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2話

 料亭で顔合わせと結納。その次は指定された旅館で花嫁修行と読み書きの勉強。

 旅館で花嫁修行は朝早くて夜遅くて大変。覚えることが山程あった。

 この間、私は結婚相手のロイと全く話していない。なにせ会ってない。家と家の結婚とはこういうことなのだろう。


 そうして迎えた祝言の日。最初は神社で挙式。ルーベル家が用意してくれた白無垢で、龍神王に夫婦の誓いを立てるお酒を飲み交わした。

 その後はルーベル家で披露宴。最初は白無垢姿で次は打掛姿。披露宴は両家親戚の顔合わせ。

 結納の着物も豪華絢爛だったけど、私は今日、一生分のお洒落をしていると思う。

 上座にちょこんと座り、互いの両親がルーベル家の親戚達に酒を振る舞うのを眺めながら食事。

 旅館で卿家の結婚式や披露宴での作法を習った。誰にも怒られないので、特に問題なさそう。

 長屋の結婚式はご近所友人達が集まって長屋の前で酒盛り、大騒ぎだけど全然違う。わりと静かであまり会話がない。緊張はしているけれど、大騒ぎが苦手な私は落ち着く。


 隣で家紋入りの黒い羽織袴を着たロイを見上げる。この着物は「黒五つ紋付き羽織袴」という跡取り息子しか着られない格の高い着物と習った。

 ロイは背が高く、背中に竹が入っているみたいにピンッとしていて、とても良く似合っている。上品とはこういう人のこと。義父も義母もルーベル家の親戚達もそう。私も今日からその家族。大丈夫なのだろうか。

 お味噌汁ではなく蛤のお吸い物。野菜に切り細工がされた薄味の煮物。つやつやの白米。香りも色も良い、拾い物ではなく高そうな売り物の柚を使った紅白なます。さらには尾頭付きの小さな鯛。

 旅館で教わった通り、作法に気を付けながら食べつつ、これはきっと一生分の贅沢だと感激している。

 なのに、隣に座るロイは膝の上で拳を握りしめて、御膳を見つめている。一口も食べてない。


「リルさん」

「はい」


 名前を初めて呼ばれた。彼はジイッと鯛を見つめている。作法で我慢中?


「お酒を頼みます」

「はい、旦那様」


 盃を差し出されたので、2人の間に置いてある土瓶を持ち上げる。卿家では夫を「うちの父ちゃん」とか「うちのやつ」とは呼ばない。旦那様、と教わった。嫁いで義母が良いと言えば旦那さんでも良いらしい。

 お酒を注ごうと思ったら、ロイと目が合った。今日から私達は夫婦。

 喋るのは苦手で、育ちも違うし、年も5つ違う。どんな会話をして良いか分からない。なので、とりあえず笑ってみた。


「リルさん、ありがとう」

「はい」


 ロイはグッと一気にお酒を飲むと、食事を始めた。

 一口は大きいけれど、動作はゆっくり。やはり品が良い。結納の日に見た食事姿と同じ。

 特に別の会話はなし。兄が無口な人と言っていた。私と同じだ。結納の日、私達は喋らなかった。今日は違う。会話をした。

 ある程度食べ終わったら、親戚中に酒を振る舞いに行く。そろそろかな、と席を立って上座の義父から順番に「ふつつかな娘ですが励みますのでよろしくお願いします」と挨拶をして回る。

 席に戻って食事の続き。緊張していてお腹がいっぱい。でも、いつも腹減りだったから食べ物を残すなんてもったいないと思う。

 緊張しているし、量も多いから大変だけど、贅沢で美味しくて幸せ。

 ロイは……食べ終わっている。それで膝の上で拳を握りしめて、御膳を見つめている。

 私は慌てた。もたもたしてしまった。ゆっくり味わっている場合では無かった。

 新婦の挨拶回りと、新郎新婦の食事が終わったら披露宴は終わり。ロイは友人達と料亭で2次会。


「旦那様、遅くてすみません」

「いえ、ゆっくりで良いです。もう一度お酒を頼みます」

「はい」


 もたもたするな、と怒られなかった。

 私は土瓶を手に取り、差し出された朱色の盃に酒を注いだ。

 

「リルさん、ありがとう」

「はい」


 ロイは今度は一気にではなく、ゆっくりお酒を飲んだ。その間に食事を進める。お酒が無いな、と思った時に丁度良く「またお願いします」と頼まれる。それを2回繰り返した。

 私の食事が終わった頃、ロイは「最後にもう一杯お願いします」と告げた。

 その最後のお酒をグッと一気に飲み干すと、ロイは周りを見渡して全員がほぼ食べ終わっていることを確認するような様子を見せた。

 私が食べ終わるまでお酒を飲んで待ってくれた?

