび向日葵達を眺めている。
庭の他のところもだけど雑草をとったり虫を避けたり大事にしている。義母は生花を中心にして床の間に綺麗に飾る。
それで私もちび向日葵の種達を炒って食べるのが楽しみ。
(猫はかわゆいけど許さない。他のところで遊びなさい)
時刻の鐘の音が聴こえてきて「ん? 9時?」と思った。それだと全員帰ってきている。
(ああ。雨戸が閉まってる。お風呂の湯気も煙突から出てる。猫対策に夢中になっている場合じゃなかった!)
これは私の悪い癖。慌てて玄関に回って帰宅。
「ただいま帰りました。雨で立ち……」
ドタドタと足音がしてロイが飛びかかってくるような勢いで私の前に登場。
「リルさん! 帰ってきてくれたんですか! 考えても考えても心当たりがないです! 実家に帰るくらいってずっと何に怒っているんですか⁈」
「少し寝てしまったのと雨で立ち往生です。猫にイライラです」
「ね、猫?」
ロイは瞬きを繰り返した。すると出迎えに義母も登場。しかめっ面の義父もきた。
「あらリルさん。お帰りなさい」
「遅くなってすみません。雷と雨で立ち往生です。うたた寝もしました」
「聞こえましたけど猫にイライラってなんですか?」
「お義父さんとお義母さんのちび向日葵達に野良猫がフンをしたりチッてするし更に折るんです!」
「えっ?」
「見張りきれないから考えていたら思い出して唐辛子です。さっきトゲトゲ草も土に刺しました。猫はかわゆいですけどあそこを厠にしたり遊ぶのは許せません。全く。お母さんも唐辛子は効果的って言うていたので明日は来れないはずです。せいせいします」
フンもだけど折られた事を思い出したらまたイライラしてきた。
「あんな悪さをされたらおちおち眠れません。それでうたた寝です。すみません。対策したので今夜は安心して寝れそうです」
「あー、そう。珍しく饒舌ね。そうなの。手拭いを持ってきます。あとおうどんは茹でてありますよ。雷雨だし下準備もしてあるから帰ってくると思いつつ。そうですか。珍しい聞きづらいくらいイライラしていると思ったら猫」
「は、母上。手拭いなら自分が持ってきます! リルさん。また猫話を教えて下さい。自分が何をしたのか考えていないで聞けばよかでした」
「おー! 猫なのか。そんなことで、と思ったけどついつまみ食いしたからかと。その、つい。切り干しを入れると言うていたから。そうか。猫か。猫でそこまでで俺達か」
つまみ食い?
今朝、お弁当用に作ったたまご焼きの端っこが減ったのはロイだと思っていたら義父!
切り干し大根入りが好きだったの?
言ってくれれば切り干し大根の翌日にバシバシ作るのに。特に意味もなく食べ切るようにしていた。
……私は何かに怒って実家に帰ったと思われたみたい。悪さをする猫をどう追い払うかやイライラで頭がいっぱいだったけど愚痴を言っていたら違ったかな。
ロイも聞けば良かったと言ったな。義父母も尋ねにくかった様子。
(あちこちで言われたから相当不機嫌顔だったってこと。そもそもお義母さんやロイさんに対策を聞けば良かった!)
あとほんの少しでリル・ルーベルになって1年。私は変わって実家の様子も変わっていくけどまだまだ成長しないとならない。そう思った。




