お見合い結婚しました【旦那】
嫁を迎えて3週目。人生が薔薇色とはこのこと。そう思っていたけど、熱は下がった。
『困り事も、欲しいものも、不安も、何でも遠慮せずに言うて下さい』
その言葉に、リルは頷かなかった。不安げな眼差しで俺の顔色をうかがっていた。
リルと話しながら今さら気がつく。
(遊女の身請けと同じだ)
今回の結婚は、金を払うから嫁にくれという身請けと同じようなもの。とにかくリルを嫁に欲しくて無我夢中で気がつかなかった。遊女は身請け先で苦労するだろう。
旦那、下手すると愛人の機嫌次第で衣食住を失う。それで、帰る場所はない。自力で探すか遊女に逆戻り。
今のリルはそれと同じ状態。かわゆい、かわゆい、嬉しいと浮かれていたけど、彼女は必死だろう。毎日父、母、俺の機嫌を取って、与えられた仕事をこなさないといけない生活。
あんまり家事に構うと母の覚えが悪くなるので、迂闊に手伝い出来ない。気にかけているけど嫌気がさしてないか心配。
飄々として見えるし、楽しそうなので気づくのが遅れた。
それで、急に触れてはいけない気がしてきた。
本当は触られたくないかもしれない。キスなんてされたくないかもしれない。抱かれるなんてもっと嫌。金や生活のために渋々。いや、絶対服従。そう思っているかもしれないと思うと胸が痛くて苦しくなった。
それなら口説き落とせば良い。というか祝言の日から口説いている。
もう嫁だ。朝起きたら会えて、夜寝る時も一緒。休みの日になれば当然のように出掛けられる。
だからしばらく自制。かわゆいから何回でもキスしたい。そろそろ慣れただろうし本格的に抱く。そういうのは1回禁止。
リルは素直で分かりやすい。と、思っている。全部演技でなければ。
すまし顔の時に何を考えているかは分からないけど、食べ物が美味しければ幸せそうな顔をし、楽しければニコニコしたり鼻歌混じりだったり、悩みがあればしょぼくれ顔になって食欲も減る。それを隠しもしない。
だから見ていれば惚れてくれたかなんてすぐ分か……らない。
触られなくなって、せいせいしたという様子はない。抱かれないと子どもが出来なくて追い出される、という怯えもない。
かといって俺に触って欲しい、という雰囲気もない。
出掛けてみればヨハネと心底楽しそうにお喋り。リルとヨハネで延々と話し続けるのは、俺が甘い物嫌いで会話に参加出来ないせいなので仕方ない。
腹が立ったのは俺の友人と2人で数時間出掛ける、といつの間にか約束をしていたこと。
旦那に隠してコソコソではなく堂々とで、ヨハネも「少し借ります」と当然のような態度。
友人に嫁を貸すなんて聞いたことない。いや、あるはず。忘れているだけ。そうか? でもヨハネは常識人だ。信頼している親しい友人。
ヨハネが別れ際に「一緒に出掛ける女性への手土産は食べ物がいいですかね」とリルに話しかけていたので、ホッとした。
リルを仲人にして誰かと知り合おうということだろう。リルにいきなり仲人なんて出来るのか? 母にフォローを頼まないとならない。
しかし、ムカムカする。なにせリルはヨハネと別れてからずっと切なげな表情だから。
なんで毎日毎日顔を合わせて、自分なりに目一杯優しくして大切にしているのに、2回しか会っていないヨハネを恋い慕うような様子なんだ。
確かにヨハネはよい男。家より格上の卿家の息子で格好良くて話し上手で優しくて仕事も出来て話も面白く……惚れるか。畜生。俺は友人に恵まれている。見せびらかすつもりが藪蛇とは……。
ムシャクシャするし、悲しくなってきて、リルの物憂げな表情を見るのが辛くて、ぷらぷら街を散策。
そうだ、と思いつき大嫌いな甘味を食べ歩く。安く済むもの、小さいものをあれこれ食べて気持ち悪くなった。
甘いものを克服してリルと共通の趣味にする、というのは無理そう。
物心ついた時から甘い物は苦手。料理の甘さは好むけど、砂糖たっぷりやはちみつやら、そういうのは鳥肌が立つ。