 もたもたを叱るどころか、気遣いをしてくれる優しい旦那様みたい。


「短い席ではございますし、お粗末でしたが、本日はお祝いの席に集まっていただき、誠にありがとうございました」


 凛々としているけど、ゆったりとした声。長屋や近所にはこういう雰囲気の男は居なかった。いつも無表情な人にも会ったことない。

 ロイが頭を下げたので私も下げる。


「新妻と共に、皆様をお見送りさせていただきます」


 立つ際にロイに手を取られた。これも作法。

 父や兄以外の男の人に初めて触れた。父や兄より小さい手で、すらりと長くて細い指。でも私よりも大きな手で骨張っている。

 2人で玄関へ移動して、御礼の品、紅白饅頭の箱と小さなお神酒の瓶が入った紙袋を両手いっぱいに持つ。残りは廊下に並べてある。今朝、準備に来たし義母からしっかり教わった。

 帰宅する親戚達にロイが御礼の品を渡していく。私はロイに次を渡す。その繰り返し。それで最後は私の父と母。

 その際、反対側で親戚達にお礼を告げていた義父と義母が私達の隣に並んだ。


「リル、しっかり励みなさい」

「はい」


 父に抱きしめられた。私から離れると、父は深々とロイにお辞儀した。その次はロイの両親。


「このような娘を嫁にしていただき、ありがとうございます」

「しかとお守りいたします」


 ロイもお辞儀。私、守られるのか。何から守られるの?

 そうなのか。卿家の嫁とはそういう守るものらしい。両親を義父母とロイと共に見送る。


「では父上、母上、自分は出掛けます」

「おう、気をつけて行ってこい」

「楽しいだろうけど、あまり遅くならないように」

「はい」


 ロイが下駄を履く。確か……と思い出して、私は正座をして3つ指ついた。


「旦那様、行ってらっしゃいませ」

「はい」


 玄関扉を引いてロイが出て行ったので立ち上がる。扉を閉めながらもう一度「いってらっしゃいませ」と声掛け。

 今までの生活の癖で、小さく手を振ってしまった。

 間違いでは無いらしく、怒られることはなかった。ロイは少し微笑んで、ペコリと頭を下げてくれた。


(笑った。笑うのを初めて見た)


 そうか。笑うのか。まるで人形みたい、なんて思っていたけど良かった。ロイはちゃんと人間だ。


「私も出掛けてくる」


 義父も? そうなのか。私は慌ててもう一回3つ指つこうと思ったけど、全くもって間に合わなかった。

 義父はスルッと私の横を通り過ぎて「行ってきます」と出ていった。


「お義父さん。行ってらっしゃいませ」

「お父さんか。そうかそうか。ありがとう」


 ロイとは逆で手を振られた。会釈を返す。


「おやまあ、おやまあ、まさかこんなにしっかりお見送りしてくれるとは」


 義母が私の隣に立ち、腰に手を回した。労るような笑顔を向けてくれている。


「かめ屋から聞いていますよ。覚えも良いし丁寧だって。長屋の娘を嫁にって聞いた時は、どういうことかと思ったけど、良い嫁そうで安心しているから自分の家だと思って楽に……は無理ですね。私は無理だった」


 褒められた。滅多に褒められることなんてないから嬉しい。というより、最後に褒められたのはいつ?

 おいでと義母に言われてついていく。2階に上がり、手伝ってもらいながら衣装部屋で着替え。

 打掛は綺麗だけど暑くて重たかった。白無垢も打掛も借り物らしいので汚さないかずっと緊張していた。

 この後、今日だけは1番風呂。たまに大衆浴場や蒸し風呂に行けるではなくて、ルーベル家には卿家のお屋敷にはお風呂があって毎日入れるという。かめ屋でも毎日お風呂に入れて気持ち良くて幸せだった。


 着替えが終わって1階に戻ると、業者の人達が披露宴の片付けをしてくれていた。

 義母がお礼を言って回るので真似をする。台所へ行ってお茶を淹れようとしているので代わる。


「ありがとう。私は今朝も話した通り、1年前から手足が悪くて助かります」

「疲れてないです。その為の嫁です」

「分からないことは何でも聞いてちょうだい」

「はい、お義母さん」


 また褒められて嬉しい。お世辞でも良いのだ。気分がとても良い。

 業者にお茶を差し入れ。義母が業者を手伝うので私も手伝う。

 紅白の幕が消えたし、襖が元に戻されたので3部屋に戻る。食事をする居間。義父母の寝室。義父の書斎。ぐるりと廊下に囲まれていている。

 2階は私達夫婦の寝室、ロイの書斎、衣装部屋。

 台所にはかまどが2個もあるし、お風呂もあるし、厠も共同ではなくてお屋敷内。広い庭に井戸まである。庭にはさらに客間兼蔵の離れがある。

 お風呂をどうぞと言われて、準備をしてお風呂に向かった。


(夢みたいな家)


 脱衣所で着物を脱ぎ、まだ見ぬお風呂場への扉を開く。


(旅館でみた個室のお風呂と似てる)


 木の良い香り。やはりかめ屋の個室風呂に似てる。浴槽も洗い場もこじんまりしている。でも人が並んで2人入れそうな広さの浴槽。


(旅館と同じで白い石鹸がある)


 色の悪い、質の悪い安石鹸ではなくて、白くて良い匂いの石鹸。しかも新品らしきもの。


(皇女様みたい)


 皇族や華族はもっともっと凄い暮らしだろうけど、長屋の下街娘からこの暮らし。


(……何で私?)


 浴槽でのんびりと思ったけど落ち着かなくて割と早く出た。

 本来こちらが用意する嫁入り道具をルーベル家から贈られ、そこに入っていた真新しい浴衣に袖を通す。白地に赤い紅葉柄。可愛いし、肌触りも良い。


(うち、本当に何も用意してないけど、良いのかな)


 居間に行って、義母に1番風呂のお礼を告げる。


「早かったわね。まあ、緊張してそうなりますね。私もそうだったわ。くつろぐのも無理だろうけどゆっくりして」

「はい、お義母さん。お風呂のお手伝いは何か必要ですか?」

「ないわ。ありがとう。ここでも2階でも、好きなところでゆっくりして下さい」

「はい」

「今夜はお父さんのお風呂の準備はいりません。私がします。明日からよろしく」

「はい」


 ここでも2階でもか。落ち着かなくて台所を確認。明日の朝から私がこの家の食事を作る。

 昨日、父と一緒に来て義母から台所の説明を聞いた。献立も確認してある。でももう1回。

 お米、お砂糖、お味噌、お酒、みりん……よし覚えてる。軽く下準備。2階へ行って、寝室に布団を敷く。


(布団……)

 

 お嫁に行く行かないの前に、長屋の友人達がきゃあきゃあ話すのを聞いたことがある。

 嫁入りするので母に教わった。旅館で初夜の床入り前の挨拶を教えられた。


(私の仕事。跡取り息子を産むこと……)


 布団の上で膝を立てて座る。正座ばっかりで疲れた。ごろん、と横になる。本当は疲れている。眠い。でも起きてないといけない。


(ロイさん、あの人が? そういうことするの?)


 無表情で無口で凛々しい人。少し笑う。笑顔は親しみやすそうだと感じた。

 お喋りで愉快なニックと全然違う。長屋のガハガハ笑う元気な男達とすごく違う。


(私も……大丈夫?)


 大丈夫な気はしない。でも嫁だ。ルーベル家の家事をして、思ったより元気そうだけど義母の手足になって、跡取り息子を産むための嫁。

 身分違いなのに、上げ膳据え膳で迎え入れられた。


 うとうとしてしまう。眠い。うとうと……。

 ハッと目を覚まして、慌てて立ち上がる。誰もいない。良かったと手足を動かす。

 上に伸びたり縮んだりしながら屈伸。すると、襖が開く音がした。慌てて布団の上に正座。襖が全て開いた。


「おかえりなさいませ旦那様」


 3つ指ついて頭を下げる。


「ただいま帰りました」


 顔を上げると、ピシッと背を伸ばしたロイが私を見下ろしていた。酒の影響らしく顔が赤い。耳まで赤くなっている。


「風呂に入ってきます」

「はい」


 少し時間をあけてロイの手拭いや浴衣などを用意して1階へ向かう。脱衣所前で耳を澄まして水音が聞こえるので……そっと扉を開いた。

 羽織袴や肌着などを回収。肌着は洗濯物入れへ。明日洗濯だ。衣装部屋に戻って羽織袴を干す。

 それで部屋に戻って眠らないように正座。


(眠いなあ……)


 旅館の女将から習ったけど、卿家の男は自分で勝手に箪笥から服を出したりしまったりなんてしないらしい。


(これからこれが毎日か。なんだか息がつまりそう。でも静かなのは落ち着く)


 うとうと……。眠い。

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