栗の甘露煮は好きだ。リルが素敵でかわゆい笑顔を見せてくれるからますます好き。
人生で唯一ええと思った甘いものは栗の甘露煮を超えて、リルの口の中で溶けた金平糖。あれが良かったのは金平糖ではなくリルとのキス。
祝言3日以内に一緒に金平糖を食べると永遠に結ばれる。夫婦円満になって良い家庭を築くことができる。鬼を祓って穢れがつかない結婚になる。というからわざわざ人気店で予約した。
嫌いな甘い物、金平糖の縁起担ぎを思い出したのが遅かったので購入が遅くなったけど間に合った。
女の気持ちは女か、と思って立ち乗り馬車に乗って花街へ向かい、散財したらリルに買えるものが減ると引き返し、停留所へ着く前に、リルへ手土産を買おう、なにか甘いものをと菓子屋へ。
しかし、もう匂いさえ嗅ぎたくなくて菓子屋に背を向けて逃げるように飲み屋に入った。
「ロイさんじゃないですか。へえ。一杯飲んで行く感じです?」
剣術道場仲間、フーガがいて声を掛けられた。手招きされたので向かい側に着席。
「いや、飲んで帰ります。嫁に何か美味しい物を買おうと思って遠出してきただけです」
「あのかわゆい料理上手なお嫁さん。新婚ですしそりゃあ何か買いたくなりますよね。この辺りは3区より栄えてますけど、連れて来るわけにも行きませんね」
「まあ、そんなところです」
「とか言いながら、嫁と味比べや嫁に教える練習ではないんです?」
あはは、と笑うフーガを無視して熱燗を頼んだ。明日は仕事。少し飲んで帰る。リルが作ってくれる夕食も待っている。
「散財したら嫁に何も買えなくなります」
「さすが新婚。その台詞、年月が経っても言えますかね」
痛いところを突かれた。そう思った。この浮ついた気持ちが消えたら、俺はリルをどう扱うのだろう?
新しい嫁が良いと追い出すのか? そんな人でなしにはなりたくない。
けれども身請けのような、金で買うような結婚をしておいて、自分は人でなしではないとは言えない気がする。
「ロイさん、顔が真っ青です。何かありました?」
「いえあの、その……」
気がついたら、酒の勢いもあって相談していた。先日不安そうに、泣きそうな顔で「要らんと言われても帰る家はない」と告げられたこと。
一生懸命大丈夫だと伝えたけど、信用されてなさそうなこと。目一杯優しくしているつもりだったけど、信頼されてないと分かって辛い。
「そうですか。まあ別に気にせんでええんではないです? ロイさんは無下なことは出来ん男です。そんな自制しなくても、抱いて褒めそやして優しくしていれば少しは気に入ってもらえますって。まだ夫婦になって日も浅いのに、そのように深い話が出来たなんて信頼されていますよ」
「えっ? そう思います? 信頼されています?」
「そうですよ。それに身請けされた遊女と同じで嫌になったらツテや働き口を作って出て行きます。あのように料理上手なら働き口は引く手あまたでしょう。かわゆいので男を作って駆け落ちとか。ロイさんが嫁に興味を失くしてせいせいしたら、こそこそ恋人でも作りますって」
「えっ……」
確かにその通り。かめ屋の次男に横取りされそうになった。友人達も口を揃えて「かわゆくて料理上手なお嫁さんもろうて良かったですね」である。
飾ればやはり人並みにかわゆいし——俺としては1番かわゆいけどこれは欲目——母の指導で日に日に品良くなっている。
見せびらかしたくて出稽古先に長居させたけど、ちらほら惚ける顔を見かけたので隠すべきだったと慌てて帰した。
凛々しい——多分——稽古姿に惚れてくれ、と思ったけど何も褒められなかったので落ち込んでいる。
不倫は死罪です、と嘘を教えようか迷ったことを思い出す。しかし、そのような嘘はすぐバレるからやめた。
家同士の結婚ではないから、リルは気分一つで出て行ってしまう。俺こそリルの機嫌を取らないとならない。取ってるけど……やはり女の事は女か?
女は金で買える。しかし心は買えない。家のしがらみや条件が合ったなら多少我慢してもらえるだろうけど、嫌になったらかめ屋のギルバートその他に取られる。
「ロイさん? ロイさん? せっかくロイさんに惚れたのに相手をしてもらえなくなって辛くなる。そんなことだってあるかもしれませんよ。今来むと言いひしばかりに、なんて文を投げつけられたりして」
「長月の有明の月を待ち出でつるかな。そんなかわゆいこと言われたら……」
すぐに会いに来てくださると言ったのに全然会いに来てくれない、か。俺はむしろそう言われたい。
すぐに帰ってくると思ったのに帰ってこなくて寂しかったです。
……言われたい。なにそれ、かわゆい。嬉しい。言われたい。
「ロイさん?」
「飲みましょう。すみません、熱燗追加で」
「ロイさん、自分はこれからちょいと行って、明日の仕事に遅れんように早く帰ろうかと」
「少しくらい付き合って下さい。花街は逃げません。いつでもそこにあります」
「そうですけど」
「花街より結婚が良いですよ。毎日の何もかも良いです」
ほらほら、とフーガに酒を注ぎ、結婚がいかに素晴らしいかを伝える。結婚というより、リルがかわゆい話。謙虚で健気で働き者で料理上手で素直な話。
「お喋りで珍しいからついつい聞いたり揶揄ってしまいましたけど、ロイさんもう帰りましょう。立ち乗り馬車がなくなります」
「ええ、すみません。気分が良くて飲み過ぎました」
立ち乗り馬車の終了前に解散。明日は仕事。なのにもう23時。
馬車で揺られて気持ち悪くなり、休み休み帰宅して0時過ぎ。
こっそり家に入るも母は起きていた。光苔の灯籠が照らす顔は無表情というか、咎めるような怒り顔。
居間で縫い物をしていますが何か? という素振りだけど絶対に帰宅を待っていた。
「ただいま帰りました母上。リルさんは?」
「先に寝かしましたよ。風呂はもう冷めていますけど我慢して下さい」
「当然です。明日に備えてすぐ寝ます」
「誰にも何も言わずにこんな時間までとはええ御身分ですね」
予想訳)お前、花街で遊んでいたんだろう。若造でおまけに新婚のくせに。
そう思ったので逃げるように風呂に入って、残してあった自分の夕食を食べ、隠れるように2階に上がった。言い訳無用。何を言っても説教される。
半人前のくせに、とかならまだ良いが、惚れ込んで嫁をもらっておいて早速花街とは、嫁はいらんという意味ですね、とか言われそう。しくじった。
嫁が作った飯をいらんとは可哀想——予想訳)嫁も要らんのですね?——と言われたくないから胃もたれしそうだったけど完食。リルが後片付けの仕事を残したと言われないように後片付けもばっちり。
抜け目のない母なら脱衣所で俺の着物を確認する。白粉や香水の香りも紅のあともないので「花街ではない」と気がつくだろう。
これが嫌で花街には滅多に行かなかった。教育の時と、先輩に誘われてどうしても——そして今思えばリル似を選んでいる——の時だけ。寝室に入ると、リルは寝ていた。
花街には正直行きたい。今こそ行きたい。どうすれば女性に惚れてもらえるのか、何をされたら嬉しいのか、ついでに床で相手を気持ち良くさせる方法も知りたい。
母と同じく着物を調べられたら……拗ねたりしないかな。ヤキモチを妬かれたい。
遊女ではなく芸者と酒を飲んで流行を聞いてきただけです。リルが欲しいものや行きたいところを知りたくて、とか?
リルに物を買うお金が減るから友人に頼もう。床で気持ち良くは本人の反応を見て試行錯誤するしかない。日に日に反応が変化していくからかわゆくて楽しいし。
寝室に入ると部屋は明るかった。しかしリルは寝ている。俺のために明るくしたままにしてくれたようだ。健気で……かわゆい寝顔。
(残念……。寝ないで待って、いや、リルは朝早いから寝ているのが正解だ。むしろ母上が先に寝るように促してくれて嬉しい。嫁を大事にしてくれている)
かわゆいから起こしたくなる。しかしもう時間が遅過ぎる。
脅迫まがいのことを言って結婚したので、母がどう出るかいつも気にかけている。リルを虐めたらリルを連れて家を出るつもり。
しばらく長屋みたいな安いところで暮らすことになるだろうけど、出世すれば小さい家なら建てられる。
今暮らす先祖代々の家みたいな立派な家は無理だけど。
(そうしたらリルに贅沢させられないし、2人で子育ては大変なので頼れる相手……実家? あの家は無理か? 立派な家だから我慢していたのに、小さな家で好かん男と暮らすなんて嫌とか言われたら……家を出ない方が良さそう。母上の機嫌をしっかりとって、リルを守らねば)
よし、寝よう。それで明日の夜はリルを抱く。先のことは分からないからクヨクヨ考えない。
抱きたいし褒めたいし優しくしたいからそうする。数日でもう無理。我慢の限界。とにかく口説く。あちこちに聞いて口説く。
もしも明日の夜に「昨日は遅くて寂しかったです」なんて言ってくれたら……かわゆい。
ぐう。




